海賊の子 | ナノ

約束の影で


「現代において、10月31日にはハロウィンという外国から伝来してきたイベントが行われることはお前達も知っているな?」

自身の長い白髭を撫で付けながら、土方歳三は目前に揃う部下達に対しそう語り掛けた。

その中には杉元や白石の姿もあり、列の奥には夏太郎や亀蔵もいた。他より一際体の大きな牛山は最前列の左端に立っており、後ろに立つ者達の視界を遮らないように壁に寄り掛かっている。

社員勢揃いで突然始められたミーティングに、杉元達はお互いに視線を通わせて肩を竦めて見せる。一体何の話を始める気だろうか。辺りからはそんな疑問の声が聞こえてきそうだった。

「本来ハロウィンというのは秋の収穫祭であるそうだが……知っての通り、今の日本ではそんなことなどお構いなしで、魑魅魍魎の仮装をしてお祭り騒ぎをする輩が多数存在している。そしてその際に問題として挙げられるのが、騒ぎに乗じた犯罪行為や不法投棄といった数々の迷惑行為だ」

険しい顔つきのまま語り続ける土方であるが、集められた社員達の視線は度々彼の隣へと逸れてしまう。何故なら土方の隣では、与えられた知恵の輪を一生懸命に解こうとする翔太がいるのだから。

最前列に立たされている杉元と白石は、ハラハラとした表情で何度も翔太の方へと視線を向けていた。土方の語る難しい話がよく理解出来ていない翔太は、そんな視線にも気付くことなくただひたすらに知恵の輪を解こうとしている。

そんな時、土方の細められた鋭い視線が、最前列に立つ杉元と白石に向けられた。

「杉元、白石」
「えっ?」
「な、なに?」
「ここまで話せば私の言いたいことは大体わかるな?」

話に集中していなかったことを責めるような彼の口振りに、杉元達の額に汗が伝う。お互いにどう答えるべきかと視線だけをぶつけ合って考えるが、結局何も言えないまま唇を噛む。返ってこない返事に土方の片眉が上がった。

「……仕事だ。それも、大規模なものになると予想されるだろう」
「仕事……?」
「交通誘導、雑踏業務に配属されている者は当然配置されるものと思え。尚、現在要人警護にあたっている者は引き続き己の業務を遂行するように」
「えっ……じゃあ、杉元は翔太の面倒を見るとして……俺は……」
「無論お前にも働いてもらうぞ、白石」

自身を指差したまま固まる白石を、土方は慈悲もなく淡々とそう言って退けた。
白石の中で、翔太と共に過ごす密やかなハロウィンパーティーの計画が派手な音を立てて崩れ落ちていった。

「……そんなのって、ありかよ……」

隣で静かに涙を流す白石を、杉元は心底哀れむような目で見つめた。

そして彼は、その事実をまだ理解出来てない状態の翔太にも視線を向けて、これから先に起こるであろう自分の至難にどう対処すべきかと考え始めたのだった。


◆◆◆


10月31日──
今日は年に一度のハロウィンだ。お化けの格好をして、トリックオアトリートを言ってお菓子をもらう楽しい日。

それなのに──

「由兄ちゃん、今日の夜はお休みだって言ってたのに何で帰ってこないの……?」
「えーっと……」

本当なら由兄ちゃんと過ごすはずだったのに、今日僕のお部屋にいるのは杉元お兄ちゃんだけだ。杉元お兄ちゃんに理由を訊いてみても、困った顔をして頬っぺたを掻くだけでちゃんと答えを返してくれない。

せっかく由兄ちゃんが僕のために、僕のお家から海賊の服を持って来てくれてたのに。毎年ハロウィンの夜は由兄ちゃんと海賊ごっこをして、お家にいるお手伝いさん達からお菓子をもらいに行っていたのに。今年はそんなこともできなくなっちゃったのかな。

「翔太くん……。実はね、白石は今仕事中でさ……」
「由兄ちゃん、お休みって言ってた……」
「それが、あのさ……ホントに急な仕事で……」
「……由兄ちゃんも、お父さんみたいに急にいなくなっちゃうんだ……」
「……翔太くんのお父さんのことはよくわからないけど……白石もきっと今夜のハロウィンは翔太くんと過ごしたかったんだと思うよ?」
「約束したのに……」
「…………」

泣いちゃダメだ。わがままを言ったり泣いたりして、杉元お兄ちゃんを困らせちゃダメだってわかってるのに、由兄ちゃんに約束を破られたことがすごく悲しくて、僕は全然納得できなかった。

「……翔太くんのこの顔が見たくないからって説明全部俺に丸投げにしやがって……」

白石のヤツめ──杉元お兄ちゃんはそうボソボソと呟いてから、頭を抱えてため息をついた。

僕が我慢してあの時納得してたら、杉元お兄ちゃんも困らなくて済んだのに。でもやっぱり嫌っていう気持ちは変えられなくて、僕はずっともやもやした気持ちのまま俯いていた。

「由兄ちゃんに会いたい……」
「翔太くん……」
「約束したもん……」

一緒にハロウィンパーティーしようねって、指切りもして約束したのに。僕との約束よりお仕事の方が大事なんだ。

お父さんもお母さんもお仕事でいない時、由兄ちゃんがいつも僕と遊んでくれてたのに、由兄ちゃんまでお仕事でいなくなっちゃう。お仕事なんか大嫌い。僕の大事な人をみんな連れて行っちゃうんだ。

「……ぐすっ……」
「……!」

きっと僕なんかもうどうでもいいんだ。僕と遊ぶよりお仕事する方が由兄ちゃんも楽しいんだ。ずっとずっと前から約束してたのに。由兄ちゃんは嘘つきだ。

「由兄ちゃんの、ひっく……嘘つきぃ……」
「あ〜翔太くん……!ほら、泣かないでよ……ね?」
「もうっ、僕なんか……どうでもいいんだぁ……!」
「そんなことないよ!白石は翔太くんのこと本当に大事に思ってるって!」
「だってぇ……」
「っ……わかった!じゃあこうしよう!」

杉元お兄ちゃんは僕の前に屈み込むと、突然真面目な顔になって僕の肩をわし掴んだ。

「今から仮装して、白石がいるところまで二人で行ってみよう」
「えっ……いいの?」
「いやっ、ホントは全然良くないけど……。仮装してお忍びって形で行けばたぶんバレないと思う」
「ぐすっ……由兄ちゃんに会える?」
「うーん……遠くから見るだけだよ?」
「……! うんっ!」

僕が涙を拭って大きく頷くと、杉元お兄ちゃんは苦笑いして僕の頭を撫でてくれた。杉元お兄ちゃんは本当に優しい。こんなに優しいのに時々すごく怖い顔を見せるから、杉元お兄ちゃんは優しいけどちょっと不思議なお兄ちゃんだ。

「じゃあ早速、翔太くんの正体がバレないように仮装しなくちゃね……。翔太くん、仮装用の衣装とかある?」
「あっ……海賊の服があるよ……」
「本当に? じゃあ着せて見せてよ」
「うん」

僕はしゃがんだまま待ってくれている杉元お兄ちゃんを残して、隣のお部屋まで向かった。隣のお部屋には、本当なら今日由兄ちゃんとお揃いで着るつもりだった海賊の服が置いてある。だけど今日の海賊は僕一人だけだ。

去年着た服だから小さくないかなって不安だったけど、着てみたらぴったりサイズが合っていた。なんだか全然成長していないみたいでちょっとガッカリした。


「杉元お兄ちゃん、着替えたよ……」
「おっ、楽しみだな〜!」

僕が引き戸の隙間から顔を覗かせて着替えたことを教えたら、杉元お兄ちゃんはニコニコ笑いながら僕の方を向いて待っていた。でも僕はちょっと恥ずかしくて、なかなか杉元お兄ちゃんの前に出られなかった。

するとその内杉元お兄ちゃんが首を傾げて「翔太くん?」とニコニコ笑顔で声を掛けてきた。僕はそっと引き戸を閉じた。

「もぉ〜!何今更恥ずかしがってるの?」
「あ〜っ」

閉じた瞬間引き戸を開けられて、僕は慌てて後ろに下がった。でも隠れられる場所がなくてオロオロしていたら、杉元お兄ちゃんは自分の口元を手で覆い隠してお顔を真っ赤にさせた。

「翔太くん……っ!」
「ぁっ……変じゃない……?」
「変じゃないよ、すごく可愛い……!」
「えっ……!カッコよくないとダメなのに……!」
「あーうん、すごくカッコいいよ!」
「ホント? カッコいい?」
「うん!めちゃくちゃカッコいい!」
「んふふ……」

カッコいいなら良かった。僕はこの海賊の格好が大好きだから、杉元お兄ちゃんに褒めてもらえてすごく嬉しかった。

「でもどうして海賊なの? 翔太くん、確か仮面サーファーが好きじゃなかった?」
「あのね、仮面サーファーもカッコいいけどね、僕のお父さんの方がずっとカッコいいから海賊にしたんだよ」
「……? ごめん、翔太くん……ちょっと理由がよくわからない……え? お父さんが……? 海賊……?」
「うん。僕のお父さんね、お仕事で海に行ってお宝いっぱい集めて来るの。だからね、僕のお父さん海賊なんだよ」
「あーそういうこと……。そっか、白石貿易だもんな……そりゃそうか」

杉元お兄ちゃんは納得したみたいにウンウン頷いた。本当は僕のお父さんが海賊だってことはみんなには内緒なんだけど、杉元お兄ちゃんには特別に教えてあげることにした。杉元お兄ちゃんは僕のお父さんが海賊だって聞いても笑ったりしないでちゃんと話を聞いてくれる。杉元お兄ちゃんは優しい。

それでも、由兄ちゃんに会いたいって気持ちはずっと変わらない。僕は杉元お兄ちゃんの服をグイグイと引っ張った。

「杉元お兄ちゃん、早く由兄ちゃんのところ連れてって……」
「あーうん、連れて行くには連れて行くけど……」
「……?」

杉元お兄ちゃんはまた僕の前に屈み込むと、僕の肩に手を置いてしっかりと僕の目を覗き込んできた。ちょっとだけむすっとした、真面目な顔をしている。

「ここを出る前にまず俺と約束事するよ?」
「約束……?」
「そう、約束。まず、ここを出たら絶対俺の手を離さないこと。それと、勝手にいなくならないこと」
「うん」
「もしそれでも迷子になっちゃったら、翔太くんならどうする?」
「……知らない人に、ついて行く……?」
「それ一番やっちゃダメなやつ!知らない人について行っちゃダメ!」
「じゃあ、尾形お兄ちゃんのところ行く……」
「それはっ……ぐぅ……ダメ……」
「えぇ〜……」
「どうしても!どうしてもの時だけ尾形!っていうか交番に行く、が正解なんだから交番=尾形って認識しないの!」
「だって尾形お兄ちゃん、お巡りさんだもん……」
「尾形も今夜はオオカミさんになってるかもしれないから気をつけないとダメなの」
「そうなの……!?」
「そう。だから俺の手を絶対離さない事。いいね?」
「うん……!わかった……!」

僕はしっかりと頷いて杉元お兄ちゃんの手を握った。今夜はハロウィンだから、誰が何になっていてもおかしくないんだ。そう思うと少し怖くて、胸がドキドキした。

「じゃあ行くよ」
「うん……っあ、杉元お兄ちゃん」
「え? なに?」
「杉元お兄ちゃんはお外に出てもオオカミさんにならない……?」
「ならないよ〜。俺は翔太くんを護るんだから、どちらかと言うと翔太くんを怖がらせるような悪いやつをやっつけるよ」
「じゃあ、ゾンビに会っても追い返せる……?」
「ゾンビでも吸血鬼でも、翔太くんにとって危険なやつはみんな俺が追い返してあげるよ」
「……うん……ありがと……」

その時の杉元お兄ちゃんの笑顔は、いつもよりもっとカッコよく見えた。僕は杉元お兄ちゃんの手を離さないように、ぎゅっと強く握りしめた。


◆◆◆


もう夜だからお外は真っ暗なはずなのに、大きな街まで行くとお昼みたいにお外が明るいのはすごく不思議なことだと僕は思う。

チカチカと光る電気に照らされた人達はみんなおかしな格好をしていて、あちこちから「ハッピーハロウィン」って言葉が聞こえてくる。

「ねぇ、杉元お兄ちゃん……」
「どうしたの?」

きゃあきゃあと楽しそうな声も聞こえてくるのに──

「どうしてあの人達、喧嘩してるの……?」
「翔太くん、あっち行こうね」

指差した先には、服を掴み合って口喧嘩している大人の男の人達がいた。何で喧嘩してるんだろう。どうしてみんなゴミを道に捨てているんだろう。周りにはいっぱい人が集まっていて、あっちに行ったりこっちに行ったりすごく忙しそうだ。お菓子をもらいに行くんじゃないのかな。

「翔太くん、絶対離れちゃダメだよ?」
「杉元お兄ちゃん、怖い……」
「えっ? ……ああ、大丈夫だよ。あの人の血は本物じゃないから……」
「怖い……」
「うーん……しょうがないなぁ」

僕が杉元お兄ちゃんの後ろに隠れようとすると、杉元お兄ちゃんは苦笑いして僕を腕に抱き上げた。周りにたくさん集まっている血だらけの人達が怖くて、僕が杉元お兄ちゃんの肩に顔を押し付けたら後ろの方から「ハッピーハロウィン!」なんて大きな声が聞こえた。ビックリしてぎゅっと服を掴んだら、杉元お兄ちゃんは「怖がってるから離れろ」って言って、僕の背中に手を当ててよしよしと撫でてくれた。

「翔太くん……怖いならもう帰る?」
「いや!由兄ちゃんに会いに行く……!」
「強情だなぁ。こんなに震えてるのに……」
「早く由兄ちゃんのところ連れてって……!」
「ふふっ、わかってるって」

少しだけ笑い声が混じった杉元お兄ちゃんの声に僕はムッとして顔を上げた。怖がってる僕を馬鹿にしているんじゃないかって思って杉元お兄ちゃんの顔を見てみたら、やっぱり杉元お兄ちゃんは笑っていた。ムッとしている僕の顔を見て杉元お兄ちゃんは苦笑いしながら首を傾げた。

「どうしたの? 何か不満そうな顔だね」
「……僕、ゾンビ以外怖くない」
「ほんとぉ?」
「ホントだもん!」
「ミイラは?」
「ミイラってなに?」
「包帯男」
「怖くない……」
「じゃあ、オオカミ男は?」
「怖くない……」
「吸血鬼も?」
「……血を吸う時痛いことするの?」
「大丈夫。俺がさせないよ」
「……じゃあ、怖くない……」
「あははっ、頼られちゃってるなぁ」

杉元お兄ちゃんはそう言って笑うけど、痛いことはみんな嫌いなはずだ。杉元お兄ちゃんだって痛いのは嫌なはずだし、怖いと痛いは違うもん。ゾンビは脳みそをむしゃむしゃ食べちゃうから痛いと思うし、吸血鬼は血を吸うからチクってして痛そうだ。僕は、そういう痛いことをするようなお化けが嫌なんだ。

「ゾンビが来たら絶対追い返してね……?」
「うん、わかってる。でも、ゾンビの格好してる人結構多いから翔太くんあまり周り見ない方がいいよ」
「ゾンビは子供食べないって尾形お兄ちゃん言ってたもん……!」
「えぇ? 尾形がぁ? いつそんなこと言ったの?」
「前に一緒にベッドで寝た時……」
「えっ、翔太くん……尾形と一緒に寝たの?」
「うん」
「ふーん……」

何だろう。今度は杉元お兄ちゃんがムッとした顔になっちゃった。そういえば杉元お兄ちゃんと尾形お兄ちゃんは仲が悪いんだったっけ。

「杉元お兄ちゃん、まだ尾形お兄ちゃんと喧嘩してるの……?」
「喧嘩してるっていうか……単に仲良くなれないだけだよ」
「どうして?」
「好きになれないから」
「好きになりたくないの?」
「どちらかと言うとなりたくないね」
「なんで?」
「何でって訊かれると……ちょっと困るけど……」

僕が質問すると杉元お兄ちゃんは困った顔で唇を尖らせた。でも、理由もわからないのに嫌いになるわけないから、きっと本当は何か理由があるから杉元お兄ちゃんは尾形お兄ちゃんと仲良くしたがらないんだ。でもそれを答えられないってことは、杉元お兄ちゃんにもよくわかっていないのかもしれない。

考えていたらなんだか僕までこんがらがってきちゃった。

「杉元お兄ちゃんも尾形お兄ちゃんと仲直りのチュウしたらいいのに……」
「ちょっと待って翔太くん、何言ってるの? え? 聞き間違いじゃなければ俺と尾形がチュウとか聞こえたんだけど?」
「だって僕のお父さんとお母さんも喧嘩したら仲直りのチュウしてたもん……」
「翔太くん、そういうのはね、夫婦だったりカップルだったら許されることであってね、俺と尾形がすることは絶対にあり得ないんだよ?」
「そうなの?」
「そうなの。……翔太くん、まさか今までに誰かと喧嘩してチュウして仲直りしたことあるの?」
「ううん。ないよ」
「あービックリした……」

杉元お兄ちゃんは自分の胸をわし掴みながら笑った。

でも仲直りのチュウが結婚してからしかできないなんて誰が決めたんだろう。あんなにすぐに仲直りできる魔法は他に無いと思うのにな。もしかして杉元お兄ちゃんは尾形お兄ちゃんと一緒で照れ屋さんなだけかもしれない。
やっぱり杉元お兄ちゃんは尾形お兄ちゃんと似ていて仲良しさんだ。

「翔太くん、もうすぐ白石のところに着くよ」
「えっ、ホント?」
「うん」
「降りる……!」
「はいはい」

もうすぐ着くって言うから僕はすぐに杉元お兄ちゃんの腕から降りた。そのまま探しに行こうとしたらグッと手を掴まれて、上から「コラ」って杉元お兄ちゃんの声が聞こえた。

「勝手にいなくならないって約束したでしょ?」
「あっ……」
「ちゃんと連れて行ってあげるから慌てて走って行かないの」
「はぁい……」

怒られちゃった。
しゅんとしていたら上から笑い声が聞こえて「もういいよ」って杉元お兄ちゃんが僕の頭を上から撫でてきた。

僕はズレてしまったバンダナを元に戻して、海賊の格好が変じゃないかもう一度ちゃんと確認した。由兄ちゃんに見てもらって、カッコいいって言ってもらうんだ。

「杉元お兄ちゃん、早く連れてって……」
「わかってるよ。せっかちだなぁ、翔太くんってば……」

杉元お兄ちゃんは苦笑いしながら僕の手を引いて前を歩き出した。その先にはさっきよりももっと沢山の人が集まっていて、由兄ちゃんの姿なんかどこにも見えない。時々赤い光がチカチカと光って見えるくらいだ。

「由兄ちゃん見えない……」
「あそこだよ」
「どこ?」
「見えない? ほら、あの赤い棒を振ってる警備員」
「……あっ」

杉元お兄ちゃんが指差した先には、警備員さんの制服を着て赤い棒を振っている由兄ちゃんがいた。いっぱい人が通る道なのに、工事しているから頑張って人を通さないようにしている。一生懸命、頑張って通せんぼしていた。

「ここ通れないんですか〜?」
「すみませんね〜。今工事中なもんで……お嬢さん方みたいな美しい人に怪我させたくないんで、申し訳ないんすけど迂回してもらえます?」
「え〜!」
「有り得ないし!」
「サイアク!つーか、キモい」
「“キャー”、“モテモテの”、“いい男”って意味?」
「ンなわけねーだろ!」
「調子乗んなハゲ!」

どんなに文句を言われても、嫌な顔をされても、由兄ちゃんはニコニコと笑って絶対に人を通さない。怒ったりしないで、頑張ってお仕事をしていた。

「あいつまたあんなふざけたこと言って誘導しやがって……」
「……由兄ちゃん」
「え?」
「お仕事頑張ってる……」
「……そうだね」

全部翔太くんのためにやってるんだよ──杉元お兄ちゃんはそう言って僕の頭を撫でた。
僕はなんだか胸がポカポカしてきて、くすぐったい気持ちになってきた。由兄ちゃんに大事にされてるんだってわかったからかな。

「……杉元お兄ちゃん」
「ん?」
「僕、お家に帰る」
「えっ? ……会わなくてもいいの?」
「うん。由兄ちゃんお仕事頑張ってるから、邪魔したくない……」
「邪魔になんか思わないと思うけど……」

杉元お兄ちゃんはそう言って由兄ちゃんをちらっと見たけど、少し考えるとクスリと笑って僕の手を優しく引いた。

「でも、翔太くんがそう言うなら……今夜はこのまま帰ろうか」
「うん……」

本当は会いたかった。由兄ちゃんに僕の海賊姿を見て欲しかった。でも、お仕事を頑張っている由兄ちゃんを見たらそんな気持ちも引っ込んじゃって、今は由兄ちゃんを影から応援したい気持ちでいっぱいだ。

「翔太くん。帰ったら白石のこといっぱい褒めてあげるといいよ」
「うん。いっぱい褒める」
「あははっ。明日会ったらめちゃくちゃ自慢されそうだなぁ」

苦笑いした杉元お兄ちゃんは僕の手を引いて、元来た道を戻って行く。後ろを振り返ると、由兄ちゃんはまだ赤い棒を振ってニコニコとお仕事を頑張っていた。

だから僕はこっそりと、由兄ちゃんに手を振ってバイバイした。お仕事頑張ってねって、影から僕の気持ちを込めて。


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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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