海賊の子 | ナノ

感じる温度


夏の暑い朝。僕が目を覚ます頃には、いつもお父さんはお仕事に行ってしまっていて会えなかった。お母さんは時々居てくれたけど、30分も一緒には居られなかった。二人ともお仕事が忙しくて、僕は大きなお家の中でいつも一人で遊んでいた。

「翔太」

でも、夏休みになると僕のお家に由兄ちゃんが遊びに来てくれて、一緒にスイカを食べたり、お庭にあるプールに入ったり、仮面サーファーの映画を見たりして、すごく楽しかった思い出がある。

由兄ちゃんは僕のお兄ちゃんなんだって思っていた。でも、僕のお世話をしてくれるお爺ちゃんが、由兄ちゃんは僕のお兄ちゃんじゃなくて“おじさん”なんだって言っていた。僕は、由兄ちゃんはおじさんなんかじゃないって言った。だって、由兄ちゃんはお父さんの知り合いのおじさん達と違って、まだ若くて太ってなかったもん。だから、由兄ちゃんは絶対僕のお兄ちゃんだって思っていた。

由兄ちゃんは僕の家族だもん。いつも僕のお家にやってくる先生達からダメって言われていたゲームも漫画も見せてくれる、優しいお兄ちゃんだもん。だから由兄ちゃんも僕のお家で一緒に暮らそうよって言ったら、由兄ちゃんはいつも悲しそうに笑って、「お前にはお父さんとお母さんがいるから寂しくないだろ」って言って、答えをごまかしちゃうんだ。そして、そんな事を言った次の日の朝には、僕に内緒で居なくなっちゃうんだ。

だからなのかな。お父さんとお母さんがいなくなっちゃった時、由兄ちゃんは僕と一緒に暮らしてくれるようになった。一緒に暮らすのにどうして、お父さんとお母さんがいるとダメなんだろう。由兄ちゃんは僕の家族なのに、血だって繋がってるのに、どうしてあの時一緒に暮らせなかったんだろう。僕はずっと、不思議でたまらなかった。


「……よし……にぃ、ちゃ……」
「翔太? 起きたのか?」

ふと聞こえた声に瞼を上げた。ぼやぼやした景色の中に、ツルツルな頭が見えた。由兄ちゃんだ。

「具合はどうだ? お粥買ってきてるけど、食えそうか? 食えるなら今すぐ作ってやるぞ」
「…………」

頭を少し動かしたら、由兄ちゃんの笑顔が見えた。すごく暑い。ちょっとだけまだ、頭がぼーっとする。由兄ちゃんは暑くないのかな。

「まだちょっと顔が赤いな……。あ、そうだ!翔太、明日扇風機買って来てやるからな!由兄ちゃん、今回はちょっと奮発しちゃうぞ〜! 待ってろ、今お粥作って来てやる!」

由兄ちゃんはどんな時でも張り切っているように見える。僕も由兄ちゃんみたいに頭をツルツルにしたら、あんな風に暑さなんか感じずに元気でいられるのかな。
僕はスイカみたいにツルツルな由兄ちゃんの後頭部を見つめながらそう思った。

「それとな〜、翔太。あと一ヶ月くらいしたら、お前を学校に行かせてやるから」
「……え?」
「必要なモン揃えねーとだし、具合が良くなったら由兄ちゃんと一緒に買い出しに行こうな。明日は合鍵も作る予定だから、戸締りの練習もするぞ」

僕はお布団から体を起こした。まだ頭がぼーっとしていて足がフラフラするけど、由兄ちゃんの声が聞こえる台所まで頑張って歩いて行った。

「由兄ちゃ……」
「あら、翔太」
「……!」

──お母さんだ。僕のお家の、いつものキッチンに、お母さんがいる。

「起きてきたの? ダメでしょ、寝てなくちゃ」
「お、かぁさ……」
「そんなに待てなかったの? フフフ……大丈夫よ、翔太」


お母さん、いなくならないから──


「……お母さん」
「……? あっ、翔太ッ……ダメだろ寝てなくちゃ!」
「お母さん……抱っこ……」
「翔太……」
「抱っこして……」

手を伸ばしたら、すぐに抱きしめられて、抱っこされた。温かい。さっきまで暑いって思っていたのに、ここだけは落ち着くような温かさを感じる。できるのなら、ずっとこうしていたかった。

「……ごめんな。お前のお母さんの代わりになってやれなくて……ごめんな、翔太」
「あ……」

耳元で、由兄ちゃんの声が聞こえた。頭に手を回したら、スイカみたいなツルツルすべすべの感触がした。これ、お母さんじゃなくて由兄ちゃんだ。僕は顔を離して、由兄ちゃんの顔を見た。由兄ちゃんは、悲しそうに笑っていた。

「……翔太、由兄ちゃんよりも……お母さんみたいに世話してくれるおばさんの家の方が良くないか?」
「えっ……」
「スゲー料理上手だし、ここよりいい家に住んでるんだぜ? お前と結構歳が近い子もいるらしいから、兄弟みたいに遊べ…」
「いやだっ!」
「ッ……」

僕は由兄ちゃんの首にしがみついた。絶対、絶対離すもんかって強くしがみついた。

「由兄ちゃんがいいっ!由兄ちゃん以外の人じゃやだ!」
「翔太……」
「いなくならないで!僕を置いていかないで!」
「わかったよ翔太、わかったから暴れるな……っ」
「ゲホッ!置いてっちゃッ…ゲホッ!ぼくっ、いい子にす……ッゲホ!」
「わかったからもう無理すんな翔太!ほらっ、深呼吸!深呼吸!」

由兄ちゃんは慌てて僕の背中をポンポンと叩いた。じゅるじゅると出てくる鼻水は、由兄ちゃんが全部ティッシュでとってくれた。さっきから由兄ちゃんはずっとワタワタしていて、あの時みたいな悲しそうな笑顔はもう見せなくなっている。

「あぁっ!火!ヤベェッ噴いてる!ちょちょちょっ……翔太、ちょっとここで待ってろ!」

由兄ちゃんはドタバタとリビングまで走って、僕をお布団の上にそっと降ろすと、またドタバタと台所まで戻って行った。

「うわっ、ちょっ危なッ……ンァアッツゥイ!フーッ……!フーッ……!んガッ……ホギャアァァ!!」

何が起きているんだろう。台所がすごく騒がしい。何かが溢れたような音がする。ぼんやり待っていたら、突然隣の壁からドンって音が聞こえた。尾形お兄ちゃんのお部屋がある方だ。

「……由兄ちゃん……?」
「翔太!ぜってぇこっちに来るなよ!? 火傷するから!」
「大丈夫……?」
「えっあ、あぁっ!大丈夫大丈夫!由兄ちゃんなら平気だ!ピンピンしてるぜ〜!あつっ!」

全然大丈夫じゃないような気がする。たぶん、さっき沸かしていたお湯を零しちゃったんだ。
僕はお布団の上からから立ち上がって、洗面所まで向かった。そこから大きなタオルを持って台所に行ったら、由兄ちゃんが膝を抱えて床に座り込んでいた。なんだか落ち込んでるみたいだ。シュンとした顔をしている。

「由兄ちゃん、タオル……」
「あ、持ってきてくれたのか……? ありがとな、翔太」

由兄ちゃんは目に浮かんだ涙を指でぬぐいながら、僕の持ってきたタオルを自分の顔に当てた。そういう意味で使ってもらおうと思ったわけじゃなかったけど、別にもうどうでもよかった。由兄ちゃんの好きなようにさせておいた。

「俺はダメだな……料理もできなきゃ仕事もできねぇ。俺にできることなんて、できないこととかやりたくもねぇこととかから逃げることばっかで……」
「でも、由兄ちゃん……お掃除ちゃんとできたよ……?」
「それだって、尾形に言われるまでしようともしなかった……。これからお前が一緒に暮らすってのに、俺にはそういう覚悟とか自覚が足りてねぇんだ……」
「なんだ、よくわかってんじゃねぇか」
「!!」

尾形お兄ちゃんの声だ。ハッと振り向いたら、やっぱり尾形お兄ちゃんが後ろにいた。由兄ちゃんがそれに驚いて、口をぽかんとしている。そして肩をふるふる震わせると、由兄ちゃんはガバッと立ち上がって尾形お兄ちゃんを指差した。

「あんたなァ!ほんっといい加減にしろよな!俺ん家のベランダはあんたの玄関じゃねーんだよ!」
「あまりにもうるさいから苦情言いにきただけだ」
「だからっ!玄関から来いよ!」

さっきまで落ち込んでいた由兄ちゃんが今度はプンスカと怒っている。由兄ちゃんは相変わらず感情豊かで元気いっぱいだ。

「で、何なんだこの水溜りは。……雨漏りか?」
「雨漏りじゃねーしそもそも雨なんか振ってねーから!お湯をこぼしちまっただけだよ!」
「大丈夫なのか」
「あ? ああ、まあ……鍋には触れてねーし、お湯がちょっと掛かったくらいで俺は大して……」
「何勘違いしてんだ。お前じゃねぇよ、翔太の方だ」
「だよね〜!尾形ちゃんならそう言うと思った〜!優しいとか思っちゃった俺がバカだった〜!」

ようやく涙が引っ込んだと思ったのに、由兄ちゃんはまた笑顔で泣きながらタオルで涙をぬぐっていた。早くそのタオルで濡れちゃった床を拭いたらいいのに。
そう思っていたら、尾形お兄ちゃんは僕の腕を掴んで台所から引っ張り出した。

「どうでもいいがさっさと床を拭け。いい年した大人がいつまでも愚図るな」
「おっ、大人だって愚図る時くらいあってもいいだろ!」
「貴様はTPOも知らんのか。速やかにタオルを用意していたこいつの方がお前よりはるかに賢いな」
「ぐっ……相変わらずあー言えばこー言う……!つーかいつから見てたんだよ!さっさと出て行け!玄関から!」

しっしっと手で追い払う仕草をして見せた由兄ちゃんに、尾形お兄ちゃんはフンと鼻で笑うとベランダの方まで向かった。

「だから玄関使えって!」

怒る由兄ちゃんの声も無視して、尾形お兄ちゃんはベランダに出るとそのままいつもみたいに隣の部屋に戻って行ってしまった。もう僕のお家のベランダは尾形お兄ちゃん専用の玄関みたいになっちゃったなぁ。

──あれ?

「僕の、お家……?」
「あ、翔太!ちょっと元気あるなら風呂に入ってこいよ、沸かしてあるから」

振り返ったら、床をタオルで拭いている由兄ちゃんの笑顔があった。

「お前が上がった頃に、飯にしような」

由兄ちゃんのその笑顔と言葉に、一瞬泣き出してしまいそうになったけど──

「……うん!」

それ以上にしわあせな気持ちが僕の中に湧いてきて、涙なんかすぐに引っ込んでしまった。


◆◆◆


それから次の日の、お昼ご飯を食べた後──
僕は熱が下がったのもあって、今由兄ちゃんと一緒にお出掛けしていた。

「翔太、ちょっと息苦しいかもしれねーけど今日はそれで我慢な?」
「……うん」

だけどマスクはつけなくちゃいけなくて、由兄ちゃんは熱中症対策にって僕に帽子も被せてきた。由兄ちゃんの帽子は僕にはちょっと大きかった。何度も前にズレてくる帽子で前が見えにくい。

「尾形も仕事だし、そう何度も預けらんねーし、置いて行くわけにもいかねーしな……」
「……由兄ちゃん?」
「ん? あぁ、悪い悪い。っと、じゃあまずは……由兄ちゃんの用事に付き合ってくれるか?」
「うん」

由兄ちゃんは携帯を見た後、僕を見下ろしてニカッと笑った。せんぷぅきっていうものを買いに行くのかなって思っていたけど、由兄ちゃんはどこのお店にも寄らずに、僕の手を引いてバス停にまで向かった。バスに乗るのはすごく久しぶりで、僕はワクワクしながら窓の外を眺めた。僕が通っていた幼稚園のバスにはない、“とまります”のボタンが早く押してみたかった。

『次は……知多々布(チタタプ)一丁目、知多々布(チタタプ)一丁目です……』
「お、次だな」
「あっ、僕が押す……っ」

由兄ちゃんがボタンを押しそうになって慌てて僕が手を伸ばしたら、それよりも先にボタンが鳴らされてしまった。「あっ」て聞こえた声に振り返ったら、青い眼のお姉ちゃんがボタンを押したまま僕を見て固まっていた。

「…………」
「…………」
「……す、すまない……」
「ふぅっ……」
「っ!」

せっかく押せると思っていたのに、先に押されてしまってショックで泣き出しそうになった。でも、今泣いたら由兄ちゃんに迷惑をかけちゃうから、僕は溢れそうになった涙を必死に堪えた。ギョッとした顔になった青い眼のお姉ちゃんが、あわあわと手を振っている。

「あのっ、本当に……悪かった!」
「あーいやっ、いいのいいの!なっ? 大丈夫だよな? 帰る時にまた押せばいいもんな? な? な?」
「んっ……んっ……」

僕は由兄ちゃんの言葉にコクコク頷いて、絶対泣かないように拳で目を拭った。その時、ボタンに点いていた灯りが突然消えて、バスのアナウンスがジジ、と音を鳴らした。

『どうぞ、何度でも好きなだけ押してください、お客様』

バスの運転手さんの言葉に、僕も、由兄ちゃんも青い眼のお姉ちゃんも、バスの中のみんなの顔もぱあっと明るくなった。僕は、とまりますのボタンを何回も何回も押した。その内バスは次のバス停に到着して、僕と由兄ちゃんと、最初にボタンを押した青い眼のお姉ちゃんがバス停に降りた。お姉ちゃんは僕の頭を撫でて、苦笑いを浮かべた。

「さっきはごめんな? 私はこのバス停でいつも降りるから、つい先にボタンを押してしまった」
「ううん……僕、大丈夫……」
「や〜、こっちもなんか周りに気ィ遣わせちゃって申し訳なかったよ。お嬢ちゃんもごめんね?」
「気にしなくていい。この辺に住んでいる人達はみんな優しいから、あんなことで怒ったりはしない。それよりよく我慢したな、偉いぞ少年!」
「ん……」

お姉ちゃんによしよしされて、なんだか少し恥ずかしい気持ちになった。思わず由兄ちゃんの後ろに隠れたら、由兄ちゃんはニヤニヤ笑いながら僕の顔を覗き込んできた。

「あらぁ〜? どうしちゃったの、翔太〜? 顔がちょっと赤いぞ〜ぅ?」
「……っ、由兄ちゃんの、いじわる……」
「グフッ……可愛い……!」
「翔太? お前の名は翔太と言うのか。私はアシリパだ。よろしくな、翔太!」
「ん……」

握手をしようと手を出してくれたアシリパお姉ちゃんに、僕はちょっとだけ迷った後にそっと手を握った。アシリパお姉ちゃんの手は柔らかくて、お母さんみたいに温かい手だった。


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