海賊の子 | ナノ

過剰な心配


ずっとずっと前から、お父さんとお母さんが仕事でお家に居ない時はいつも由兄ちゃんが僕のところに遊びに来てくれていた。

美味しいお菓子を半分こして食べて、綺麗なお庭で鬼ごっことか隠れんぼをして二人で遊んで、そうして夜になると由兄ちゃんはひとりでこっそりと帰っちゃうんだ。

どうしてなんだろう。家族なのにどうしていつも一緒にいられないんだろう。
僕が尋ねると、また会えるってお父さんは言っていた。でも由兄ちゃんが僕に会いにくる日はいつも僕がひとりぼっちの時だけだ。

お父さんとお母さんが死んじゃって僕がひとりぼっちになった時、由兄ちゃんは僕とずっと一緒にいてくれるようになった。由兄ちゃんは僕をひとりぼっちになんかさせないって言ってくれた。

でも、もし由兄ちゃんが結婚して僕と暮らせなくなっちゃったら? 僕よりずっと好きな人ができて、僕のことが嫌いになっちゃって、わがままばっかり言う僕なんかもういらないって思ったら?

──僕は、今度こそずっとひとりぼっちになっちゃうのかな。


◆◆◆


「え? 翔太くんの元気がない?」

谷垣源次郎は書類に走らせていたペンを休ませて、足元に座り込んだチカパシに驚いた顔を向けた。ランドセルを背負ったままのチカパシは、第七団地公園前交番の出入り口に座り込んだ状態でゆっくりと頷いた。

「昨日谷垣に言われたようにさぁ、休み時間に翔太を相撲に誘ったんだけど……」
「ああ」
「翔太のヤツ、やりたくないって言って教室から出ようともしないんだ。ずっと教科書ばっかり読んでて机から離れないし、学校行く時もあんまり話そうとしなかったし……」
「それは変だな……。あの時はあんなにチカパシと相撲をとりたがっていたのに……」
「それだけじゃなくてさぁ」
「……?」

チカパシは唇を尖らせて不満そうな表情を見せると、どこかで拾ってきたらしい木の枝で地面に特に意味のなさそうな線を描きだした。ザリザリと砂の削れる音が交番の出入り口から聴こえる。

「……翔太がさぁ、俺としばらく遊べないって言うんだ」
「えっ?」
「な? 変だよな? だから俺も何でだよって聞いたんだ!そうしたら翔太がさ、勉強するからって……っ」
「それは仕方ないことなんじゃないのか? 勉強するのはいいことだろう」
「違うんだって!あいつ、勉強するから俺と遊べないって言ったくせに、帰るときは女子と仲良くしてたんだ!」
「……チカパシ、それは──」
「だから俺もう翔太と遊ばない!今度翔太と絶交する!」
「チカパシ……」
「俺にはインカラマッがいるし、谷垣もいるし……あんまり好きじゃないけど二階堂もいるから……」
「おいコラ」
「勝手に巻き込むな勃起小僧」

近くでデスクワークをしていた二階堂兄弟が不機嫌そうな顔を机から上げた。目の前で小さな火花が散り、今にも勃発しそうな争いが先に見えて谷垣がやれやれと表情を歪める。

「勃起小僧って言うな!」
「口癖が“勃起”のお前にぴったりじゃん」
「口癖なんかじゃない!」
「じゃあマセガキかエロガキだ」
「ガキじゃない!」
「やめろ二階堂」
「だって本当にガキじゃん」
「もういい!ちんちんお化けの変態ブサイクヘナチョコ双子警察官の二階堂なんかもう除隊にしてやるから!」
「よしわかった、今日からお前も大人だ」
「大人だから速攻刑務所送りな」

こめかみに青筋を浮かべた二階堂兄弟が手錠を持ち出し席を立ち上がると、チカパシは言葉を詰まらせながらも最後には舌を出して見せて交番から逃げ去って行った。

彼らの大人気ない対応に谷垣がため息をつく。態度を改める気がないのか、二階堂兄弟はどこかやり切ったような得意げな顔で鼻を鳴らすと再び自分達の席に着いた。

「……どうしてそうお前達は大人気ないんだ」
「喧嘩を売ってきたのはあいつからだろ」
「子供なんだから感情的になるのは仕方ないことだろう」
「翔太の方がまだ大人しいぞ」
「ああ。あの勃起小僧より年下なのにな」

洋平の放った翔太の名前に谷垣はハッとなった。

──そうだ。翔太くんのことをすっかり忘れていた。元気がないとチカパシが言っていたが、白石の家で何かあったんだろうか……。

急に押し黙って考え込みだした谷垣に二階堂兄弟は不思議そうな顔を見合わせた。

「巡回は散歩じゃないんだぞ。もっと周りをよく見ろ尾形」
「またいつものパフォーマンスってやつですか」
「それとは別だ」

するとそこに、ちょうど巡回を終えてきたらしい月島と尾形の二人が交番に入ってきた。
面倒くさい上司の登場に二階堂兄弟は思わず顔を歪ませたが、谷垣だけは少し安堵したような表情で月島達の顔を見上げた。

「お疲れ様です」
「ん? ……ああ、今戻った。特に問題はなかったか?」
「はい。特に何もありませんでしたが……」
「指名手配中の極悪犯が一人来ましたよ」
「二階堂……!」
「気にするな谷垣。わかっている」

月島は二階堂浩平の放った言葉に特に顔色を変えようとはしなかったが、おもむろに彼の机の側にまで寄ると突然机の引き出しに手を掛けた。

「えっ!? あっ……ちょっと!」

驚いて困惑している浩平をよそに、月島は無表情で彼の机の引き出しから何かを取り出して見せた。その手に掲げられたモノを目にして、谷垣と尾形も月島と同じように表情を無にする。

「押収する」
「え〜ッ!」

月島が手にしていたのは水鉄砲だった。買ったばかりのそれを取り上げられた二階堂浩平は悔しそうに歯軋りをして月島を睨め上げた。

「部長のケチ!」
「そういうのが良くないと言っているんだ、二階堂。……それと、上司相手にケチなど言うものじゃない」
「泥棒!」
「強盗犯!」
「尾形、帰るついでに署のいつもの場所に入れておいてくれ」
「また俺ですか……」
「鬼ーッ!」
「悪魔ーッ!」
「いいから黙って仕事をしろ」

既に帰る準備をしていた尾形は渡された水鉄砲を嫌々ながらも手際良くジップロックに入れた。それを鞄にしまい込み、背後で続けられている抗議を聞き流しながら再び帰るための準備に取り掛かる。

「すみません、尾形さん。少しよろしいですか」
「……?」

そこへ、蚊帳の外にいた谷垣が尾形に声を掛けてきた。帰る準備が一通り済んだのか、尾形は声をかけてきた谷垣に対し少し面倒そうではあるが顔を向けてやった。

「何だ。急ぎじゃないなら後にするか手短にしろ」
「実は翔太くんの事なんですが……」
「翔太?」

尾形の片眉が動いた。つい反応してしまう己の体に気付かないまま尾形は谷垣に体を向けた。

「チカパシから聞いた話なんですが、なにやら元気がないそうで……」
「…………」
「よその家庭事情に首を突っ込むのは良くないとわかってはいるのですが、どうしても気掛かりで……隣に住む尾形さんなら何かご存知かと──」
「俺が知るか、そんなこと」

あまりにもあっさりとした尾形の答えに谷垣は目を丸くさせた。一方で尾形は興味がなくなったように谷垣から顔を逸らし、鞄を抱えたまま交番から立ち去ろうとする。

「あっ……尾形さん……!」

思わず名を呼んでまでして引き留めようとする谷垣だったが、その呼びかけに尾形の足が止まることはなかった。

夕陽が落ちかけた第七団地公園に、少し冷たい初冬の風が吹き抜けた。


◆◆◆


季節の変わり目というのは非常に厄介なものである。
出退勤のために毎度朝と夜に外へと出向く尾形は、この外気の異様な温度差に嫌気を感じていた。

使い古したコートを引っ張り出す頃合いを考えながら、尾形は自分の部屋に入るために鞄から鍵を出そうとする。

「……!」

手を鞄に入れた時点で尾形はすぐに違和感を感じ取った。引っ張り出したそれを掲げ、尾形は眉間にシワを寄せた。

「……完全に忘れてたな……」

ジップロックに入れられたままの水鉄砲を眺めて尾形は呟いた。しかし尾形が二階堂兄弟の悪戯道具コレクションを署に置き忘れて来たのはこれが初めてだった。一体何故今回は忘れてしまったのか──

不意に翔太の顔が思い浮かび、思い当たる節に尾形は更に眉間のシワを増やした。

「……谷垣め……」

恨めしそうな声を出しながら尾形は水鉄砲を鞄に入れ戻した。どうせ返すつもりもない玩具だ──尾形は自分の部屋には入らず、そのまま隣の部屋の前にまで歩いて行った。

「…………」

ドアの前に立ち、ふと腕時計で時間を確認する。時刻は午後6時半を過ぎ、午後7時に差し掛かろうとしていた。普通の小学生ならもう既に帰宅している時間だ。
尾形はインターホンを鳴らし、片手をズボンのポケットに突っ込むとドアが開かれるのを待った。

「……だぁれ?」

その十数秒後、鍵の開けられる音の後に聞き馴染みのある幼声が開きかけたドアの隙間から聞こえた。視線を僅かに下に向ければ、恐る恐るといった様子でこちらを見上げる翔太の姿があった。

「あっ……尾形お兄ちゃん……!」
「遅い。もっと早く出──」

ガチャンッ──

中途半端に開いたままのドアを開こうと尾形がドアノブを引くと、自分の視界外から突然金属音が聞こえた。目線を上に戻せば、普段ならされていないはずの二重鍵が施錠されてあるのに気付いた。尾形は再び視線を翔太に戻した。

「……誰かいるのか」
「ぁっ……杉元お兄ちゃ……」
「何の用だよ」

そこへ突然ヌッと顔を現したのは杉元だった。ドアの隙間から覗く彼の顔は非常に不機嫌そうで、尾形を睨む目はまるで不審者でも見るようであった。

──ああ、どうりで。

尾形は口角を上げてからかうように嗤った。

「ハハァ……今日も今日とていつものベビーシッターか。お前も暇だな」
「うるせーな。用がないなら閉めるぞ」

尾形が何かを言う前にドアは杉元によって閉められてしまったが──

「あっ、ちょっと翔太くん!」

そのすぐ後に聞こえた物音と杉元の焦る声に、尾形はすぐさまドアノブを握ってドアを引っ張り開けた。

「尾形お兄ちゃんっ!」
「フッ」
「もぉ〜っ!何で勝手にドア開けちゃうの〜!?」

開かれたドアから飛び出てきた翔太に抱き付かれ、尾形は勝ち誇った笑みを杉元に向けた。どうやら尾形は杉元よりも一枚上手だったらしい。翔太に懐かれている自覚があった尾形は、きっと翔太は我慢できずに部屋から飛び出してくるだろうと予見していた。

「尾形お兄ちゃん、今日は遊びに来てくれたの?」
「いや、お前に渡すものがあって来ただけだ」
「ならそれだけ置いて早く帰れよ」

腕を組んで不服そうな顔をして見せた杉元が玄関の壁に寄りかかり尾形を睨んだ。しかし尾形はそんな彼の睨みなど意にも介さず、持っていた鞄から先程入れ戻した水鉄砲を取り出して見せた。

突然水鉄砲を差し出された翔太は目を丸くさせ何度か瞬いたが、すぐに頬を綻ばせて尾形に対し満面の笑みを浮かべた。

「水鉄砲!」
「知ってたのか」
「うんっ!ずっと前に由兄ちゃんとプールで使った!」
「それどうしたんだよ」
「お前にやる」
「えっ」
「おい!無視すんな!」

ジップロックごと水鉄砲を押し付けられた翔太は困惑しつつも両手でそれを受け取った。もらってもいいモノなのかまだ判別がわからない翔太は、助けを求めるような視線を後ろにいる杉元へと向ける。杉元は相変わらずの不服顔で尾形を睨んでいた。

「使用済みっぽい怪しいモノを翔太くんに渡すな」
「心配するな。ウチの警官が使っていた玩具だから変なモノじゃない」
「だから余計に怪しいんだよ!」
「チッ……うるせーな。これのどこがどう怪しいって言うんだよ」
「ぁっ」

尾形は渡したばかりの水鉄砲を翔太から取り上げると、それをジップロックから出して銃口を杉元へと向けた。
突然銃口を向けられた杉元は一瞬目を見開かせたが、その表情はすぐに冷静を取り戻し無に戻る。二人の間に冷たい空気が流れ、間に挟まれた翔太はあわあわと二人の顔を見比べた。

「……何やってんだよ」
「見てわかんねぇか?」
「らしくもねーことすんなよ」
「……フン」
「ぁっ……」

引き金にかけられた指がゆっくりと動く様を見て、翔太は慌てて尾形の腕を掴んだ。

「ダメっ!」
「ッ!」

尾形がちょうど引き金を引こうとした瞬間──翔太によって腕を横にずらされた尾形は衝撃の余りつい引き金を引いてしまった。

「うわぶッ!」
「ぁっ」

狙いが逸れた銃口からは、勢いよく謎の黒い液体が噴射された。液体は杉元の顔半分ほどを濡らし、更には翔太の頭から顔面までを濡らした。水ではない。しかし尾形はその液体が何であるのか匂いだけですぐに判別がついた。

「墨汁……?」
「ペッ!ペッ!オェッ……!ちょっ、尾形お前ッ……何すんだよ!オェッマズっ!」
「……!おい、平気か」
「ぅぅ〜っ」

大袈裟なほどに反応する杉元を無視して、尾形はすぐさま翔太の前に屈み込んだ。墨汁によって真っ黒に染まった翔太の髪と顔を尾形は焦った様子で素手で拭き取ろうとした。

「変な匂いする〜……!」
「よせ、絶対に目を擦るな。顔洗ってやるからこっちに来い」
「見えない〜……!」
「えっ、翔太くん大丈夫!? まさか目に入ってないよね!?」

墨汁が口に入った程度で済んだ杉元は慌てて翔太の顔を覗き込もうとした。しかしそれよりも早く尾形が翔太を肩に担ぎ上げて白石の部屋の中へと押し入った。

尾形は土足のまま洗面所まで向かうと、浴室の扉を開けてシャワーの水を捻り出した。

「いやっ!冷たい!」
「我慢しろ」

全く温まっていないままの冷水を突然浴びせかけられ翔太が暴れた。尾形は手を焼きながらも翔太の頭から体にかけて丁寧に墨汁を洗い流そうとする──が、この緊急事態に混乱状態の翔太は一筋縄ではいかなかった。

「いやっ!いやっ!冷たいやめて!」
「ッ……顔を逸らすな……!」
「いやぁ!」
「尾形お前洗うの下手かよ!代われ!俺がやるから!」
「うるせぇ、手ェ出すな」
「変なところで意地張るな馬鹿!お前のせいで翔太くんが失明したら──」
「黙ってろ!」
「ぶわっ!」

ついに“キレた”らしい尾形が杉元の顔面にも冷水を浴びせかけた。思わず退いだ杉元からすぐに顔を背けて、尾形はびしょ濡れ状態の翔太の俯かれた顔を下から覗き込んだ。

「おい、俺が見えるか」
「っ……」
「翔太、返事をしろ」
「…………」

翔太は目を閉じたまま首を左右に振った。尾形は目を見開かせ、言葉を失った。

「え……翔太くん……?」
「……ひっく……」

突然涙を流しだした翔太に、尾形は力が抜けたように腰を抜かしてその場に尻餅をついた。流れ続けるシャワーの冷水が、タイルに手をついて呆然としている尾形の体温を静かに奪っていく。

「……翔太──」
「おしっこ……」
「……え?」

ポソリとつぶやかれた言葉に、杉元と尾形の目が丸くなる。

「おしっこ……漏らしちゃったぁ……」
「おしっ……こ?」
「うえぇ〜……っ!」

途端に号泣しだした翔太に二人は唖然とした顔で硬直化した。その場に蹲ってえぐえぐと泣き続ける翔太の周りには、確かに微かなアンモニア臭がするが──

「……目は、見えるのか?」

やっと出た言葉はらしくもなく少し震えていた。尾形は冷え切った己の手を翔太の目元へと当てがった。腫れた目元──閉じ切られたままだった翔太の目蓋がゆっくりと開かれた。

「ひっく……よし、にぃちゃ、にっ、きらわれる……!きらわれちゃうよぉ〜っ!」
「…………」
「わあ゙ぁぁぁんッ!!」

赤ん坊のように泣き出した翔太は目の前にいる尾形にしがみついた。まだ茫然としていた尾形は徐々に意識を取り戻して、やがてその小さな体にそっと手を回した。

「……悪かった……」

翔太の号泣に掻き消されそうなほどに小さな謝罪の言葉が出てきた。驚き続きで頭が混乱しているのか、今の杉元には尾形の謝罪の言葉に対して突っ込む余力すらなかった。

杉元もまた尾形と同じようにその場に尻餅をついて、二人はしばらく冷たいシャワーの水に己の尻を浸し続けた。


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