海賊の子 | ナノ

危険な集い


鍋の中身もほとんど無くなった頃、時刻は夜の20時を過ぎようとしていた。

今まで大人しく由竹の胡座の中で座っていた翔太も今では眠そうに自分の目元を拳で擦っている。その眠そうな仕草に気付いた白石は、翔太の拳を後ろからそっと掴み取り顔を覗き込んだ。

「翔太、眠いのか?」
「ん……ちょっとだけ……」
「じゃあ風呂入ってさっさと寝るか」
「ん〜……いやだぁ」
「何でだよ」

イヤイヤと首を振って胡座の中で暴れる翔太に白石は苦笑いを浮かべて見せた。普段なら素直に「うん」と頷くところを何故か嫌がるので、これには白石も困惑気味だ。

「まだ眠くない……」
「さっき眠いって言ってただろ」
「言ってない……」
「ダメダメ。眠いならもう寝る。けどその前にお風呂な」
「いやぁ〜」

嫌だと言いながらも白石にすがりつく翔太を杉元は傍でじっと見つめていた。翔太と白石の普段の生活をあまりじっくりと見る機会がなかった杉元にとってはなかなかに珍しい光景だった。

「翔太くんって普段はそんな風にお前に甘えるんだな」
「え? 甘えてるように見えるか?」
「甘えてるだろ。どう見ても」
「今日は一段とイヤイヤばっかだなぁとは思ったけど……。そうか……甘えてんのか」

目を瞑ったまま眉根を寄せて頭を擦り付けてくる翔太を、白石はそっと上から撫でてやった。そうすると嬉しそうに笑って丸まる翔太の姿は実に愛らしく、傍観していた谷垣もその微笑ましさに思わず口元を緩ませた。

「甘えてもらえるというのは好かれている証でもあるからな……。俺にはお前が少し羨ましく思える」
「え? なんで?」

「羨ましい」と言われたことに白石は驚き、さっきまで翔太を見下ろしていた顔を上げて不思議そうな表情を浮かべた。谷垣はその表情を見ると少し切なげな顔で肩を竦めて見せた。

「いや……わざわざ話すようなことでもない。ただ俺がそう感じただけだ。気にするな」
「え〜気になるじゃん」
「本人が気にするなと言っているんだから放っておけ」

白石からの詮索に対し困っている様子の谷垣へ、ぶっきらぼうであるが珍しく尾形が助け舟を出してくれたので谷垣は少し驚いた様子で彼の横顔を見つめた。

いつもの彼なら関わろうとも考えない、なんなら興味すら抱かせないような些細な会話のはずだった。

──尾形巡査長は自分だけでなく、他人の触れられたくない話題に対してもいつもそう敏感なのだろうか。

彼の鋭い観察力には常に感心させられているが、こうまで敏感だと逆に少しの不安を覚えてしまう。独身寮にいた頃の彼は常にどこかピリピリとしていて、寮内の複雑な人間関係に疲れ切っているようにも見えた。

花沢警部補と会った日なんかは特に機嫌が悪く、そういった日の彼の行動は決まって部屋に篭って一日中出てこないか、外出したまま帰ってこないかのどちらかだった。そうした日が幾度となく続き、結局最後には独身寮から抜け出して引っ越してしまったが──

──この団地では生きづらいと感じたりはしないのだろうか。

谷垣から向けられる真っ直ぐな視線に目も合わせず、尾形はどこか遠くに向けていた意識を不意に翔太へと向けた。白石の胡座の中で未だにゴロゴロとしている翔太は幸せそうで、尾形はそんな翔太の幸せそうな笑みをじっと上から見下ろしている。

今彼が何を思っているのか、何を考えているのか谷垣にはわからない。 唯一わかるのは、彼の翔太へと向ける瞳に穏やかな色が含まれていることくらいだった。

──ああ、そうか。

谷垣は納得し、口端に微かな笑みを乗せた。

──彼にとってはこの団地……否、翔太くんの隣こそが休める場所なのか。

「……なんだ」

ジロリとこちらに向けられた尾形からの鋭い視線に、谷垣は浮かべていた微笑みを解いて慌てて顔を引き締めさせた。

「あ、いえ……」
「人の顔を見てニヤニヤするな」
「そこまでニヤニヤしていたわけでは……」
「笑っていた自覚があったのなら結局同じだろうが」
「……すみません」

「何々〜? ケンカ〜?」

気まずそうに視線を落とす谷垣を見兼ねた白石がなんとか場を和ませようと茶化してみせるが、機嫌を損ねたらしい尾形は口を閉ざしてしまいそれきりすっかり話さなくなってしまった。

その様子に白石はため息をつくと、面倒くさそうに自分の後頭部を掻いた。

「はぁ〜……お前らってほんっとに面倒くせぇよなぁ。俺そういう上下関係? みたいなのあんま好きじゃないんだよ」

白石は彼らのやり取りに何か思うところがあったのか、昔の出来事でも思い出すようにどこか遠くを眺めて言葉を続けた。

「だからさぁ、ここではそういう上司部下とか先輩後輩とかのルールはナシにしてさぁ……何つーかその……無礼講でいこうぜ?」

そう言うと白石はバチコンとウインクして見せ、両手をピストルの形にさせた。銃口を向けられた尾形はしばらく押し黙り、たっぷりの時間をかけて間を置くと突然白石の人差し指を片手にわし掴んだ。
「えっ」という白石の声が上がると同時に、その指が本来曲がるべき方向とは逆向きに曲げられる。

「イタたたたたたッ!!痛いっ!何!? 何で!? 尾形ちゃんちょっ……やめて!それマジで超痛いから!骨!骨折れる!!」
「なんだ。無礼講だろ」
「誰かッ!誰かこいつに道徳の教科書贈ってやって!!」
「おい、やめろよ尾形」
「由兄ちゃんいじめないでぇ!」

杉元と翔太の引き止める声に尾形はようやく白石の指から手を離した。痛みから解放された白石は曲げられた指を胸に抱き「クゥーン」と情けない声を上げてしょぼくれてしまった。翔太は心配そうに白石の顔を下から覗き込んだ。

「由兄ちゃん、痛いの?」
「痛いよぅ……」
「大丈夫……? よしよしする……?」
「うん……」

幼児後退したかのように突然甘え出した白石に杉元は不愉快そうに眉根を寄せた。

なるほど、尾形があの時指を曲げたのはこの妙な苛立ちが原因か──杉元は翔太によって人差し指を撫でられて幸せそうにしている白石の笑顔に嫌悪感を露わにさせた。

「っと、こんな事してる場合じゃねぇな。翔太、そろそろ風呂に入るぞ」
「え〜……」
「何で嫌がるんだよ」

普段なら嫌がらないはずなのにまだ嫌がるような素振りを見せるので、白石は再度翔太に風呂に入ろうとしない理由を訊いてみた。翔太は暗い表情を俯かせ、急にもじもじと自分の指をいじり出した。

「……だって、僕がお風呂に入ったら……絶対みんな帰っちゃうもん……」
「翔太くん……」
「僕まだお兄ちゃん達と一緒にいたいからお風呂入りたくない……」

なんて可愛らしくいじらしい理由だろうか──杉元は頬を染めながら自身の口元を手で覆った。

「じゃあ翔太くん、また俺が一緒にお風呂入ってあげようか?」
「えっ……」

以前翔太と入浴した経験がある杉元は笑顔でそう提案して見せたが──

「杉元……」

その安易な提案に、この場にいた警察官二名が黙ってはいなかった。

「お前……大人としての常識の線引きが出来ていないようだな……」
「え?」
「失望したぞ、杉元……」
「え? なに? 何その目……何でそんな目で俺を見んの?」
「谷垣ィ……ワッパ持って来い」
「はい」
「はぁっ!? なんっ……何で!? ちょっ、何か勘違いしてない!?」

ぬらりと立ち上がった尾形と谷垣の両名に挟まれた杉元は青ざめた顔で翔太を抱きしめた。すると、「あちゃあ」と苦笑いを浮かべながら傍観していた白石のポケットから突如スマホの着信音が鳴り響く。白石はポケットからスマホを取り出すと、画面を見て「おっ」と声を漏らした。

「おう、お前ら。ちょっと電話して来るから暴れるのも程々にして待っててくれよ」
「白石!おい!出る前に誤解解いてけよ!」
「翔太巻き込んで怪我させんなよ〜」
「シライシィ!」

楽しげな顔で部屋を出ていく白石の背中に杉元は縋るように手を伸ばすが、その手が救済されることは決してなかった。

「さて……楽しい事情聴取の時間だ、杉元」
「そこに直れ」

おどろおどろしい表情で睨め付けてくる二人を前に杉元は口角をひくつかせると、突然ニコリと穏やかな笑みを浮かべた。

「……サーファーガード!」
「…………」
「…………」

部屋には食器の割れる音が響いた。


◆◆◆


「いやぁ〜悪い悪い。待たせたな!」

しばらく経った後、玄関のドアが開かれて白石が笑顔で戻ってきた。

「外はスゲェ雨だったぜ……って……」

リビングまで入ってきた白石は目の前に広がる光景を見て一瞬言葉を失った。

「……え、何やってんのお前ら……」

白石の目の前には、食器などが綺麗に片付けられたこたつを前に正座させられた杉元の姿と、仁王立ちして彼を見下ろす尾形と谷垣の姿があった。

刑事ドラマなんかでよく見る事情聴取と似た雰囲気に、白石は生唾を飲み込んで「おっかねぇ〜……」と声をこぼした。その声にようやく白石の存在に気付いたのか、杉元が俯かせていた顔をハッと上げた。

「あっ……白石!」
「よ、よう。悪かったな、置いて行っちまって……」
「早く誤解解けよ!こいつら俺のこと疑って話聞こうとしねーんだよ!」
「え〜流石にそりゃないだろ」

最初は冗談だと思い受け流そうとする白石だったが、杉元を見下ろす尾形と谷垣の目が完全に冷え切っているのを見るなり、彼はぐっと言葉を詰まらせた。また嫌な空気の中に戻ってきてしまったな、と一人頭を抱える。

「あっ……そういえば翔太はどうした?」
「ああ、翔太くんなら俺が説得して一人で風呂に入ってもらった」
「隣の部屋で寝ている」
「あ、そう? なら良かったぁ」

こんな雰囲気の中で愚図られたもんならたまったものじゃない──白石は二人からの報告にほっと胸を撫で下ろした。

「あっ、それとよぉ〜!お前らにいいモン持って来てやったぜぇ〜!」
「……?」

「いいものを持って来た」と言う割には手ぶらの白石に、部屋にいた三人は怪訝な表情を浮かべた。その表情に白石はニッと口角を上げると、何故か突然後ろにある玄関の方へと顔を振り返らせた。

「おーい、キロちゃん!こっち来いよ!」
「キロ、ちゃん……?」

首を傾げる杉元達の前に、白石の後ろから突如姿を現したのは──

「よう……久しぶりだな、杉元」

雨水を吸ってすっかり透けてしまっているシャツを堂々と脱ぎ去るキロランケであった。
杉元はキロランケの姿にカッと目を見開かせると、勢いよくその場から立ち上がった。

「キロランケ……!? どうしてお前がここに……ッ」
「あれ? 二人とも知り合い?」
「まぁな。今の会社に杉元を紹介したのは俺だからな……一応顔馴染みではあるぜ」
「白石!お前どうしてそいつと一緒にいるんだ!」

何故か怒鳴り声を出す杉元に白石は困惑した様子で首を傾げた。

「え、どうしてって……雨降って雨宿りしたいから部屋貸してくれって頼まれて……」
「いつから知り合ってたんだよ!」
「えーっと……俺が競馬に夢中だった頃だから……結構前からだぞ?」
「悪いな白石、急な雨宿りなんか頼んじまって……」
「いやぁ、キロちゃんならいいよ。お酒やおつまみなんかも持って来てくれたし……」
「急な雨宿りに酒とつまみなんか都合よくこさえて来るやつがあるか!」

先ほどから妙に突っ掛かってくる杉元に白石は違和感を覚えつつ、雨に濡れたキロランケのためにタオルを取りに洗面所へ向かった。

「なんだかよくわかんねーけど、喧嘩は良くないぜ杉元〜。ほらっ、キロちゃん」
「おう、悪いな」

白石からタオルを受け取ったキロランケは、濡れた体を拭きながら勝手知ったる顔で杉元達の元まで歩み寄って来た。

警戒心を含ませた目が三人分キロランケに集中する。キロランケはそれに苦笑して見せると、どっかりとその巨体を床の上に下ろした。

「なんだなんだ、揃いも揃って野郎の裸体なんかじろじろと見て……。そんなに見られちゃあ勘違いしちまうだろ?」
「キッショいこと言うな」
「そんなモンよりよ……お前らが見たいのはコッチじゃねぇのかい?」

そう言うなりキロランケは綺麗に片付けられたこたつの上に何かを置いて見せた。見たところそれは何かのDVDで、収納されたケースからしてどこかの店のレンタル品であることが窺える。

杉元達はその怪しげなDVDから顔を上げると、キロランケの何かを含ませたような笑みに訝しげな表情を向けた。

「何だよ、コレ……」
「映画だよ、映画」
「映画……?」
「キロちゃんがさぁ、話題の最新作の映画借りてくれたみたいでさぁ〜」
「本当なら一人で観ようと思っていたんだが……帰りに突然の雨に襲われてな。それでこいつの家に寄らせてもらった訳だ」
「マジラッキーだよなぁ〜!酒とつまみもあることだし、お前らも映画鑑賞楽しもうぜ〜!」

呑気に笑う白石とは別に、杉元は相変わらずキロランケを睨み付けている。尾形と谷垣はどうでもいいと思っているのか、この流れに対して特に何か言うこともなく静観している。白石はウキウキとした様子でDVDをセットし始めた。

「……随分用意周到じゃねぇか」
「フッ……たまたまだ」
「何企んでやがる……」

小声で問い詰めてくる杉元に目も向けず、キロランケは目の前にある缶ビールに手を伸ばした。プシュッ、と缶が開けられる音の後にようやく彼は杉元の方へ顔を向けた。

「自分が売られたことがそんなに悔しいか?」
「ッ……!」
「あのままお前を腐らせるよりは今の方がよっぽどマシだと俺は思うがな……」
「お前ッ──」

「字幕と吹き替えどっちがいい〜?」
「洋画なのか……」
「どっちでもいいからさっさとしろ」

緊迫した空気の中で話す杉元達とは別に、映画鑑賞を始める気でいる白石達は実に呑気である。用意されていた缶ビールもおつまみの袋も既に開封されていた。

ここまできて場の空気を壊すほど杉元も野暮ではなく、彼は最後にキロランケをジロリと睨みつけると大人しく身を引かせた。

「それじゃ、スタートするぜ!」

白石の弾んだ声と共に映画は始まった。


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