海賊の子 | ナノ

見えない境界線


「えっ? 尾形ちゃん風邪引いてんの?」
「うん」

帰ってきたばかりの由兄ちゃんがスーツを脱ぎながらこっちを振り向いた。僕はランドセルに教科書を入れながら頷いた。

「へぇ〜……超意外。あんな奴でも風邪引くんだね〜……」
「由兄ちゃん、尾形お兄ちゃんのお世話しに行こう?」
「何でそうなるの?」

由兄ちゃんは僕の前に屈んで笑顔で首を傾げた。本当は由兄ちゃんだってすごく心配しているはずなのに「行かなくても尾形ちゃんなら大丈夫」とか言って知らない顔をする。僕は由兄ちゃんのズボンを後ろから引っ張った。

「尾形お兄ちゃん、ご飯作ってあげなきゃ死んじゃう……」
「死なない死なない。尾形ちゃんそんなヤワじゃないから」
「でも、でも……寂しくて死んじゃう……」
「そんなウサギじゃないんだから……」
「お願いぃ〜」
「もぉ〜」

由兄ちゃんは僕を引きずりながら洗面所に行った。ネクタイを外してシャツを脱いで、ベルトをガチャガチャ外そうとする。ずるんって落ちたズボンのせいで、僕は掴めるものが何もなくなってしまった。だから、僕は由兄ちゃんのパンツを掴んだ。

「あーもうコラ!翔太!」
「尾形お兄ちゃん死んじゃう〜!」
「死なないって!って言うかパンツ引っ張るな!ゴムが伸びる!」

僕がグイグイと後ろからパンツを引っ張ったら、由兄ちゃんのお尻がぷりんっと出てきた。由兄ちゃんはパンツが下がらないように手で押さえて、僕の方に顔を振り向かせる。

「いい加減にしないとパンツも脱ぐぞ!」
「いいもん!そしたらギュッてするから!」
「一番よくねーよ!ほら、手ェ離せ翔太!」
「尾形お兄ちゃん〜!」
「わかった!わかったから!」

僕が頑張ってお願いしたらようやく由兄ちゃんは「作ってやるよ」と言ってくれた。やっぱり由兄ちゃんは優しい。由兄ちゃんなら絶対許してくれると僕は信じていた。

「ったく……翔太のこういうとこ本当に姉さんソックリだぜ……」

由兄ちゃんはぶつぶつ何かを呟きなら服に着替えた。そのまま台所に行こうとするから、僕も由兄ちゃんの後を追う。台所に着いた由兄ちゃんは冷蔵庫を開けると中身を見て、うーんと唸り声を出した。

「パッとしたもの入ってないからなぁ……。あ、うどん玉があった」
「うどん?」
「そうそう、安かったから前買ったやつ。今日か明日食べようと思ってたけど……あ、コレ消費期限今日までだわ。あっぶねー」

由兄ちゃんは冷蔵庫から3袋分入ったうどんの内の1袋を取り出した。台所にそれを置くと、由兄ちゃんは別の部屋に行ってカバンを持って戻ってきた。カバンにうどんを詰め込んで、他にも色々と詰め込んでいく。

「翔太」
「なぁに?」

呼ばれたから近寄ったら、由兄ちゃんは僕の顔にマスクをつけてきた。すると由兄ちゃんも同じマスクをして、僕の手を握って玄関まで引っ張って行った。

「移されちゃたまんねーからな。絶対それ外すなよ」
「うん」
「あと、尾形ちゃんには不用意に近づかない。触らない。話しかけない。オーケー?」
「…………」
「翔太……お前のその、嘘をつくくらないら黙秘を貫く姿勢、由兄ちゃん嫌いじゃないんだけどな? 嘘も方便っていうことわざがあるようにさ、事を穏便に進めるためにはそこで素直に『うん』って言ってもらわなきゃ由兄ちゃんすごく困るんだよ」
「うん」
「いやもう今更だけどさ……」

なんだかよくわかんないけど、僕がとりあえず頷いて見せたら由兄ちゃんは渋い顔でため息をついた。

「わかってねーな、たぶん……」
「由兄ちゃん、早く」
「わかったわかった」

僕が手を引っ張ると、由兄ちゃんは逆に僕の手を引っ張って玄関の外に連れ出した。すぐ隣のお部屋まで向かって、ドアの前に立つとチャイムを鳴らす。でもしばらく待っても、尾形お兄ちゃんは出てこない。由兄ちゃんはもう一度鳴らしてみた。

「…………出ねぇな。よし、帰るか翔太」
「ん〜ん〜っ!」
「あーもうそんな顔して地団駄踏まないの!」

由兄ちゃんがぷりぷり怒っていると、突然目の前のドアが開いた。少しだけ開いたドアの隙間から、顔色の悪い尾形お兄ちゃんの顔が覗いた。僕達のことをじっと睨んでいる。

「……今度はなんだ」
「あ……あーいや、翔太がさ……」
「尾形お兄ちゃん、ご飯作りに来たよ」
「……帰れ」

バタン、とドアが閉じられた。
また閉じられた。僕は悲しくなって涙が出そうになった。また開くかもしれないって思ってたけど、今度は全然開かれない。

「何だよあいつ。いつにも増して無愛想だな……」

由兄ちゃんは少し怒っているようだったけど、僕は悲しくってそれどころじゃない。じゅわって目に涙が浮かんだら、由兄ちゃんが慌てたように僕の前に屈んだ。

「ああほらっ、泣くな翔太!尾形ちゃんは……アレだよ、アレ!腹壊してて機嫌悪いだけなんだって!」
「尾形お兄ちゃん死んじゃうぅ……」
「死なないって!お前がそんな死にそうな声出しても仕方ないだろ!あんな無愛想男三日もすりゃ元通りに戻ってッぐあっ!」
「!」

突然ドアが勢いよく開いた。ちょうどドアの前に屈んでいた由兄ちゃんは開いたドアに跳ね飛ばされて廊下に転がった。顔を上げたら、マスクをした尾形お兄ちゃんが目の前に立っていた。

「ゴホッ!……人ん家の前で騒ぐな……」
「尾形お兄ちゃんっ!」
「寄るな」

抱きつこうとしたら、おでこに手を押し当てられて体を押された。尾形お兄ちゃんの手のひらはすごく熱くて、さっきからゲホゲホと咳を出している。前よりも風邪がもっと酷くなってるみたいだった。

「……ってぇな!何すんだよ!」
「そんなところに座るお前が悪いんだろうが……ゴホッ!」
「あーったくもう、腹立つ奴だな!飯だけ作ってやるからそこどけ……」

──ジャキンッ

すごい音が聞こえたと思ったら、尾形お兄ちゃんの手に黒くて長い棒が握り締められてあった。それを見た由兄ちゃんがヒイッって声を漏らして、僕をぎゅっと抱きしめた。

「なっ、何だよ!言っとくけどな!翔太がお前のためにしてやりたいって言い出したんだからな!俺だって散々ダメだって言ったんだぞ!? でもこいつ全然言うこと聞かねーから、仕方なく俺は来てやったんだ!文句あるなら翔太に言え!絶対聞かねーぞ!俺が言っても聞かねーんだから絶対お前でも聞かねーからな!」
「…………」

大声で叫んだ由兄ちゃんに、尾形お兄ちゃんは黙ったまま僕を見下ろした。僕はどういう顔をすればいいのかわからなくて、とりあえずニコリと笑ってみた。そしたら尾形お兄ちゃんは眉間にシワを寄せて、そっと瞼を閉じた。持っていた長い棒を下ろして、ドアを大きめに開く。

「……下手な真似するなよ」
「え……マジで入れてくれんの……?」
「お邪魔します」
「あっコラ!翔太!」

僕は由兄ちゃんの腕から抜けて、尾形お兄ちゃんの横を通ってお部屋に入った。靴を脱いで上がると、慌てて由兄ちゃんも入ってきた。尾形お兄ちゃんは鍵を二重にかけて、長い棒を持ったまま後をついてくる。由兄ちゃんは肩を竦ませながら僕についてきた。

「尾形お兄ちゃんは、お布団で寝なくちゃダメだよ」
「ゲホッ!……ここで待つ」
「もぉ〜!」

ダメって言ってるのに、尾形お兄ちゃんはソファーに座ってベッドまで行こうとしない。由兄ちゃんはタジタジしながら台所に入って行った。

「風邪引いたらね、体温計でお熱を計るんだよ。……由兄ちゃん、体温計ある?」
「カバンの中」
「ちょっと待っててね」

僕は台所まで行って、棚からお鍋を出している由兄ちゃんの隣でカバンの中を漁った。見つからなくてぐちゃぐちゃに探してたら、隣からにゅっと手が伸びてきて、パッと体温計を取り出した。

「ほらよ」
「わぁい。ありがとう」

僕は由兄ちゃんから体温計を受け取って、走って尾形お兄ちゃんのところまで向かった。尾形お兄ちゃんはぼんやりした顔でソファーに座って待っていてくれた。僕はソファーの前まで回ると、膝の上に登って尾形お兄ちゃんの服の中に体温計を入れた。

「尾形お兄ちゃん、手挙げて……」
「……降りろ」
「お熱計れないよ」
「手を抜け……ゴホッ!」
「もぉ〜」

全然手を挙げてくれないから、僕は無理矢理尾形お兄ちゃんの脇の下に体温計を押し込んだ。尾形お兄ちゃんは目を閉じて眉間にシワを寄せた。

「翔太〜? 尾形ちゃんに触らないって約束だったろ〜?」
「約束してないもん……」
「しました〜」
「してないの!」
「ゴホッ!……デカい声出すな……」

そう言って尾形お兄ちゃんは僕の肩を押すけど、あまり力が入ってない。それに、お熱を計っているときはじっとしなくちゃいけないのに、尾形お兄ちゃんは動いちゃった。僕は尾形お兄ちゃんが動かないように前からギュッと抱きしめた。

「……おい」
「動いちゃダメ」
「翔太〜?」
「もうっ!由兄ちゃん、静かにしなくちゃダメ!」
「はいはい……」

抱きついていたら、尾形お兄ちゃんの体の熱がどんどん僕に移ってきた。ちょっと暑いけど、尾形お兄ちゃんを動かしちゃダメだから僕はじっと我慢した。

「……暑い。少し離れろ……」
「……動かない?」
「あぁ」

頷いた尾形お兄ちゃんから、僕はそっと体を離した。尾形お兄ちゃんはまたぼんやりした顔で天井を見上げている。汗がすごいから、僕はタオルを持ってきてあげようと思った。

「由兄ちゃん、タオル……」
「カバン〜」

僕は台所まで行って、お湯を沸かしている由兄ちゃんの隣でカバンを漁った。その中で青いタオルを取っていたら、ソファーの方からピピピピッて音が聴こえて、僕は急いで尾形お兄ちゃんのところまで向かった。

ソファーの前に回って、膝の上によじ登る。服の中に手を入れて体温計を取ったら、38って数字が見えた。

「由兄ちゃん、38って高いの?」
「高いな」
「死んじゃう……?」
「死なねーって。あのなぁ翔太、お前何でもかんでも死に直結させるな」

台所から由兄ちゃんの呆れた声が聞こえた。僕はタオルで尾形お兄ちゃんの汗を拭いて、拭き終わったおでこに手を当ててみた。

やっぱりすごく熱い。濡れたタオルで抜いてあげた方がいいかもしれない。

僕はタオルを濡らして来ようと思って尾形お兄ちゃんのおでこから手を離そうとした。だけど突然手を握られて、僕の手は尾形お兄ちゃんに取られた。びっくりしていると、尾形お兄ちゃんは僕の手を自分の頬っぺたに当てて目を細めた。

「……尾形お兄ちゃん?」
「…………」
「……眠いの?」
「…………」
「……ベッド行く?」

尾形お兄ちゃんはゆっくりと首を左右に振った。ベッドで寝なくちゃダメなのに、尾形お兄ちゃんはちっとも言うことを聞いてくれない。

「尾形お兄ちゃん、風邪引いたら寝なくちゃダメなんだよ?」
「…………」
「ぁ、わっ」

僕が少し怒ると、尾形お兄ちゃんは僕を膝の上から横に降ろして、急に僕の膝の上に頭を置いて寝転がった。汗で少し濡れた髪の毛が太ももに当たって冷たい。でも、尾形お兄ちゃんの肌はすごく熱かった。

「尾形お兄ちゃん、寝るならベッドじゃなきゃダメだよ」
「…………」
「ほっとけ翔太。ソファーで寝たいんだろ」
「でも……」
「もうすぐうどんできるし、そのままにしてろ。わざわざ起こす手間が省けるからちょうどいいしな」

背もたれの向こう方から由兄ちゃんの声が聞こえる。振り向こうとしても体が動かせないし、背もたれに隠れてよく見えない。仕方ないから、僕は尾形お兄ちゃんの顔を見下ろした。今の尾形お兄ちゃんは目を閉じていて、眠っているみたいに静かだ。フゥフゥと息を吐いて、時々咳を出している。

「……大丈夫?」
「…………」

返事が返ってこないから、もしかすると眠っちゃったのかもしれない。僕は横に垂れている尾形お兄ちゃんの前髪を整えてあげた。その時触ったおでこはまたじんわりと汗で濡れている。そんなに暑いのかな。僕は着ていたシャツを前に引っ張って、団扇がわりにパタパタと振った。これでちょっとは涼しくなるかな。

「……よし、できた。翔太、尾形ちゃん起こしといてくれ。今うどん持って行く」
「ぁ、うん。尾形お兄ちゃん、ご飯だよ」

僕はパタパタと扇ぎながら尾形お兄ちゃんに声を掛けた。すると、尾形お兄ちゃんはゆっくりと瞼を開いた。

「おはよ〜」
「……ッ!」

目を覚ましたから挨拶を言うと、尾形お兄ちゃんはカッと目を見開いて突然起き上がった。でもすぐに頭を抱えてソファーから滑り落ちて、床に落ちた尾形お兄ちゃんの方からゴツンッて鈍い音が聞こえた。

「尾形お兄ちゃん大丈夫?」
「……っ」

僕が声を掛けたら、尾形お兄ちゃんは頭を抱えてゆっくりと体を起こした。四つん這いになって、それきり動こうとしない。

「うどんできたぞ……って、何やってんの尾形ちゃん」

後ろから由兄ちゃんもやって来た。手に持っていたうどんの器をテーブルの上に置いて、四つん這いになっている尾形お兄ちゃんを上から見下ろした。

「ははぁん、さては寝ぼけてソファーから落ちたな? 尾形ちゃんって結構ドジだねぇ」
「……お前の」
「ん?」
「お前のその能天気さが……ゴホッ!……将来こいつにとって悪影響になることを……覚えておけ……」
「えっ、なに……その格好で怖いこと言わないで。めちゃくちゃ不安になる……」

尾形お兄ちゃんはゼェゼェ言いながら体を振り向かせた。真っ赤な顔から汗がいっぱい出ていて、僕は慌ててタオルで汗を拭こうとしてあげた。だけど尾形お兄ちゃんはそれを手で止めて、僕をぐいっと押し離した。

「よくわかんねーけど、飯食って早く寝たほうがいいぞ。うどんも伸びちまうし……」
「ゴホッ!……後のことは自分でする。……もう帰れ」
「だめっ!」
「何がダメだってんだ。飯作らせて気が済んだだろうが……」

尾形お兄ちゃんは僕の方をじろりと睨んできた。だけど僕はテーブルの上にあったお箸を取って床に座った。目の前に座っている尾形お兄ちゃんにお箸を差し出したら、尾形お兄ちゃんはムッとした顔でまた僕を睨んだ。

「……何だ」
「食べられないなら、僕が食べさせてあげる」
「翔太、それは流石にダメよ」
「あ〜っ!」

後ろから由兄ちゃんに腕を回されて抱き上げられた。僕が暴れたら由兄ちゃんは更にギュッと抱きしめてきて、少しお腹が苦しい。僕はなんとか抜け出そうとして由兄ちゃんの腕を下に降ろそうとした。

「無理させて食べさせるのは良くないって翔太……ッ」
「一口だけ〜!」
「ダメだって!出来立てのうどんをあーんとか高難易度過ぎるだろ!外したら火傷必至だぞ!大体うどんをあーんって食べにくいだろ!」
「尾形お兄ちゃんが死んじゃうぅ〜!」
「お前困ったらそればっかだなッ!」
「うるせぇな……頭痛が悪化するだろうが……」

僕と由兄ちゃんがジタバタしてたら、頭を抱えた尾形お兄ちゃんが僕の手からお箸を奪い取った。あって思った時には尾形お兄ちゃんはマスクをずり下げて、うどんの麺を一本啜っていた。そのまま一本の麺をまるごと口の中に入れ込んで、握っていたお箸をテーブルの上に放り投げた。機嫌の悪そうな顔で口をもごもごさせている。

「おい……無理すんなよ? 食べきれないなら吐いとけよ?」
「…………」
「尾形お兄ちゃん、美味しい?」
「……味がわからん」
「まあ、うどんだしな……一本だけよく噛んで食べても微妙だろうぜ」

由兄ちゃんが苦笑いすると、尾形お兄ちゃんはマスクを上げて突然立ち上がった。

「お、おい」

尾形お兄ちゃんはふらふらしながら玄関まで向かって、立ち止まると僕達の方に振り向いた。そして長い棒を握って、それでドアを差す。

「出て行け。……これ以上居座る気ならっ、ゴホッ!……不退去罪で逮捕する」
「本気かよ……」

機嫌の悪そうな声を出しているのに、尾形お兄ちゃんはなんだか辛そうな顔をしている。息もさっきからはぁはぁと荒くて、立っているのも精一杯って感じだ。

「おっかね〜……。翔太、もう行こうぜ」
「でも……」
「俺たちがここにいちゃ尾形ちゃんも休めないんだってよ。そっとしておいてやるのも看病の一つだから、な?」
「……うん」

本当にそうなら、もう帰った方がいい。
僕は小さく頷いて、先を歩く由兄ちゃんについていった。玄関では相変わらず辛そうな顔をした尾形お兄ちゃんが壁に寄りかかって立っている。尾形お兄ちゃんは出て行こうとする由兄ちゃんを横目で見つめていた。

「じゃあな。翔太の為にも早く治せよ」
「…………」

玄関から出た由兄ちゃんの後に続いて僕も出ようとしたら、突然後ろから服を引っ張れた。驚いて目を見開いている内に目の前のドアがガチャンと閉められて、カチリと鍵のかけられる音が聞こえた。

「えっ……ちょっ、翔太!?」

ドアの向こうから由兄ちゃんの焦った声とドアを叩きつける音が聞こえる。

「おいっ!尾形!クソッ……開けろ尾形!おい!翔太ッ!翔太、大丈夫か!?」

由兄ちゃんの、僕を呼ぶ声がする。でも僕は返事を返せなかった。

「……っ」
「…………」

尾形お兄ちゃんが僕を後ろから抱きしめていた。

倒れ込むみたいに床に膝をついた尾形お兄ちゃんは、僕に抱きついたまま頭を肩に乗せていた。首筋に当たる尾形お兄ちゃんのおでこは相変わらず熱い。吐き出している息も熱かった。

「……尾形お兄ちゃん……?」
「……こうしてると……」
「え?」
「不思議と、落ち着く……」
「そうなの?」

ガチャガチャとドアノブが音を立てる。でも、耳元で聞こえる尾形お兄ちゃんの声の方が気になっちゃって、僕は由兄ちゃんの声に返事を返すのを忘れてしまった。

「……警察官、今なら辞められそうだな……」
「えっ」

ボソリと耳元でそんなことを囁かれて、僕は慌てて尾形お兄ちゃんの手を叩いた。

「尾形お兄ちゃん警察官辞めちゃうの? なんで? 警察官いやなの?」
「…………」
「……嫌なことあったの? 僕、相談に乗るよ……?」
「……今は無性に……」
「……?」
「あいつを羨ましく感じる……」

「翔太ーッ!返事して!由兄ちゃんの声聞こえるー!?」

由兄ちゃんの叫び声の後に、尾形お兄ちゃんはフッと鼻で笑った。どうしたんだろうと思って首を傾げたら、尾形お兄ちゃんは僕から離れてその場に立ち上がった。そしてガチャガチャ動くドアノブをグッと掴んで鍵を開けた。

「翔太ッ!」
「わっ!」

ドアが勢いよく開いた瞬間、後ろから強く背中を押された。そのまま飛び込んで来ようとした由兄ちゃんにぶつかると、僕が振り返るよりも前にドアが閉まった。由兄ちゃんは僕の肩を抱いてドアを殴りつけた。

「おいこら尾形!翔太に何した!? 何言った!? 全部聞いてやるからな!? 場合によってはお前の警察署にクレームつけてやるから覚えてろよ!」
「……由兄ちゃん、痛い……」
「えっあ、あぁ悪い……って、翔太!お前何もされてないだろうな!?」
「されてないよ?」
「じゃあ何か言われた!?」
「えっと……羨ましいって」
「何が!?」
「わかんない……」
「もぉ〜!!」

由兄ちゃんは泣きそうな顔で僕の肩を撫でて、キッとドアを睨むとあっかんべーをした。そのまま僕を抱き上げて、お部屋まで二人で戻る。

お部屋に戻った後の由兄ちゃんは、もう二度と尾形お兄ちゃんのお世話はしないって怒っていた。


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