射止めた心
そこそこ腹も膨れた四人は未だに屋台を見て回っていた。
「次は何にするんだ?」
「ん〜……そろそろ手土産が欲しいところだな〜。クジは当たらないからナシとして、やっぱ定番のヨーヨー釣りか……」
小さな翔太の歩みに合わせて進んでいた歩調が突然止まった。動かなくなった翔太を不審に思いアシリパはその視線の先を見つめた。
「翔太、あれが気になるのか?」
アシリパが指差した先には射的の夜店。
男の子を中心とした人垣が出来ていて、様々な景品を射止めて行く姿が見える。下段のほうには比較的子供でも簡単に落とすことができるお菓子が並んでいた。
「ん? 何々? 射的?」
「翔太くん、お菓子が欲しいの?」
杉元の問いに翔太が小さく首を振る。
「仮面サーファー……」
射的の景品が乗る台の中央には、おそらく目玉商品であることがわかる仮面サーファーのぬいぐるみがあった。人気キャラクターということもあり、その大きさもなかなかの物である。
軽いコルクを打ち出す形の射的では、とうてい撃ち落とすことができるとは白石には思えなかった。おそらく落とせる人間がいるとは主催者側からは思われていない商品。
「あれ、高いのかな……」
ここに来て初めて見せた翔太からの“おねだり”に白石は頭をかかえたくなった。
「翔太……あれはな、あの鉄砲を使って落とさねぇともらえねぇんだよ」
「……?」
「お金を出して買うものじゃないんだ、翔太」
「店主のあの様子だとまともに落とさせる気はなさそうだな……」
理解できないというふうに首をかしげる翔太に苦笑する。小さな手を必死に握りしめて地面を見つめる。
すると、射的の最前列にいた若い男の声が聞こえた。
「おっちゃん!これ本当に倒れるの〜?」
傍らには浴衣姿の若い女の子を連れている。彼女に良いところを見せたかったのだろうことがわかる。「やっぱり無理だよぉ〜」と女のほうは呆れ顔で男を見ている。
「重りでも入ってんじゃないの?」
意地になっている男が露店の店主に突っかかる。
「人聞きの悪いこと言わんでくれよ、にーちゃん」
凄みのある店主はあきらかに暴力団組員の下っ端のそれだった。そんな光景を呆れたようにアシリパ達が眺めていると、背後にそっと大柄な男が立った。
「Вы хотите игрушки?」
聞いたこともないような声が、翔太の前に屈み込んでいた白石の頭上よりかかった。
「あ……」
「あっ、お前……!」
声の主は翔太の頭に大きな手を置き、ポンポンと優しく撫でると店主に金を渡した。心なしか店主のほうは困惑顔だ。
男は慣れた風におもちゃのライフルを構えると、ためらうとこなくコルクを打ち出した。するとコルクはぬいぐるみの右上ギリギリに当たった。カタリカタリと揺れ、見事ぬいぐるみは落下した。辺りからわっと男の子達の歓声が上がった。
「やられた〜!!」
あがる歓声に悔しがる店主の声が重なる。
「А вы и довольны?」
「あっ……」
差し出された景品に翔太は慌てふためきながら、恐る恐るそれを受け取った。満足そうに目を細めて笑う男を、翔太は上目遣いに見上げながら頬を染めた。
「ヴァシリお兄ちゃん……ありがとう……」
「お前も来てたのか、ヴァシリ」
「杉元、知り合いか?」
「ああ、俺のお隣さん。ヴァシリっていうロシア人留学生だよ」
「へぇ〜」
この男が翔太の話していた外国人か──白石は黒いマスクの上にある鋭い双眸に肝を冷やした。あのどう見ても射ち落とさせる気のないぬいぐるみを、この男はいとも簡単に射ち落としてしまった。その道のプロとも言える腕から察するに、この男は只者ではない。それに──
「ヴァシリお兄ちゃん、僕……本当にもらってもいいの……?」
「…………」
「……いいってさ、翔太くん」
「……ありがとう。僕、宝物にする……」
こうもあっさりと翔太のハートまで射止めてしまった男に、白石の闘争心は燃え上がった。自分も翔太にカッコいいところを見せてやりたいという気持ちがむくむくと湧いてくる。
「……っ、俺だって──」
「あっ……!」
「うわっ!」
ドンッ──
ぶつかるような鈍い音の後に、バシャリと水が溢れる音が聞こえた。白石達が視線を向けると、四つん這いに倒れた翔太とぬいぐるみが転がっているのが見えた。転がっている仮面サーファーのぬいぐるみは赤紫色に変色していて、その側にはかき氷のカップが転がっていた。四つん這いの状態で絶句している翔太の側で、若い男が濡れた片足を振った。
「うわぁ〜!最悪……まだ食べかけだったのに……」
「ぁ……仮面サーファー……」
「おい坊主、ボサッとすんなよ!ぶつかったらごめんなさいだろうが!」
「…………」
ショックで泣き出しそうになっている翔太に、男は上から怒鳴り声を上げた。そんな、怒りで周りの状況が見えていない男の背後から、不意に何者かの手が伸ばされる。そのまま肩を掴まれ男が何事かと振り返ると、男の先程までの憤りが一瞬にして恐怖に塗り替えられた。
「おいテメェ……ごめんなさいを言うべきなのはどっちだ……?」
「ヒッ」
「悪かっなぁ、ウチの翔太がゴメイワク掛けちまったみたいで……。ダメにしちまったかき氷、きっちり弁償させてもらうからよ……ちょっとあっちで話そうぜ、オニーサン」
「い、いや……あの……」
殺意に満ち溢れた杉元と白石の気迫に、男は両手を軽く挙げて後退りした。
なんかマズい奴らに絡まれちまった──男は焦りつつ、視線を泳がせて逃げ道を探した。
「……!」
そこに、逃げ道よりも先に正義の味方を見つけて男の表情が変わった。
「お、お巡りさーん!そこのお巡りさん達!ちょっと!ちょっとこっち!ほらっ、喧嘩!喧嘩売られてます!助けてください!」
「あぁ!?」
「吹っかけて来たのはテメーだろうが!」
大声で助けを求める男の方へ、呼ばれた警官二人が振り返る。
「え? 何ですか〜?」
「あ?」
男の運命はこの時点で終わっていた。
振り返った警官は、第七警察署でもトップレベルに危険な警官の尾形巡査長と宇佐美巡査長であったのだ。
「あっ……」
「尾形……!」
驚愕に目を見開く杉元達の存在に、数メートル先にいた尾形はすぐに気が付いた。そしてその視線は、地面で四つん這いになっている翔太と転がったぬいぐるみに向けられる。
かき氷のシロップと泥に汚れた仮面サーファーのぬいぐるみを蹴飛ばして、男は尾形達の元まで駆け寄った。
「助けてください!あいつら何か急にぶつかってきて、俺に喧嘩吹っかけてきて……!」
「あ、顔近づけないでもらえます? 唾飛んで汚いんで」
「…………」
男に対応する宇佐美とは別に、尾形の視線は依然として翔太に向いていた。翔太は蹴り飛ばされてしまった仮面サーファーのぬいぐるみを拾うべく慌てて立ち上がった。ついさっきまで新品同様だったぬいぐるみを大切そうに拾い上げて、涙に潤んだ瞳を拳で拭った。
「──で、俺がかき氷買って歩いてたら、よそ見してたそこの子供がぶつかってきて、俺のかき氷がダメになったんすよ!謝ろうとしないし注意しようとしたら、そこの親みたいな奴らが……」
「酒くっさいなぁ〜。とりあえず口閉じてもらえませんかぁ? 今応援呼ぶんで、話はその後にいくらでも聞きますから」
「ッおい、何だよその態度!舐めてんのか!」
宇佐美の言葉遣いと態度に腹を立てた男が、彼の胸倉を乱暴に掴み上げた。不穏な気配を察知した尾形はようやく二人へと視線を向けた。
「お兄さん、さっきご飯食べたでしょ」
「あァ!? だからどうした!?」
「申し訳ないなぁ……」
「はぁ!?」
「おい、宇佐美……」
「僕がここで思いっきり胃袋殴って、ゲロびたしの男をパトカーに乗せるのが」
宇佐美はニコリと笑顔を浮かべると、男の手をやんわりと片手で包み込み手首を捻り上げた。男は突然の痛みに呻き、慌てて宇佐美の胸ぐらから手を離した。痛む手首をさする男に宇佐美は再び笑いかける。
「想像しただけでみっともなくて、ゾクゾクしちゃうなぁっ!」
「ぅ……ぁ……」
シャドーボクシングのように拳を突き出して見せる宇佐美の笑顔に、男の顔から血の気が引いた。尾形は面倒くさそうな表情を浮かべて、震える男の腕を掴み取った。
「言われた通りにされたくないなら任意同行に応じとけ。あの頭のおかしい警官相手に手を上げたお前が悪い」
「はい……」
うなだれる男を連行しようとした尾形だったが──何を思ったのか、彼は突然男を宇佐美の方へと引き渡した。男の顔が一瞬にして絶望に染まる。
「ちょっ、ちょっとあんた……!」
「お前の獲物だからくれてやる」
「え〜別に欲しくないけど……僕に対する公妨で現逮できるし、点数稼ぎにはなるかな」
「ふざけんなよッ!おい!あんたらそれでも警察官かァ!」
叫ぶ男に宇佐美と尾形は一瞬呆気にとられるも、すぐにその表情は侮蔑を込めた嘲笑に変えられた。
「これでも警察官だ」
「これでも警察官だよ」
悪魔のような警官二人の歪んだ口角が、同時に吊り上がった。
◆◆◆
パトカーのサイレンが遠くに聞こえる。
現場に戻ってきた尾形は大きな手荷物を肩にかけ、翔太の前で立ち止まった。
翔太はぬいぐるみを抱きしめたまま、警官服の尾形をじっと見つめていた。そして尾形もまた、自分を見上げる翔太をじっと見下ろしていた。キョトンとしている翔太に、尾形は微かな笑みを唇の端に乗せて小首を傾げた。
「何だ、その顔は。ちゃんと来てやっただろ」
「……うん」
「お前から誘ったくせに嬉しそうじゃないな」
「……仮面サーファーが……」
「ああ、これか」
「……!」
尾形は持っていた紙袋を翔太の前に落とした。袋の口から覗いて見えたのは、翔太が今抱きしめているぬいぐるみと全く同じものだった。翔太は目を見開き、尾形を見上げた。
「どこで買ったの……!?」
「しみったれた商売してやがる射的でとったモンだよ。お前にやる」
「いいの……?」
「そっちはいらんからな。俺が当てた目玉商品は今頃パトカーの中で喚いてる」
「……?」
尾形はパトカーに乗せるまでイキがっていた暴力団の下っ端を思い出し、肩をすくめてみせた。翔太はよくわからずとも、大好きな仮面サーファーのぬいぐるみを二つももらえたことに頬を綻ばせて喜んだ。
「……ありがとう、尾形お兄ちゃん……」
汚れてしまった仮面サーファーのぬいぐるみも、新品の仮面サーファーのぬいぐるみも、どちらも翔太にとってかけがえのない宝物になった。二つの大きなぬいぐるみを抱きしめる翔太を見下ろして、尾形は満足そうに笑って前髪を撫で上げた。
「何あれ……ムカつく……」
「警官が射的で遊んでんじゃねーよ……っ」
「嫉妬するな二人共、みっともないぞ」
遠目に見ていた杉元と白石は悔しさに歯軋りして見せるが、その中でもヴァシリだけは尾形のことをじっと見つめていた。
その禍々しい気配を察知した尾形は、翔太に向けていた視線をヴァシリの方へと向けたが──
「……!」
彼はすぐに視線を逸らして、翔太と一言二言話すとその場から立ち去っていった。ヴァシリはすぐにその後を追いかけた。
「ヴァシリお兄ちゃん……?」
翔太を通り越して、ヴァシリは尾形に追い付くと彼の腕を取った。振り返った尾形にヴァシリは何かを話している。尾形は訝しげな表情でヴァシリの言葉を黙って聞いていた。
「あれ……? 何かまたトラブル?」
「……喧嘩してるの……?」
「喧嘩じゃ……ないっぽい……」
一方的に話しかけていたヴァシリの手を尾形は振り払い、何かを一言話して彼は今度こそその場から離れた。ヴァシリはそれ以上尾形に執着する様子も見せず、ただ静かにその場で佇んでいた。翔太はぬいぐるみを抱き直し、ヴァシリの元まで駆け寄った。
「ヴァシリお兄ちゃん……」
「……!」
「どうしたの……? 尾形お兄ちゃんと喧嘩してるの……?」
「…………」
言葉が通じているのかいないのか、ヴァシリは曖昧な笑みを浮かべて翔太の頭を上からそっと撫で付けた。そしてそのまま屈み込むと、彼は翔太をぬいぐるみごと抱きしめて、唇を頬へと寄せた。
「だああああーッ!!」
「ッ!?」
「やめろヴァシリ!ストップストップ!!」
突然大声を上げて飛び込んできた白石と杉元に、ヴァシリと翔太は目を丸くして驚いていた。強引に翔太と引き離され戸惑っているヴァシリを、白石は警戒心を露わにさせて睨みつけた。
「寄るなこのケダモノ!翔太の純潔は俺が守る!」
「ヴァシリ、ここは日本だからロシア式で挨拶すると誤解されるぞ!」
ヴァシリにそのつもりは全くなかったが、二人に何か誤解を与えてしまったことには気付いたらしく彼は小さく会釈してみせた。
ただヴァシリは、汚れてしまっても大事そうにぬいぐるみを抱える翔太に自分の喜びを伝えようとしただけだった。翔太くらいの子供なら、汚れた方など目もくれずに新品の方を選ぶと思っていたので、ヴァシリは自分の獲物を肌身離さず持ってくれている翔太に少し感動していただけだ。それだけだったのだ。
文化のすれ違いに少し残念な気持ちになったものの、ヴァシリはいい思い出になったと自分を納得させてその場から立ち上がった。そして片手を上げると、何も言わずに杉元達の前から立ち去ろうとする。
「ぁっ……ヴァシリお兄ちゃん……!」
「……?」
ヴァシリ、という自分の名前を聞きつけ、彼は後ろを振り返った。
「ぬいぐるみ、ぁっ……ス、スパシー…バ?」
「……!」
拙くも、翔太は確かにロシア語で言葉を伝えようとしていた。お世辞にも発音は良いとは言えないが、翔太の伝えたい言葉の意味は確かにヴァシリへと伝わった。
ヴァシリは翔太に対し、目を細めて微笑んで見せた。
「
Не за что.」
それだけ伝えると、彼は今度こそ祭りから姿を消した。