海賊の子 | ナノ

奇跡の再会


杉元が翔太からのお土産をある程度持ち帰った日の夜──白石の携帯電話にアシリパから連絡が入った。電話に出た白石はすぐにアシリパから「翔太に替わってほしい」と言われたので、寝る直前だった翔太に電話を替わってやった。
大好きなアシリパからの電話に興奮気味の翔太は、嬉しそうな笑顔で携帯電話に耳を当てた。

「もしもし? アシリパお姉ちゃん?」
『翔太か? 寝る前に電話してしまってすまないな』
「ううん、大丈夫だよ 」
『明日でも良かったんだが……翔太からのお土産が嬉しくてどうしてもすぐにお礼が言いたくてな……』
「あっ……お土産!アシリパお姉ちゃんのお土産、イルカさんのぬいぐるみだよ〜」
『ああ、杉元から最初に渡された時は驚いた。翔太、水族館に行ったんだってな?』
「うんっ」
『可愛いイルカのぬいぐるみをありがとう。杉元から聞いた話だが、ヴァシリもお前からのお土産をもらってとても喜んでいたそうだぞ』
「ヴァシリお兄ちゃんはね〜、白熊さんのぬいぐるみだよ〜」
『ああ、杉元から聞いてる。私も今度見せてもらうつもりだ。それで、今度の休みの日なんだが……翔太の予定は空いているか?』
「今度の休み? うん、何もないよ」
『そうか!それなら、今度の休みはウチに来ないか?』
「えっ? アシリパお姉ちゃんのお家?」
『ああ。実は私の祖母が親戚からナッツを貰って来てな、みんなでクッキーを作ろうと思っているんだ。翔太も一緒に作ってみないか?』
「やりたい!僕もクッキー作りたい!」
『じゃあ、今度の休みは是非家に来てくれ!一緒に美味しいクッキーを焼こう!』
「うんっ!絶対行く!」
『じゃあ楽しみにしてるからな、翔太』
「うんっ!僕も楽しみにしてる〜!」

えらく楽しそうにアシリパと電話している翔太に、白石はテレビを見ながらチラチラと視線を向けた。聞こえてくる会話の断片から、おそらく翔太がアシリパの家に遊びに行くのだと察する。白石は今度の休みにある予定を思い出し、自分が翔太と一緒に行けないことに気付いて眉尻を下げた。その日は生憎、別の予定が入っていたのだ。

「……うん。バイバイ、アシリパお姉ちゃん。……おやすみなさい」

電話を切った翔太が、未だに嬉しそうな笑みを浮かべて携帯電話の画面を見つめている。よほどアシリパとの再会の日が楽しみなのだろうか。普段から充分過ぎるほど翔太に好かれている白石でも、その嬉しそうな横顔を見るとつい胸がきゅっと締め付けられるような思いに駆られる。自分だけが翔太の特別ではないのだと身につまされたような気持ちだった。

「……翔太、アシリパちゃん何だって?」

ある程度予測できた答えが返ってくると思っていながらも、白石は笑顔で翔太に電話の内容を尋ねてみた。翔太は眩しい笑顔を振り返らせ、携帯電話を握り締めながら白石の元まで駆けつけて来た。

「あのねっ!アシリパお姉ちゃんが今度の休みの日にクッキー作るからお家に遊びにおいでって!」
「へぇ〜!良かったじゃんか、翔太!」
「うんっ!由兄ちゃんも一緒に行こうね!」
「あ……悪いな、翔太。俺、今度の休みは予定があるんだよ……」
「えっ……」

白石を見上げる翔太の顔が突然曇った。それもそうだろう。予見できた展開でも、この表情を見ることは避けられない運命だ。白石は翔太の頭にそっと手を置いた。

「そんな顔すんなよ。杉元がいるなら俺がいなくても行っても大丈夫だから……」
「由兄ちゃんがいないとやだ……」
「あー……もう……」

こういう時に、自分が本当に翔太から愛されているのだと実感する。だというのに、このところ自分は翔太にあまり構ってやれていない。

弁護士達との相談も続け、その上で真っ当な仕事をやり始めるとそう簡単には休みは取れない。唯一、翔太と一緒に過ごせるのはこの生活の一部である僅かな時間だ。

──兄貴も、普段からこんな思いで翔太を置いて仕事に行ってたのか。

何かあればいつも「翔太の面倒を見てやってくれないか」と電話があった。無職とフリーターを繰り返していた頃は時間に余裕があったので、そんな電話があればすぐにでも翔太の元に駆け付けてやれた。

馬鹿でかい邸に行けば、多くのハウスキーパーがこうべを垂れて道を作り、由竹を大層なお客様として恭しく出迎えた。当時まだ四、五歳だった翔太は由竹の訪問を心から喜んでいて、毎度笑顔で「由兄ちゃん!」と抱きついて来た。そんな時はいつも、翔太はひとりぼっちだった。翔太はいつも遊びに来てくれる由竹のことを本当の兄のように慕っていた。

──あれ? でもあの頃って確か、俺以外にも翔太の面倒をよく見てくれてる奴がもう一人いたような気が……。

「由兄ちゃん」
「あ?」

考え事をしていた時に名前を呼ばれ、白石はハッと翔太の顔に視線を向けた。翔太は不安そうな表情を浮かべて白石を見上げていた。
ああ、この顔はまた何か変なことで悩んでるな──白石は苦笑して翔太の頭を撫でてやった。

「……どうした?」
「……ぎゅってしていい?」
「……!」

そんなこと、わざわざ訊かなくてもいつも自分から勝手にしてくれていたのに。遠慮されるまで気を遣わせてしまってしまったのだろうか。白石の脳裏に兄の後ろ姿が過った。

「何だよ、急に。していいに決まってるだろ〜?」
「…………」

腕を広げた白石に翔太は無言で抱きついて来た。ぎゅっと腰に手を回され、ぴったりと体が密着する。心地よい感覚に身を委ね、白石は翔太のぬくもりを感じた。

「……ホントに、急にどうしたんだよ翔太」
「……由兄ちゃん、元気がないから充電する……」
「充電……? あっ……」

そういえば前にそんな事言ったな──白石は以前翔太と抱きしめ合った日の話を思い出して、彼の小さい背中をポンポンと叩いた。

「俺そんなに元気なさそうだったか?」
「うん……」
「それで充電してくれようとしたのか?」
「うん……」
「え〜? ホントはチュウして欲しかったんじゃないの〜?」
「違う〜!」

白石が唇をすぼませて翔太の頬に顔を寄せると、翔太は擽ったそうに笑って白石の体を両手で押し離そうとした。いつもの笑顔を取り戻した翔太に白石もまたいつものように笑った。

「よし!充電終わり!寝るぞ!」
「うんっ」

目の前にいた翔太を肩に担ぎ上げ、白石は布団の上にまで運んで行く。優しく布団の上に寝転がして二人で寝そべると、翔太は少しそわそわした様子で白石の顔を見た。

「由兄ちゃん」
「んー?」
「……呼んでみただけ」
「何だよ〜」

いつか可愛い女の子にそんなセリフを言われてみたかった白石は、まさか自分の甥っ子に先を越されて言われるとは思ってもみなかった。それでも可愛いと思えるのは、自分も大概兄に似て親バカならぬ翔太バカになっているという証だ。

「あんまり可愛いこと言うとホントにチュウするからな。嫌なら早く寝ること」
「はぁい」
「嫌なのかよ……」

地味にショック──そう呟いて、白石は翔太をそっと胸に抱き寄せると静かに瞼を閉じた。


◆◆◆


翔太が楽しみにしている休みの日はすぐに訪れた。

白石から翔太の面倒を事前に任されていた杉元は、朝早くに翔太を迎えに行き二人でアシリパのアパートまで向かった。バス停に着くと翔太がじっくりとバスの様子を観察していたので、もしかするとまたいつか勝手に出て行くのでないかと杉元はヒヤヒヤしたが、あれだけ白石にキツく叱られたのだからもうそんな事もしないだろうと彼は判断し、敢えて何も言わなかった。


二人がアパートに到着すると、今まで待っていたのか、アシリパが部屋の前に立っていた。

「翔太!」
「アシリパお姉ちゃん!」

お互いに相手を見つけると目を輝かせて駆け寄って行った。再会できた喜びに翔太はアシリパに飛び付く勢いで抱き着くと、嬉しそうに何度もその場で飛び跳ねる。元気有り余るその姿にアシリパも目を細めて笑った。

「おはようっ!」
「おはよう、翔太」
「あのね、由兄ちゃんは予定があるから来れないんだって」
「ああ。メールで連絡が来ていたから知ってるぞ。だから今日は白石の分もたくさんクッキーを作ってやろうな?」
「うんっ!」
「杉元も早くこっちに来い」
「今行くからそんな急かさないでよ」

前向きな笑みを浮かべる翔太の手を引き、アシリパは自分の部屋にまで彼を連れて行く。杉元も二人の後を追ってアシリパの部屋にまで向かった。

アパートの一階の隅にある大家の部屋は、他の部屋と違って少し広めにできている。祖母とアシリパの二人暮らしにしては少し広く感じられるような気もした。まるで、以前までは誰かもう一人住んでいたのではないかと思うほどだった。

杉元は以前にも何度か玄関までは入った事があったので、部屋の間取りについてはパッと見で自分の部屋と違うことは知っていた。しかし奥まったところについては何も知らない。アシリパの部屋などに至っては見たこともなかった。

「遠慮なく入ってくれ」
「……お邪魔します」
「お邪魔します」

恐る恐る入る翔太の背中を優しく押してやりながら、杉元も部屋の中へと足を踏み入れた。初めて入る場所に緊張してるのか、翔太の顔は少し強張っている。

「奥には私の祖母がいる。翔太は会うのは初めてだったな」

居間を指したアシリパが言った通り、奥にはもう一人ここに住む者がいた。アシリパの声に気付いたのか、少し丸まった背中がこちらにゆっくりと振り返る。

「翔太、あの人は私のお婆ちゃんだ」
「……っあ」
「……おや、まあ」

顔を見合わせた二人が驚いた表情を浮かべた。翔太は以前に、彼女の顔を見たことがあった。彼女もまた、以前に翔太と会ったことがあったので翔太の存在に驚いていた。アシリパはそんな二人の様子を見て、不思議そうに首を傾げた。

「……? どうした?」
「坊やはあの時の……」
「お婆ちゃん!」
「お婆ちゃん、翔太と知り合いなのか?」
「アシリパ、前にも話しただろう。私にバスの席を譲ってくれた優しい子供の話を……」
「えっ……!その子供って、翔太のことだったのか!?」

アシリパは以前、祖母からバスの席を譲ってくれた心優しい少年の話を聞いていた。バスの乗り間違えて不安にしている少年を交番に任せてきてしまったことを、祖母はひどく後悔していたのだ。

しかしあの時の少年──翔太は今、こうして笑顔で祖母の前にいる。祖母の安心したような笑顔にアシリパもホッと胸を撫で下ろした。

「お婆ちゃんっ!あの時はありがとう!」
「坊やとまた会えるなんて思わなかったよ……。長生きすると良いこともあるもんだねぇ」
「お婆ちゃん、夏祭りの時に翔太くんと会ってなかったの?」
「祖母はあの日、知り合いと花火を見に出掛けていたからいなかったんだ。だから着付けに苦労したんだぞ」
「ああ、それであんなに時間掛かってたんだ……」
「それにしても翔太があの話の子供だとはな……世間は案外狭いものだ」

いつまでも祖母に甘えている翔太を見ながらアシリパはそっと微笑んだ。

「……さて、道具も材料も既に揃えてあるし、そろそろクッキー作りを始めるとしよう。ほら、翔太も杉元も早く手を洗うぞ」
「そうだね。翔太くん、クッキー作る前に手を洗うからこっち来て」
「はぁい」

呼ばれて振り返った翔太がパタパタと杉元達のところまで駆けつけて来た。三人で入った洗面所はすぐにいっぱいになって、最初に中に入ったアシリパは窮屈そうに顔を後ろに振り向かせた。

「こらっ!あまり押すな!」
「サンドイッチみた〜い」
「翔太くん嬉しそうだね」
「うん。アシリパお姉ちゃんと杉元お兄ちゃんとでぎゅうってするの好き〜」
「朝のバスの中はこんなものじゃ済まないぞ」
「言えてるね〜」

笑い合いながら三人は手を洗い終えると、揃って台所まで向かった。アシリパの言った通り、クッキー作りのための道具や材料は既に揃っていた。

「私は自前のエプロンがあるからいいが……杉元にはウチにあるエプロンは合わないな。仕方ないから今日はそのままでいろ。翔太は祖母の割烹着を使ってくれ」
「かっぱうり?」
「かっぽうぎ、だ。ほら、着けてやるからこっちに来い」
「ん〜っ」

アシリパによって割烹着を着させられた翔太は、その場をくるくると回って自分の姿を興味深そうに眺めた。杉元は何を着せても可愛らしく見える翔太に頬を緩ませた。

「翔太くん、可愛い〜」
「うーん、少しサイズが小さいとは言え、翔太にはやっぱり大きかったか……。ワンピースというか、ドレスみたいになってしまったな……」
「……似合う?」
「似合う似合う。可愛いよ」
「裾を踏んで転ぶとマズイから、似合っていても今日はやめておこう」

アシリパは残念そうに翔太から割烹着を外した。外された翔太も、何故か杉元までもが残念そうな表情を浮かべて見せる。居間にいる祖母はその様子を可笑しそうに見守っていた。

「バターは予め常温に戻しておいた。翔太はこの粉をこの中に入れて振るってくれ。杉元はバターをよく練ってほぐしてくれ」
「はぁい」
「うん、わかった」

杉元がバターをボウルに入れてほぐし出した頃、翔太は振るいの中に予め用意されていた薄力粉を入れるなり、いきなり上下に激しく振り始めた。当然粉は飛び散り、慌ててアシリパが止めに入る。

「ちょっ、ちょっと待て翔太!」
「えっ」
「振るって言ってもそれはそうやって使うものじゃない。横に振るんだ」
「こう?」

翔太はアシリパに指摘されて、今度は激しく左右に振るい出した。飛び散る粉にアシリパはまたも慌てて止めに入った。

「違う!そうじゃない!」
「えっ」
「優しく!もっと優しく振るんだ翔太!」
「……こう?」
「そうだ!その調子だぞ翔太!」
「……配役間違ったかもね、アシリパさん……」
「いいんだ……翔太が楽しければそれで……」

開始早々すっかり粉まみれになった台所をアシリパは遠い目で見つめた。飛び散った分の粉を多少継ぎ足し、アシリパは引き続き翔太の振るいを見守った。

翔太は初めての振るいに疲れの色を見せ始めたが、それでもアシリパに「疲れた」「替わって」などとは言わなかった。真剣な表情で、懸命に粉を振るい続けている。翔太によって振るわれた薄力粉は、ボウルの中で徐々に綺麗な山を成していった。

「アシリパさん、バターそろそろいいんじゃないかな」
「ん? ……ああ、そうだな。じゃあ、粉糖と塩を入れて泡立て器でよく練ってくれ。白っぽくなったら卵黄とバニラエッセンスを加えてくれ」
「了解」
「アシリパお姉ちゃん、粉なくなったよ」
「おおっ!やったな翔太!上手にできてるぞ!流石、翔太はやればできる子だな!」
「えへへ……」
「ねぇアシリパさん。なんか俺の時と翔太くんの時とで扱いの差が全然違う気がするんだけど……」
「ほら杉元、手を休めるな。こっちはもう終わってしまったぞ」
「アシリパさん?」

翔太に対してはえらくベタ褒めするアシリパに杉元はやれやれと苦笑した。彼女は自分と違ってしばらく翔太と会えていなかったのだから、こうして甘やかしてしまうのも仕方ないことなのかもしれない。杉元は楽しそうに笑い合う二人を見つめながら、泡立て器を懸命に動かし続けた。


「……そろそろいい感じじゃない?」
「……うん、そうだな。じゃあこの、翔太が振るってくれた薄力粉を加えて……切り混ぜるのは、力がある杉元に任せるか」
「僕もやりたい……」
「そうか。それじゃあ生地がまだまとまる前の最初のうちは翔太に任せるとしよう。まとまり出したら、杉元が切り混ぜてくれ」
「そうだね。じゃあそうしようか」

ボウルとゴムベラを渡された翔太は、恐る恐るといった感じて材料をゆっくりと混ぜ始めた。プルプルと震える手はどこか危なげで、様子を見守っていたアシリパと杉元は終始不安そうな表情を浮かべていた。

「……翔太くん、大丈夫?」
「大丈夫……」
「ひっくり返さないように、慎重にな?」
「うん……」

アシリパに言われた通りに、翔太は慎重に慎重を重ねて生地を混ぜ合わせる。力み過ぎてカクンッ、とゴムベラが滑ると、アシリパと杉元の肩が大きく跳ね上がった。幸い、ある程度まとまり出した粉はそこまで飛び散ることはなかった。

「……よ、よし。そろそろ杉元と代わろうか、翔太」
「もう代わるの?」
「生地もまとまってきたしな。あとは杉元に任せて、私達は生地を包むためのラップの準備をしよう」
「うん」

翔太はボウルとゴムベラを杉元に手渡し、アシリパの元まで向かった。手渡された杉元はボウルがひっくり返されなかったことにホッと息を吐いた。

「アシリパお姉ちゃん、ラップくちゃくちゃになった……」
「うん……ラップも私がしてやろうな」

翔太の手のひらにある綺麗なゴミの塊を見て、杉元はボウルがひっくり返らなかった奇跡に心底感謝した。


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