海賊の子 | ナノ

良い塩梅


「少し出てくる」

そう言い残すなり、尾形はスマートフォンを片手に白石の部屋から出て行った。

何か忘れ物でもしたのだろうか──消えて行った尾形の後ろ姿を眺めながら白石がそうぼんやり考えていると、不意に服の裾を引っ張られた。視線を向ければ、どこか困惑したような表情で自分を見上げてくる翔太の姿があった。

「ん? ……どうした、翔太」
「アシリパお姉ちゃんと杉元お兄ちゃんは……?」
「えっ?」

思わぬ人物の名前が出て白石はつい呆気にとられてしまった。やたら尾形を鍋パーティーに誘おうとしていたので、白石はてっきり翔太は尾形のみを鍋パーティーに誘い出したかったのかとばかり思っていたのだ。

「え、えー……翔太、アシリパちゃんと杉元も誘いたかったの?」
「うん……」
「参ったな……」

アシリパだけならともかく、杉元まで呼ぶとなるとかなり面倒なことになる。尾形と杉元は何故だか昔から仲が悪いらしいので、白石は極力あの二人をこの部屋に揃わせたくなかった。

「うーん……アシリパちゃんだけじゃダメ?」
「ダメ……杉元お兄ちゃんも呼んで」
「もぉ〜……」

泣き喚かないでちゃんと予防接種受けてくれたしな──しょうがない、という諦めた様子で白石は自分の携帯電話を取り出した。無料通話アプリで繋がっている杉元とアシリパに「ウチで鍋パーティーするんだけどお前ら参加しに来ない?」と送ってみると、すぐに既読のマークがついた。

『ああ。特に予定もないし、今からでも参加できるぞ』

まずは杉元から返信があった。参加可能だという返事に白石の表情が思わず曇る。

『すまない。今日は友人達とテスト勉強をする約束をしているんだ。また今度誘ってくれ』

次にきたアシリパからの返事に白石はつい「うわっ、マジかよ……」と声を漏らした。予想していた展開の中で最も最悪なパターンだった。隣に立つ翔太に視線を向ければ、翔太は唇を結ばせて口角を緩やかに上げていた。きっと二人がやって来るに違いないと思っているのだろう。

白石はそんな翔太の笑顔に苦笑いを返すと、眉尻を下げて視線を携帯画面に戻した。手早く指を動かし、文字を打つ。

『マジでアシリパちゃん来れないの?』
『前から約束していたからな』
『今、翔太がすっごいキラキラした目で俺のこと見上げててさ……アシリパちゃんが来るのめちゃくちゃ楽しみにしてるんだけど……』
『本当か? 写真を送ってくれ』
『送ったら来てくれる?』
『それは無理だ』
『じゃあダメ』
『おい白石』
『翔太くん、アシリパさんのこと大好きだもんな』
『あっ、杉元。お前は別に来なくても大丈夫だぜ』
『おい白石』
『いやーもう、マジで……アシリパちゃんが来れないなら杉元も来なくていい』
『何だよそれ』
『なんかムカつくな』
『絶対行くからな』
『今から行くから待ってろよ白石』

「うわ……怒涛の連投してきやがった……」

“来なくていい”という白石からの邪険な扱いに憤りを覚えたのか、杉元は断固として参加する意思を示すとそれきりメッセージを送ってこなくなった。おそらく今彼はこちらに向かっているのだろう。白石は「マズいことになったな」と頭を抱えた。

「由兄ちゃん、アシリパお姉ちゃんと杉元お兄ちゃんは?」
「え? あっ、えーっとな……」

当然二人揃ってやって来るのだろうと思い込んでいる翔太の無垢な笑顔を見て、白石の額から大量の汗が噴き出る。どう説明すべきかと彼が頭を悩ませている内に、今度は部屋のドアが開けられた。考える暇すら与えられず、白石は疲れ切った表情を玄関の方へ向けた。

「野菜はすぐ使うから台所にでも置いておけ」
「はい。わかりました」
「は……?」

そこには、先程部屋から出たばかりの尾形ともう一人──尾形と同じ第七団地公園前交番に勤務している、谷垣源次郎の姿があった。

──何故あの男までここに来ているんだ?

予想外過ぎる展開に白石は持っていた携帯電話をうっかり落としかけた。

「足りないものはコレで全部ですか?」
「ああ」
「ちょ……ちょーい!ちょっと!そこのアンタ!」
「……?」
「なに普通にウチに入って来てんの!?」
「俺が呼んだんだよ。材料買わせに行かせてたからな」
「ちょっと尾形ちゃん!?」

谷垣からスーパーの袋を受け取った尾形は怒鳴る白石に見向きもせず台所へと直行した。

何やらわからないがここの家主に歓迎されていないことだけは察した谷垣が一人で狼狽えていると、不意に片手を握り締められ彼はハッと視線を自分の手元へと向けた。

「谷垣さん、こんにちは」
「あっ……こんにちは、翔太くん」

谷垣の手を握っていたのは翔太だった。翔太は大好きな交番のお巡りさんが来てくれたことが嬉しいのか、ニコニコ笑顔で谷垣の手を部屋の奥へと引いている。

「谷垣さんも鍋パーティーしよう?」
「いや、俺は……」
「ダメ……?」

谷垣が断ろうとすると翔太は悲しそうに眉尻を下げた。その表情に言葉を詰まらせた谷垣がチラッと尾形へと助けを求めるように視線を向けるが、彼は隣でギャアギャアと喚く白石を徹底的に無視して調理に集中している。とても声を掛けられるような状況ではない。

「……翔太くん、誘ってくれるのはありがたいが……俺は元々お呼ばれしていないから、この鍋パーティーには参加はできない」
「じゃあ、僕が呼んだら参加してくれるの?」
「あ……いや、それは……」

またも気まずそうに視線を向けてくる谷垣に、最初から彼の視線に気づいていた尾形は呆れたようにため息をついた。

「……特に断る理由もないなら参加すればいいだけの話だろ。一々俺に許可を求めるような視線を寄越すな」
「す、すみません」
「谷垣さん、鍋パーティーする?」
「え? ……ああ。翔太くんが良いと言ってくれるなら……」
「やったぁ!」
「コラ翔太!また何か勝手な約束したな!?」

翔太の喜ぶ声にようやく気付いた白石が声を荒げて駆け寄るが、翔太はきゃあきゃあとはしゃぎ白石の手から逃げ回った。

「翔太コラ!待て!」
「いやぁ〜!」
「予防接種の時はしょぼくれてたクセに何でこんな時だけ元気なんだよお前は!」
「谷垣、材料を切るから手伝え」
「あっ、はい」
「尾形お兄ちゃん助けてぇ!」
「くっつくな」
「あッ!コラ!尾形ちゃんに抱きつかないの!」
「サーファーガード!」
「パリーン!はい、ガード突破!」
「あ〜っ!ずるい〜!」
「お前ら遊ぶなら向こうに行け」

額に青筋を浮かべた尾形が包丁を片手にじろりとした目で凄むと、翔太を腕に抱きしめた白石が小さく悲鳴を漏らして慌てて退散して行った。

ここまでの一連の流れを側から見ていた谷垣は、唖然とした表情を尾形へと向けた。職場では普段淡々としていて何を考えているのかもわからないあの尾形巡査長が、ここではまるで子供を叱る親のような一面を見せている。

尾形がまだ独身寮にいた頃、誰かしらの家族の話題が上がると何故か彼はいつも機嫌が悪くなっていた。谷垣はてっきり尾形は特別な事情で孤独を好んでいるのかと思っていたのだが、先程の翔太達とのやり取りを見る限り案外そういうわけでもなさそうだった。むしろ、家族としての型にしっかりとハマっていた。

「波乗りチャージ!サーファー……」
「あっ!変身する気か!? じゃあ変身阻止!ズバババババ〜!」
「あーっ!だめぇ!変身中は攻撃しちゃダメなの!」
「そんな法律ないもんね〜!ズババババ!」
「きゃあーっ!」

「……楽しそうですね」
「参加してくるか?」
「いえっ、俺は──」

からかうような笑みを含ませて問いかける尾形に対し谷垣が首を振ろうとした時、不意に玄関の方からインターホンが鳴らされる音が聞こえた。

全員の視線が玄関へ向くと、青ざめた表情になった白石が急いで玄関まで駆け付けて行った。

きっと杉元だ。あいつもう来やがったのか──ドアに張り付いてドアスコープを覗いた白石の予想は当たっていた。ドアの向こうには、不貞腐れた顔をした杉元が腕を組んで立っていたのだ。

「誰だ」

背後から投げ掛けられた尾形の低い声に白石は肩を跳ねさせた。ギギギ、と軋む音が聞こえてきそうなくらいにぎこちなく首を後ろに回す白石の表情はどこか固い。

「……ふっ……」
「……ふ?」

不自然に唇を尖らせる白石に尾形は怪訝な目を向けて首を傾げた。白石は再度唇を尖らせると、尾形達に向かって音もなく唇を動かして見せた。

ふ・じ・み

ダンッ──振り下ろされた包丁の叩きつける音が台所に響いた。楽しかった団欒のひと時は一瞬で終わってしまった。


◆◆◆


こんな筈ではなかった。

白石は目の前にあるあんこう鍋を固い表情で見下ろしていた。今、彼の胡座の中では翔太がニコニコと笑顔を浮かべながら座っている。その向かいに座る谷垣に至っては、自分の左右に座る人物対し終始気まずそうにしていた。

「足どけろよ尾形。さっきから邪魔なんだよお前の足」
「お前が正座でもすれば済む話だろ」

目の前を飛び交う憎まれ口に白石の眉間に皺が寄る。狭いこたつを挟むようにして座るのは、つい一時間ほど前に到着したばかりの杉元と、このあんこう鍋を作り上げた尾形である。こたつの中では二人の足のやり場について既に喧嘩が始まっていた。

「ッ……あーもう!全員胡座か正座!杉元も、このこたつ元々小さめなんだから邪魔とか言わない!」
「お前がもっとデカいこたつを買え」
「尾形ちゃんは無茶苦茶言わないの!」
「……俺が帰った方がいいならそうするが……」
「いや今アンタに帰られたら余計に雰囲気悪くなりそうだからお願い残ってて!」

己の図体の大きさに申し訳なさを感じた谷垣が退こうとすると、白石は慌てて彼を止めに入った。万が一何かあったら、この二人相手だと自分一人ではどうにもできない。
そのあまりにも必死な白石の様子に、谷垣は上げかけた腰を再び下ろし小さくため息をついた。

空気が悪過ぎる──予想出来ていたことだとしても、ここまで酷いとは思ってもいなかった。白石にとっては最悪の鍋パーティーだ。

「ねぇ由兄ちゃん」
「ん……?」

そんな時、ふと翔太が胡座の中からこちらを見上げてきた。白石は疲れ切った顔を翔太へ向けて「どうした?」と尋ねた。

「アシリパお姉ちゃんは? まだ来ないの?」
「あ……あー、アシリパちゃんなぁ……」
「ごめんな、翔太くん。アシリパさんは予定があって今日は参加出来ないんだって」
「えっ……」

アシリパが来れないと知るや否や、翔太は途端に顔を暗くさせて「そうなんだ……」と小さく呟いた。

これ以上最悪なことってあるか?
白石は泣き出したい気持ちで翔太を後ろから抱きしめてやった。その様子を隣からじっと見ていた尾形は肩を竦めると、用意していた器の中に鍋の中身を盛り付けだした。

「おい」
「……?」

尾形の呼びかけに気付いた翔太がふと顔を向けると、突然目の前に鍋の中身が盛られた器が差し出された。驚いて目を見開かせる翔太に尾形は不機嫌そうな表情を向けた。

「少し冷ましてから食え」
「ぁっ……うん……」

両手で受け取った翔太はほんのりと温まっている器をこたつの上に置いて、それを色々な角度から眺めた。初めてのあんこう鍋に翔太の意識はすっかりアシリパから逸れてしまっている。

今ならイケる──険悪なこの空気を変えるチャンスに、ムードメーカーの白石の血が騒いだ。

「翔太〜、由兄ちゃんがふぅふぅしてやろうか〜?」
「……! しなくていいっ!」
「遠慮しなくてもいいんだぞ?」
「もうっ!」

赤ん坊扱いされたことに恥ずかしさを覚えた翔太が顔を赤くして怒ると、白石はおかしそうに笑って翔太の赤らんだ頬を指で突いた。微笑ましいその様子に、向かいで座って見ていた谷垣は穏やかな笑みを浮かべた。

「仲が良いんだな」
「当たり前だろ〜? 翔太は由兄ちゃんが大好きだもんな〜?」
「……今は、ちょっと嫌い……」
「えっ……!?」
「あっ……ウソだよ? ホントは大好きだよ……?」
「だよねぇ〜? あ〜良かっ──」
「嘘だとわかってるくせに一々この世の終わりみたいなブサイクなツラ見せるな」
「調子に乗るなよシライシ」
「子供相手に大人気ないことをするな」
「何だよ。急に息ぴったりだなお前ら」

そこで妙な一体感が生まれたのか、そこから先は無事に自然な流れで全員の元に鍋の器が回された。熱いうちにと食べ始める白石達は皆あんこう鍋を美味しそうに頬張っている。

しかし翔太だけは生まれて初めて見るあんこう鍋に興味津々で、冷めてからもじっと器の中のあんこうを見つめている。見兼ねた尾形が横から「もう食ってもいいぞ」と声をかけるが、翔太は何故か食べるのをまだ少し躊躇っているようだった。

「どうした翔太。食わないのか?」
「……あんこ、入ってないの?」
「は?」
「甘い匂いしないよ……?」
「ふはっ……!」
「ん゙んッ……!」
「ブフッ……!」

翔太の発言に全員が口に含ませていたものを吹き出しかけ、慌てて口元を手で押さえた。翔太は未だに箸でつまんだあんこうの匂いを嗅いでいる。それが更に場の笑いを誘った。

「翔太……それ“あんこ”じゃねぇんだよ。“あんこう”なんだよ」
「あんこー?」
「そうそう。あんこうっていう魚のな……魚の、鍋……だから……ブフッ!」
「……!もうっ!由兄ちゃんまた笑った!」
「笑ってないって!」
「笑った!僕が間違えるといつも笑う!」
「怒んなって翔太〜」
「からあげの時も笑った!」
「カラオケな」
「ぁっ……カラオケ!」
「もういいからさっさと食え」

そう言う尾形であったが、何故か彼は自分で作り上げたあんこう鍋を見下ろしたまま一向に食べようとしない。箸は握ってはいるが、それが器の中に向けらることはなかった。


百之助──


あの朧げな声はもう聞こえない。この鍋を作ったのも自分自身だ。それでも頭の隅に浮かぶのは自分の母親の姿で、尾形は眉間に皺を寄せると「だから鍋は嫌なんだ」と胸の内で呟いた。

どの鍋を食べても全部同じ味がする。どんなに味付けを変えてみてもダメだった。時には市販の鍋の素などを試してもみたが、それでも味は変わらなかった。

いい加減、もううんざりだ──尾形は手に握り締めた箸を弄ばせながら水を飲み続けた。


「尾形お兄ちゃん」


そんな時不意に声をかけられ、尾形の下がったままの顔が上がった。隣を見れば、翔太が不思議そうにこちらを見ていた。

「……なんだ」
「食べないの?」
「……俺のことは気にするな」
「きっと猫舌なんだよ、尾形ちゃんは」
「猫舌?……尾形お兄ちゃん、ベーってして見せて」
「いや、見ても普通だと思うよ?」
「猫舌って言っても猫の舌じゃないからな? 翔太」
「猫舌というのは熱いのが苦手な舌のことだよ、翔太くん」
「じゃあ、僕がふぅふぅしてあげる」
「あっ、翔太……!」

突然立ち上がった翔太は白石が止めるのも聞かずに尾形の器からあんこうを取り出した。箸で摘み上げたそれに翔太はふぅふぅと息を吹きかける。その様子を、尾形を含めた全員が唖然とした顔で見つめていた。

「はい、尾形お兄ちゃん。あーん」
「…………」

この男が口を開くはずがない。
自分で食うと言っていつもの仏頂面を背けるに違いない。

「翔太……こういうのはな、自分のタイミングってのがあってだな──」

──誰もがそう思っていた。

「えっ……」

谷垣は思わず声を漏らした。

今、自分の目の前であの尾形百之助が、親鳥から餌を与えられる雛鳥のように口を開いているのだ。あまりの異様な光景に杉元は箸で摘んでいた豆腐を思わず器の中に落とした。

「……っあ、コラ!翔太!」
「あっ」

ようやく意識を取り戻した白石が慌てて翔太を引き戻すが後の祭りで、尾形は既に翔太の手からあんこうを食べていた。

「…………」
「…………」
「…………」
「尾形お兄ちゃん、美味しい? 熱くない?」

黙々と咀嚼する尾形に翔太は笑顔で小首を傾げて見せた。尾形は口に含ませていたあんこうを食べ切ると、何故か怪訝な顔になって翔太と同様に首を傾げた。

「……え? なに?」
「黙ってないでなんか言えよ……」
「尾形さん……?」

何も話さない尾形を不気味に思った皆が声を掛けると、尾形はようやくその結んだままにしていた口を開いた。

「……味が違う」

その一言に、緊張の糸が切れたように周りから大きなため息が漏れた。

「何だそんなことかよ〜」
「俺は美味いと思いますが……」
「翔太くん、もう尾形にあーんとかしなくていいよ。こいつ文句しか言わないから」
「文句は言ってないだろ」
「じゃあ、美味しかった?」

翔太が尋ねると、尾形は一度口を噤んで器の中のあんこうを見下ろした。

再び無口に戻った尾形に翔太は少し不安そうな表情を浮かべたが、尾形は口端に微かな笑みを載せると「あぁ」と短く返事を返した。

「いい塩梅だ」

続けて出た言葉に、翔太は嬉しそうに頬を綻ばせた。


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