海賊の子 | ナノ

迷子の濡れ鼠


最近、お外に出ていない。別につまらなくはないんだ。由兄ちゃんと一緒に過ごすのは楽しいし、ベランダに出たら時々尾形お兄ちゃんがいたりして話し相手になってくれたりするから。でも、由兄ちゃんのお家で暮らし始めてから僕はベランダ以外にお外に出たことが一度もない。

たまには由兄ちゃんとお出かけしたいな、って思う時もある。でも、由兄ちゃんにそれを言うと由兄ちゃんは苦い顔をして「もうちょっと待っててくれな」と困ったように笑うのだ。

そして今日も、由兄ちゃんは一人でお出かけ中。どうして僕だけ置いていくんだろう。窓を開けると、初めてここに来た時よりもずっと綺麗になったベランダが見えた。尾形お兄ちゃんが片付けろって言って、由兄ちゃんにお片付けさせたんだ。僕は由兄ちゃんの大きなサンダルを履いて、綺麗になったベランダに出ると柵をよじ登った。

「あっ……いたぞ!あそこ!」
「おい、カメラ向けろカメラ!」
「……?」

男の人の声がベランダの下から聞こえたかと思うと、カチチチチ、と変な音が続けて聞こえてきた。下を見たら、カメラを構えた人達が木下の陰に集まってこっちにレンズを向けていた。あの人達、あんな所で何やってるんだろう。

「撮れたか!?」
「バッチリだ!」
「よし、戻るぞ!」
「ああ!」

カメラを持った男の人達は急ぎ足でどこかへ行ってしまった。もしかして、野鳥を撮りにきたのかな。ここに来るのは最近鳩ばっかりだけど、あの人達はもしかすると鳩が好きな人達かもしれない。尾形お兄ちゃんは鳩が好きじゃないらしいから、よく追い払っているけど。

「おい、翔太!」
「あっ、由兄ちゃ……」
「危ねぇだろ!こっちに来い!」

いつの間にか帰って来ていた由兄ちゃんが、ベランダにいた僕の元まで走ってくると僕を急いでベランダの柵から引き離した。そのまま抱っこされた状態でリビングまで運ばれて、綺麗になった床の上に降ろされる。僕の目の前に腰を下ろした由兄ちゃんは深いため息をついた。

「ふぅ……。あのなぁ翔太、俺がいる夜ならともかく、俺がいない間の昼間なんかにベランダとかには出るなって、何度も言っただろ?」
「うん……」
「別に俺は意地悪で言ってんじゃないんだ。外にはこわ〜い、わる〜い大人がうじゃうじゃいてだなぁ……」
「でも、尾形お兄ちゃん悪い人じゃなかったよ?」
「あんなの悪い人です!極悪人です」
「誰が極悪人だって?」
「どわぁっ!?」
「あ、尾形お兄ちゃん」

玄関の方に、ドアを背もたれにして立っている尾形お兄ちゃんがいた。でも、今日の尾形お兄ちゃんはいつもの格好と違っていて、なんだかお巡りさんみたいな格好をしていた。

「おまッ……いつから、どうやって入った!?」
「無施錠だったぞ」
「だからって入ってくんなよ!つーかあんた、その格好……!」
「ふっ……どうだい翔太、この格好が由兄ちゃんの言う極悪人に見えるかい?」
「ううん、お巡りさん」
「フッ」
「なぁにぃ、そのドヤ顔〜。なんか腹立つんだけどぉ〜。っていうか何しに来たの〜? 職務怠慢〜? 通報するよ〜?」

尾形お兄ちゃんは被っていたお巡りさんの帽子を取って、自分の前髪を撫で上げると玄関のドアの向こうを親指で指差した。

「なに、ちょっと巡回中に立ち寄っただけだ。最近この辺で妙な連中がうろついてるって住人から相談が寄せられてな……」
「……ッ」

尾形お兄ちゃんの言葉に由兄ちゃんが苦い顔を見せた。どうしたんだろう、由兄ちゃん。アイスの食べ過ぎでまたお腹でも壊したのかな。

「報道陣だか取材陣だか、はたまたそれ以外の何者かは知らんが……お前もそろそろ何か対策を立てといた方がいいぞ」
「……っ、対策ったって、あんたみたいな警察官がどうにかしてくれる訳でもねーんだろ……!ほっといてくれ……!」
「おいおい、俺は何も警察に頼れって言ってるわけじゃない。こちとらそんなに暇じゃないんでね……。警備については、専門分野に相談しろって話さ」
「専門、分野……?」

由兄ちゃんは尾形お兄ちゃんを不審そうに見上げた。尾形お兄ちゃんはそれを鼻で笑って、胸ポケットから小さな四角い紙を取り出してみせた。

「いい所紹介してやるよ、白石由竹」

ピッ、と投げ飛ばされた四角い紙が、ユラユラと左右に揺れながら由兄ちゃんの目の前に落ちてきた。由兄ちゃんがそれを拾うと、紙には何か小さな文字が書いてあるのが見えた。漢字がいっぱいで、僕には全然読めないけど。

「『兼定警備保障会社』……警備会社ァ!?」

由兄ちゃんはくわっと目を見開いて穴が空くほどまじまじと紙を見つめた。強く握りしめすぎて紙を掴んだ部分にシワが寄っている。

「どういうこったい、こりゃあ!」
「どうもこうも、あんたは最近家を留守にしがちな割に不用心過ぎるんだよ。ガキ一人にこんな場所で留守番任せて、鍵一つ掛けただけで護ってやれてるつもりか?」
「ぐっ……」
「少なくとも俺は今日までで七、八回程は中に招き入れられているぞ、そいつから」
「翔太っ!」
「ぅ……ごめんなさい……」

由兄ちゃんの怒った顔にシュンとなって謝ると「悪いのはそいつだけじゃないだろ」と尾形お兄ちゃんの声が掛けられた。

「ま、早い話がお前も“害鳥対策”くらいはしとけってことだ。餌をつまみ食いしにきた鳩だと思って油断してると、いつの間にか餌ごと掻っ攫おうとする卑しいカラス共に目ぇつけられるぞ」
「…………」

何の話をしているんだろう。鳩とかカラスとか、尾形お兄ちゃんはそんなに鳥が嫌いなのかな。野鳥を見るから持ってるって言って僕に貸してくれた双眼鏡──尾形お兄ちゃんは本当に野鳥を見るために持っていたのかな。僕はなんだか訳がわからなくなってきた。

「おっと……そろそろ戻らんと部長にバレちまうな。おい、白石」
「なぁに?」
「お前じゃねぇ。そこで腑抜け面晒してる坊主頭の方だ」

尾形お兄ちゃんはお巡りさんの帽子を被りなおして、由兄ちゃんを指差した。

「その警備会社の『不死身の杉元』って奴に会え。俺の名前を出したら取り合ってくれるだろうから」
「……なんか、胡散くせぇな……。そうやって裏で会社と手を組んで、俺を契約させて勧誘成功〜!とかなんとか言って打ち上げする気じゃねーだろうな」
「フッ……言っただろ」

俺はそんなに暇じゃねーんだよ。そう言って、尾形お兄ちゃんは玄関のドアを開けると今度こそお部屋から出て行った。

「何あいつ……カッコつけちゃって……」
「……僕、鳩好きなのにな……」
「……!あー……なあ、翔太」
「なぁに?」

由兄ちゃんはあーだのうーだの言いながら頬っぺたをぽりぽりと掻くと、困ったような笑顔を見せて首を傾げた。

「今度、団地の公園に連れて行ってやるよ」
「えっ……本当? いいの?」
「ああ。まあ……マジであいつ、警官だったしな……あの交番にいるとは思わなかったけどよ……」
「嬉しいっ!」
「ッ!」

僕は嬉しくって嬉しくって、思わず由兄ちゃんに抱き付いた。でも、由兄ちゃんと一緒に出掛けられるのが本当に楽しみで、このワクワク感は抑えられない。

「ありがとうっ、由兄ちゃん!」
「……ああ」

僕がお礼を言うと、由兄ちゃんはふっと笑って僕をぎゅっと抱きしめ返してくれた。


◆◆◆


日曜日の午後。ボロボロな建物に囲まれた広い公園。古そうな遊具が所々にあって、僕と同じくらいの子供は誰もいない。いるのは、散歩中のヨボヨボなおじいちゃんくらいで、ここの公園はなんだか少し寂しかった。

「ここがウチから一番近い公園の第七団地公園だ!」

僕をここに連れて来てくれた由兄ちゃんは、何でか自信満々な笑顔でそう言うとフンと鼻を鳴らした。僕はもう一度公園を見渡してみたけど、公園だっていうのに他に遊びに来ている人がほとんどいない。どうしてだろう。

「どうだ翔太、ブランコでもやるか?」
「うん」
「ぃよぉし!由兄ちゃんについてこーい!」

由兄ちゃんは公園に来てからやたら張り切っていて、僕の手を引くと公園の奥にあるブランコまで引っ張って行った。近くに寄って見たブランコは、鎖の部分が錆び付いていて風が吹くとキィキィ音が鳴る。座る板ももうボロボロな状態だ。僕はニコニコ笑う由兄ちゃんの顔を一度見上げてから、古くてキィキィ鳴っているブランコに座った。

「よ〜し、押すからしっかり掴まってろよ〜!」

由兄ちゃんはそう言って、ブランコに座る僕の背中をそっと押した。張り切っていた割にはすごく力が弱い。僕の体は風に揺らされたみたいにちょっとだけ前に出ただけだった。

「翔太、楽しいか?」
「……うん」
「そうかそうか〜!」

僕が頷くと由兄ちゃんはキラキラ笑顔で喜んだ。由兄ちゃんが楽しそうなら別にこれでもいいや。僕は自分で体を動かしてみながら由兄ちゃんとブランコを楽しんだ。公園にはキーコキーコと鳴るブランコの音が響いている。

「次は滑り台行こうな〜!んで、その後は砂場で一緒に山を作って〜……」
「白石由竹さん」
「……ッ」
「……?」

声が聞こえて振り返ったら、スーツを着た知らない男の人が近くに立っていた。由兄ちゃんは真っ青な顔で男の人を見ている。誰だろう、由兄ちゃんの知っている人かな。

「お電話しましたが繋がらなかったので伺いました。封筒の中の書類は確認していただけましたか?」
「ちょっ……今こんな時に……ッ!」
「由兄ちゃん……?」
「あっ、あぁ翔太!悪いけど俺ちょぉっとこのオニーサンとお話しがあるからぁ〜……えっと、待っててくれるか? あっ、いや……ダメだな……よし、取り敢えず鍵渡すから、部屋に戻っててくれ!なっ?」
「えっ……う、うん……」

由兄ちゃんは僕の手にお部屋の鍵を渡して、立ったままずっと待っている男の人とどこかに行ってしまった。由兄ちゃん達が公園から見えなくなって、僕はしばらく一人でブランコに揺れていた。

キーコ、キーコって鳴るブランコは一人で乗っていてもあんまり面白くない。どうして僕以外に遊んでいる子供がいないんだろう。早く帰ったらいいだけなんだけど、またしばらくお出かけできないかと思うとなんだか帰るのも気が引けた。

「……由兄ちゃん、戻ってこないかな……」

由兄ちゃんがいないとやっぱりつまんなくて、僕はブランコから飛び降りるとそのまま由兄ちゃんのお家まで向かった。

「あ……れ……?」

そういえば、由兄ちゃんのお部屋はどこの建物にあるんだろう。ここは同じような建物がたくさん並んでいて、どれが由兄ちゃんのお部屋がある建物なのか見分けがつかない。僕がここに連れてこられた時は夜だったし、辺りは真っ暗で外の景色はよく覚えていない。それに今日まで一度も外に出してもらえなかったから、お家の周りなんかよく見たことがない。

「どうしよう……由兄ちゃん……」

僕は着ていたシャツをぎゅっと握りしめて、辺りをキョロキョロと見渡してみた。広い公園なのに、やっぱり人が全然いない。急に一人が怖くなってきて、僕はその場で両足を踏みしめた。

「由兄ちゃぁん……」

帰りたい。お家に帰りたい。でもお家がどこかわからない。由兄ちゃんがどこにいるのかもわからない。どうしよう。どうしよう。もしこのまま帰れなくって遭難しちゃったら、僕はきっと飢え死にしちゃって骨になるんだ。骨になって、お母さんとお父さんと一緒の箱の中に入れられるんだ。

「うっ……うっ……」

怖くなってボロボロと涙が出てきた。そしたら、ポツ、ポツ、と突然冷たい粒が空から落ちてきた。顔を上げたら、熱くなった僕の頬っぺたにまた一つポツッと粒が落ちてきた。

──雨だ。雨が降ってきたんだ。

最初はポツポツ降っていた雨が、あっという間に強くなってざあざあと音を立てながら降ってきた。僕は傘を持っていなくて、でもどこに行ったらいいのかもわからなくて、しばらく濡れながらそこでウロウロしていた。

「よしに゙ぃぢゃぁぁ……!」

僕は泣きながら公園をウロウロした。ゴロゴロ雷の音が聞こえる。怖くて足が震えた。お腹が空いた。おしっこがしたい。そうだ、トイレはどこだろう。公園なら、トイレがあるかもしれない。そこでなら、雨宿りができるかもしれない。

「ぐしゅっ……ぐすっ……」

僕は鼻水をすすりながらトイレを探し回った。雨でビショビショになりながら探した。雨がひどくて前がよく見えない。靴の中ももうびちょびちょになっていて、履いていて気持ち悪い。早く脱ぎたかった。

「キミ!」
「……?」

人の声が聞こえた。振り向いたら、強い光がこっちに向いた。光は、どんどん僕の方へ近づいて来た。


◆◆◆


「二階堂、交代の時間だぞ」

雨合羽を外しながら休憩室に現れた月島が、床に寝転がる二階堂に声をかけた。どうやら番交代の時間が来たらしい。寛いでいた二階堂は面倒くさそうな顔を重たげに持ち上げて、傍に置いていた制帽を拾い上げると自分の頭に被せた。

「ん……おい、雨覆をつけ忘れるなよ。外は酷い雨だ」
「え〜……あのシャワーキャップすか? ダサくて俺好きじゃないんですけど……」
「やかましい。規定だ」

愚図る部下にピシャリと言ってのけた月島が、脱いだ雨合羽をロッカーに入れているとちょうど背後を通りかかったもう一人の部下の存在に気が付いて、思わず後ろを振り返った。

「尾形、地域の皆さんに配る交番だよりの件はどうなった?」
「え? ……あぁ、アレですか。アレなら部長のロッカーに入れておきましたよ」
「おい、いつも言ってるだろう。ロッカーには仕事の書類等を……ん? ロッカー?」

今しがた雨合羽をしまってロッカーを閉じた月島は、尾形の言葉に一瞬違和感を感じて首を傾げた。そして突然カッと目を見開くと、閉じたばかりの自分のロッカーを開けて中を確認した。月島の見開かれた目がロッカーの下に向いて、サッと顔から血の気が引いた。

「尾形巡査長!」
「何ですか、そんな怖い顔をして。そんなんじゃ迷子の子供も裸足で逃げ出しますよ」
「お前!ロッカーに仕事関係の書類を入れるなとあれほど口を酸っぱくして言っただろう!」
「尾形さん、傘どこにある?」
「二階堂、傘なんか持って出て行くな!何のための雨合羽だ!」
「え〜……俺濡れるの嫌なんですけど……」
「片手が塞がってちゃいざという時対処できんだろうが。雨合羽を使え」
「わかりましたよ。……いちいちうるさいな……
「聞こえてるぞ貴様。後もう外は暗いから、紺じゃなく白を使いなさい」
「白って気分じゃないんで……」
「夜は白、昼間は紺が規定だ!警察学校で何を学んできたんだお前は……あ、コラ尾形!話はまだ終わってないぞ!交番だよりはすぐにやり直しだ!」
「わかってますよ。月島部長は相変わらず忙しいお人ですね……」
「誰のせいだと思っておるのだお前は……」

疲労と怒りを顔に表した上司に尾形は肩をすくめて見せると、雨に濡れて台無しになってしまった交番だよりを取り出して休憩室に戻って行った。やれやれとため息をついた月島が凝った肩をぐるりと回し、開いたままだったロッカーの扉を閉じる。もうこれ以上の面倒事も問題もなければ良いのだが──

「月島巡査部長!いらっしゃいますか!」

月島の願いは10秒も続かなかった。
交番の出入り口から、聞き知った部下の焦る声が聞こえた。あの声は谷垣巡査のものだ。声色からして何かまたトラブルでも起きたか起こしたんだろう。月島は無意識のうちに寄せてしまっていた眉間のシワを指で揉みながら出入り口まで向かった。

「どうした谷垣巡査。巡回中に何か……」
「ひっく……ひっく……」
「起き、た……」

月島が受付所に出ると、そこにはビショビショに濡れて涙を流す少年と、困ったような顔でオロオロとする谷垣の姿があった。月島は一瞬絶句したが、ハッと意識を取り戻すとすぐに踵を返して休憩室に向かった。

「おい、尾形」
「ん……何ですか。交番だよりはまだですよ」
「違う。そこにあるタオルを貸せ」
「ああ、はい。どうぞ」
「あと今すぐ湯を沸かせ。温かいお茶を入れろ」
「どうしたんです? 鶴見警部でもいらしたんでか?」
「子供だ」
「は?」
「ずぶ濡れで震えている。すぐに温めなければあれでは風邪を引く」

月島は呆然としている尾形を置いて休憩室から出て行った。戻って見ると、交番の受付所に設けられた簡易ベンチに先程の少年が座らされていた。その隣で、谷垣が心配そうな表情で少年の肩を抱いている。少年は時折鼻をすすりながら、寒さに小さく震えているようだった。

「……谷垣、これを使え」
「あ……すみません。助かります」
「ぐすっ……」

会釈する谷垣を一瞥し、月島は目の前で俯いている少年の前に屈んで見せた。濡れて雨水が滴る少年の髪の毛を、くしゃりと優しく撫でる。少年はますます俯いてしまった。

「大丈夫かい? 寒かっただろう?」
「…………」
「お巡りさんの名前は月島基だ。ボクの名前は、なんて言うのかな?」
「…………」
「……お家はわかるかな?」
「…………」

月島の最後の質問にだけ、少年は微かに首を左右に振って見せた。迷子か──参ったな、と月島は頭を抱えた。

「……じゃあ、ボクのお父さんとお母さん、どこにいるのか教えてくれないか?」
「……ふぇっ……」
「っ!!」

極力優しく問い掛けたはずの月島の質問に、少年は何故か再び涙を流し出した。これには月島も谷垣も驚いて咄嗟に言葉が出なくなるが、気配り上手で経験も豊富な月島はすぐに気を取り戻した。

「だ、大丈夫だ。お巡りさんがすぐにお父さんとお母さんを見つけてあげるから……」

月島は、普通の迷子ならまず耳を傾けてくれるだろう言葉を口にした。それが引き金になった。

「ぅぅっ……ぅあぁぁぁん!」
「つ、月島部長……!」
「な、待てッ……!これは、俺が悪いのか……?」

今度は突然咽び泣き出してしまった少年に、二人の大の大人はすっかり困り果てて、お互いの困惑した表情を見合わせることしかできないでいる。

「何ですか、騒々しい……」

そこに、淹れたてのお茶を用意した尾形が現れた。尾形は、どうせまた月島の尋問が失敗に終わったんだろうと思ってからかいがてらに様子を見に来たのだが、谷垣に肩を抱かれて泣いている少年の顔には、確かに見覚えがあって──

「……翔太?」
「ひっく……ひっく……おがた、ぉにぃちゃ……?」

泣き腫らした目をこちらに向けてぱちぱちと瞬きする翔太の姿に、尾形は持って来たお茶を机に置くと早足で翔太の元まで回り込んだ。目線が合うように屈み込み、腫れた目元を両手の親指で押し撫でる。尾形は翔太の涙で濡れた目を覗き込んだ。

「何でお前がここにいる。白石はどうした」
「尾形、知り合いか」
「俺の部屋の隣に住んでる子供ですよ」
「助かった。我々ではどうも手に負えないみたいだから、お前が相手してくれないか?」
「構いませんが……」
「交番だよりは俺がやっておく。ご両親の連絡先がわかるようなら、迎えに来るよう連絡しておいてくれ」
「…………」

尾形は月島の言葉に何かを言いかけたが、それは声にならずそのまま喉の奥へと落ちていった。それよりも、尾形は目の前で鼻をすする翔太の方に意識を向けた。

「あの役立たずのてるてる坊主はどこで何をしている」
「ぐすっ……わかん、ない……」
「お前も何で外に出てるんだ。傘はどうした」
「由にぃちゃ、と……ひっく、きょう、お出かけ、するって……。よし、にいちゃん……いなく、なって……。かさ、持って、ない、時に……ぐすっ。あめ、ふって、きた……」
「…………」
「おうち、の、ばしょ、ぐすっ……わか、わかんない……ぐすっ……」

尾形はため息をついた。下がったままの翔太の頭をガシガシと撫でて、「待ってろ」とだけ言うと彼は休憩室の奥へと姿を消した。


◆◆◆


「翔太」
「……?」

程なくして、警官の制服姿からスーツ姿に変わった尾形が休憩室から現れた。その手には一本の黒いコウモリ傘と紺色の雨合羽がある。翔太は首を傾げて、近付いてくる尾形の顔を見上げた。

「尾形お兄ちゃん……なんで、服……」
「もう今日の仕事は終わりだ。帰りのついでに送って行ってやる」
「いいの……?」
「どうせ隣同士だ。大した手間じゃない」

そう言って尾形は持っていた紺色の雨合羽を翔太に被せてやった。子供の翔太には大き過ぎる大人用の雨合羽は、翔太の小さな体をすっぽりと覆い隠してしまったが尾形にはその方が却って好都合だった。ボタンを閉じ切った尾形が屈んだ状態で翔太に背中を向ける。

「乗れ」
「えっ」
「そのまま歩かれちゃ裾が汚れる。おぶってやるから早くしろ」
「でも、僕……」
「その代わり傘はお前が持て。俺を濡らさないようにしろ。いいな」
「……うん」

コクリと頷いた翔太は静かに尾形の背中に乗り上げた。翔太の膝裏に腕を回した尾形が、その軽くて小さな体をひょいと背負う。差されたコウモリ傘を翔太が持ち、二人は交番の門を潜り出た。

「あ、尾形さん!どこ行くんすか!次交代でしょ!」

外に出ると番をしていた二階堂がいた。彼は今まさに帰ろうとしている尾形を見て不満の声を上げた。

「……いや、谷垣の間違いだ」
「は、ちょっと……尾形さん!」

二階堂の声を無視して、尾形は翔太を背負い直すと雨の中へと姿を消した。


[ back to top ]

×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -