海賊の子 | ナノ

共感と正義


「くれぐれも、翔太に寄り付いてくる男子小学生には注意してくれよ」
「は?」

早朝、いつものように学校へ行こうとする翔太の後を追おうとする杉元に、白石は突然そう険しい顔つきで言った。一体何のことだと思ったが、早く追いかけねば翔太達を見失ってしまうため杉元は白石の発言に疑問を残しつつもその場から離れた。


杉元がこうして翔太の登下校を見守るのはもちろん仕事である。が、以前まで見かけていたようなパパラッチや私立探偵らしき不審人物も最近は見かけなくなってきている。

白石家の遺産騒動もそろそろ下火になってきたか──杉元は自分の十数メートル先を歩く翔太の背中を見つめながらホッと息をついた。

──そう言えば今日は翔太くんの友達がいないな。

いつも必ず登下校は翔太と一緒だったチカパシがいないことに杉元は気付いた。もしかすると寝坊だろうか。それとも今日は休んでいるのか。色々と考えてみるが、今考えたところで特に何か変化が起こるわけでもない。今は翔太の警護に集中しようと杉元は意識を切り替えた。

「翔太くん!」
「……!」

その時、道の脇からひとりの女子小学生が現れた。翔太は足を止めて彼女の方に顔を向けた。少女はセットした長い黒髪をなびかせて、翔太の元にまで笑顔で駆け寄った。

「おはよう!」
「……おはよ」
「ねぇ、今日ひとりなの?」
「……うん」
「じゃあ一緒に学校行こう!」
「ぇ……ぅ、うん……」

翔太は突然現れた少女に困っているようだった。それでも一緒に歩み始めた二人の後を、杉元は気付かれないように追いかける。後ろから見ると、少女の背負うランドセルには大量の飾りが施されてある。杉元は「女の子だなぁ」と率直な感想を抱きながら、翔太の真っ黒で新品なランドセルと見比べた。

「翔太くん、今誰かと付き合ってる?」
「え……?」

随分急な話題のフリだな──杉元は少女の積極的なアピールに、微笑ましさを超えて少しの恐怖を覚えた。問われた翔太は顔を俯かせ、黙って首を左右に振った。

「じゃあさ、クラスの中で気になってる子とかいる?」
「……わかんない」
「昨日の手紙読んだ?」
「……うん」
「誰かに返事返すの?」
「……ううん」
「えーっ!何で!?」
「ぅっ……」

憤る少女に翔太は困惑した顔で肩を跳ねさせた。杉元は二人の不穏な空気に息を飲む。おそらく恋愛経験のない翔太には、この時の少女の気持ちなど理解できないだろう。杉元はなんとかフォローを入れてやりたい気持ちになったが、今はどうすることもできない。ただ遠くから見守ることしかできなかった。

「じゃあまだ好きな人いないの?」
「……? 好きな人ならいるよ」
「だれ!?」
「ぁっ……お父さんと、お母さんと……」
「そうじゃなくて!女子の中で!」
「……お母さんと、アシリパお姉ちゃ……」
「もうっ!ふざけないでよ!」
「ぇっ……」

翔太に悪気は一切ないのだろうが、少女には翔太が答えをはぐらかすためにわざとそうして答えているとしか思えなかったようだ。カンカンに怒った少女は翔太を置いて先に行ってしまった。置いて行かれた翔太はしばらくあわあわとしていたが、やがて暗い顔を俯かせてトボトボと歩き出した。

「翔太くん……」

杉元は胸を締め付けられる思いで、その哀愁漂う背中を遠くから見つめた。今すぐ翔太の元にまで行ってやって慰めてやりたかったが、そうすると下校時に合流するキッカケを潰してしまう。見守るだけの尾行警護は杉元にとって生き地獄のような仕事だった。


しばらく翔太がそうして歩いていると、今度は数人の男子小学生達が翔太の元にまで駆け寄ってきた。今朝白石から『男子小学生には注意しろ』と言われていた杉元は、その言葉を頭の隅に留めながら彼らを見守った。

「おっす、白石!」
「お……おは、よう」
「なぁ、お前ん家ってどこにあるの?」
「……今のお家?」
「うん」
「えっと……第七団地だよ」
「えっ? あのボロ団地?」
「あの辺何もおもしれぇものないじゃん!」
「公園があるよ……」
「公園? 白石って公園で遊ぶの?」
「ゲームとかしないの?」
「ぁ……たまに、由兄ちゃんとする……」
「えーっ!じゃあ、スイッチ持ってる!?」
「……?」
「何だ持ってねーじゃん!」
「誰だよ白石が持ってるとか言ったやつ!」
「マサトが言ったー」
「だって金持ちだから持ってると思ったもん」
「ボロ団地に住んでるからやっぱ貧乏じゃないの?」
「なあ、お前の家って金持ちじゃないの?」

小学生ならではの無遠慮な質問に杉元は焦りを感じ、一瞬止めに入ろうかと思ったが翔太は意外にも冷静だった。

「僕のお家、普通だよ?」
「でもお前のパパとママってすごい有名人だって聞いたぞ」
「うん。でも、普通だよ?」
「有名人だったら普通じゃないぞ」
「そうなの……?」
「お前家で普段何食ってるの?」
「……今日は、ご飯と目玉焼き」
「……それだけ?」
「うん」
「俺ん家よりショボいじゃん!」
「あはははっ!」

馬鹿にされていることに気付いていない翔太は、突然笑い出した男子達に自分も合わせようと曖昧な笑みを浮かべてみせた。杉元はなんだかそれが酷く居た堪れなく感じ、またもフォローに入ってしまいそうになった。
しかしそこはぐっと堪える。ここでの余計な干渉は却って翔太を孤立させかねない。

「あーあ、新型ゲーム持ってねーんなら遊んでもつまんなさそう」
「お前普段何して遊んでんの?」
「……杉元お兄ちゃんと、公園で遊んだりする……」

ここにきて突然名前を呼ばれた杉元は心臓をどきりとさせた。無意識のうちに耳を澄ませてしまう。

「杉元お兄ちゃんってだれ?」
「お前の兄ちゃん?」
「ううん。僕のお兄ちゃんは由兄ちゃん。杉元お兄ちゃんは……由兄ちゃんと僕の友達」
「意味わかんねー」
「何でそいつと遊んでんの?」
「いつもお家に遊びに来るから……」
「暇人じゃん」

暇じゃねーよ。常に仕事中だよ──杉元はケラケラと笑う男子小学生を睨んで唇を尖らせた。

「なあなあ、お前何か習い事とかしてんの?」
「俺空手やってる〜」
「それ100回くらい聞いた」
「白石は?」
「今はやってないよ……」
「じゃあ前は何やってたんだ?」
「えっと……ピアノと、バイオリンと、公文と、社交ダンスと、茶道と、書道と、英語と、中国語と、ロシア語と、ドイツ語と、フランス語と……」
「う、嘘だ!」
「えっ」

指折り数えていた翔太に男子小学生は指を差して怒鳴り上げた。翔太はぽかんとした顔を向けたが、辺りにいた男子小学生達は皆翔太から離れた位置に集まっている。何故彼らが急に自分の元から離れたのか、翔太はわからなかった。

「そんないっぱい習い事できるわけないじゃん!」
「嘘つき!」
「でも……」
「みんな行こうぜ!こいつ嘘ついて自慢するだけだし!」
「白石はショボい嘘つきの貧乏人だ!」
「あはははっ!」

そう吐き捨てると、男子小学生達は翔太を残して走り去って行った。翔太は未だにぽかんとした顔で立ち尽くしている。遠くなっていくクラスメイト達の背中を呆然と見つめていた。

「翔太くん……ッ!」

杉元はその姿に耐えきれず、思わず駆け出していた。しかしあと数メートルで手が届くという位置で、杉元はその足を止めることになる。

「翔太!」
「……!」

翔太の手を、誰かが取った。杉元はすぐに脇道に身を隠した。

「チカパシくん……!」

現れたのは、チカパシだった。彼は驚きに目を見開く翔太の手を掴んだまま、ムッとした顔をしていた。

「ぉ……遅いぞ!先に行って脅かしてやろうと思って待ってたのに!翔太が全然来ないから迎えに来た!」
「えっ」
「のんびりし過ぎなんだよ翔太は!ほらっ、早く学校行こう!」
「えっ……でも、チカパシくん……怒ってないの……?」
「……もう、怒ってなんかない」
「ホントに……?」
「うん……」

俯いて頷くチカパシに、翔太は頬を上気させて笑顔を浮かべた。掴まれた手を繋ぎ返し嬉しそうに振る。その様子を見てチカパシも照れたように笑った。

「じゃあ、一緒に学校行こう!」
「うんっ」

二人はそのままニコニコと笑顔で登校を再開させた。身を隠して見守っていた杉元は口元を手で覆い隠し、二人の厚い友情に打ち震えた。


◆◆◆


翔太の噂は良くも悪くもすぐに学校中に広まった。有名人の息子が自分の学校に転校してきたとあらば、一目見てみたいと思うのが普通だ。翔太のクラスの前には、全校生徒の半数近くが集まっていた。

「あっ、あの子がそうじゃない……?」
「えっ? どこどこ?」
「ほら、奥の方の……」
「え〜わかんない〜」
「いるじゃん!あのちょっと垂れ目な感じの子だよ……!」
「え〜?」

集まっている生徒の大多数は女子生徒であった。彼女達はある程度の知識を有しているので、翔太ほどの資産持ちと親しくなればそれだけ将来に期待が持てると思っていた。

一方で翔太は自分の席で漢字の書き取り練習をしていた。このクラスには親しい友人もいないので、空いた時間は積極的に勉強へ費やしている。その真剣な横顔に見惚れる女子も多く、資産目的以外でも翔太とお近付きになりたいと思う女子も現れ始めた。

「私、バカな男子嫌だから完全に年上派だったけど……ああいう勉強熱心な子見るとキュンとする……」
「わかる〜」
「好きな子とかもういるのかな?」
「どうだろ……」
「休み時間に声掛けてみる?」
「え〜っ!本気なの!?」
「だって可愛いじゃん!」
「うん、将来絶対イケメンになる!」
「でもどうやって声掛けるの……?」
「そこなんだよねぇ」

上級生の女子生徒達が廊下で騒ぐので、一年生の生徒達は皆不思議そうな顔で廊下の方を見ていた。しかし翔太だけはただひたすらに漢字の書き取りを続けていた。

声を発すればそれはそれは甘く愛らしい声を出すのだが、黙ったまま机に向かう翔太の姿はどこか大人びた印象を与える。未だ翔太と一度も話したこともない女子生徒達は、翔太のそんなミステリアスな雰囲気にすっかり骨抜きにされてしまった。

「あの子のパパってテレビで見たことあるけど凄いクールだよね〜」
「うん。ママは確か女優とモデルでしょ? 美男美女の夫婦の息子ってあんな風に綺麗な子に生まれるんだねぇ……」
「パッチリ二重で瞳も大きいし、鼻筋とかマジ綺麗過ぎ……」
「付き合ったら超可愛がって育てたい……」
「え〜私は後数年待ってからかなぁ」
「そんなのんびりしてたらすぐ他の子にとられちゃうって!」
「えっでも、一年生は流石にさぁ……」

「コラそこ!」

盛り上がる女子生徒達の横から突如お咎めの声が掛かった。肩を一斉に跳ねさせた女子生徒達は、声の聞こえた方へ視線を向けて冷や汗を流す。視線の先には、このクラスの担任の江渡貝弥作が立っていた。

「ヤバっ!乙女先生キタ!」
「行こっ!」
「廊下は走らない!」
「はぁ〜い!」
「あははっ!」

廊下から走り去っていく女子生徒達を見つめて、江渡貝が深いため息をつく。彼女達の目的が何であるかを彼は知っていた。江渡貝がその目的人物へと視線を向けると、なんとクラスの中でたった一人で勉強しているではないか。今時珍しい光景を目の当たりにして、彼は深く感銘を受けた。彼にとってそれは、まるで昔の自分を見ているようなものだった。


江渡貝は昔、厳しい母親に束縛されひたすら真面目に生かされていた。小さい頃から剥製を作ることが好きで父親からもよく作品を褒められていたのに、母親はそれらを全て否定した。

それでも剥製を作りたい──そんな思いを母親にぶつけた反抗期の時、事件は起きてしまった。

『貴方があの子をそそのかしたりするから……ッ!』

母親は自分の夫──江渡貝の父親を口論の末に殺した。もちろん、母親は殺人の罪で刑務所送りになった。突如親戚の家に引き取られることになった江渡貝は、勧めもあって教師の道を選んだ。言われるがままの人生だった。

そんなある日のこと、自分の両親の事件を当時担当していた刑事が、卒業間近の江渡貝の元に突如訪れた。母親が刑務所にて心臓発作で亡くなったとの報せを受けた。その瞬間、江渡貝の中で何かが壊れてしまったのだ。

彼は見ず知らずの刑事に全ての思いを吐き出した。誰も受け止めてくれない、認めてくれないと、咽び泣きながら話した。そんな江渡貝を、刑事は甘く優しい言葉で包み込んだ。江渡貝の人生を、彼自身の人生として好きなように生きることを認めた。たったそれだけだった。

あの人と出逢わなければ、僕は今頃──

江渡貝は、教室の隅で真面目に勉強をする翔太を目を細めて見つめた。
翔太が転校してくる前に、資料から彼の家庭事情を知った江渡貝は翔太のことを少し特殊な生徒だと思い込んでいた。

それが転校して来てからというもの、翔太は昔の自分と同じような行動ばかりをして見せる。周りと馴染めず、ひたすらに勉強にのめり込んで、静かに孤立していく。

支えてやりたいと、率直に思った。
あの時自分を救ってくれた刑事のように、自分も翔太を救ってやりたいと思った。

──この学校では、僕が白石さんを護ってやるんだ。誰にも手出しなんかさせない。そんな事は、この僕が許さない。

出席簿を握る手に力がこもる。
江渡貝の中で、ひっそりと歪な正義感が芽生えた。


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