海賊の子 | ナノ

縄張り争い


僕が風邪を引いた時、大きな病院に連れて行かれてたくさんの検査をしたことがある。注射が怖くて嫌だったけど、注射を我慢したらお母さんがわって笑って「翔太はいい子ね」って褒めてくれた。だから、怖くても痛くても嫌いでも、我慢できたらお母さんが絶対褒めてくれるから僕はいつも頑張って我慢した。お母さんがいたから、僕は我慢できたんだ。



「翔太、お粥できたぞ」
「…………」

由兄ちゃんの声が聞こえた。目を開けたら、由兄ちゃんのお部屋の天井が見えた。

「店で買ったお粥温めたやつだから不味くはねーと思うけど……あ、塩か何か入れるか?」
「…………」

隣からガチャガチャ音が聞こえる。顔を横に向けたら、由兄ちゃんが胡座をかいて座って何かお皿を用意していた。頭がぼうっとしててなんだかよくわからない。

「あー……っと、翔太だと……一錠か。翔太、それ食ったらこの薬飲めよ。飲み物ここ置いとくからな」
「…………」
「あれっ? 体温計どこやったっけな……確かあっちに……」

由兄ちゃんは腰を上げるとどこかに行った。僕のお家ではお医者さんがやってきて、変な道具で腕を締め付けたりするんだけどここではそんなことはしないみたいだ。風邪を引いたら治るまで毎日お医者さんがお家までやって来るんじゃないのかな。由兄ちゃんのお家にはお医者さんは来ないのかな。じゃあ、注射はしなくていいのかな。

「あ〜!あったあった!」

ほぅ、と息を吐いたら、台所の方から由兄ちゃんの声が聞こえた。ドスンドスンって足音が聞こえてきて、由兄ちゃんはさっきみたいに僕の隣に胡座をかいて座った。

「なんだ、まだ食べてなかったのか? もしかして腹減ってないのか?」
「…………」
「なんか食いたいものあるなら言えよ、翔太。由兄ちゃんが何でも買ってきてやるぞぉ〜」
「……あつい……」
「えっ? あつい? 暑いのか? あー……エアコンねーからなウチ……。扇風機も去年首が折れてそのままだったし……」

由兄ちゃんは頬っぺたをぽりぽり掻いて、ちらっとベランダの窓を見た。そしてしばらくうーんうーんと悩むと、深くため息をついて腰を上げた。寝たままでも、由兄ちゃんの足がベランダまで行くのが見える。ガラガラ、と窓が開く音が聞こえた。

「開けねーよりは……げっ、お前……!またベランダでタバコかよ……!こんなクソ暑いのによくそこで吸えるもんだな……」

由兄ちゃんが誰かと話している。もしかして、尾形お兄ちゃんかな。尾形お兄ちゃんの声はちょっと遠くてよく聞こえない。二人は何を話しているんだろう。

「あ? ……関係ねーだろ、あんたに。つーか、窓開けんだからタバコやめてくれよな。……暑いから開けるんだよ!……エアコンねーんだよ!……うるせー!おめーらみてぇな公務員にフリーターの気持ちがわかってたまるか!」

なんだか楽しそうだな。僕もベランダに出て尾形お兄ちゃんとお話ししたいな。
体を起こそうとして床に手をついたら、手が滑って近くにあったお皿をひっくり返してしまった。

「っ翔太!」

思ったより大きな音が鳴って、気付いた由兄ちゃんが慌てて戻ってきた。どうしよう、怒られる。

「ご、ごめんなさ……」
「怪我ねーか? あ……お粥食べたかったのか? 悪い悪い、気付かなかったぜ。ほら、これで手拭けよ」
「ん……」

由兄ちゃんは僕を怒らなかった。お粥でベトベトになった僕の手を、由兄ちゃんは優しくタオルで拭いてくれた。でも、せっかく由兄ちゃんが作ってくれたお粥が全部ダメなっちゃった。由兄ちゃん、本当に怒ってないのかな。

「お、かゆ……」
「え……あ、ああ。大丈夫だって。レトルトタイプだからまた温めりゃすぐできる。すぐ作ってやるからお前は寝てろ」
「ん……ぉ、かた、づけ……」
「だぁから、大丈夫だって!風邪引いてんのに無理すんな!」

起き上がろうとしたら由兄ちゃんが僕の体をお布団の中に戻した。でも、暑いからあまりお布団の中にはいたくない。

由兄ちゃんは溢れたお粥を片付けて、いそいそと台所へと向かった。 僕にお粥を作ってくれていたお母さんも、あんな風に台所で張り切っていたのかな。風邪で寝込んでいるときはいつもお部屋でひとりぼっちで待たされて、眠たくなる頃にお母さんがお粥をお部屋まで持ってきてくれる。時々うどんとか雑炊を作ってくれて、僕が食べられなくて残しちゃってもお母さんは怒らなかった。由兄ちゃんみたいに、大丈夫って言って笑ってくれた。

「……ゲホッ」
「翔太」
「……?」

ふと、名前を呼ばれたような気がする。首を動かしたら、ベランダに立っている尾形お兄ちゃんが見えた。カーテンが風に吹かれてパタパタとはためいて、尾形お兄ちゃんの姿をところどころ隠した。

「……ぉ、がた……に、ちゃ……」

僕が名前を呼んだら、尾形お兄ちゃんはこっちまでゆっくりと歩いて来た。僕の枕元までやってくると、その場に屈みこんで僕の顔を上から覗き込んだ。逆さまな顔の尾形お兄ちゃんの目がじっと僕の顔を見つめている。

「……風邪か?」

僕は小さく頷いた。尾形お兄ちゃんは無表情で僕のおでこをそっと撫でた。尾形お兄ちゃんが手からは、ちょっとだけタバコの匂いがする。

「……早く治せ」

そう呟いて、尾形お兄ちゃんはその場から立ち上がった。どこに行くのかなって目で追ったら、尾形お兄ちゃんはベランダの方へ行ってしまった。そうしてまた、いつもみたいにベランダを伝って隣のお部屋に戻って行った。

「おーい、翔太〜。お粥できたぞ〜」

由兄ちゃんの声が聞こえた。頭を動かして由兄ちゃんの方へ顔を向けたら、お皿を持った由兄ちゃんがすぐ近くにまで来ていた。

「何見てたんだ〜?」

隣にどっかりと座った由兄ちゃんが、湯気が出ているお粥をスプーンで掻き混ぜながらニコニコ笑顔で尋ねてきた。僕は、もう一度ベランダの方へと顔を向けた。パタパタ揺れるカーテンの向こうには、もう尾形お兄ちゃんの姿はない。

「…………」
「……ん? どうした?」
「…………尾形お兄ちゃん」

ボソリと呟いた途端、由兄ちゃんがお皿を床に落としてベランダまで猛スピードで走って行った。

「ぅおぉい!また入って来たのかよあんた!いい加減にしねーと住居侵入で訴えるぞ!つーか音もなく入って来てんじゃねーよ!おちおち窓も開けらんねーだろうが!俺らを蒸し殺す気か!!」

由兄ちゃん、暑いのに元気だなぁ。
頭を動かすと、せっかく作り直したお粥がまたひっくり返ってダメになっているのが見えた。

「あんにゃろ〜……自分はエアコンあるからってしっかり窓閉めてやがらぁ……。俺の声だけ完全無視かよ」

ブツブツ何かを呟きながらようやく由兄ちゃんが戻って来た。そして、溢れちゃったお粥に気がついて、声にならない悲鳴を上げた。


◆◆◆


玄関のチャイムが鳴った。わざわざここに尋ねてくる者は指折り程度にしか知らない尾形は、このアポなしの訪問者が誰であるかこの時点で大方予想できた。
お気に入りの革製ソファーから腰を上げて、玄関まで向かう。念のためドアスコープを確認すると、案の定、口をへの字に曲げて不機嫌そうな雰囲気を醸し出している“お隣さん”の姿が見えた。尾形は自分の口角が緩やかに上がるのを自覚しつつ、玄関の鍵を二つ外してドアを開いた。

「…………」
「どうした。ベランダじゃなく“こっち”から訪ねてくるなんて珍しいな」
「これが普通だっつの!つーかあんたに比べりゃ俺なんか一回しかベランダからそっちに行ってねーからな!?」
「フッ……それで? わざわざ玄関からお越し頂いてまで、一体俺に何の用だ?」

憤慨する白石を鼻で笑い、尾形は腕を組むと彼の用件を尋ねた。最初こそ強気で文句を垂れていた白石だが、尾形から用件を尋ねられると途端に口を閉じて視線を彷徨わせた。
何か言い難いことなのか──口ごもる白石に尾形は首を捻った。

「…………くれよ……」
「あ?」

微かな声でようやく白石が何かを話した。聞き逃した尾形が思わず聞き返すと、白石は歯を食いしばって尾形に迫った。

「買い物行くから翔太の面倒を見ててくれってんだよ!聞こえたか!?」
「…………」

何故か強気な態度で怒鳴ってきた白石に一瞬呆気にとられる尾形だったが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻って玄関の壁に寄りかかった。

「それが人にものを頼む態度か?」
「いやそもそもあんたがベランダから侵入してなきゃ良かった話なんだよ!おかげでお粥全部床に食わしちまったじゃねーか!」
「何の話だ……」

普段なら相手が言ったことを瞬時に理解できる尾形であるが、状況説明能力が極端に乏しいこの白石相手では理解してやる気力すら湧いてこない。尾形は目の前の白石のことを、ものを話すてるてる坊主が何か喚いているな、としか見ていなかった。

「買い物に行きたいのなら行ってくればいいだろう」
「風邪引いて寝込んでる翔太を一人残して買い物に行けるか!」
「じゃあ諦めろ」
「だったらあんたが買い出しに行けよ!」

白石は、そう怒鳴り込みながら玄関に一歩踏み込んだ。


ジャキンッ


──その瞬間、白石の首元には冷たい棒状の何かが添えられていた。無防備に晒された首の、薄い皮膚に伝わるのは金属の冷たさ、硬さ、そして静かな殺意。
白石は唾を飲むのも忘れ、口を開けたまま硬直していた。唯一動いた視線が、首元にあるモノに向けられる。見覚えのあるそれに、白石は思わず息を詰めた。

「仕事柄警戒心だけは強くてな……勝手に入られそうになるとつい体が反応しちまうんだよ」
「……っいいのかよ。警察官が警棒なんか一般人に突き付けて……」
「非番の今は俺も一般人の内の一人だ。まあ、敢えて違いを出すなら……」

そっと、白石の首元から警棒が離れていく。尾形は伸ばしきった伸縮式の警棒を自分の肩に乗せ、ニヒルな笑みを浮かべて見せた。

「民間人に比べて、コイツの使い方を熟知しているって点だな」

危うく腰を抜かしかけた白石だったが、尾形から殺意がなくなったことを確認すると安堵の笑みを浮かべ、顎にまで伝った冷や汗を拭った。

「っ、おっかね〜……ションベンちびっちまうところだったぜ」
「……で、買い出しがどうとか言ってたな?」
「えっ、あ、あぁ!それならもういい!こっちで何とかす…」
「引き受けてやるよ」
「えっ?」

予想外の返事に白石は一瞬呆気にとられた。尾形は思考停止で突っ立っている白石を通り越し、団地の廊下まで出てくると突然その場に屈みこんだ。

「な、何して──……」

白石が覗き込もうとした途端、尾形は持っていた警棒を垂直に持ち直すなり廊下の床に勢いよく打ち付けた。ガチンッ、と固い金属がぶつかる音が廊下に響いて、白石はヒィッと悲鳴を漏らした。尾形の手にあった警棒は、先端を床に叩きつけられたことにより縮小されて、元のコンパクトサイズに戻されている。

尾形の無表情が、竦み上がった白石の方へゆっくりと振り向いた。

「で……? このクソ暑い中わざわざ買い出しに行くのは俺とお前、どっちなんだ……?」
「おっ、おおおお俺です俺ッ!俺が行きます!是非俺に行かせてくださーい!」

先ほど向けられた殺意とはまた違う殺気を感じて、白石は謎のハイテンションで自分自身を指差しながら買い出し役を申し出た。訪問してきたときの威勢はどこへやら──尾形は華麗な手のひら返しを披露して見せてきた白石を一瞥し、小さく鼻を鳴らした。


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