海賊の子 | ナノ

身内と他人


「あんた方一体どういうつもりだ!前から言ってるだろ!翔太の前に姿を見せるなって!」

近所のファミレスで、白石由竹は周りの客の目も気にせず席を立って声を荒げた。テーブルを挟んだ向かい側の席には、白石の親族とその弁護士が座っている。親族の男は興奮する白石を「まあまあ」と手で宥めて彼に席に座るよう促した。

「私は翔太くんの前には出ていないだろう? そんなに怒るな、由竹」
「るっせぇ!約束も守れねぇ奴の言葉なんざ聞く耳持てるか!」
「そう言うな。今日はお前にいい話を持って来た」

男は隣に座る弁護士に視線で合図を送り、気付いた弁護士は持っていた封筒から手早く書類を取り出した。受け取った男が、未だ興奮の冷めやまない白石の前にその書類を差し出す。白石は訝しげな表情で書類を見下ろした。

「1000億円で手を打たんか?」
「はっ……?」
「翔太くんの後見人は、遺言書に法って由竹に決まるそうじゃないか。お前はまだ若い。兄の息子だとは言え、独身のお前に連れ子はただの足枷にしかならんぞ」
「なに、言って……」

男は冷ややかな、意地の悪い微笑みを浮かべて白石の目を覗き込んだ。動揺に揺れる彼の瞳の奥底に、どす黒い強欲の塊があると見込んでいた。

「由竹、よく考えろ。その金を受け取って後のことを全部私に任せてしまえば、今後一切面倒な事をせずに済むんだ。それで足りないようなら、まあ多少の融通は利かせてやる。毎年1000万程度ならお前の口座に振り込んでやろう。私はこれでも身内のことは大事に考えておるからな」
「…………」
「私ならお前の兄さんの遺した会社をより繁盛させることができる。今までの年商2000億円を更に増やせるぞ。どうだ、悪い話じゃないだろう?」
「…………」

男は知っていた。白石が過去に金を無心していたことを。この男はきっと、目の前の大金に食いついてくるだろうと踏んでいた。対する白石は男から提示された交渉に絶句して硬直していた。しばらく黙り込んだ後、テーブルの上についていた手を握らせ、硬い拳を作った。白石が、いよいよ口を開いた。

「……便所、行かせてくれ」
「ぁん?」
「……ッ察しろよ!聞いたこともねぇ大金の話を持ち出されて腹がイテェんだよ!いいから便所に行かせろ!」
「む、ぐぅ……まあ、いいだろう。あまり時間はかけるなよ」

白石の切羽詰まった表情とあまりの気迫に、男はつい首を縦に振ってしまった。どうせ考える時間が欲しいんだろうと、男は白石の安直な時間稼ぎに鼻を鳴らして呆れ返った。
白石は「うぅ〜痛たたたた……」と腹を抱えると慌てた様子でトイレへと駆け込んで行った。


◆◆◆


「…………」

男はテーブルの上に自身の指を何度も叩きつけながら、白石の帰りを今か今かと待っていた。

「遅い!あいつは何をやっとる!」

男が腕時計を見ると、白石がトイレに駆け込んでからすでに15分ばかりが経過していた。「おい」と男に目配せされた弁護士が、一つ頷いて席を立ち上がった。そのまま男性用トイレに向かい、閉まっていたドアを開ける。

「白石さん? お腹の具合の方は……」

弁護士が声をかけながら中を覗くが、そこに人の気配は存在しない。不思議に思った弁護士が個室をくまなくチェックするが、白石の姿はどこにもなかった。

「な……ど、どこに行ったんだ……? ずっと席から見張っていたのに……!」

トイレと客席を繋ぐ廊下から片時も目を離さなかった弁護士は、忽然と姿を消した白石にひどく困惑した。そして大慌てで客席に戻り、事情の全てを男に話した。男は話を聞くなりテーブルを拳で殴りつけ、鼻息荒くその場から立ち上がった。

「おのれ由竹めぇ〜!逃げおったかぁッ!」


男がファミレスで憤慨している最中、白石は外した関節を元に戻しながら街中を走っていた。ファミレスのトイレに設けられた小さな格子窓は、元脱走王の白石にとってはただの出入り口に過ぎない。

「へへっ……逃げるが勝ちってね……!」

お決まりの台詞を口にして笑う白石だったが、家に帰る道中で突然の豪雨に見舞われた。
流石にこれでは帰れないと踏んだ白石が近くのコンビニに駆け寄る。止む気配のない雨を店内から見つめて、置いてきた翔太のことを思った。

──今頃部屋の中で寂しがってんだろうなぁ。不本意だが頼れる尾形も朝早くに出て行くとこ見かけたし、早く帰らなきゃ心配かけちまう。

しかし今の白石は傘を買う金すら持っていなかった。どうしたもんかとコンビニを出て、軒下から分厚い雨雲を見上げる。
はあ、と深くため息をついた拍子に下を向き、ふとある存在に白石は気が付いた。

「あ……あるじゃん、傘」

そう、コンビニ前に設置された傘立ての傘である。白石は空惚けた様子で明後日の方向を見やり、やがて何本か立て掛けられた傘の内の一本をこっそりと引き抜いた。

「おい、お前」
「えっ?」

低い声が隣から聞こえたかと思うと、突然傘を持った手首を取られた。白石はドキーンと心臓を跳ね上げさせ、自分の手首を掴む人間の手を腕に沿って視線を向ける。

「その傘、俺のだぞ」
「ヒッ……」

そこには顔面に大きな傷跡を残した男がいた。キャップ帽を被ってはいたが、ツバの下から覗くその鋭い双眸から、白石は相手がただ者ではない事を察した。白石はすぐに傘を持つ手を離した。

「あ、あぁ悪い!うっかり間違えちまったみてぇだ!」
「……胡散くせぇ野郎だな。お前、本当に間違えただけなのか?」
「ほ、本当だって!ほら、空見てたからさぁっ、あんま手元とかよく見てなくて……」
「じゃあアンタの本当の傘、どれなんだよ」
「うっ……!」

何なんだぁ、この男は──白石は詰め寄る男の気迫に圧倒されつつ酷い焦燥感に駆られていた。その目はまるで、悪は許さないとでも言う警察官のようだった。

「か、勘弁してくれよ……何だってそんなに絡んでくるんだ……」
「あぁ?」
「ヒッ」
「よせ、杉元!」

緊迫した空気に、凛とした少女の声が突如割り込んだ。声が聞こえた方へ二人が同時に顔を向ける。そこには、制服姿の少女が一人傘をさして立っていた。

「でもアシリパさん、こいつ俺の傘……」
「間違ったと本人が言って謝ってるんだ。もういいだろう」
「えぇ〜絶対怪しいってこいつ。俺たちがいなくなったら絶対同じことするって」
「しないしない!そんなことしないって!マジで!」
「嘘くせぇなぁ」
「しつこいぞ杉元」
「けどさぁ……」

少女のたった一声で、さっきまであった男の殺気がだいぶ薄れていた。白石はここぞとばかりに、男が少女と話しているうちにその場から素早く逃げ出した。

「あっ!あいつ……!」
「追うな杉元!もういい!」

いち早く気付いた傷の男が後を追おうとするが、その足を少女の声が止めてしまう。まるで飼い犬のような扱いを受けているが、男は少女の言葉に大人しく従いそれ以上の深追いはしようとしなかった。
遠くなっていく白石の後ろ姿を、傷の男はしばらく眺めていた。


◆◆◆


ずぶ濡れになりながらも、白石はようやく自分の家にたどり着くことができた。雨で濡れた体は思ったより冷えていて、早く熱いシャワーを浴びたいと胸の内で呟いて白石は玄関のドアを開けようとした。

「翔太悪い!」

待たせたな、と続けようとした白石の言葉は声にならなかった。ドアノブを回して引こうとした玄関のドアが開かなかったのだ。

──ああ、そうだった。翔太に鍵渡してたんだっけ、俺。

別れる前に部屋の鍵を翔太に渡していたことを思い出して、白石は冷たくなった腕を抱きながら玄関のチャイムを鳴らした。

「翔太〜!由兄ちゃんだ、鍵開けてくれ〜」

声を掛けるが、玄関のドアが開くことはない。それどころか、部屋の中から物音一つしない。もしや寝ているのだろうか。

「ちょ、勘弁して翔太ちゃん!起きて! 由兄ちゃんを閉め出したまま寝ないで!」

白石は必死にドアを叩いて声を掛け続けた。しかし返事は返ってこない。ドアは一向に開かなかった。懸命にドアを叩いているうちに白石は、まさか翔太の身に何か起きたのではないかと懸念し始めた。

「おい翔太!大丈夫か!? いるなら返事しろ!翔太ッ!」

返事はない。白石は隠し持っていたピッキングツールを取り出すと、自分の部屋の鍵を強引に開けようとした。鍵穴にピックを挿し込み、慣れた手つきで上下左右に動かしていく。

「待ってろよ翔太……!今由兄ちゃんがそっちに……ッ」
「何やってんだお前」

切羽詰まった状況下で掛けられた冷たい声に、白石の手がピタリと止まった。声の方へ顔を向けると、コウモリ傘を被ったずぶ濡れの尾形が、ピッキング中の白石を冷めた目で見下ろしていた。

「え……いや、あの……これは……」
「警官が隣に住んでるってのによく空き巣に入ろうと考えたもんだな。言っとくがその部屋お前の部屋だぞ」
「わかっとるわい!」

白石は尾形の馬鹿にしたような目に腹を立て、持っていたピッキングツールを怒り任せに地面に叩きつけた。そんな今にも噛みつかんと唸る白石の目の前で、尾形は背負っていたものをそっと降ろした。ずるりと落ちてきたその黒い塊に白石は思わず息を飲んだ。

「翔太……ッ!」
「んん……」
「静かにしろ。疲れて眠たがってるだけだ」
「お前なんでッ……どうして翔太がアンタと……」
「さてね。どうしてだと思う?」

尾形は雨に濡れて垂れてしまった前髪を手で撫で上げた。先程まで被っていた──と言うよりも尾形の頭に引っかかっていた──コウモリ傘は、いつの間にか閉じられてその役目を終えている。

「……まさかこいつ、この雨の中ずっと外にいたのか……?」
「……自分の家がわからんと泣いてたぞ。お前今までどこで何してた」
「……っ!」

ショックで絶句している白石を見下ろし、尾形は小さくため息を漏らすと座り込んだままの翔太を腕に抱き上げた。白石の顔が勢いよく上がる。

「おいッ!」
「いいから風呂でも沸かせ。このままじゃ全員風邪を引く」
「くっ……」

悔しいが尾形の言う通りだ。今は全員雨に打たれてずぶ濡れ状態である。特に体の小さい翔太は一刻も早く温めてやらねば手遅れになってしまう。
白石は悔しさに歯ぎしりしながらも尾形を部屋に招き入れた。翔太を抱いた尾形は勝手知ったるように部屋に上がり込む。それが更に白石の反感を買った。

「あんたなぁ!『お邪魔します』とか一言挨拶も言えんのか!」
「それならお前は『ここまで翔太の面倒を甲斐甲斐しく見てくれてありがとうございます』とか、俺に一言礼を言うべきなんじゃないのか?」
「ぐぐぅ……!」

これには白石も言い返せず、尾形に対して変に敵対心を向けていた自分を胸の内で責めた。翔太がこうなってしまったのも、全部自分の責任であるのだから。

「……わ、悪かったな。手間かけさせちまってよ……」
「手間に思うのなら最初からこんなことはしない」
「…………」
「……よし、後の事はできるな?」
「あ?」

尾形は翔太から外した紺色の雨合羽を畳んで腕にかけると、呆然とした顔をする白石を残して玄関へ向かった。

「俺は自分の部屋の風呂に浸かる。何か問題があったら呼べ。気が向いたら行ってやる」
「はっ? ちょ、おい!」

白石の呼び掛けにも答えず、尾形はそのまま部屋から出て行ってしまった。素っ気ないのか面倒見がいいのかよくわからない尾形の、その曖昧な態度に白石は痛む頭を抱えた。

「……やはりあいつのことはよくわからん」

尾形がいまいち信用に値しない男だというのは変わらない事実だが──

それでも、自分が使うはずだった雨合羽を翔太に貸してやったりと、他人のくせになにかと翔太を大事に扱ってくれているのだということは、白石にもしっかりと伝わっていた。


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