海賊の子 | ナノ

打ち寄せた記憶


大きな笛の音が鳴った。
一回目の試合が終わったみたいで、勝ったのは尾形お兄ちゃんのチームだった。色黒のお兄さんはすごくすごく喜んでいるけど、由兄ちゃんと杉元お兄ちゃんは落ち込んでいた。

「どうだ!これが実力差というものだ!」
「くそッ……」
「調子に乗りやがってあの野郎〜……」

悔しそうにしている由兄ちゃんに僕は近寄って、そっと背中を押してあげた。

「翔太……」
「由兄ちゃん、僕……負けても、由兄ちゃんが大好きだよ?」
「……ありがとな、翔太。でも大丈夫だ!次こそはちゃんと勝つからよ!」

ニカッと笑った由兄ちゃんが僕の頬っぺたを撫でた。そのままむにむにと摘んで引っ張ると、由兄ちゃんが「よし!」と言って、またコートの中に戻って行く。その背中をじっと見守っていたら、ふと杉元お兄ちゃんが僕の方をちらちら見ているのが見えた。僕は、杉元お兄ちゃんの手を掴んで笑った。

「杉元お兄ちゃん、次は勝とうね」
「はぅっ……翔太くん……!」

顔を赤くした杉元お兄ちゃんが、ブルブル震える手で僕の顔まで手を伸ばした。

「ぅ……」
「……?」

杉元お兄ちゃんは僕から目を逸らして、小さな声で「頬っぺた触っていい?」って訊いてきた。僕がいいよって言うと、杉元お兄ちゃんは目をパッと明るくさせて僕の頬っぺたに触った。人差し指でツンツンとつつかれて、ちょっと面白い。

「あぁ〜……柔らかぁい……」
「やめろ杉元。変態みたいだぞ」

アシリパお姉ちゃんにそう言われて、ハッとなった杉元お兄ちゃんは真っ赤な顔で慌ててコートに戻って行った。コートの方を見たら、色黒のお兄さんが何かギャアギャアと騒いでいた。それを強いお巡りさんが後ろから抑えている。なんであんなに怒っているんだろう。

「それでは、2セットのコイントスを始めるぞ」

お髭のおじさんがそう言って、コインを親指で弾いた。あれをすると試合が始まるらしい。さっきの試合は由兄ちゃん達からだったけど、今度の試合は尾形お兄ちゃん達からだ。由兄ちゃん達は少し苦しそうな顔をしていた。

「負けるなーっ!白石ー!杉元ー!」

アシリパお姉ちゃんは大きな声で二人を応援していて、僕も応援しようと前に出た。だけど、いつの間にか周りにいっぱい人が集まってきていて、ここからじゃ由兄ちゃん達がよく見えない。

「んっ……んっ……」

ジャンプしてみてもダメだった。僕はどんどん人の後ろに流されて、ついにアシリパお姉ちゃんまで見えなくなってしまった。

「見えない……」

どっちかから回り込んで見た方がいいかもしれない。僕はぐるっと人の壁を回ることにした。

「……あっ」

歩いていると、沢山の人の向こうに海原カイトが見えた気がした。仮面サーファーの人だ。どうしてこんな所にいるんだろう。

僕は後を追いかけることにした。握手してもらいたかった。どうやったら海が怖くなくなるのかも訊いてみたかった。

「仮面サーファー!」

僕は大きな声で呼んでみた。でも、海原カイトは気付いてくれない。僕の方には振り返らずに前を歩いている。一生懸命追いかけていると、海原カイトの隣に誰かいるのがわかった。誰だろう。海原カイトの友達かな。

「待ってぇ!」

走って走って、いっぱい走って追いかけて、僕はようやく追いついた。後ろから海原カイトの手を掴んだら、海原カイトはこっちに振り返ってくれた。

「えっ? なんだ?」
「あっ……」

僕は手を離した。この人はたぶん、海原カイトじゃない。すごく似ているけど、海原カイトにはお髭がないもん。この人は違う。

「どうした、夏太郎」
「あ、いや……子供が……」

海原カイトに似ているお兄さんの横にいた人は、すごくすごく怖い顔をしていた。僕はドキドキして、唇を噛んで、震えることしかできなかった。

「あー? 迷子か?」
「かもなぁ。ボク、お父さんとお母さんはどこ?」
「……っ」
「おう、どうしたぁ。顔が真っ青だぞ」
「うぅ……」
「いや、お前の顔が怖いんだよ亀蔵」

怖い。眉毛がない。僕のことをじっと睨んでくる。怖い。由兄ちゃん。由兄ちゃん。由兄ちゃん──……!

「うー……っ」
「なっ……お、おい!」
「ちょ、バカ!亀蔵!泣かすなよ!」
「いや、俺何もしてねぇぞ!?」
「親!親探そうぜ!」
「お、おう!なぁ坊主、俺達がお父さんとお母さん探してやっからよ、泣かないでくれよ!な?」
「うぅっ……うぇぇ……!」
「だあぁもう!亀蔵早く離れろ!お前が顔近づけたら迫力ヤバいんだよ!それ以上迫んな!」
「ひっく……!よしにぃちゃぁ……っ!」
「えっ、何だって!?」
「取り敢えずセンター連れて行け!放送で親呼ぶぞ!」
「いや、俺が持ったらぜってぇ泣くぞ、この坊主!」
「もう泣いてんじゃねーか!」
「バカヤロウ!泣き叫ぶ子供を俺が担いでいたら誤解されんだろうが!お前が持て!夏太郎!」
「いやっ、俺抱っこ得意じゃねーし……!」
「つべこべ言わずに連れてけ!お前それでも警備員か!」
「わかったよ!わかったからそんなデケェ声出すなよ、子供が怯えるだろ!なぁっ!? ……あれ?」
「いなくなってる……!?」

二人のお兄さんが話しているうちに僕は逃げた。早く戻らないとあの人達に捕まって、僕はまたどこかに連れて行かれるかもしれない。そうしたら由兄ちゃんに二度と会えなくなる。そんなの嫌だった。だから僕は一生懸命走った。

「いた!亀蔵!あっち!あっちに行ったぞ!」
「どこだ!」

どうしよう、もう見つかっちゃった。
後ろからあの二人が追いかけてくる。早く由兄ちゃん達を探さなきゃ──

「きゃあっ!」
「あっ……」
「やだ、危ない!」
「ご、ごめんなさっ……」
「うわっ、ちょっ……!」
「ぁっ……ぁっ……」

浜辺にはいっぱいの人がいて、走っているとぶつかっちゃう。由兄ちゃん達はどこにいるんだろう。怖くて何もわからなくなる。

「おい、デケェ波くるぞ!」
「海辺から離れろ!」

ピィィィーーーッ!

笛の高い音が聞こえた。
その後に、ザザッ……と水を引きずるような重い音も聞こえた。

「あ……」

見上げたら、大きな影が僕の上から降ってきた。


◆◆◆


「なかなかいい勝負が続いているな」

鶴見篤四郎は得点表を見てにこやかな笑顔を浮かべた。
白石達と鯉登達の勝負は19-16で、若干白石達が優勢である。炎天下での試合ということもあり、両チーム共そこそこに暑さでバテ始めていた。顎にまで流れ落ちてきた汗を白石が手の甲で拭う。

「クソ……こっちが今は優勢っつっても、このままじゃいつ巻き返されるかわかったもんじゃねぇぜ……」
「サーブ権もとられたから、次は絶対に尾形のサーブでくるぞ……」
「どうする杉元……またあの手使うのか?」
「いや、流石に尾形も今度の翔太くんは効かな……あれ?」
「どうした?」

杉元がコートの外に視線を走らせるが、応援するアシリパ以外に翔太の姿は見えなかった。もう一度辺りをよく見渡しても、やはり翔太の姿は見当たらない。

「翔太くん、どこだ……?」
「えっ!?」

白石は慌ててコートの周りを見渡した。いつの間にかできていたギャラリーに阻まれ、翔太の姿が見えなくなっている。笛を鳴らそうとする鶴見に、白石は自分の両手を大きく降って中止を呼びかけた。

「タイム!タァイム!」
「何だ!興醒めするような真似はよせ!」
「馬鹿!翔太がいねーんだよ!試合よりそっちが先だ!」
「なにっ!?」

翔太がいなくなったと聞いて鯉登の顔から血の気が引いた。尾形もボールを持ったまま構えを解いて、辺りを黙って見渡す。異変に気付いたアシリパも自分の周りを探してみるが、翔太のような子供はどこにもいなかった。

「これはいかんな。翔太くんが迷子になったか」
「翔太ーッ!」
「翔太くーん!」
「翔太ー!どこだ、返事をしろー!」
「翔太ーッ!!」

試合を放棄し、全員で翔太を探した。盛り上がっていたバレーの試合が中止になったことで、少しずつギャラリーが引いていく。

「大変だ!子供が波に飲まれたぞ!」
「!」

さっきまで辺りにいたギャラリーの内の一人が、海の方を指差して駆け出した。その言葉に全員の顔が一斉に海に向く。数メートル先にある海辺の向こうでは、既に人集りが出来ていた。

「翔太……!」

鯉登は真っ青になって駆け出した。
人混みの中を突風のように駆け抜けると、だんだんと海の顔が見えてくる。波は高く、時折大きくうねっていた。どかで連れさらわれたらしい浮き輪が、沖の方まで流されている。その時、海面から一瞬だけ上がった顔を見て、鯉登の目がカッと見開かれた。

荒れる海面で、翔太が一心不乱に手足を動かしていた。

「翔太ーーーッ!!」

鯉登は叫びながら海へ飛び込んだ。凄まじい速さで途中まで泳ぐと、波に押されないよう海中に潜った。鯉登の体はまるで弾丸のように海中を切り進み、溺れて苦しそうに喘ぐ翔太の元まで一直線に向かって行った。

──翔太……ッ!

体力を消耗しきったのか、突然翔太の四肢が水への抵抗をやめた。細やかな泡が翔太の口から出なくなったのを見て、鯉登は焦った。眉を潜ませ、目一杯に腕を伸ばす。

──掴んだ!

なんとか翔太の片腕を掴むと、鯉登は水の抵抗をもろともしない力で翔太を自分の胸に抱き寄せた。膝を曲げ、海面に向かって水を蹴り上げる。

「ぶはあッ!!」

海面から顔を出して、肺いっぱいに空気を取り込んだ鯉登は翔太を自分の首元まで引きずり上げた。息をしていない。

「翔太!しっかりせぇ!」
「…………」
「翔太!!」

海水を飲んでしまったのか、翔太は青い顔をしたままで呼吸が戻らない。鯉登の呼び掛けにも反応しなかった。

「鯉登ーッ!」
「っ、鶴見、警部……殿!」
「これを使え!」

海辺の方から救命用の縄付きの浮き輪が投げられた。鯉登は自分の方へ飛んできた浮き輪に手を伸ばし、なんとか手に掴むことに成功した。

「今だ!引けぇー!」

鶴見の合図とともに、白石、杉元、尾形、月島、アシリパの全員が力を合わせて縄を引いた。一般人の中でも錚々たるメンバーである。一度縄を引くだけで、鯉登達は一気に海辺まで引き戻された。

「翔太!」

縄から手を離した白石が、翔太を抱き上げて海辺から歩いてくる鯉登の方まで駆け寄った。

「救護班を呼べ!息をしていない!」
「海水を飲んだのか!?」
「心臓マッサージだ!鯉登ォ!」
「翔太!」

鯉登は警察学校で学んだ心臓マッサージを試みた。翔太の顔は依然として青いままだ。

「なぁおい!人工呼吸とかした方がいいのか!?」
「いや、このままマッサージを続けた方がいい」
「けど息してねぇんだろ!?」
「尾形の言う通りだ。鯉登警部補にはマッサージを続けさせた方がいい」
「うむ。従来は人工呼吸と心臓マッサージを繰り返すよう求めていたが、訓練を積んでいない人間には口から空気を送り込む人工呼吸は難しく、回復率の向上につながりにくい。鯉登もそれは分かっているはずだ」

「翔太……!翔太……!翔太……!」

鯉登は泣きそうになりながら心臓マッサージを続けた。自分の目の前で、大切な命が消えかかっている。強く、早く、めいっぱいに鯉登は翔太の胸を押した。

「頼む……なぁ、目を開けてくれ……!翔太……!俺を一人にしないでくれ……!もう、海で……兄弟を失いたくはない……!」
「…………」
「翔太……ッ!」

鯉登が懸命に心臓マッサージを続けていると、突然翔太の瞼が震えた。

「ぅ……ゲホッ!ゲホッ!ゲェ……ッ!」
「翔太!!」
「水を吐いた!」
「翔太!」

体を折り曲げて海水を吐き出した翔太に、鯉登は安堵の表情を浮かべた。急いで翔太を腕に抱き上げ、残りの水も吐き出させようと背中を叩く。

「杉元!担架が来たぞ!」
「わかった!おい、替われ!翔太くんを担架に乗せ……」
「触るな!私がやる!」

鯉登は手を伸ばす杉元を振り払い、未だに苦しそうにしている翔太を運ばれてきた担架まで連れて行った。

「翔太、もう大丈夫だぞ……!にぃにが側にいるからな……!」
「ゲホッ!……にぃ、に……?」
「……!」
「替わります!」
「後は我々に任せてください!」

現れた救急隊員が鯉登から翔太を取り上げ、担架に乗せた。そのまま運ばれていく翔太を白石達が追う。鯉登は、しばらくその場で呆然としていた。

救急車のサイレンが遠退く最中、鯉登の後ろでは、いつまでも尽きることなく打ち返し打ち寄せる波の音が鳴っていた。


◆◆◆


「鯉登のところの息子さん、今度鹿児島に行くらしいぞ」
「あら、本当?」

お家でオモチャで遊んでいる時、リビングでお父さんとお母さんが話していた。

「翔太のことをよく可愛がってくれていた子でしょう? 名前は……音之進くんよね?」
「ああ。一昨日、手紙が来たんだ。翔太に会いたいって気持ちがよく伝わったよ」
「あらそう……じゃあ、ここを発つ前に連れて行ってあげた方がいいかしら?」
「うーん……そうしたいけど、俺もお前も仕事だろ? 彼もそこを気にしてたのか……『会わせてくれ』とは書いてなかったよ」
「そうね……。休みの時は翔太と過ごしてあげたいし……悩ましいわね」
「翔太が小学校に入学して、最初の夏休みに会いに行ってみようか」
「それがいいわ!翔太も、音之進くんに会えるなんて嬉しいでしょう?」
「……?」
「おいおい、翔太が彼と会ったのはまだ一歳の頃だぞ。覚えてないさ」
「あら、覚えてるわよ。ねぇ、翔太? にぃにのこと、覚えてるでしょう?」
「……にぃに……?」
「そうよ」



翔太の大好きな、音之進お兄ちゃんよ──




「翔太」

ふわりふわりと見えていた景色が消えた。
名前を呼ばれて、瞼が上がる。ぼんやりした景色の中に、由兄ちゃんの顔が見えた。

「翔太……!」
「目を覚ました!」
「翔太くん!」

由兄ちゃんの顔の横から、アシリパお姉ちゃんと杉元お兄ちゃんの顔も出てきた。僕は、眠っていたのかな。天井も見える。ここはどこだろう。由兄ちゃんのお家じゃない。

「大丈夫か? 具合悪くないか?」
「……由兄ちゃん……?」
「ああ!兄ちゃん、ここにいるぞ!」
「……ここ、どこ……?」
「ここはな、病院だ。病院の、病室。……何も覚えないのか?」

覚えている、と思う。たしか、僕は由兄ちゃんと海に行って、杉元お兄ちゃんとアシリパお姉ちゃんと遊んで、それから、みんなでボール遊びをして──……

「……尾形お兄ちゃんは……?」
「尾形ちゃんはいません。やることあるんだってさ」
「…………」
「そうだ、翔太くん。翔太くんに会いたいって奴がいるんだけど……」
「……?」

杉元お兄ちゃんがそう言って、「部屋に入れてもいい?」って訊いてきた。僕は頷いて「いいよ」と言った。そうしたら杉元お兄ちゃんが、開いたままだったお部屋のドアの向こうに「入っていいぞ」と声を掛けた。

そうしたら、ドアの向こうから恐る恐る誰かが入ってきた。僕はその人達に、見覚えがあった。

「あ……海原カイト……」
「え、あっ、違う違う!俺、夏太郎!似てるらしいからよく間違われるけど……ほら、髭あるだろ?」
「あ……違う……」
「だろ? ……あ、こっちが亀蔵。俺のお友達だよ」
「よ、よう……」

そうだ、この人達はたしか海で会った人達だ。あの顔の怖いお兄さんもいる。僕はベッドの掛け布団を顔まで引きずり上げた。

「あっ、怖くないよ!亀蔵はめちゃくちゃいい奴で、優しい奴だからさ!……顔はちょっと怖いけどな」
「一言多いんだよ、お前」
「……僕のこと、連れて行かない……?」
「えっ? あ、あぁ!もちろんだよ!あの時は迷子だと思って連れて行こうかとか話したけど……。俺達こう見えて、こっちの杉元さんと同じ会社の警備員なんだ」
「ああ。今日は雇われで海水浴場の巡回だったんだよ」

なんだかよくわからないけど、二人共杉元お兄ちゃんの知ってる人みたいだ。杉元お兄ちゃんも優しい笑顔で二人を見ている。悪い人じゃないんだ。
僕は掛け布団を顔から下ろして、ぺこりと頭を下げた。そうしたら、二人のお兄さんも僕に向かって慌ててぺこりと頭を下げてくれた。挨拶できる人はいい人だ。

「俺達、普段は普通の警備員として働いてるから、ひょっとしたらまたどこかで会うかもしれないな」
「その時は怖がらないで声掛けてくれよな」
「……うん」

二人のお兄さんはそう言うと、僕にバイバイしながらお部屋から出て行った。

「……由兄ちゃん、僕も帰る……」
「えっ!? もういいのか!?」
「うん」

だってここは僕のお家じゃないもん。それにお腹が空いたし、早く帰って由兄ちゃんと一緒にお風呂に入りたい。

「じゃあ……俺、取り敢えず医者に話してくる。杉元、アシリパちゃん、ちょっと翔太のこと頼めるか?」
「ああ、大丈夫だ」
「任せろ」
「サンキュー!じゃ、すぐ戻ってくるからよ!」

由兄ちゃんはそう言うと笑顔でお部屋から出て行った。側にいてくれていた杉元お兄ちゃんが「走んなよ」と大声で言うと、アシリパお姉ちゃんが「杉元もうるさいぞ」と注意する。それが面白くって僕が笑うと、気付いたアシリパお姉ちゃんが苦笑いして僕の頭を撫でてきた。

「……ごめんな、翔太」
「え……?」
「今日、私を海に誘ってくれたのは翔太じゃないか。夏休みなのにやっていることは部活ばかりで、全然遊ばない私のことを気にしてくれたんだろう?」
「……うん」
「あははは、杉元はおしゃべりだな」
「アシリパさんが真面目過ぎるの!そりゃ、好きなら部活に熱心になるのはいいけどさ……他の子の部活にまで出て遊ぶ暇ないなんて、心配にもなるよ……」
「そうだな。でも、今日みたいに羽目を外して……翔太を見てやれていなかったのは私の責任だ」
「アシリパさん!それは違うよ!そんなこと言ったら俺や白石だって……」
「わかってる」

アシリパお姉ちゃんは悲しそうに笑って、僕の頬っぺたを撫でた。アシリパお姉ちゃんの手はやっぱり温かくて柔らかい。杉元お兄ちゃんや由兄ちゃんと違う、女の子の手だ。

「翔太は優しくて、思いやりもある素直でいい子だ。できるなら、私だっていつでも見てやりたい。そうしたら、翔太と毎日遊べるのにな」
「……!」

少し悲しそうな顔のアシリパお姉ちゃんの言葉を聞いて、僕はピンときた。それだったら、アシリパお姉ちゃんが由兄ちゃんのお家に住めばいいんだ。

「アシリパお姉ちゃん、一緒に暮らそうよ」
「!」
「なっ、何言ってるの翔太くん!6歳でプロポーズなんて無効だよ!?」
「ぷろぽーず?」
「あーでも……今から婚約とかだと、えーっと……あっ、十数年後には結婚可能か……」
「ふっ、ふふっ……あははは!」

さっきまで悲しそうな顔をしていたアシリパお姉ちゃんが、突然お腹を抱えて笑い出した。僕、なにか変なこと言ったのかな。杉元お兄ちゃんも困ったような顔でオロオロしている。

「翔太、気持ちは嬉しいが私は翔太とは暮らせない。それに、翔太には白石がいるから寂しくないだろう?」
「! ……アシリパお姉ちゃんも、由兄ちゃんみたいなこと言う……」
「ん? どうした、翔太」

どうして一緒に暮らしたいってお互いに思っていても一緒に暮らせないんだろう。アシリパお姉ちゃんも杉元お兄ちゃんも、僕や由兄ちゃんと一緒にみんなで暮らせたら絶対楽しいのに。何がダメなのか僕にはわからない。

「おーい翔太、お待たせ」

そこへ、荷物を持った由兄ちゃんがお部屋に戻ってきた。

「あれ? もういいのか?」
「ああ。案外早く終わった。まあもう夕方だし、朝に比べりゃ手続きも早く済むだろうな」
「じゃあ俺、先行ってタクシー捕まえとくか?」
「ああ、頼む。支払い終わったら俺も合流するから、翔太も連れて行ってやってくれよ」
「わかった。翔太くん、行こうか」
「……うん」

杉元お兄ちゃんが僕に向かって手を出してきたから、僕は杉元お兄ちゃんの手を取ってベッドから降りた。その時、僕の水着の上にお洋服が着せられてあるのに気付いた。いつの間に着替えていたんだろう。僕は思い出そうと首をひねったけど、眠っていたから全然思い出せない。

「……結局、今回もまた勝負がつかなかったな」
「もういいよ、そんなの。翔太くんも無事だったし、あいつらと関わるのもいい加減面倒くさくなってきた」
「けどその内、また翔太に会わせろって押し掛けてくるかもしれないな」
「え〜やめてぇ、アシリパさん。ありそうで怖いから〜」

そう言って杉元お兄ちゃんとアシリパお姉ちゃんは笑い合って、僕を連れたまま病院の出口まで向かった。


◆◆◆


「翔太ーッ!」

病院を出ると、突然大声で僕の名前が呼ばれた。

病院の前には何故か、あの色黒のお兄さんが停めてある車の窓から体を出して僕達に向かって両手を振っていた。

「翔太ーッ!無事やったんじゃなァーッ!心配したんじゃぞーッ!いっきでも見舞いに行ってやろごたったんだが、鶴見警部殿に留められて行けんかったんじゃーッ!だが帰りに顔くれは見てんよかとお許しがもれたで会いに来たぞーッ!翔太ーッ!」
「……やだぁ、ホントに来た……」
「……ストーカーか、あの男……」
「キエェェーッ!杉元ォーッ!貴様何おいん翔太と手を繋いじょるんじゃーッ!さっさと手を離せこんケダモノがーッ!」

あの色黒お兄さん、またよくわからないことを大声で言ってる。プンスカ怒っている色黒のお兄さんが車から出ようとすると、車の中から誰かが腕を回して、お兄さんを車の中に引きずり戻した。車はそのまま動き出して、叫び声と一緒に病院の前から消えていった。

「お待たせぇ〜……あれ? どうした? 何かあった?」
「……白石、お前これから戸締りとか徹底しろよ、マジで」
「え?」
「翔太を一人にするなよ」
「えっ? えっ? なに? どういうこと?」


タクシーに乗った後、杉元お兄ちゃんもアシリパお姉ちゃんも、あの色黒のお兄さんには気をつけた方がいいよって僕にいうけど──

僕は不思議と、あのお兄さんのことはそんなに悪い人だとは思えなかった。むしろちょっとだけ、僕はあのお兄さんのことを好きになれたような気がした。


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