海賊の子 | ナノ

笑顔でバイバイ


さわさわと、優しい感触がおでこに触れた。ゆっくり瞼を上げたら、ぼんやりした目の前に杉元お兄ちゃんの笑顔が見えた。

「おはよう、翔太くん」
「…………」

どうして杉元お兄ちゃんがここにいるんだろうと、まだ少し眠たい頭で考えて、僕はようやくここが杉元お兄ちゃんのお家だったってことを思い出した。

そうだ、今日でお泊まり会は終わりなんだ。
僕は体を起こして、しばしばする目を拳で擦った。

「んぅ……おはよ……」
「顔洗っておいで。ご飯ももう出来てるよ」
「……僕、お寝坊さん?」
「ううん。俺が早起きさんなだけ。翔太くんは普通だよ」
「ん……」

背中を撫でられて僕がお布団から出ると、杉元お兄ちゃんは僕を洗面所まで連れて行ってくれた。

「洋服もここに置いてあるから、顔洗ったら着替えてきてね」
「うん……ありがと……」

僕はコクコクと頷いて、杉元お兄ちゃんが洗面所を出て行った後に顔を洗った。タオルで顔を拭いて、足元に畳まれて置いてあったお洋服に着替えると杉元お兄ちゃんが待っているお部屋まで向かう。テーブルの上には、二人分の朝ご飯が置いてあった。焼いたお魚と、白いご飯と、お味噌汁が揃えられている。こんな風にきちんとした朝ご飯を見たのは久しぶりな気がした。

「翔太くん、焼き魚とか平気?」
「うん」
「良かった。最初は目玉焼きにしようかと思ってたんだけど、昨日オムライスに卵使い切ったの忘れてて……あ、骨とか取ってあげようか?」
「ううん……大丈夫」

僕がテーブルの前に座ると、杉元お兄ちゃんはニコリと笑って手を合わせた。僕も手を合わせて、二人でいただきますを言う。

お魚なんて本当に久しぶりだなぁ。僕が由兄ちゃんと一緒に暮らす前は、よくムニエルとかポワレでテーブルに出されていたけど、こんな風に焼いてあるお魚を見るのは初めてだ。これはなんのお魚だろう。鮭かな。

「……翔太くん、上手に骨が取れてるね」
「えっ」
「食べ方も上品だし、お行儀良いってよく言われない?」
「……ううん。言われない……」
「え〜本当?」

だって、僕のお家ではこれが普通だったから。こうですよ、ああですよって先生達に言われることはあっても、褒められることはほとんどなかった気がする。僕が頑張っているところは、いつもお父さんもお母さんも見ていなかった。二人共お仕事でいつもいなかったから、僕はいつもご飯は一人で食べていた。先生達は隣に立っていても、一緒にご飯は食べなかった。

「……翔太くん?」
「え?」
「どうしたの? あまりお箸が進んでないけど……やっぱり、魚苦手だった?」
「ううん。僕、お魚好きだよ」
「あ、じゃあ味噌汁……?」
「お味噌汁も、好き」
「そう? ……でも、なんだか少し元気がない気がするなぁ」
「…………」

杉元お兄ちゃんは困ったように笑った。心配かけちゃったのかな。僕は慌ててお魚を食べた。杉元お兄ちゃんは「急かしてるわけじゃないよ」と慌てて言ったけど、僕はその時何故だか迷惑をかけちゃダメだって思って、いつもよりずっと早くご飯を食べ終わった。

「ごちそうさまでした……」
「翔太くん……」
「……ご飯、美味しかった」
「……そっか。それなら良かった」

少し悲しそうに笑った杉元お兄ちゃんも朝ご飯を食べ終わって、僕たちは二人で一緒にお皿を洗った。僕は背が届かないから、杉元お兄ちゃんが洗ったお皿を布巾で拭く係だ。

こんな風に杉元お兄ちゃんと一緒に暮らせるのも、あと少し。今日は由兄ちゃんのお家に帰る日だ。

僕がリュックを背負って、杉元お兄ちゃんは僕の手を繋ぐとお部屋を出た。最初は物がなくて空っぽに見えたお部屋には、杉元お兄ちゃんとアシリパお姉ちゃんと過ごした思い出がいっぱい詰まっている。なんだか少し、寂しくなった。

「行こうか」
「うん」

杉元お兄ちゃんは僕の手を引いた。ヴァシリお兄ちゃんが住んでいるお部屋の前を通り過ぎて、僕は後ろを振り返った。ヴァシリお兄ちゃんはまだ眠っているのかな。それとも、朝ご飯を食べているのかな。それとも、もうお出掛けしていていないのかな。気になったけど、戻ろうとは思わなかった。

「……あ」
「あっ」

階段を降りて行ったら、アパートの塀の向こうに見たことのある頭が見えた。ツルツルで、綺麗な形をした、坊主頭。

「由兄ちゃん……!」
「え、あ……翔太くん!」

僕は杉元お兄ちゃんの手を振りほどいて、由兄ちゃんのところまで走った。塀の前まで回り込んで見てら、塀に寄りかかって俯いている由兄ちゃんがいた。

「翔太……!」

由兄ちゃんは僕を見て目を見開いた。

「由兄ちゃん!!」
「お前……どわッ!!」

僕は由兄ちゃんに飛びついた。迎えに来てくれたことがすごくすごく嬉しかった。僕は由兄ちゃんに抱きついたまま、何度も何度もそこで飛び跳ねた。

「由兄ちゃん!おはようっ!あのねっ、昨日ね、杉元お兄ちゃんと公園に行ってね、由兄ちゃんと前に摘んで帰った猫じゃらし見つけたよ!その後ね、ヴァシリお兄ちゃんっていう外国の人に会ってね、僕の似顔絵描いてもらったの!それでねっ……」
「ちょ、ちょっと、ちょっと落ち着けって翔太!いっぺんに言われてもわかんねーから!」
「でねっ、お菓子ももらってね、僕由兄ちゃんと半分こしようと思って取ってるんだよ!後で一緒に食べようね!あっ、それとねっ……」
「翔太〜!由兄ちゃんの声聞こえてる〜?」
「あひりぱおねぇひゃんひおはやふええんとひはんやよ!ほひはらへ、あひりぱおねぇひゃんふほふよほほんへふえてっ……」
「もぉ〜お口閉じなさいっ!」
「んむむっ!」

由兄ちゃんは僕の口を手で塞いで苦笑いした。まだ言いたいことがたくさんあるのに、これじゃ全部話せない。僕は由兄ちゃんの手を退かそうとした。でも、なかなか手は外れなかった。

「随分気が早いお迎えだな」
「へへっ……まぁな」

その内杉元お兄ちゃんがやって来て、由兄ちゃんは僕の口を塞いだまま杉元お兄ちゃんと話し出した。

「お前、何時からここにいた?」
「えっ、ついさっきだけど……」
「目の下スゲーことになってるけど」
「いや、これはただの寝不足……つーか、よく眠れなかったっつーか……」
「……そんなに心配なら、もう泣かせるような事するなよ。夜泣きはなくても、お前のこと寝言で呼んでたぞ」
「……ああ」

早く由兄ちゃんにヒンナヒンナを教えてあげたいのに、由兄ちゃんは僕の口から手を外さないでずっと僕の顔を上から見下ろしている。何でそんなに悲しそうな顔で笑うんだろう。由兄ちゃんは僕と会えて嬉しくないのかな。

「……翔太、杉元とお泊まり会は楽しかったか?」
「んっ、んっ」
「……また、由兄ちゃんと一緒に暮らしてくれるか?」
「んーっ!んっんっ!」

僕は何度も笑顔で頷いた。由兄ちゃんは目を細めて笑って、僕をぎゅっと抱きしめてくれた。

「ありがとな、翔太」

どうしたんだろう。今日の由兄ちゃんはなんだか、すごく甘えたさんだ。やっぱり由兄ちゃんもひとりぼっちで寂しかったのかな。それだったら今度は由兄ちゃんも誘って、杉元お兄ちゃんのお家でお泊まり会をしようかな。その方がきっともっと楽しくなる。

「せっかくお前の家まで翔太くんと二人きりで行けると思ってたのに、もうここでお別れか」
「杉元お兄ちゃん、バイバイ」
「翔太くん、バイバイ早くない? もうちょっと待ってくれないの?」
「翔太!」

僕が杉元お兄ちゃんにバイバイしてると、横からアシリパお姉ちゃんの声が聞こえた。振り向いたら、体操服を着たアシリパお姉ちゃんが息を弾ませながらこっちまで走って来ていた。

「アシリパお姉ちゃん!」
「もう帰るのか?」
「うん。由兄ちゃんとお家に帰る」
「そうか。寂しくなるなぁ」
「アシリパお姉ちゃんもお家に来る?」
「それはダメだよ、翔太くん」
「翔太……お前少し見ない間にたらし具合に磨きがかかったなぁ」
「……?」

由兄ちゃんはなんだか複雑な表情で僕を見下ろした。たらしってなんだろう。からしと似たようなものなのかな。

「そのお誘いは嬉しいが、今日も部活があるから私はそっちには行けない。夕方からなら遊べるんだがな……」
「あ、じゃあさアシリパちゃん、今度のお祭り一緒に行けるんじゃないの?」
「えっ」
「えっ、ってほら……週末にあるじゃん。夏祭り」
「夏祭り……ああ!あれか!」

アシリパお姉ちゃんは思い出したみたいに手をポンと叩いてニコリと笑った。夏祭りって、一昨年由兄ちゃんが連れて行ってくれたお祭りのことかな。先生達が行っちゃダメって言うから、僕は由兄ちゃんに肩車されて遠くからしか見ていなかった気がする。

「それなら問題ないぞ。翔太も連れて行くんだろう?」
「当たり前じゃ〜ん。翔太、夏祭り行ったことないからずっと連れて行きたかったんだよ」
「えっ!翔太くん夏祭り行ったことないの!?」
「……うん」

だって、夏祭りは危ないって先生達が言うんだもん。価格に見合わないとか、ガラの悪い人がいるとか、衛生面に不安があるとか、そんなことばっかり言って、僕をお家から出したがらなかったんだもん。

でも、由兄ちゃんが何度も何度もお願いして、先生達は仕方なくって感じで夏祭りを遠くから見るのだけは許してくれた。着物を着た人達がたくさん集まっていたのは覚えている。そして、由兄ちゃんは車の中に僕を待たせて、夏祭りからりんご飴を買って来てくれた。先生達はダメって言ってそれも取り上げちゃったけど、由兄ちゃんは実はもう1本隠し持っていて、お家に帰った後にそれを僕にこっそりと食べさせてくれた。こっそり食べたりんご飴は、凄く甘くて美味しかった。

「──じゃあ私は、祖母に頼んで翔太の浴衣を用意しよう」
「えっ」
「オッケー!じゃあ今度の週末、翔太連れてそっち行くからよろしく頼んだぜ、アシリパちゃん!」
「遅刻するなよ、白石」
「しねーよ、失礼だな」

なんだかいつの間にか話が進んでいたみたいだ。僕がキョロキョロと三人の顔を見比べていたら、由兄ちゃんは僕の手を引いて歩き出した。僕も慌てて後を追う。

「じゃあね、翔太くん」
「またな、翔太!」
「バイバイ……」

僕は二人に手を振ろうとして後ろを振り返った。

「あっ」

その時アパートの二階に、ヴァシリお兄ちゃんが立っているのが見えた。ヴァシリお兄ちゃんは昨日と同じように黒いマスクをして、僕の方に向かって手を振っていた。僕は、ヴァシリお兄ちゃんに向かって同じように手を振り返した。ここからでも、ヴァシリお兄ちゃんが目を細めて笑ったのがハッキリと見える。

「バイバーイ!」
「そんな大きな声出さなくてもちゃんと二人には聞こえてるって、翔太」

由兄ちゃんは呆れたように笑って、道の角を曲がった。ヴァシリお兄ちゃんも、杉元お兄ちゃんもアシリパお姉ちゃんも見えなくなったけど、僕はバス停に着くまでずっと後ろを見ながら歩いた。


◆◆◆


「ほら、見えてきたぞ」

バスから降りてずっと歩いていると、由兄ちゃんのお家がある団地が見えてきた。遠くから見ただけなのに何故だか僕はホッとした。でも、公園の中はやっぱり人がいない。時々、この団地に人が住んでいるのか不安になることがある。

「家に帰ったら翔太は何したい?」
「……まだ決めてない」
「じゃ、昼飯食べてから何するか決めるか?」
「うん」

二人でそのまま歩いていると、公園を抜ける途中で交番が見えた。尾形お兄ちゃんはいないかなって僕が歩きながら交番をじっと見ていると、上から「寄ってみるか?」って声が聞こえた。見上げたら、由兄ちゃんが苦笑いして僕を見下ろしていた。

「いいの?」
「尾形に会いたいんだろ?」
「うん」
「何でこう懐いたのかねぇ……」

由兄ちゃんはぽりぽりと頭を掻いて、団地から交番へと行く先を変えた。交番に近づくと僕の胸は不思議とドキドキしていく。逮捕されるわけじゃないのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。

「こんにちは〜……」
「あー?」
「何?」

交番に着いて、由兄ちゃんが少し小さな声でご挨拶した。交番にいたのは双子のお巡りさんだけだった。二人とも、やっぱりいつ見てもそっくりさんだ。

「あの〜……尾形サンっています〜?」
「誰?」
「何か用件?」
「双子のお巡りさん、こんにちは」
「あっ、お前……」
「翔太じゃん」

左のお巡りさんが僕の名前を呼んでくれた。たぶん、この人は洋平お兄ちゃんだ。浩平お兄ちゃんよりも話したことがあるから、なんとなくだけどわかる。

「……洋平お兄ちゃん?」
「えっ」
「お前洋平がわかるの?」
「うん。……たぶん、なんとなく」
「へぇ……」
「で、なんか用?」

二人は机の上に上半身を乗り掛からせて、ニヤニヤしながら僕を見下ろした。二人はすることも同じだから、見ていて面白い。

「尾形お兄ちゃん、どこにいるの?」
「尾形ぁ?」
「ああ、酔っ払いの喧嘩止めに行ってる」
「今頃現着してんじゃない?」
「……そうなんだ……」
「…………」
「…………」

尾形お兄ちゃん、いないんだ。せっかくヒンナヒンナを教えてあげようと思ったのに。それに、夏祭りも誘ってあげたかった。

「……あいつに用件あるなら伝えておいてやろうか?」
「えっ……いいの?」
「えっ、いいの? 洋平」

洋平お兄ちゃんはコクリと頷いた。僕は洋平お兄ちゃんの前まで行って、机のふちに掛けてある手に僕の手を重ね合わせた。洋平お兄ちゃんは目を見開いて驚いていた。

「あのねっ、夏祭りに一緒に行こうって尾形お兄ちゃんに言って欲しい!」
「お前、手……」
「あとねっ、食事に感謝するときはヒンナヒンナって言うんだって!」
「ヒンナ、ヒンナ……?」
「何だそれ……浩平知ってる?」
「さぁ……知らない」
「双子のお巡りさんも一緒に夏祭り行こ〜」
「俺たち行かないぞ」
「仕事あるから」
「えっ……」

双子のお巡りさんが行けないって知って、そう言えば尾形お兄ちゃんもお巡りさんだから行けないかもしれないって思った。僕は思わず下を俯いた。頭の中は、どうしようって言葉でいっぱいだった。

「鯉登警部補なら翔太が行きたいって誘ったら仕事でも行きそうだけどな」
「尾形はねぇ……」
「…………」
「……翔太、そんな落ち込むなって」
「……うん」

僕はそっと手を離した。双子のお巡りさんは相変わらず同じ姿勢で僕を見ている。それがちょっとだけ面白いから、僕は少しだけ笑うことができた。

「……バイバイ、双子のお巡りさん」
「あ、もう帰るか? じゃあ行くか」

由兄ちゃんが手を差し出してくれたから、僕はその手を取った。

「おい翔太」
「えっ」

そのまま交番から出ようとすると、後ろから声を掛けられた。振り返ったら、双子のお巡りさんが両手をグーにして僕に向かって突き出していた。何をしているんだろう。

「どっちかはレモン味の飴」
「どっちかはハッカ飴」
「……?」
「ヒントは浩平がレモン味持ってる」
「当ててみろ」

ニヤニヤと笑いながら二人はグーを更に突き出した。さっきは左が洋平お兄ちゃんだったから、浩平お兄ちゃんは右だ。でも、なんだかちょっと様子が変。もしかして、こっそり入れ替わってるのかな。

僕は二人の元に戻ると恐る恐る左の手を触った。こっちがたぶん、浩平お兄ちゃんだ。すると、一文字で結ばれていたお兄ちゃんの唇がへの字に変わった。二人はお互いに目を合わせて、一人はニヤリと笑ってもう一人は更にムッとした。ひょっとして僕、間違えたのかな。

「……何で替わったのに気付いた?」
「あっ……」

開いた手には黄色い飴の袋があった。やっぱりこっちが浩平お兄ちゃんだ。当たったのが嬉しくて僕が由兄ちゃんの方を振り返ったら、由兄ちゃんは首を傾げてポカンとしていた。

「浩平がわかりやすい顔するからじゃないの?」
「同じ顔だろ」
「っていうか、本当にレモン味の飴握ってたんだ。浩平のことだからハッカ飴握ってるかと思った」
「……洋平、そっちの手見せろ」
「えっ」
「見せろって」
「えーっ!ヤダヤダッ!」
「お前絶対レモン味握ってるだろ!間違っても飴やるつもりだったな!?」
「ヤダーッ!」

知らない内に二人共喧嘩し始めちゃった。でも喧嘩していても仲良く見えるのは、杉元お兄ちゃんとアシリパお姉ちゃんを見ているみたいで面白い。

「ほら、もう行こうぜ翔太」
「あっ……」

じっと見ていたら後ろから由兄ちゃんに手を引かれた。二人はまだ見せろ見せないって言い合っていて、僕がバイバイしても全然気付いてくれなかった。

この交番はいつ来てもやっぱり面白い。


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