別れ際の約束
尾形達と別れた後、翔太はみんなでヨーヨー釣りを楽しんでいた。
初めはやり方がよくわからず何度か失敗していたが、白石達の応援や励ましによりなんとか一つだけ釣り上げることに成功した。
釣り上げた黄色い水風船のヨーヨーを、翔太は今上機嫌で振っている。
「釣れて良かったね、翔太くん」
「うんっ」
「翔太、そのちっちゃい風船水入ってるからうっかり割るなよ?」
「ポチャポチャして面白い」
「聞いてる?」
翔太がヨーヨーで遊ぶので、白石と杉元は翔太がもらったぬいぐるみをそれぞれ一つずつ抱えながら歩く。初めての夏祭りにはしゃぐ翔太を、白石達は微笑ましげに後ろから眺めていた。自分達が遊ばずとも、翔太が楽しめればそれだけで満足できた。
「あっ、翔太ー!」
「……?」
そこへ、祭りの喧騒に混じって自分を呼ぶ声が聞こえた。翔太は辺りを見回して、声の主を探す。すると、人混みの向こうから誰かが走って来るのが見えた。途端に翔太の目が見開く。
「チカパシくん……!」
「えっ、誰?」
「翔太くんの友達だよ。同じ団地に住んでるらしい」
「ああ、翔太が言ってた奴か!」
翔太の元にまで駆け寄ってきた見慣れない子供に白石は首を傾げたが、杉元の補足によりようやく彼は過去に翔太が新しい友達ができたと話していたのを思い出した。
向かい合った二人はお互いに色違いのヨーヨーを持っていた。しかしチカパシの着衣は浴衣姿の翔太と違って勘平姿であった。よく動き回るチカパシにとってこの格好が一番楽であったのだ。
「翔太も来てたんだな!」
「うん」
「今、インカラマッが占いやってんだ!翔太も占ってもらいなよ!」
「占い……?」
「インカラマッは凄い占い師なんだ!よく当たるから翔太もほらっ、インカラマッのとこ行こう!」
「あっ……」
チカパシは翔太の手を取ると来た道を引き返すように駆け出した。
「あっ!ちょっと!」
「こら!勝手に行くな!」
「翔太!」
人混みの中に消えかけた二人の後を白石達も慌てて追いかける。翔太よりいくばくか年上だからといって、チカパシもまだまだ子供である。そんな子供二人を一気に見失う訳にはいかなかった。
「翔太!待てって!」
「ほら翔太、こっちこっち!」
「ぁっ……ぁっ……」
後ろからは白石に呼ばれ、前からはチカパシに呼ばれ、翔太は忙しなく顔を前後に向けた。この手を離して戻るべきか──翔太は一瞬悩んだが、ようやくできた友達の手を振り払う真似など翔太にはできなかった。二人は人混みを抜けながらどんどん先に進んだ。
「インカラマッー!」
その内、数メートル先にある人集りにチカパシは突っ込んで行った。数ある屋台の列から離れた位置にある街灯の下に、インカラマッはいた。なにやら、浴衣姿の女性を相手に占いをしているようだった。
「……チカパシ?」
ハッキリと聞こえたチカパシの声にインカラマッが顔を向けると、人の垣根から二人の子供が現れた。一人は予想通りのチカパシである。しかしもう一人は予想外の人物だったのでインカラマッも目を丸くさせて驚いた。
「まぁ、翔太ではありませんか」
「ねぇインカラマッ!翔太も占ってあげて!」
「いいですよ。ですがそれは、この方の占いが済んだ後です」
「はぁい!」
元気よく明るい返事を返すチカパシの後ろで、翔太は一人もじもじとしていた。突然現れた二人に、集まっていた客達が視線を向けていたからである。翔太は恥ずかしさで赤くなった顔を見られないように下を俯いた。
「……貴女はやはり、今の彼と別れた方が賢明です」
「……やっぱりそうなんですか……?」
「暴力を振るう、遊んでばかりの彼の顔がいくら良くても、将来共に暮らせば貴女の心と体はいずれ壊れてしまうでしょう」
「……そうですよね。ありがとうございます、先生」
「心配されなくても、貴女には近いうちにもっと良いパートナーが見つかります。どうか気を落とされないでください。黒縁眼鏡の、気の弱そうな男性……花柄のハンカチが運命の鍵です」
「はいっ!」
涙目で頷いた女性は席を立つと、インカラマッに向かって深々と頭を下げた。インカラマッがニコリと笑って女性に別れを告げると、辺りにいた男性達が色めき立った。女性が居なくなって空いた席に、辺りの男性達が一気に押し寄せる。
「つ、次は俺が……ッ」
「ダメ!次は翔太!」
「な、何だこのガキ……!」
「私の連れです。今日はもうお終いにするので、申し訳ありませんが皆様もお引き取り願います」
「え〜っ!」
「そ、そんな……」
店仕舞いの知らせに男性達が残念そうな声を上げた。その中にいた女性達もひどくガッカリした様子だった。集まっていた人達が徐々にその場から離れていく。何人かは撮影していた者もいたが、辺りが閑散とし始めるとその者達も慌てた様子で去って行った。
「……さぁ、これでゆっくりと占えますよ」
ニコリと笑って小首を傾げるインカラマッに、翔太は頬を赤らめて頷いた。
「翔太!早く早く!」
「う、うん……」
椅子を引くチカパシに促されて、翔太は慌て気味に椅子に座った。席に着いた翔太の前でインカラマッが微笑む。
「翔太は何を占って欲しいですか?」
「……?」
「恋愛とか、お金とか、ビジネスのことだってインカラマッは占えるんだぞ!」
「……よく、わかんない……」
「では、翔太の人間関係について見てみましょうか」
占いの仕組みをよくわかっていない翔太は言葉を濁したが、インカラマッは相変わらずニコニコと笑顔を見せながら占いを始めた。自分はこれから一体何をされるのかと、翔太は怯えと好奇心に震えた。
インカラマッは何かの動物の骨を使って占いを始めた。頭の上に置いたそれを、顔を俯けさせることでそっと下に落とす。目の前で突然始まった謎の行動に翔太は首を傾げた。
「おやおや、これは……まあ、面白い」
「……どうしたの?」
「貴方はたくさんの人間に愛されていますね」
おかしそうに笑うインカラマッの言葉に翔太はキョトンとした顔を見せた。
「その中には少し危険な人間も紛れていますが……貴方に直接害を加える気はなさそうです。ただ、貴方の周りの人間が傷付く恐れがあります。これから先、人間関係には少し留意された方がいいでしょう」
「……?」
「インカラマッ、翔太たぶんよくわかってないよ」
「そうですね。私の占いは、翔太がもう少し大きくなってから改めて行った方がいいみたいです。……ああほら、もうすぐ貴方を愛する人達がやって来る」
「翔太〜っ!」
「!」
インカラマッが言った直後、人混みの向こうから白石達が血相を変えてやって来るのが見えた。翔太は白石の声に気付くと、すぐに椅子から降りて白石達の元まで駆け寄った。
「由兄ちゃん!」
「翔太!このっ……勝手にいなくなるなよなぁっ!スゲェ心配したんだぞ!?」
「ごめんなさい……」
「あ〜良かった!」
「全く、本当に目が離せないな……」
白石に抱き上げられた翔太に、杉元もアシリパもホッとしたような表情を浮かべた。そんな翔太を傍目から見つめるチカパシはどこか複雑な表情をしている。その少し寂しげな雰囲気を感じたのか、インカラマッは黙ったまま翔太達を見つめるチカパシにそっと自分の手を伸ばした。気付いたチカパシがハッとなってインカラマッを見上げた。
「帰りましょうか、チカパシ」
「……うんっ」
迷いなく手を握るチカパシにインカラマッは微笑みかけた。二人がそのまま白石達に背を向けてその場を立ち去ろうとした時──
「チカパシくん!」
翔太の声が聞こえた。
チカパシが振り返ると、翔太がこっちにまで駆けつけていた。
「もう帰っちゃうの?」
「……うん。インカラマッが帰るから、俺も帰る」
「じゃあ、僕も帰る」
「えっ……」
「一緒に帰ろう?」
そう言って微笑んだ翔太はチカパシに自分の手を差し出した。チカパシはその手を見下ろして、しばらく口を開けたまま呆然とする。翔太が首を傾げると、ハッとしたチカパシの顔がみるみるうちに赤くなっていった。隣ではインカラマッが、お上品に口元を隠しながらニコニコと笑っている。チカパシは翔太の手を恐る恐るといった感じで握った。
「……い、いいよ」
「わぁい」
少しぶっきらぼうに答えたチカパシに翔太は満面の笑みを浮かべて喜んだ。ついさっきまでは自分が翔太をリードしていたのに、今は逆にリードされているような気がする。けれどチカパシはそれを悔しいと感じるよりも、嬉しいと感じていた。翔太も自分のことを友達として見ていてくれているんだと実感できたからだ。
「なんだ翔太、もう帰るのか?」
「うん」
「翔太くん、りんご飴は良かったの?」
「あ……」
今思い出したといった顔でポカンとする翔太を見て、白石はおかしそうに吹き出した。
「心配すんな、翔太。帰る途中で買ってやるよ」
「いいの……?」
「ああ。……今回は前みたいに取り上げる奴もいないから、2本分手に入るぜ」
「……!」
「友達とわけて食えよ」
白石は歯を見せて笑うと、翔太に向かってサムズアップして見せた。翔太は白石を見上げた状態で頬を染めると、手を繋いでいるチカパシと目の前にいる白石を何度も見比べた。やがて、見比べるのをやめた翔太は下を俯いた。
「……? どうした、翔太」
「……由兄ちゃんにギュッてしたいけど、チカパシくんの手も離したくない……」
「ごあ゙ぁぁぁぁっ!!」
「シライシーッ!!」
突如膝から崩れ落ちた白石だったが、彼はすぐに立ち直ると真っ先にりんご飴を買いに行った。そして彼は何故か羽振り良く全員分のりんご飴を購入し、それをみんなに分け与えた。
団地に向かう途中まで翔太とチカパシは仲良く一緒に手を繋ぎながらりんご飴を食べた。翔太は浴衣をアシリパに返却するべくアパートに向かうので、道中でチカパシとはお別れしなくてはいけない。
別れ道で、翔太とチカパシは名残惜しそうにお互いの両手を繋いだ。
「翔太、始業式の日にまた会おうな」
「うん……」
「学校行くときも、帰るときも一緒だからな」
「うん……」
「寄り道するときも遊ぶときも一緒だからな」
「うん……」
「いや、寄り道はダメだからな?」
「真っ直ぐ帰らなくちゃダメだよ?」
「子供同士の友情に水を差すな、二人共」
チカパシと別れた翔太は寂しいのか、アシリパのアパートに着いても少し暗い顔をしていた。白石は苦笑して、翔太の下がった肩を抱き寄せた。
「もうすぐ学校生活が始まるんだ。そんな落ち込まなくてもすぐに会えるって。な?」
「……うん」
元気付けられ、翔太もはにかみながら頷いた。そこに、杉元がハッとした顔を白石に向けた。
「白石、翔太くんは友達とあんな約束してたけど、登下校の時俺はどうすればいいんだ?」
「あ……」
今気付いたといった風な顔で、白石は杉元の顔を見つめたまま立ち尽くした。夜の静けさが辺りを包み込む。
件の始業式は、明後日に迫っていた。