海賊の子 | ナノ

憂う気持ち


「あ、乗る前にちょっと良い?」
「……?」

パトカーのところまで来て、ホクロのお巡りさんは僕を呼び止めた。ホクロのお巡りさんは可愛い顔なのに、怖い顔で僕を見下ろしている。

「一応確認するけど、キミの名前って白石翔太で間違いないよね?」
「うん。……お巡りさんの名前は、なんて言うの?」
「僕は宇佐美だよ。階級は巡査長」
「ウサギさん?」
「宇佐美だって。物覚えの悪い子供だなぁ。鶴見警部も何でこんな子供の面倒なんか見てやろうとするんだろ……」

呆れた顔になった宇佐美お兄ちゃんは僕の前にあるパトカーのドアを開けた。

「まあいいや。乗る前に一つ約束してもらうからちゃんと聞いて」
「うん」
「このパトカーに乗ったら、僕の質問には何でも答えること。それと、そっちからは僕に質問はしないこと。つまり、話しかけるなってこと。わかった?」
「うん」
「じゃあ乗って」

色々約束させられた後に僕はようやくパトカーに乗せてもらった。初めて乗ったパトカーの中は嗅いだことがない匂いがした。しっかり綺麗にしてあるけど、僕のお父さんの車とは全然違う。この車にはテレビや冷蔵庫は付いてないのかな。

「じゃあ翔太くん、しっかりシートベルト締めてね?」
「えっ?」

いつの間にか運転席に乗っていた宇佐美お兄ちゃんが、ニコニコ笑顔を僕の方に向けてきた。さっきまであんなに怖い顔をしていたのに。なんだか声まで優しく聞こえる。急に別人になったみたいだった。僕は不思議に思いながらも、言われた通りシートベルトを締めた。

「それで、行き先はどこだったかな?」
「ぁっ……知多々布……」
「知多々布だけじゃわかんないなぁ。もっと詳しい情報ない?」
「……ぁっ、警備員さんの会社……」
「知多々布の警備会社ね……」

宇佐美お兄ちゃんは隣の席にある小さなテレビを操作した。そういえばこんなの、確かお父さんの車にもあった気がする。僕が見せてってお願いしたら、運転手さんが見せてくれたから覚えている。カーナビって言う名前だったはずだ。これに行きたいところを入力すると、地図が出てきて道筋を教えてくれるんだ。

「……ああ、兼定警備保障があるね。そんなに遠くないから、車出したらすぐに着くよ」
「本当?」
「うん。ここから大体10分くらいだね」

カーナビを操作し終わって、宇佐美お兄ちゃんはシートベルトを締めるとすぐにパトカーを動かした。外の景色がゆっくりと動き出す。どんどん遠くなっていく交番を僕は見えなくなるまで見つめていた。

「翔太くん」
「えっ?」
「鯉登警部補のこと、知ってる?」
「……?」
「興奮するとすぐに叫ぶ色黒のお巡りさんだよ」
「あっ……色黒のお兄さん?」
「そうそう。翔太くんはあの人のこと、どう思ってる?」
「んっと……」

尋ねられて、僕は色々と思い出してみた。色黒のお兄さんはとにかく声が大きい。あと、時々よくわからない言葉を話す。初めて会った時はいきなり抱っこされてすごく怖かったけど、実はそんなに怖い人じゃないんだって最近わかった。

「……声が大きくて、時々わかんないこと言う……」
「あははっ。そっかぁ〜。じゃあ、好きか嫌いかで言えばどっち?」
「んっと……嫌いじゃないよ」
「じゃあ好き?」
「う、ん……たぶん」
「ふぅん」

なんでそんなこと訊くんだろう。もしかして宇佐美お兄ちゃんは色黒のお兄さんのお友達なのかな。

「じゃあさぁ、翔太くん。翔太くんがもし遊びに行くならどこがいい?」
「えっ……」

何でこんなに質問ばっかりするんだろうって思ったけど、そういえばパトカーに乗る前に宇佐美お兄ちゃんの質問には何でも答えることって約束したのを思い出した。

「んっと……動物園とか、水族館とか……行きたい……」
「へぇ〜。じゃあ、そこで食べたいものってなぁに?」
「えっと……わかんない」
「じゃあ、欲しいものは?」
「……わかんない」
「翔太くん、いま欲しいものとかないの?」
「うん」
「じゃあ翔太くんの好きなものって何?」
「えっと、お父さんとお母さんと由兄ちゃんと……」
「人じゃなくて物がいいなぁ」
「ん……ん〜……」

物ってなんだろう。持ってるものの中の物ってことかな。それなら──

「全部好きだよ?」
「全部、ねぇ……。まぁ、お金があるなら何でも買えるか……」
「……?」

赤信号でパトカーが止まった。前にある鏡を見て宇佐美お兄ちゃんの顔を見たら、さっきまで見せていたニコニコ笑顔は無くなっていた。またちょっと怖い顔に戻っている。

僕がじっと見ていたら、ふと宇佐美お兄ちゃんが鏡越しにこっちを見た。目が合って一瞬ドキッとしたけど、宇佐美お兄ちゃんはすぐに目を細めてニコッと笑った。

「もうすぐ着くからね」
「ぁっ……うん」
「最後に一つ、質問してもいいかな」
「……? うん」
「尾形のことはどう思ってる?」
「尾形お兄ちゃん?」
「うん。第七団地公園前交番勤務の、尾形百之助巡査長のことだよ」

僕はそこで初めて尾形お兄ちゃんの名前を知った。“ひゃくのすけ”って名前だったんだ。

「……尾形お兄ちゃんのことは、大好きだよ?」
「ふぅん……じゃあ、もし尾形が遊びに誘ってくれたら、翔太くん付いていく?」
「うんっ」
「なるほどね……」

でも何でそんなことを訊いてくるのかわからなくて、僕からもちょっと訊いてみようかなって思ったところでパトカーは止まった。

「着いたよ」

窓の外を見てみたら、見覚えのある建物が見えた。由兄ちゃんと前に来た会社だ。間違いない。

「あっ……」

よく見たら、会社の前に制服姿の由兄ちゃんと杉元お兄ちゃんがいた。由兄ちゃんはパトカーの方を見ると慌てたようにこっちまで走ってきた。

「さっさと降りなよ」
「ぁっ……うん。宇佐美お兄ちゃん、ありがとう……」
「お兄ちゃんって……はぁ……。色々言ってやりたいことあるけど……まあいいや」

ドアの鍵が開けられて僕はすぐにパトカーから降りた。

「翔太……ッ!」
「わっ……!」

降りた途端に由兄ちゃんから抱っこされて持ち上げられた。ぎゅうっと強く抱きしめられて少し苦しい。でも、やっと会えたことが嬉しくて僕も強く抱き返した。

「由兄ちゃ……」
「このバカッ!」
「……!」

突然大声で怒鳴られてすごくびっくりした。由兄ちゃんは僕を持ち上げたまま体を離して、すごく怒った顔をして僕を見ていた。

「俺と杉元がどんだけ心配したと思ってんだよ!めちゃくちゃみんなで捜し回ったんだぞ!?」
「ぁっ……ごめんなさい……」
「バス停でいくら待っててもお前は来ねーし……!杉元なんか減給処分だぞ!? それなのにお前のことスゲェ心配してあちこち捜し回ってくれて──」
「おい、もういいって白石!翔太くん泣きそうじゃないか……!」
「言わなきゃダメなんだよ!」
「!!」

杉元お兄ちゃんに後ろから腕を掴まれた由兄ちゃんが、怒った顔でその手を振り払った。僕は怖くて不安で、由兄ちゃんの怒鳴り声と怒った顔に今にも泣き出しそうだった。

「俺が言わなきゃダメなんだよ!そうじゃなきゃ……っ兄貴と姉さんに面倒任された意味がねぇだろ!こいつをちゃんと叱ってやるのも俺の責任なんだよ!」
「白石……」
「会いに行ける距離だからって……行けば会えるって思い込んで勝手に家出てんじゃねーよ……!お前がもし事故にでも巻き込まれて……いなくなったら……」

由兄ちゃんはまた僕をぎゅうっと強く抱きしめて、その場で膝をついた。震える手のひらが僕の背中を撫でて、シャツを強く鷲掴んだ。

「頼むから、いなくならないでくれよ……。これ以上もう、危ないことはしないでくれ……」
「……ごめんなさい……」
「…………」
「……心配掛けて……ひっく……勝手にお家出て行って……ごめんなさい……」

僕はいっぱいいっぱい謝ろうとしたけど、涙が溢れてきて止まらなくて、うまく頭が回らない。喉がつっかえて、言葉が上手に出てこない。

「ごめん、なさっ……ひっく……よし、にいちゃっ……きらいに、ならないでっ……ごめんなさぁい……!」
「……ッ嫌いになんかなるわけないだろ!」
「っ、ぅえぇぇぇ……!」
「泣け!もっと泣け!このまま爺さん達に直談判しに行くからな!翔太の猛省の涙で杉元の減給処分を取り下げてもらいに行くからな!」
「そんなことに翔太くんの涙使うなよお前は!相応の処分なんだから!」
「しゅぎもとおにぃちゃっ、ごめっ、ごめんなしゃっ……」
「あーもう泣かないで翔太くん!減給なんかより翔太くんの泣く姿を見る方が辛いよ俺は!」
「しゅぎもとおにぃぢゃぁぁ……っ!」
「あ〜っ……もう!」

わんわん泣いて杉元お兄ちゃんに手を伸ばしたら、杉元お兄ちゃんは困った顔で笑って僕を抱っこしてくれた。ポンポンと優しく背中を叩いて、僕の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で付ける。いっぱい心配とか迷惑とか掛けちゃったのに、杉元お兄ちゃんは全然怒らない。いつもと同じように優しくして、よしよしと僕を慰めようとする。

「よしにぃちゃっ……!ひっく……しゅぎもとっ、おにぃ、ちゃっ、がっ……ひっく……やさしぐするぅ……っ!」
「えぇっ!? 優しくしちゃダメなの!?」
「いやぁぁ〜っ!」
「えっ、じゃあ、えっと…………こ、こらっ!危ないことしちゃダメでしょ!」
「わあ゙ぁぁぁんッ!!」
「なんでぇ!?」

「騒々しいぞお前達」

もう訳がわからなくなって泣いていたら、会社の中から杖を持った土方お爺ちゃんが出てきた。由兄ちゃんは土方お爺ちゃんを見ると、急いで僕を杉元お兄ちゃんから奪い取ってお爺ちゃんの前にまで走った。

「爺さん!翔太もこれだけ反省してんだからよ!なんとか杉元の減給は勘弁してやってくれよ!」
「それはならん。我が社の信用を大きく失うような失態を犯した杉元には、相応の処分を受けてもらう必要がある。そこに情状酌量の余地はない」
「そこをなんとか……ッ!ほらっ、翔太も泣いてばっかいないでお願いしろ!」
「ぐすっ……おじぃちゃっ……ひっく、ごめんなしゃっ、ひっく……ごめんなしゃい……」
「…………」
「おじぃちゃぁぁ……っ!」
「わかった。……今回の失態に限り、翔太に免じて杉元は不問に付す」
「よしっ!」
「えっ……!マジで言ってんのか……?」

大きなため息をついた土方お爺ちゃんは、白いお髭を撫でながら僕を見つめた。ぐすぐすと鼻水をすすっていると、お爺ちゃんは僕の涙を指で拭って頭をポンポンと叩いた。

「しかし次はないことを忘れるでないぞ、翔太。今後は少し考えて行動をするようにな」
「ぐすっ……うん……」
「いい子だ」

そう言って土方お爺ちゃんは優しく笑うと、くるりと回って会社の中にまで行ってしまった。その後ろ姿を杉元お兄ちゃんはぽかんと見つめている。由兄ちゃんは相変わらず僕の背中をポンポンと叩いてくれていた。

「マジかよ……。どんなに交渉しても引き下がらないあの堅物爺さんが、あんなにあっさり処分を引き下げるなんて……」
「翔太はやっぱり魔性だなぁ」
「ひっく……ひっく……」
「おーよしよし、もう泣くなって……。ちょっと怒鳴り過ぎたか……」

ずっと背中をポンポンされてるからかな。なんだか少し眠くなってきた。僕は由兄ちゃんの制服を掴んで肩に頭を乗せた。

「翔太? 眠いのか?」
「ぐすっ……」
「どうする? 俺が連れて帰ろうか?」
「いや……できるならここで見ててやってくれ。俺が仕事終わったらどうせこっちに戻って来るしな。その後翔太と二人で帰るからよ」
「わかった。じゃあ翔太くん預かるぞ」
「ああ、頼む」

ぼんやりしてる間に、僕は由兄ちゃんの腕から杉元お兄ちゃんの腕に渡された。抱き直されて、今度は背中をよしよしと撫でられる感覚がした。頭と瞼が重くて持ち上がらない。なんだかもう、すごく疲れちゃった。

「取り敢えず……月島……連絡……くれ……」
「わかった。じゃあ……署にも……」
「……ろしく…………」

だんだん声が遠くなっていく。目を閉じたら、声も音も聞こえなくなってきた。

まだおやすみの時間じゃないけど、僕はほんの少しの間だけ眠ることにした。


◆◆◆


第七団地公園前交番──

「……そうか、見つかったか!」

電話対応にあたっていた月島の言葉に、書類を書いていた尾形の手の動きが止まった。少しだけ細まった彼の瞳が月島の横顔に向く。受話器を耳に当てていた月島は心底ホッとしたような顔で天を仰いでいた。

「ああ、いや……気にするな。俺も不審に思った時点で声をかけてやるべきだったからな……。それで、翔太くんは今どんな様子だ? …………そうか、眠ってるのか。……いや、何でもない。とにかく、署には俺から連絡しておくからお前はもう自分の仕事に集中しろ。……ああ、わかった。伝えておく。……じゃあな」
「月島部長、翔太くんは見つかったんですか?」

受話器が置かれたタイミングで、谷垣はそう心配そうな表情で月島に尋ねた。月島は苦笑いを浮かべて小さく頷いて見せた。

「ああ。無事に杉元の会社にまで着いたらしい」
「そうですか……。大きな事件に巻き込まれなくて良かった……」
「そうだな。本当なら俺があの時呼び止めてやれば良かったんだが……」
「そんな……仕方ありませんよ。それに部長はあの後すぐに追いかけて行ったじゃありませんか」
「結局間に合わなかっただろう。そういう少しの判断の遅れが大きな事件に直結するんだ。……俺もまだまだだな……」
「あのー……その傷の舐め合いみたいな真似やめません? 結局翔太見つかったんだからもういいでしょ」

適当な様子の二階堂に、月島と谷垣の厳しい視線が注がれる。しかし彼は二人の視線など気にも留めず、それ以降は口を閉じて束になって置かれた書類を書き進め始めた。物言いたげな月島はため息をついて、その場から踵を返した。

「……連絡が来るまで書類すら手に付かなかった奴がよく言えたものだな……」
「はっ? 何言ってんですか? 別に心配してたとかじゃないですからね!?」
「ムキになるな……説得力ないぞ」
「谷垣は黙ってろ!」
「ああ、そうだ尾形」
「……?」

休憩室まで行こうとしていた月島が振り返り、黙々と書類を書き進めていた尾形に声を掛けた。

「宇佐美巡査長から先ほど、お前に伝えたいことがあると連絡があった。折り返しの電話にこちらの電話を使うなとのことだから、後でお前の携帯から掛けてやれ」
「宇佐美の奴がですか……?」
「そんな顔をするな。お前が風邪で休んでいる間に色々と世話になったんだ。ちゃんと掛けてやるんだぞ」
「……わかりましたよ」

尾形は心底嫌そうな表情でため息をついた。彼にとって同期の宇佐美は悪友とも呼べない険悪な仲の男だ。しかしお互いに馬が合わないながらも、下手に干渉し合わないところは似ているので一緒にいても大きな問題にはならない。つまり、会話さえなければ尾形にとっても宇佐美は気にならない存在だった。

そんな彼が自分からこちらにコンタクトを取ろうとしていることに、尾形は強い不信感を抱いた。嫌な予感しか感じられない。

席を立った尾形は自分のロッカーまで向かい、中に置いていた携帯電話を取り出した。そのまま交番から出ると、裏に回って日陰の元で携帯の連絡先を開く。仕事のグループに入れてあった宇佐美の電話番号に、尾形は渋々といった様子で電話を掛けた。電話は数コール後に繋がった。

『もしもし?』
「何の用だ」
『相変わらず開口一番はそれなんだね。まあいいや。早速だけど、僕に貸しがあるのは知ってるよね?』
「休んだ時の件だろ。それがどうした」
『白石翔太のことなんだけどさ』
「何であいつの名前が出てくる」
『怖い声出すなよ。話は最後まで聞けよな』

小馬鹿にしたような宇佐美の声色に尾形は眉根を寄せた。

『あの子を今度の日曜、水族館に誘ってやってよ』
「あぁ?」
『もちろん、保護者なしのお前と二人きりって話でね』
「おい、どういう意味だそれは。お前今度は何を企んでやがる」
『追々説明するよ』
「ふざけるな。お前に借りがあるからって俺がそんな面倒な真似するわけ──」
『因みにあの子を無事に会社まで送り届けたのは僕だからね』
「…………」
『こっちの“手札”はまだまだ残ってるんだ。何なら証拠だって出してあげるよ?』
「……お前、最近鶴見警部に似てきたな」
『畏れ多いこと言わないでくれる? まあ、褒め言葉として受け取っておくよ』

それじゃ、よろしくね──宇佐美はそれだけ言い残して電話を一方的に切った。尾形は音の切れた携帯電話を耳から離し、口を噤んだまま俯いた。じっと足元を見つめていると、不意に尾形の脳裏に翔太の笑顔が思い浮かんだ。

「……何であいつが俺の弱味になるんだ」

その問いは宇佐美に向けられたものなのか、それとも自分自身に向けられたものなのか──尾形はそれすらわからないままに、自分の携帯電話を強く握り締めた。


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