海賊の子 | ナノ

灸を据える


翔太と眠っていた真夜中──
不意に体を揺すられ、俺は目を覚ました。

寝惚けた顔を振り向かせると、暗闇の中、エイコちゃんが俺の真後ろにいた。驚いて声を上げそうになった時、エイコちゃんの柔らかな手が俺の口元を覆った。しー……と、細い人差し指が唇に充てがわれて、その仕草に目を奪われていた俺は、そこで初めて彼女が下着姿なのに気付いた。

「エイコちゃん……!」
「静かに。翔太くんが起きちゃう」
「ちょ……マズイよ、早く服着て……!」
「ねぇ、私にここまでさせて……由竹くんは何もしてくれないの?」
「……!」

エイコちゃんは、自分の白く艶めかしい肌を俺に魅せるようにして、ブラジャーの肩紐をずらして見せた。俺はすぐに顔を逸らして、目の前にいる翔太を胸に抱き寄せた。

「ダメだって……!翔太がいるんだから……!」
「……私、由竹くんになら……生でもいいって思ってるのよ?」
「な、ま……って……」

ゴクリと喉がなった。あらぬ妄想に自分の下半身が熱くなるのを抑えられない。生理現象だからこれは仕方ないと、俺は涙を飲んでかぶりを振った。

「……あの、もっと自分の体、大事にした方がいいよ」
「…………」
「俺たちまだ知り合って間もないし……翔太だって、まだエイコちゃんのことよく知らないから……」
「……私より、翔太くんの方がいいの……?」
「いやっ……そういうことじゃないって言うか……。と、とにかく……早く服着て、布団に戻りなよ……風邪ひいちゃうよ」
「ふぅん……意気地なしなのね、由竹くんって」
「…………」

ああ、抱けるもんなら抱きたいさ。そのたわわな果実を思う存分独り占めしたいさ。だけど、俺には絶対に譲れないものがある。どれだけデートに時間を奪われても、魅惑的なホテルに行こうと誘われても、翔太と一緒に寝るこの時間だけは、俺の特別なんだ。

エイコちゃんが部屋から出て行ったのを確認して、ようやくホッと息をつけた。でも俺の下半身はだいぶホットな様子で息をつく暇もない。翔太が寝てる手前で同じ布団でやるのは無理があるし、エイコちゃんが寝静まった頃を見計らってトイレに行くとしよう。

「……んん……」
「…………」

──それにしても、本当に会って間もないのにやたらと積極的な女の子だなぁ、エイコちゃん。美人だし胸も大きいし見た目は好みなんだけど、あそこまでグイグイこられると翔太に悪影響って言うか、なんか不安になるんだよなぁ。

イマドキの子って、みんなあんな感じに求めてくるのかね。肉食系は怖いねぇ。翔太が大きくなって彼女ができたら、一体どんな子を連れてくるんだろうか。翔太のことだから、きっと優しくて真面目な女の子を選ぶんだろうなぁ。ああでも翔太は優しいし恋愛にも鈍いだろうから、別に好きでもない女の子に告白されると何も考えずに付き合っちゃうかもしれないなぁ。ある意味女泣かせの天然たらしになりそうな予感。

「……んぅ……」
「…………」

──エイコちゃんには悪いけど、明日でお別れかな。翔太も警戒心剥き出しにしてたし、やっぱりまだ誰かと同棲なんて無理だ。あの子デート中やたら俺に酒勧めてきたし、普段から酒もよく飲むんだろう。積極的な上にお酒好きなんて、翔太と生活してたら教育にも良くない気がする。

「ウンウン、今回は諦めようぜ白石……」

翔太の掛け布団を上からポンポンと叩いた後、俺は隠していたエロ本を片手に一人でトイレへと向かった。


◆◆◆


──翌朝、目を覚ましてリビングへ出ると、エイコちゃんが朝食を作っていた。
あんな少ない材料でよくまともな朝食が作れたもんだなと、俺はエイコちゃんの手作り料理を見て感心してしまった。

「ごめんなさい。冷蔵庫の中のもの勝手に使っちゃって……」
「あー、いいのいいの!それより、ろくなもの入ってなかったでしょ? よく作れたね!スゲェ美味そうだよ!」
「ふふっ。私、料理とか家事とか大好きなの」
「へぇ〜!家庭的なタイプなんだ」
「うん。あ、洗濯物もいっぱい溜まってたから勝手に洗っちゃったけど……大丈夫だった?」
「えっ? あ、ああ……別に、そんなことまでしてもらわなくても良かったのに〜……。なんだか悪いな〜……」
「ごめんなさい、やっぱり迷惑だった……?」
「ああいやっ!……あの、俺ほら……この後出掛けるし、エイコちゃんもそろそろ帰らなきゃでしょ? だから干す時間が……」
「私、まだ時間あるよ?」
「えー……っと……」
「……ごめんね。じゃあ……干したら帰ることにする」
「あ、そう? じゃあ……出て行くときは翔太に鍵掛けてもらってね。あ、それと……翔太まだ寝てるから、起きたら出来れば朝ご飯食べさせてやってもらえるかな? シリアルで大丈夫だから」
「うん。任せて!」
「サンキュー、エイコちゃん」

うーん。美人で巨乳で家庭的なのは嬉しいけど、俺の知らない間にあれこれされちゃうのはちょっと心配だな。まだ弁護士達と話し合い続けてる最中だし、うっかり大事な書類とか捨てられたら堪ったもんじゃない。


「ご馳走さん。じゃあ俺もう行くから、翔太のことと戸締りの件、よろしくね」
「うん、またね由竹くん。行ってらっしゃい」
「はーい」


──本当に、“勿体ない”ってこの事を言うのかねぇ。


◆◆◆


俺が家から出て三時間後の事──
いつもみたく、親族が用意した弁護士達と話している最中、不意に携帯が鳴って俺はファミレスの席を立った。

電話の相手は杉元からだった。今日は午後から翔太の面倒を任せてあるはずだが、何かあったんだろうか。

「もしもし? どうした──」
『白石!お前今すぐ帰って来い!』
「は?」

何故か電話越しに怒鳴られて、俺は一瞬呆気にとられてしまった。

『玄関の鍵開けっ放しで、翔太くんいないぞ!』
「は……」

どういうことだ、それは──
頭の中が真っ白になってフリーズする俺に、杉元の怒声は絶え間なく続いた。

『今辺りを捜し回ってる!くそッ、とにかく早く帰って来い!寄り道すんじゃねーぞ!』

杉元に一方的に通話を切られ、俺はそこでようやく意識を取り戻したかのようにハッとした。携帯を握りしめ、ファミレスを飛び出した。後ろから弁護士達の呼び止める声が聞こえたが、なりふり構っていられなかった。

翔太が勝手にいなくなるなんて──今までにも何度かあったが、もし今回も何かの事件に巻き込まれていたらと思うと、背筋がゾッとした。

「翔太……!」

やっぱりあの女に任せるべきじゃなかった。ちゃんと家を出るまで俺が残るべきだった。翔太はまだあの女のことを何も信用しちゃいないのに、何で俺はそんなことにも気付かないで出て行っちまったんだ。

俺が家にいないって聞かされて、寂しくなって勝手に出て行ったのかもしれない。杉元が来ることだって伝えちゃいないし、昨日も帰りが遅かったから翔太はきっと俺を探しているはずだ。

「交番に居てくれれば……っ!」

団地が見えてきて、一瞬交番に寄ろうかと思ったが──

『寄り道すんじゃねーぞ!』

杉元の言葉を思い出して、俺はそのまま交番を通り過ぎて自分の部屋まで向かった。

階段を駆け上がり、長い廊下を突き進むと俺は自分の部屋へと飛び込むようにしてドアを開いた。

「杉元!翔太はッ……」

ドアを開けて、俺は言葉を失った。

「由竹くん……!」
「エイコ、ちゃん……?」

泣き腫らした顔のエイコちゃんが、床に座り込んで俺の方を見た。その側には、腕を組んで仁王立ちする杉元とタバコを吸う尾形がいた。

一体これは、何がどうなってんだ?

「……よぉ、帰ってきたか」

煙を吐いた尾形が薄笑いを浮かべて俺を見た。杉元は無言でエイコちゃんを睨んでいる。エイコちゃんはシクシクと泣きながら、腫れた目を手で拭っていた。

「え……何、これ……どうなってんの……?」
「……こいつはお前の女か?」
「えっ」
「だからさっきからそうだって言ってるじゃん!何で信じてくれないのッ!?」
「お前に訊いてねぇんだよ。黙ってろ」
「うぅっ……うっ、ぅ……!」

酷い状況だ。何があったかわからないが、兎にも角にも──

「なあ、翔太は……? 翔太はどこにいるんだよ……」
「俺の部屋だ」
「尾形の……部屋?」

何で尾形の部屋に翔太がいるんだ。杉元は最初、どこにもいないって言っていた。一体なんなんだ、訳がわからん。

「さっぱり訳がわからんって顔だな……。おい」
「ひっ」
「話してやれよ、さっきの話」
「……っ、だからっ……あれは……」

尾形に脅されて、エイコちゃんは言葉を詰まらなせながら話し出した。

「翔太くんが、お手伝いしたいって言って……洗濯物を、干しに、ベランダに出て……」
「自分からやりたい、と言ったのか」
「っ……それで私は!危ないからダメって言ったの!でもっ、目を離したらベランダに出てて……ッ」
「翔太くんの頬、腫れてたぞ。……あんなの、誰かにぶたれなきゃああまでならない」
「だからぁ!勝手に出たからつい叩いちゃったの!それは私も悪いってさっきも言ったじゃん!何でそんなにしつこく言うの!?」
「お前……ッふざけんなよ!」
「いやっ……由竹くん!助けてッ!」

杉元に怒鳴られたエイコちゃんが、髪を振り乱して俺の元まで駆け寄ってきた。体当たりでもするように俺の胸に泣きついて、その細い肩を震わせた。

「本当なの……っ!私、由竹くんの力になりたくて……!手を出しちゃったのは、私も悪いけど……言うことをちゃんと聞かなかった翔太くんも悪いでしょ? なのに、私だけ悪いみたいにあの人達が……」
「エイコちゃん、もういいよ」
「由竹くん……?」

俺はその肩を、そっと掴んで優しく引き離した。涙で濡れた、酷い女の顔が上がった。

何で俺は、こんなのに夢見てたんだろうな。

「玄関そこだから、とっとと失せな?」
「……ッ」

うっかり手が出ない内に俺が極力優しく言ってやると、女は顔を歪ませて俺を押し離し、玄関から飛び出していった。不思議と、振り返ろうとも思わなかった。

「……あーあ、振られちまったな。やっぱオンナノコって扱いにくくて困るぜ」
「白石……!」
「男だったら、あのムカつく顔面迷わずぶん殴ってたのによ」
「……今からでも間に合うぞ。走って追いかけて男らしく一発かまして来たらどうだ?」

俺なら不問にする──尾形はそう言って嫌味な笑みを浮かべると、自分の前髪を撫で上げて俺を一瞥した。とても警察官の台詞だとは思えなかった。

「……悪い。なんかまた迷惑かけちまったみたいだな」
「……お前、本当に不用心過ぎるんだよ。迷惑云々の前に、翔太くんの気持ちとかちゃんと考えてやったことあんのかよ」
「……返す言葉もねぇな」

尾形はともかく、杉元は相当怒っているようだ。ここまで翔太のことを大事に思ってくれる奴が側にいるのに、俺は何でまた独り善がりな真似をしようと考えたのか──浅はか過ぎて、死にたくなってくる。

「女を作るのは別に止めはしねぇよ。けどよ、今は翔太くんのことをもっと考えてやるべきだろ。散々お前に振り回されて……あれじゃ翔太くんが可哀想だ」
「…………」
「……まあ、そういうわけだ。俺も極力関わらない方がいいとは思っていたが、今回は色々と引っ掛かりが多い。そこでだ──」

本当に返す言葉なくて押し黙る俺に対し、尾形は冷ややかな、意地の悪い微笑みを浮かべた。

「灸を据える意味も込めて、しばらくの間お前は翔太との面会禁止だ」
「……え?」
「一人で反省しろ、シライシ」

そう言って俺を睨む杉元と嗤う尾形の目は、本気を表していた──


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