海賊の子 | ナノ

夏祭り


暑さ続く夏の夜──
日が暮れても蒸し暑さの残る空気が身体にまとわりつくのを煩わしく思いつつ、白石と杉元はアパート《コタン》の前で翔太とアシリパを待っていた。

「アシリパちゃん、遅いね」
「女の子は準備に時間がかかるもんなんだよ」

腕時計を見た白石はため息をついて、アパートの一階にあるアシリパの部屋を見やった。相変わらずドアが開く気配はない。

今日は、以前から一緒に行く約束をしていた夏祭りの日である。

私服で訪れていた白石も杉元も既に準備は整っていたので、後は浴衣に着替える予定のアシリパと翔太が出てくるのを待つだけである。しかし、それが意外にも長かった。昼間の茹だるような暑さは和らいだにも関わらず、生温い空気は依然として残っている。二人は気怠げな表情で会話していた。

「っていうか杉元、お前せっかくの祭りなのに何で私服なんだよ」
「お前だって私服だろ。大体、俺はこれでも仕事中だぞ。翔太くんにもしものことがあったとき浴衣姿じゃ動きにくいだろ」
「はぁ〜俺も浴衣持ってたんだけどなー……。アレ今、兄貴の家にあるから……」
「……そういえば翔太くんの実家って、結局今どうなってんだ?」
「定期的に来るハウスキーパーが掃除とか手入れしてる。だから今は無人。あれも財産だからさ……まだその辺の話は弁護士達と相談中」
「お前、住まないのか?」
「まぁ……住んでもいいけど……。兄貴達のこと思い出させちまうかもしれねーじゃん、翔太に」
「……あぁ」

納得した杉元は押し黙った。妙な気まずさがぬるい空気と混ざり合って辺りに溶け込む。
白石は翔太に両親のことを思い出させるのに抵抗を感じているのだろうか──杉元の脳裏に翔太の幸せそうな笑顔が浮かんだ。確かに、あの純粋な笑顔が深い悲しみの色に塗り替えられる様など、杉元も見たくはなかった。

「思い出とか、一応あるし……取り壊すっていうわけにもいかないしな」
「……難しいもんなんだな」
「今だけだと思いたいけどね〜」

眉根を寄せる杉元の横顔を見て白石は苦笑した。そんな時、アシリパの部屋の方からドアが開かれる音が聞こえた。二人は「おっ」と同じタイミングで顔を向ける。

「すまない!待たせたな!」
「お、おぉ〜!アシリパちゃん、浴衣似合ってる〜!」
「うん。すごく綺麗だよ、アシリパさん」

二人は目を爛々と輝かせて、浴衣姿のアシリパを褒め上げた。アシリパの浴衣は藍色の布地に流れる水のような模様が入っていてとても綺麗だった。ワンポイントに腿の辺りを泳いでいる黒い金魚が可愛らしさも醸している。髪は高く結い上げられていて、晒された白い首筋と項がまだ子供であるにもかかわらずどうにも色っぽく見えた。

「や、やめろ!そんな褒めるな……!」

二人に絶賛されたアシリパはその色白い頬に紅葉を散らし、慌てて視線を後ろへと逸らした。

「あっ、それより翔太の着付けも終わったぞ!ほら、翔太!」

話題をすり替えるように翔太の名を呼んだアシリパだったが、閉じ切られたドアから翔太が出てくる気配はない。首をかしげる白石と杉元に、アシリパは無言でドアまで向かった。そして一向に開かないドアを開けると、アシリパはまるで物を掴むような仕草で片手をドアの向こうに突っ込んだ。

「こら!ここまで来て恥ずかしがるな!」
「いやぁ〜!」
「浴衣は女の子だけが着るものじゃないって何度も言ってるだろう!」
「だってぇ〜!」

ドアの向こうから翔太の嫌がる声が聞こえてきた。白石と杉元は苦笑し、しばしの間二人の攻防を遠くから眺めた。

やがてアシリパの強引さに折れたらしい翔太が、顔を真っ赤にさせて彼女に手を引かれながら二人の前に現れた。

「うわぁ……翔太くん、すごく可愛いよ!似合ってる似合ってる!」
「ヒュー!似合ってるぜ〜翔太!よっ、男前!」
「……っ」

アシリパに手を繋がれて現れた翔太の浴衣は、散りばめられた白が映える紺色の波紋様。帯は淡い白緑色。アシリパと並ぶその姿はまるで、お揃いの浴衣を着た仲の良い姉弟のようだった。

アシリパ同様、二人に褒められて照れてしまったのか、翔太は朱に染まった顔をアシリパの後ろに隠してしまった。杉元は天然だろうが、白石は相変わらず翔太を親バカの如く褒め続けている。翔太は益々アシリパの後ろに引っ込んで行った。

「翔太のやつ、浴衣は女の子しか着ないものだと思い込んでいたみたいだ。着付けにだいぶ手を焼いたぞ」
「あー……それたぶん、前に夏祭り見せに行った時、浴衣着てるの女の子ばっかだったからじゃないかな〜。もっと奥まったところだと男も何人か浴衣着てたんだけど……翔太、遠くからしか見てないから……」
「翔太くん、男も浴衣は着るんだよ。だから恥ずかしがったり、変に気にしなくてもいいんだよ」
「……ほんとに?」
「うん」
「でも、由兄ちゃんも杉元お兄ちゃんも浴衣じゃない……」

翔太の言葉に掛けてやる言葉が思い浮かばなくなった二人が、助けを求めるようにアシリパへと視線を向けた。アシリパはやれやれと首を振ると、未だに自分の後ろに隠れている翔太の手を引いて唐突に歩き始めた。

「ほら行くぞ。こんな所でグズグズしていたら祭りが終わってしまう」
「ぁっ、ぁっ……」
「男前なのって案外アシリパちゃんだったりして……」
「余計なこと言うなシライシ」

四人はそのまま歩いて夏祭り会場まで向かった。


◆◆◆


「早く早く〜」
「待ってよ〜」
「お母さん、アレやりたい!」
「コラ!走らない!」
「じゃあ撮るよ〜」
「イェーイ!」

周りは楽しそうな笑い声。その騒がしさを彩るように夏の夜に灯る沢山の鮮やかな提灯。さらに香ばしい匂いを漂わせる屋台が並んでおり、夏の大イベント、夏祭りは大盛況となっていた。

「わあぁ……!」

昼間と取り違えたような夜の賑わいに、翔太は大きな瞳をさらに見開かせてきらきらと輝かせた。

「どうだぁ、翔太。これが夏祭りだ」
「夏祭り、すごい……!」
「夏祭りも凄いけど、やっぱ人込みが凄いな……翔太くん、はぐれないように手を繋ごうか」
「翔太は私が手を繋いでおくから別にお前は気にしなくてもいいぞ、杉元」
「もぉ〜……アシリパさん、ここに来るまでずっと握ってたくせに……」
「何か文句でもあるのか?」
「ありませーん……」

身長差でいえば確かにアシリパと手を繋いでいた方が翔太も歩きやすいかもしれない。杉元は翔太と手を繋げる機会が自分にはないことに落胆した。

「翔太は何が食いたいんだ?」
「りんご飴……!」
「りんご飴か〜。それも良いけど、それで腹一杯になっても後の楽しみがなくなるし……綿あめからなんてどうだ?」
「綿あめ……?」
「綿あめは……あ、ほら、アレだよアレ」

白石が指差した先には、既に賑わいを見せる綿あめの屋台。色々なキャラクターの袋に詰められた大きな綿あめが、店先にずらりと並んでいた。四人の足は自然にそっちへと向かう。

「綿あめく〜ださい」
「あいよ〜。一本300円だよ。袋入りなら500円だけど、どうするね?」
「翔太、お前好きな袋選んでいいぞ」
「えっ」
「翔太くん、せっかくだし好きなキャラクター選んだら?」
「色々あるぞ」

翔太は綿あめと白石の顔を見比べた。綿あめというものがまだよくわかっていない翔太はどうするかと悩んだが、300円より500円の方が高いということだけはわかっていた。翔太は、屋台の主が作っている綿あめを指差した。

「僕、それがいい……」
「えっ。袋入りじゃなくていいのか?」
「うん」
「仮面サーファーあるぞ?」
「ううん……」
「翔太くん、もしかしてまた遠慮してるの?」
「ち、違うもん……」
「でも、仮面サーファーの袋入りの方が良くない?」
「……だって……」

翔太は下を俯いてごにょごにょと口を濁した。杉元達は顔を見合わせ首をかしげる。そんな中で白石は苦笑すると、下を俯いたままの翔太の前に屈んで見せた。

「翔太〜。せっかくの夏祭りなんだぞ? 遠慮なんかしないでもっとパァ〜ッと遊ぼうぜ?」
「……だって、今お金いっぱい使ったら……由兄ちゃん達と後でいっぱい遊べなくなるもん……」
「うごあ゙ぁぁぁぁーッ!」
「シライシーッ!!」

翔太のあまりのいじらしさに白石はその場に崩れ落ちた。心臓がある胸を押さえ、息絶え絶えに千円札を屋台の主に差し出す。

「かっ……仮面サーファーの袋入り下さい……」
「まいど〜」
「だめぇ!お金なくなっちゃう!」
「安心しろ翔太……。これは投資だ……遊ぶ金じゃない……。お前へ貢ぐための尊い金なんだよ……」
「杉元お兄ちゃん、由兄ちゃんが変」
「変なのは確かだけど気持ちは分からなくもない」
「綿あめ一つでコレならこの先どうなるんだ白石は」
「はい、坊や。仮面サーファーね」
「あっ……」

屋台主から貰った綿あめに、翔太は頬を染めて目を見開いた。透明な袋に印刷された仮面サーファーと、その中に見えるふわふわとした綿のようなものに翔太は言い表せない高揚感を覚えた。

「良かったね、翔太くん」
「うん……!由兄ちゃん、ありがとう……!」
「お前が喜んでくれるなら由兄ちゃんも嬉しいぜ……!」
「翔太、それは放っておくと萎んでしまうから早めに食べた方がいいぞ」
「ぁっ、で、でも……食べたら……なくなっちゃう……」
「買ってあげるからぁ!いくつでも買ってあげるからそんな悲しそうな顔で可愛いこと言わないの!俺を悶え殺す気かお前!」
「……じゃあ、みんなでわけっこしよ……?」
「はあぁぁぁんっ!!」
「シライシーッ!!」
「ぬあぁぁぁっ!!」
「杉元ーッ!!」

二人して地面に倒れてしまったため、翔太は綿あめを持ったままオロオロとした。その内アシリパが二人を蹴り起こそうとしたので、慌てた二人が立ち上がる。翔太は賑やかな三人を見て可笑しそうに笑うと、持っていた綿あめを結局四人で分け合って食べた。

初めて食べた綿あめは口の中であっという間に溶けてなくなったが、甘くて美味しい思い出を翔太の中に残していった。


◆◆◆


「さぁて、お次は何にしようかね〜」

先頭を歩く白石が、賑わう屋台の列に目を配らせながら声を弾ませた。翔太はアシリパの手を繋いだまま、忙しなく辺りをキョロキョロと見渡して歩いている。どれも翔太にとっては見たことがないものばかりで、じっくり見たくてもどうしても次の屋台に目移りしてしまう。アシリパはそんな翔太を横から見下ろしてクスリと笑った。

「ヨーヨー釣りなんてどうだ?」
「おっ、それいっちゃう?」
「スーパーボール掬いなんてものもあるぞ」
「あー金魚は飼えないからな〜。掬うならそっちかね」

定番の屋台を遠目に見やりながら、四人は足を止めて話し合う。そんな中で、白石は一人お腹を撫でさすって苦笑して見せた。

「って言うか腹減らない? 焼きそばとかたこ焼きとか、一先ず腹膨れるものから食べようぜ」
「それは別にいいが……結構混んでるぞ」
「親子連れが多いから、この時間は夕食代わりに食べる親子が多いんじゃないのか」
「甘いものだけで腹満たすのもな〜……あ、あっちのたこ焼き屋、客が引いたから今なら買えるぜ」
「よし、じゃああっちに行こう」

一度止まった四人の足が再び動く。香ばしいソースの匂いにつられるようにして、揃った足並みは真っ直ぐにたこ焼き屋に向かった。

「後で焼きそばも食いてぇし、翔太は由兄ちゃんと半分こにするか?」
「うん」
「杉元はどうする?」
「俺も買おうかな〜。焼きそばは家でも作れるけど、たこ焼きはなかなか機会ないし……」
「じゃあたこ焼き3パックだな」

代表して白石がたこ焼きを3パック分購入し、代金は購入後に二人からもらった。後ろには次の客がいるのもあり、邪魔にならないよう四人はたこ焼きをもらうと一先ず飲食コーナーへと向かった。とは言え、祭りの客でごった返しの飲食コーナーはどこも座れるようなスペースはなく、仕方なしに四人は他に座れるスペースを探す。

そこにちょうど、テーブルのないベンチのみが並んだ場所が見えた。テーブルがなくても食べられるものだったので、四人はそこでたこ焼きを食べることに決めた。

「ほら翔太、熱いから気をつけて食べろよ」
「…………」
「……どうした? 食わねぇのか?」
「……これ、たこ焼き?」
「ああ、これがたこ焼きだ。翔太、初めて見るんだったか?」
「……タコダコ星人が……」
「は?」
「でも、タコじゃない……何で……?」
「翔太、タコは中に入ってるんだぞ?」
「えっ……!でも、小さいよ……?」
「うん。食べやすいサイズに切ってるからね」
「ちっちゃいタコが入ってるんじゃないの?」
「ちっちゃいタコ丸ごと入ってたらちょっと怖えわ」
「あはははっ。翔太は発想豊かだな」

翔太は初めて見るたこ焼きをいろんな角度から眺め、匂いを嗅ぎ、やがて口の中に頬張った。熱かったのか、翔太は両手で口を抑えると目を固く閉ざし足をばたつかせた。それを見た白石達がケラケラと笑う。

「熱い〜」
「だから熱いから気を付けろって言ったろ〜?」
「翔太くん、何か飲み物買って来てあげようか? 何がいい?」
「私は麦茶だ」
「じゃあ俺もそれで」
「アシリパさんはともかく、お前もさりげなく注文してんじゃねーよ白石」
「……僕、大丈夫……」
「も〜また遠慮する〜」
「じゃあ翔太は由兄ちゃんと半分こな?」
「うん」

半分こという言葉に翔太は頷いた。白石は、飲み物を買いに行こうとする杉元に二人分の飲料代をこっそりと渡した。

「これで2つ頼めるか……?」
「……翔太くんのか?」
「ああ。あいつ訊くと遠慮するから、先に訊くより勝手に買ってやった方がいい」
「よくわかってんな」
「まぁな。頼んだぜ」

杉元は代金を受け取ると自動販売機にまで向かっていった。一方で翔太はアシリパにたこ焼きを食べさせてもらっていた。少しとろみがあるたこ焼きは爪楊枝では食べにくく、爪楊枝の扱いに慣れていない翔太は食べるのに苦戦していた。気付いた白石が慌て気味に翔太の元へ戻った。

「ああごめん、アシリパちゃん」
「気にするな。ほら、翔太」
「ん……」

仲睦まじくたこ焼きを食べあう二人は傍目から見ても微笑ましく、白石はアシリパの存在に密やかな感謝を寄せた。少し冷めたたこ焼きが美味しく感じられたのか、翔太の表情は満足げである。

「翔太〜。口にソースがついてるぞ」
「アシリパお姉ちゃんもついてる〜」

こうやって見ると、俺より姉弟(きょうだい)っぽいなぁ──白石は戯れる二人を微笑ましげに目を細めて眺めた。それでもどこか置いていかれたような寂しさを感じて白石が少し感傷に浸っていると、突然翔太がたこ焼きのパックを抱えて白石の元まで走ってきた。白石は何事かと思いつつ、反射的にその場に屈んだ。

「どうした?」
「由兄ちゃん、はい、あーん」
「えっ」
「あーん」
「翔太……っ」

爪楊枝でたこ焼きを持ち上げるコツを掴んだのか、翔太は目の前に屈んでいる白石にたこ焼きを一つ差し出した。白石は感動のあまり思わず手で口を覆ったが、それをあーんを拒否されたものと勘違いした翔太はショックを受けた表情を見せた。ポトリ、とたこ焼きが地面に落ちる。白石は口を手で押さえたまま声にならない悲鳴を上げた。

「……由兄ちゃん、僕のたこ焼き食べたくないんだ……」
「違う違う!そうじゃない翔太!」
「何やってんだ白石!」
「いやっ、ホント違うって!誤解だって!」
「飲み物買って来たよ〜……え? 何? どうしたの?」

そこへ飲み物を買って来た杉元が現れて、場は更に騒がしくなる。
白石から事情を聞いた杉元は呆れた顔でため息をつきつつ、白石からたこ焼きを拒否されたと思い込んでいる翔太にそっと歩み寄った。俯く翔太の前に屈んで、杉元は優しく微笑んだ。

「ねぇ翔太くん、俺にもあーんしてよ」
「……杉元お兄ちゃんに?」
「うん。……俺じゃダメかな?」
「ううん……いいよ」

首をかしげる杉元に、翔太は持っていたパックからたこ焼きを一つ掬い取った。

「杉元お兄ちゃん、あーん……」
「あー……」

杉元の大きく開いた口に、翔太は掬い取ったたこ焼きを入れてやった。少し冷めたたこ焼きは口の中に丸ごと放り込んでも舌を火傷するまではなかった。杉元はある程度たこ焼きを咀嚼すると、飲み込んだ後にニカッと笑って見せた。

「うん!美味しい!ありがとう、翔太くん!」
「……うふふっ」
「えーどうしたの?」

杉元の笑顔を見て一瞬キョトンした翔太が、突然押し殺すような笑みをこぼしたのを見て、彼は再び首を傾げた。翔太は可笑しそうに笑って、杉元の顔を指差した。

「杉元お兄ちゃん、歯に何かついてる〜」
「えっ!? あっ、青のり!?」
「あはははっ!本当だ!前歯に青のりがついてるぞ杉元!」
「うわ、だっさぁい」
「すっ、好きでつけたんじゃねーよ!アシリパさんも、そんな笑わないでよ!恥ずかしいじゃん!」

杉元は顔を赤くさせると、買って来たお茶で慌てて口をゆすがせた。機嫌が元に戻った翔太はその後白石にもたこ焼きを食べさせてやり、残り一つもアシリパへ分けてやった。

四人の笑い声は祭りの喧騒に混じって、いつまでも続いた。


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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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