海賊の子 | ナノ

大好きな人


お父さんとお母さんが死んだ。知らないおじちゃんが突然お家にやって来て、お留守番していた僕にそう言った。

絶対ウソだ。ウソに決まってる。僕は知らないおじちゃんを追い出そうとしたけど、勝手に開けられた玄関のドアから知らない人がどんどん入ってきて、僕はあっという間に着たことがない服に着替えさせられた。

そのあと無理やり車に乗せられて、知らない人達は車の中でシクシク泣きながら僕の頭をポンポン撫でた。知らないおばちゃんから臭う、変な臭いがすごく嫌だった。今すぐお母さんの匂いを嗅ぎたかった。お父さんに頭を撫でて欲しかった。


「あっ……翔太……!」

車から降りた時、真っ黒な服を着た由兄ちゃんが遠くに見えた。由兄ちゃんは、死んじゃったおばあちゃんが前に持ってた数珠っていうビーズの腕輪を持っていた。
変なの。由兄ちゃんも他のみんなも、真っ黒な服を着て暗い顔をしている。僕は知らないおばちゃんの手を離して、こっちに走ってくる由兄ちゃんのところまで走った。

「由兄ちゃん」
「翔太……っ!」

由兄ちゃんは僕を抱き上げて、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。最近会えなくて僕も寂しかったから、由兄ちゃんに負けないくらいぎゅっと強く抱きしめ返した。

「由兄ちゃん、今日は僕のお家に泊まっていくよね? あのね、今日お父さんにね、仮面サーファーのDVD買ってきてもらう約束したんだよ。あとで一緒に仮面サーファーみようね」
「ッ……ゥ、くうぅ……!」

どうしたんだろう。どうして由兄ちゃんは泣いているんだろう。もしかしてお腹でも痛いのかな。

「由兄ちゃん……? お腹痛いの……?」
「翔太……ッ!」
「なぁに?」
「俺がッ……俺がお前を、護ってやるからな……!」
「うん……? ……うん」

由兄ちゃんは、ちょっと痛いくらい強く僕を抱きしめて泣いた。そんな由兄ちゃんを、周りにいたみんなは怖い顔でじっと見ていた。

じっと、じっと見ていた。


◆◆◆


「翔太くんは私が引き取ります!」
「いや、俺の家で引き取る!」
「お前は分家だろうが!」
「関係あるか、そんなの!」
「銭ゲバどもが何を言うか!」

障子の向こうから怒鳴り声が聞こえる。骨にされて箱に入れられちゃったお父さんとお母さんと一緒に、僕は違う部屋でずっと待たされている。今日僕が泊まるお家について話し合ってるみたいだ。何でみんなそんなに喧嘩するんだろう。

お腹が空いて、僕はテーブルの上にあったお寿司を摘んだ。口に入れたら辛くて、すぐにべって吐き出した。見たら、僕の苦手なワサビが入ってた。

「腹減ってんのか、翔太」
「あっ……」

ガッカリしてたら、目の前に唐揚げが乗ったお皿が出された。顔を上げたら、すぐ側に由兄ちゃんがいた。

「退屈か?」
「…………」

僕は黙って首を振った。お父さんとお母さんが入った箱を抱きしめたら、由兄ちゃんの顔から笑顔が消えた。由兄ちゃんは坊主頭をボリボリ掻いて、僕の隣にそっと座り込んだ。

「……寂しい、よな」
「…………」
「……翔太、お前……」
「…………」
「あの……カップラーメンとか、コンビニの弁当とか、そういうの好きか?」
「……辛くないのなら、好き」
「じゃ、じゃあよ、今夜俺ん家泊まるか?」
「えっ、由兄ちゃんのお家?」

僕が首を傾げたら、由兄ちゃんはぱあっと笑って自分の顔を指差した。

「おう!ちゃんとテレビもあるぞ!エアコンはねーけど、ゲームも漫画もあるぜ!布団はお前が使っていいから、今日泊まってけよ!」
「ほんと? いいの?」
「ああ!当たり前だろ!」
「やったぁ!」

僕は箱を抱きしめて立ち上がった。嬉しくてぴょんぴょんジャンプしたら、由兄ちゃんがニコニコ笑って頭を撫でてくれた。

「うし、じゃあタクシー呼んどくから、お前先に靴履いて外で待ってろ」
「うんっ!」

由兄ちゃんはそう言うと立ち上がって、ずっと怒鳴り声がやまない障子の向こうに行ってしまった。僕は箱を抱えたまま、自分の靴があるところまで走った。


◆◆◆


真っ暗なお外でしばらく待っていたら、由兄ちゃんがふらふらな足で歩いて来るのが見えた。

「由兄ちゃん」
「待たせたな翔太」

酔っ払っているのかなって思って「酔っ払ってるの?」ってきいたけど、由兄ちゃんは酒なんか飲んでないって言って笑っていた。でも、由兄ちゃんの服はここを出る前と比べてヨレヨレになっていたし、黒いスーツの襟からボタンの取れたシャツが丸見えになっていた。ネクタイもどこかに忘れてきちゃったみたいで、今の由兄ちゃんはちょっとだらしのない格好をしていた。

「待て!由竹ーッ!」
「ヤベッ……早く乗れ、翔太!」
「うん」

会場の向こうから知らないおじさんが大声を出しながら走ってきた。由兄ちゃんは慌てて僕をタクシーに乗せて、車はそのまま発進した。僕は、初めて行く由兄ちゃんのお家が楽しみで、車の中でずっとワクワクしていた。


◆◆◆


「お前ん家に比べて狭いし散らかってるけど……まあ、上がれよ」
「…………」

由兄ちゃんのお家は、僕の住んでるお家とは全然違っていた。たくさん並んだマンションみたいな建物にはエレベーターがなくって、由兄ちゃんと一緒に上がった階段にはいっぱい蜘蛛の巣があった。初めて上がった由兄ちゃんのお部屋の中はなんだか酸っぱい臭いがして、床の上には空のペットボトルやゴミ袋がある。敷いたままのお布団と、汚れたまま置かれたお皿が玄関から見えた。何もかもが、僕のお家と全然違っていた。

「あー悪い、この辺掃除してなかった。ちょっと待ってろよ、今退かすから」

由兄ちゃんはそう言って床の上にあったゴミ袋を部屋の端っこに転がした。埃が浮いて、僕がくしゃみをすると由兄ちゃんはちょっと慌てたようにベランダの窓を開けた。

「あっ、お前っ……タイミング悪いよ〜!ちょっと今だけはタバコやめて!」

ベランダに出た由兄ちゃんは、ベランダで誰かと話しているみたいだった。たぶん、お隣さんだと思う。隣のベランダから白い煙を吹き付けられた由兄ちゃんが、咳き込みながら部屋の中に戻ってきた。

「ゲッホ!ゴホッ!くっそ、あの野郎……!血も涙もねぇな……!」
「……由兄ちゃん、大丈夫?」
「えっあ、大丈夫大丈夫!それより、あんまりベランダとか出るなよ? こわ〜いオニイサンが時々出てるからな」
「うん」

僕が頷くと由兄ちゃんはニカッと笑って、「翔太はいい子だな〜」と頭を撫でてくれた。それがちょっと嬉しくて、恥ずかしくて、僕はもじもじしながら下を俯いた。その時床の上に置いてあった本に気が付いて、僕はそれをそっと拾い上げた。本の表紙には、裸の女の人が写っていた。

「晩飯、カップラーメンでいいか? うどんとそばもあるけど、翔太はどれがい……ッキャアー!!ちょっ、何見てんの翔太!めっ!!」
「あっ……」

その本はすぐに由兄ちゃんに取り上げられてしまった。由兄ちゃんは真っ赤な顔で、床の上にあった本を全部片付けた。すごい、由兄ちゃんはお片付けのプロだ。僕はゼェゼェと息を上げて汗を拭う由兄ちゃんに拍手してあげた。

「はぁ……今日からAVもエロ本も無しの生活か……とほほ……」
「由兄ちゃん、お片付け上手なんだね。僕もお片付けできるよ」

僕はテーブルの上に置いたままにされていた汚れたお皿を重ねて、台所まで持っていった。汚れた食器でいっぱいの台所にはもう置くスペースがなくって、僕はお皿を持ったまま動けなくなった。

「由兄ちゃん……」
「ごめーん!!ごめん翔太!すぐ片付けるからな〜!」

由兄ちゃんは焦った顔で僕の手からお皿を取り上げると台所の床の上に一旦置いて、それから僕を抱き上げてリビングまで向かった。そのまま床に座らされると、来た時よりちょっとだけ片付いたリビングの、空いたテーブルの上に二つのカップ麺が置かれた。

「うどんとそば、どっちにする?」

そう言って由兄ちゃんが割り箸を僕に握らせてニコリと微笑んだ。僕はテーブルの上のカップ麺を見下ろして、それから由兄ちゃんの顔を見た。

「……半分こ、しよ?」
「んぐぅぅぅ……ッ!!」

由兄ちゃんは何故か顔をくしゃくしゃにさせて床の上にゴロゴロと転がった。どうしたんだろう。半分こが嫌だったのかな。

「由兄ちゃん……半分こ、したくない……?」
「……するぅ……」

そう言った由兄ちゃんの声は、なんだかすごく嬉しそうだった。


◆◆◆


久しぶりに由兄ちゃんと一緒にお風呂に入った。由兄ちゃんの体はいつもぐにゃぐにゃに曲がるから面白い。僕もやりたいって言ったら絶対ダメって言われるけど。

いっぱいお風呂で遊んだ後、お風呂から上がって由兄ちゃんはしまったって言って頭を抱えた。

「着替えが〜……あー……」
「……由兄ちゃん?」
「えーと……コンビニ、とかにはねーかなぁ……あ、あのスーパーなら……!」
「……?」

由兄ちゃんはハッとすると、急いで体を拭いて服に着替えた。僕が裸のままリビングに出たら、由兄ちゃんはまたハッとして僕の頭にタオルを被せてきた。

「翔太、わりーけど俺今から買い物行ってくる!」
「えっ……」
「大丈夫、すぐ戻って来るから!風邪引くとマズイから、体拭いたら取り敢えず俺のシャツ着とけ!濡れたまま歩き回るなよ!」
「由兄ちゃん……」

由兄ちゃんはカバンを持って玄関まで走った。僕が追いかけると、由兄ちゃんはくるりと振り返って僕の前に屈んでくれた。

「俺が来るまで鍵は開けるなよ? あとサイズわかんねーからお前の服ちょっと借りてくからな」
「由兄ちゃん……」
「すぐ帰るから!そんな捨てられそうな子犬みたいな顔するんじゃありません!」

じゃ!と言って由兄ちゃんはついに玄関から出て行った。そのすぐ後にカチリと鍵が掛けられる音がした。由兄ちゃんが居なくなって、お部屋の中は急にしんと静かになった。

「…………」

僕は大きなタオルで体を覆ったまま、脱衣所まで戻った。体を拭いて、置いてあった由兄ちゃんのシャツを着たらすごくブカブカで、僕は由兄ちゃんのパンツとズボンは諦めることにした。
ブカブカのシャツを着てリビングに出たら、テーブルの横にお父さんとお母さんの骨が入った箱が見えて、僕はいそいそとそれを抱き上げた。

『翔太くんのお父さんとお母さんはお星様になったのよ』

知らないおばちゃんから言われた言葉を思い出して、僕は箱を抱えたままベランダに出た。ベランダに出て真っ暗な夜空を見上げたけど、お星様なんかどこにも見えなかった。

──僕のお父さんとお母さんは、もういなくなっちゃったんだ。

その時急に、じわり、と涙が溢れてきた。

「うっ……うぇっ……ぉ、おかぁさ……!ひっ、お、おとうさぁん……!」

涙が止まらなくって、僕がずっとえぐえぐと泣いていたら、隣からガラガラガラと窓が開く音が聞こえた。

「…………」
「ひっく……ひっく……」

顔を向けたら、隣のベランダから知らない人が身を乗り出してこっちを見ていた。お髭があるから、男の人だ。知らない男の人が、ギョッとした顔で僕のことをじっと見ていた。

「……ぐすっ……ぐすん……」
「……誘拐か?」
「……?」

何かを呟いた男の人は、そのままお部屋の中に戻って行った。しばらくしたら、突然玄関のチャイムが鳴って僕はすごくびっくりした。
お部屋の中に戻ったら、玄関からドアを叩く音とドアノブをガチャガチャ動かす音が立て続けに聞こえた。なんだかすごく怖かった。

「おい、開けろ」
「…………」
「今すぐ開けねーとこのドアぶち壊すぞ」

壊されちゃ困るから僕は急いでドアの鍵を開けた。そしたらすごい勢いでドアが開けられて、さっきベランダで見た男の人が現れた。ジロッと見下ろされて、僕は怖くて思わずその場から逃げ出してしまった。そのまま急いでトイレの中にこもって、すぐに鍵をかけた。

「おい、怖がるな。俺は警察だ」
「…………」
「……はぁ。とって食ったりしねーよ、大人しく出てこい」
「…………」

僕はそっとトイレのドアを開けた。するとドアの隙間からさっきの男の人が顔を覗かせてきたから、僕はびっくりしてまたドアを閉じてしまった。

「おいコラ」
「あっ……」

でも鍵をかける前にドアを無理やり開けられて、僕はついに逃げ場を失った。お父さんとお母さんの入った箱をぎゅっと抱きしめて、僕はホロホロと涙をこぼした。

「うっ……うっ……」
「泣くな。今別のお巡りさん呼んでやるから……」
「翔太!!」

ポケットから何かを取り出そうとした男の人の向こうから、由兄ちゃんの声が聞こえた。そのすぐ後にドタドタと足音が近づいて来て、ビュッと握りこぶしが飛んできた。由兄ちゃんが、男の人を殴ろうとしたんだ。

でも男の人は由兄ちゃんの拳を避けて腕を取ると、変な方向に体を捻じ曲げて由兄ちゃんをあっという間に床の上に叩きつけた。

「由兄ちゃん!」
「よし、兄ちゃん……?」
「クッ……寄るな翔太!逃げろ!」

僕は虐められている由兄ちゃんを助けようと、男の人の背中を叩いた。

「やめて!由兄ちゃんいじめないで!痛いことしないで!」
「俺のことはいいからッ……逃げろ翔太!」
「おい待て、これは一体どういうことだ」
「逃げッ……え?」

男の人の背中をずっとポカポカ殴っていたら、今度は僕が男の人に摘み上げられた。その下では由兄ちゃんがぽかんとした顔で座っている。

「うぁあん!離してよぉ!」
「こいつはお前の弟か何か?」
「え、いや……あの……」
「由兄ちゃぁん!」
「ッ……そうだよ!翔太は俺の弟だ!わかったらさっさと翔太を降ろせ!このッ……ニコチン野郎!」
「ほう……?」

男の人は飛び掛かってきた由兄ちゃんをヒョイと避けて、僕を腕に抱き直した。僕が嫌がって男の人の顔を手で押しても、男の人は無表情で全然効いていない。

「白石由竹。傷害事件の前科者で、幾度も少年院を脱走して一躍脱走王として有名になったお前に、まさかこんな小さな弟がいたとはなぁ」
「なッ、何でお前がそのことを……ッ!」
「俺が聞いた話じゃ、お前の兄弟は白石貿易の社長兄貴くらいだろう。弟なんかいないはずだ」
「……ッ今、その話はすんじゃねぇ……!」
「フッ……金欲しさに誘拐か? 今度ばかりは刑務所送りだぞ、白石……」
「やめろッ!!」

由兄ちゃんの怒鳴り声がお部屋の中で大きく響いた。ビリビリと肌に伝わる由兄ちゃんの声は聞いたこともないくらい怖くて、僕は訳もなく涙を流した。

「ッ……そいつは、翔太は、兄貴の子供なんだよ……!!」
「…………」
「わかるだろ、なあ……!あんたもテレビ見ただろ……!船がッ……ぁ、兄貴が、姉さんと、海に……ッ」
「……ああ、そういうことか」

男の人は腕に抱いた僕の顔をチラリと見て、そっと僕を床の上に降ろしてくれた。僕は、目元を手で覆い隠して泣いている由兄ちゃんの元まで走った。下がったまま上がらない由兄ちゃんの坊主頭をよしよしすると、由兄ちゃんは四つん這いになって体を丸めて、わあわあと泣いた。今日の由兄ちゃんは、ずっと泣いているような気がする。僕は、由兄ちゃんの頭をぎゅっと抱きしめてあげた。着ていたシャツの胸部分がじわっと濡れて、由兄ちゃんの鼻水がべっちょりとシャツについた。僕は後ろを振り返って、男の人の顔を見上げた。

「……おじちゃん、由兄ちゃん虐めないで……」
「…………」
「今日の由兄ちゃん、泣き虫さんだから……」

そうお願いしたら、男の人は目を逸らしながら髪を撫で上げて、僕達からくるりと背中を向けた。

「……そんなに心配なら、こんなボロ団地の部屋でガキ一人に留守番なんかさせんなよ。極悪人に泣き落としは通用しねぇぞ、白石」
「ぐっ……うぅ……ひっぐ……!」
「あと俺の名前は、尾形だ。一番近くの交番で勤務してるマジの警察官だから、変な気は起こすなよ」
「おじちゃん、帰るの?」
「おじちゃんって言うな」
「バイバイ、お兄ちゃん」
「お兄……ああクソ、もうどうでもいい。鍵掛けとけ、二重に」

尾形お兄ちゃんはそのまま玄関から出て行った。由兄ちゃんは相変わらずえぐえぐと泣いていて、さっきからずっと僕のシャツを握りしめている。なんだか僕の代わりに由兄ちゃんが泣いてくれているみたいで、僕の目からも不思議と涙は出てこない。

「由兄ちゃん、ありがとう……」
「翔太……ッ!」


その日の夜は、由兄ちゃんと一緒にお布団に入った。由兄ちゃんは温かくて、優しくて、僕の大好きな匂いがする。僕を護ってくれる、大好きな人の匂いだった。


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