海賊の子 | ナノ

護るための手


「佐一、お前警察官になったらどうだ?」

警察官──最初は、親友の寅次の誘いで始めた仕事だった。武道の有段者で大会にも出場経験があった俺だが、学歴の方では特に自慢できるものはない。将来的になりたい職業が見つからなかった中坊の頃、幼馴染の寅次は俺を警察官の道に勧めた。

「警察官か……悪くないけど、お前はどうするんだ」
「俺は何やってもお前に勝てないからな……。高校入って卒業したら、自分の入れる所に入る」
「じゃあ何でまた俺に警察官なんか勧めるんだよ」
「お前は強い。腕もそうだが、責任感もな。それに、正義感もあって警察官にうってつけだろ?」
「何だよ急に。褒めても何も奢ってやんねーぞ?」
「ははっ。お前は有段者だからな……その手は誰かを殴ったり投げ飛ばしたりする為に使うよりも、誰かを護ってやる為に使えよな」

あれが自分を卑下して言った、俺への隠れた嫌味だったということに気付いたのはいつだったか。お世辞とも嫌味とも聞き取れる台詞を真に受けて、気付かないまま寅次を巻き込んで二人して警察官になったのは覚えている。

普通の会社に就くと言って聞かない寅次だったが、就職難のこの時代にまともな会社が寅次を雇ってくれるとは思えなかった。だから二人で猛勉強をして、寅次に足りない筋力は俺が最低限に鍛えた。寅次には酷だったかもしれない。けど、将来家庭を築くつもりの寅次にはまともな職業に就いて欲しかった。

俺たち二人にとって憧れであるもう一人の幼馴染──梅子と、寅次は将来結婚する。俺は二人に幸せになって欲しかった。だから寅次が梅子のことを好きだと俺に告白した時も、俺の頭の中は二人の将来図でいっぱいになった。

幼い頃、病死でほとんどの家族を失った俺は、両親同様長生きしないだろうと周りに思われていた。きっと遺伝なんだろうと。その思い込みはいつか俺の人生の足枷の一つになった。俺は自分の将来と寅次達の将来を考えた末に、梅子のことを諦めた。梅子も寅次も、どちらも孤立させたくはなかった。

二人の幸せを側から見守れるなら、俺はそれだけで幸せだった。


◆◆◆


警察官になった後、新人だった俺たちは地域課に配属されて町の小さな交番に勤務していた。公務員なだけあって給料もそこそこいい。その代わり想像以上にハードな職場で、俺より体力の少ない寅次はなにかと先輩警察官達にいじられていた。若いのに嫁持ちってのも原因の一つかもしれない。当時配属された交番では、寅次以外の警察官は皆独身だった。寅次を護ってやれるのは俺くらいだ。

「こんな職場でもイジメってのはあるんだな」
「どこ行ってもそんなもんだろ。気にすんなよ」

俺たちはお互いに支え合ってきた。こんな日がいつまでも続けばいいと思っていた。

でも、この職業に就いている限りそんなことはあり得なかった。


『至急至急。強盗容疑事件。強盗容疑事件。詳細判明しておりませんが、女性が頭部から出血。第七43、交通事故防止、現場急行せよ。どうぞ』


それは俺と寅次がパトロールをしている最中に起きた事件だった。

シングルマザーの女性が自宅に帰宅した際、潜伏していた男に襲いかかられ暴行を受けたらしい。被害を受けた女性は逃げ切ることができたが、女性の自宅には幼い子供が一人残されている。犯人は女性の自宅に立て篭もった。人質を取った、傷害立て篭もり事件だ。

寅次と俺はそのまま現場まで向かわされた。現場には最寄りの交番員、地域課のパトカー部隊、更には第七署の刑事達が集まっていた。あんな生々しい現場を見たのはあの日が初めてだった。

「マルヒ逃走の恐れもある。後ろ回ってバック固めろ」
「月島、マルヒと中の情報はとれたか」
「被疑者の情報は不明です。中には8歳の男子児童が一名取り残され、被疑者はナイフ2本と爆発物らしき物を所持しているそうです」
「マズイな……爆弾処理班まで出動か……」
「鶴見警部、尾形巡査の目撃証言によるとマル被は男子児童の襟首を後ろから掴んだ状態で窓のカーテンを全て閉めていったようです」
「凶器は確認できたのか」
「はい。手にあったナイフの刃渡りは15から20程度。もう1本のナイフと爆発物らしきものについての確認は取れていない状況です」
「マルガイ、マルヒとの面識はなく、帰宅直後に襲われた模様です」
「マルヒから要求はあったか?」
「今のところ何もありません。現在正面から話し合いを持ち掛けておりますが応答なしです」

現場の物々しい雰囲気に寅次は竦み上がっていた。だが俺たちの仕事は突入して犯人を取り押さえることじゃなく、逃走経路を固めて犯人の逃走を阻止することだ。緊迫した現場で、俺たち交番員は黙って周りを囲む。それだけだ。

「窓割ってさっさと突入しちゃえばいいのに」
「爆発物を所持していると情報があったんだ。下手に動けないだろう」
「尾形は戻らないの?」
「マルヒの人相を見ちまったからな……今日は帰してもらえそうにない」
「じゃあ一人で帰ろうかな〜」
「無理だろ。もう少しすれば処理班が到着するから、そうなればお前は避難誘導に回される」
「最悪」

別の交番員達が傍で呑気に話しているのを聞き流す。処理班とはきっと爆弾処理班のことだ。いよいよ大事件になってきた。俺たちはこんな近くで待機していても大丈夫なのか。いつの間にか寅次の顔は真っ青になっていた。

「おい……しっかりしろ、寅次」
「佐一……俺、嫌な予感がするんだ……」
「大丈夫だ。処理班が来れば俺たちもきっと外される」
「けどよ……もしもの時を思うと、俺……」
「そんなこと考えるな。いざって時に動けなくなるぞ」
「こ、こんなことになるなんて……」

「お前の連れ、顔色が悪いが大丈夫なのか?」
「あぁ?」

声を掛けてきたのは尾形の方からだった。俺はその時初めて尾形百之助と話した。お互い勤務する交番は違っていたが、警察署や独身寮では度々見かけていた。射撃訓練でかなり名を上げていたから、そういったところでも奴のことは以前から知っていた。

「見るからに度胸なさそう。よく警察官になろうと思ったね」
「うるせぇな。お前らに関係ないだろ」
「いいって、佐一……俺は気にしてねぇよ」
「佐一……そうか、お前杉元佐一か。柔道の試合で遠慮なく上司を投げ飛ばしたんだってな」
「へぇ〜そっちは度胸ある方なんだ」
「黙れ……ッ」
「やめろよ佐一!こんな時に喧嘩すんなよ!ここは交番じゃないんだぞ!」
「言われたままでお前は悔しくないのかよ、寅次!」
「え? あ、あ〜……寅次ってあの門倉部長が言ってた……何だっけ」
「嫁持ちの新人警官」
「そうそう。良かったね、先輩達に自慢できるところが一つだけあって」
「こいつッ」
「やめろって佐一!」

いけ好かない野郎だった。尾形自体はそんな絡んでくることもなかったが、尾形の連れの方──宇佐美って野郎は特に気に入らなかった。自分の連れのくせに止めようともしない尾形も尾形だ。何を考えているのかわからない無表情を顔に張り付かせて、じっと現場を見つめている。

「でも嫁持ちってこういう現場だと結構厄介だよね」
「何が厄介だってんだ!僻みかよ!」
「だってこういう言葉があるじゃない」

死亡フラグってさ。

このクズ野郎が──堪忍袋の尾が切れて殴り掛かろうとしたその瞬間、すぐ近くにある裏口のガラス戸が割られた。

「……!」

割られたガラス戸の向こうに、犯人が姿を現した。怯えた少年を盾にして、片手にナイフと、小さな箱のような物を握りしめている。

「動くな!」
「凶器を捨てろ!」

刺又を持っていた寅次は怖気を振って犯人に近付いた。何をしでかすかわからない犯人に迂闊に近寄るのは危険過ぎる。

「寅次!一旦離れろ!」

俺はすぐに引き止めた。だが既に遅かった。

警官が周りを固めていたことと、近付いてくる寅次を見てパニックになった犯人が、持っていた箱をこちらに投げつけてきた。

「寅次ッ!!」

叫んだ瞬間に、目の前が真っ白になった。何かが爆発したんだと気付いた時、咄嗟に横に飛んだが爆風は俺たち全員を巻き込んだ。

「ゲホッ!ゲホッ……寅次ィ!!」

焼け付くような痛みを堪えて吹き飛んだ体を起こす。黒煙と炎に阻まれ中の様子は見えない。寅次の姿も見えなかった。

「寅次!どこだ、寅次!」
「裏口が爆破された!」
「突入しろ!行け行け行け!」
「消防を呼べ!火が出ている!」

駆け付けてくる警察官達の姿が見えた。俺は寅次を捜すべく黒煙と炎の向こうへ飛び込んだ。焦げ臭さが辺りを覆い、煙が目に沁みた。

「寅次ィッ!!」

喉が潰れる覚悟で名を叫んだ。その時、後ろからガラス破片を踏みしめる足音が聞こえた。振り返ると同時に、炎に照らされた刃物が見えた。

「……ッ!」

大きく上体を反らせたが、刃物は俺の顔面を横一文字に切り裂いた。刃物を持った犯人が俺に襲い掛かってきていた。完全に俺を殺す気でいる目だった。

「やめろ!くそッ……こいつ!」
「うわあああああッ!!」

最早人の話を聞けるような状態ではなかった。警棒を取ろうとするが、防御に徹していてそれどころではない。腕や手、肩や顔にまで刃物が及ぶ。ようやく拳銃を掴めたが、自分の血と煙が目に沁みて狙いも定まらない。

「退けぇッ!!」
「ぐッ……」

犯人が突っ込んできた瞬間、脇腹に激痛が走った。熱した鉄でも押し当てられたかのような熱い痛みだ。一瞬よろけたが、すぐに持ち直した。犯人の手と一緒に凶器を握り、自分の体から引き抜いた。

「手を退かせ!」
「ッ!」

サイレンの音に混じって尾形の声が聞こえた。反射的に手を離すと、離れた位置から発砲音が鳴った。血に濡れた刃物が弾け飛ぶのが一瞬見えた。やるなら今しかない。

「うおおおおおおおッ!!」

咆哮と共に犯人の胴体に飛び込んだ。今はこいつを取り押さえる。それしか考えていなかった。

「佐一……」
「……!」

喧騒の中、寅次の声が後ろから聞こえた気がした。思わず振り返る。そんな気の緩みが、油断を生んだ。

「退けッ!」
「ッ!」

振り切った犯人が俺を横切り、煙の中に突っ込んだ。寅次の声が聞こえた方だ。脇腹の痛みも忘れて後を追う。

「寅次!」
「死ねッ!死ねッ!死ねッ!」

黒煙の中に刃物が見えた。何度も振り上げては下ろし、その度に飛沫が飛び散る。急いで犯人の背中に駆け寄って後ろから羽交い締めにした。暴れる手を掴んで捻り上げ、血濡れの刃物を外す。まだ刃物を隠し持っていたとは思わなかった。

「離せ!離せェ!!」
「ッ……寅次!無事か!」

限界まで声を張り上げた。煙の下に視線を這わせる。

「……!」

忙しなく動かしていた視線が、床に広がる赤い血溜りを捉えた。脚が見える。警察官の制服だ。視線を辿らせると、ぐったりとして動かない少年を抱きしめた寅次が転がっていた。

「と……」

寅次──俺は呼びかけた声を失った。暴れる犯人はしきりに何かを叫んでいたが、何も聞こえなかった。声も、音も、全ての音が一瞬で消えた。

ようやく突入してきた警察官の波に揉まれた後、すぐに消火活動が行われ俺は救急隊員に受け渡された。担架に乗せられる直前に見えた血濡れの寅次と少年の姿が、しっかりと目に焼き付いてしまった。

今でもあの時のことを思い出すことがある。

重傷を負いながらも生還した俺と、殉職した寅次。寅次は息絶える最期まで少年を守り抜いた。警察官の鑑だと世間から評価された。

「例の新人、興奮状態の犯人に突っ込んで行ったんだってな」
「馬鹿だな。被害拡大させて結局自分がおっ死んじまってよ……」
「勝手な真似するからあんな結果になったんだ。自業自得だ」

交番に戻った時に聞いた、過去に寅次を散々虐めていた先輩警官達の陰口に俺は切れた。怒鳴り上げて掴みかかろうとした俺はすぐに取り押さえられ、揉め事を起こしたとして警察官をクビになった。馬鹿みたいな正義感が仇になった瞬間だった。

誰も浮かばれない。俺は誰も助けることができなかった。それどころか、俺は寅次を危険に巻き込んだんだ。

俺の手は誰も護れない、役立たずの手だ。

あの日から今まで、俺はずっとそう思っていた。


◆◆◆


「杉元お兄ちゃん」
「ん……?」

柔らかな日差しに包まれた白石の部屋の中で、ぼんやりとしていた俺に翔太くんが話しかけてきた。

「見て見て」
「んー……? あ、これ……」

翔太くんが俺に見せてくれたのは、一枚の絵だった。画用紙に描かれた絵は白黒しか色が使われていなかったが、描かれた人物の特徴がしっかりと表現されている。警備員の制服を着た俺と白石の絵だった。

「すごいね翔太くん。上手に描けてるよ」
「あのね、こっちが由兄ちゃんでね、こっちが杉元お兄ちゃんだよ」
「うん、すぐにわかったよ。白石の顔とかわかりやすいし、俺の顔にも──」

あの日から残ってしまっている傷跡が描かれている。

突然言葉を切った俺に、翔太くんは不思議そうな顔で首を傾げた。

「……杉元お兄ちゃん?」
「えっ……あ、ああ。ごめん。ちょっと見惚れてた」

不審がられないように慌てて笑顔を作って見せた。翔太くんはまだ俺の顔を下からじっと見上げていたけど、その顔もすぐに逸らされた。見せてくれていた画用紙をテーブルの上に置いて、再びボールペンを持つ。まだ何かを描き足すみたいだ。

「……翔太くん、絵描くの好きなの?」
「うん。前はね、由兄ちゃんの絵を描いたの。由兄ちゃんね、すごく喜んでくれた」
「いいなぁ。……白石は幸せ者だよ」
「幸せ者?」
「うん。幸せ者。時々すっごくあいつのこと羨ましく感じるよ」

翔太くんはぽかんとした顔をして見せて、やがてクスリと笑った。

「尾形お兄ちゃんと、おんなじ……」
「えっ? 何が?」
「仲良しさん」
「いやっ、俺と尾形は冗談抜きで全然仲良くないけど……?」
「尾形お兄ちゃんはね……」

話を聞いているのかいないのか、翔太くんは画用紙に描かれた俺の隣に別の誰かを描き始めた。そこに描かれた特徴的な顎髭と顔の傷には見覚えがって、俺は思わず眉根を寄せた。これはほぼ間違いなく尾形の絵だろう。

「ほら、できたぁ」
「上手だね……。できれば俺から一メートルくらい離して描いて欲しかったな……」
「こっちはアシリパお姉ちゃんね」
「翔太くん、聞いてる?」

マイペースな翔太くんは次々と画用紙に人物を描き足していく。アシリパさんやヴァシリ、第七団地公園前交番の警察官達も描き足して、いつの間にか画用紙にはたくさんの人物が描かれていた。

「……これ、誰?」
「土方お爺ちゃん」
「あの爺さんも描いてやるの?」
「うんっ」
「ふぅん……」

後で写真でも撮って爺さん達に見せてやろう。どんな顔をして見せるのか少し楽しみだった。

「……っあ、これは翔太くんだね?」
「うん」
「……なんか背高くない?」
「これくらいあるもん」
「いやでも……尾形の半分以上くらいはあるよ……?」
「あとちょっとしたら……これくらい大きくなるもん」
「まあ……そうだろうけどさ」

男の子特有の見栄というものだろうか。アシリパさんより少し背の高い絵の中の翔太くんは、ニコニコ笑顔で俺と白石の間に立っていた。

「……翔太くん、この真っ黒にぐちゃぐちゃにされてるのは……なに?」
「色黒のお兄さん」
「あっ……」

鯉登警部補か。あんな奴でも描いてあげる翔太くんの優しさに胸を打たれたが、これを本人が見たらどう思うだろうか。他でもない翔太くんが描いてくれたのだから、きっと喜んでくれるだろうが──流石にこの影人間みたいなものを一目見て自分だと判断することはできないだろう。色がないボールペンが仇になったんだ、これは仕方ない。

「……できたぁ」
「わぁ……いっぱい描けたね、翔太くん」
「うんっ」

画用紙いっぱいに描かれた人物はどれもニコニコ笑顔だ。あの尾形でさえ笑っている。吹き出しそうになって慌てて手で口を押さえた。

「タイトルは何にする?」
「んー……笑顔!」
「うん。これ以上ないくらい相応しいタイトルだね」

褒めてあげたら翔太くんは頬を赤らめて笑った。絵の中の翔太くんに負けないくらいにいい笑顔だ。

──できることなら、この笑顔をずっと護ってやりたいな。
翔太くんが好きだと言ってくれたこの手で、最後まで護ってやりたい。

「杉元お兄ちゃんの周りにお花描いてあげるね」
「……ありがとう、翔太くん」

こんな風にまた誰かを護ってやりたいと強く思えたのは──

君のおかげだよ、翔太くん。


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