海賊の子 | ナノ

夏のお誘い


──ここは、どこだ?
辺りが暗くて何も見えない。明かりはないのか?

暗闇の中を手探りで進む。明かりどころか、音も聞こえない。けれど不思議と、恐怖や焦燥を感じない。何故だろうか。こんな所にいれば普通、パニックになってもおかしくはないというのに──

「にぃに」

──翔太?

暗闇の向こうから翔太の声が聞こえた。声の方へ振り向くと、灯火のような仄かな明かりが見えたのでそちらへと向かってみた。明かりは近付くにつれて少しずつ際立ってくる。

「にぃに」
「翔太……」

もう一度呼ばれた瞬間、辺りを包んでいた暗闇が一斉に晴れて、周りの景色が一気に塗り替えられた。晴れ渡る青い空に白い入道雲。大海原の波の音に混じる人々の笑い声。

「にぃに、だっこ」
「翔太……お前なのか」

小さなセーラー帽を被った幼い頃の翔太が、私に向かって必死に手を伸ばしている。
そうだ──ここは、私と翔太が初めて出会った場所だ。

「……おいのことを、またにぃにと呼んでくれるんか……?」
「にぃに〜」
「翔太……!」

あの時と変わらない、紅葉のような手が伸びる。辛抱堪らず、掻き抱こうと伸ばす手。あと少し──触れ合えると思ったその時だった。

「翔太の“にぃに”は俺ですよ、鯉登さん」
「はっ……」

掴んだはずのその手は突然煙になって掻き消えた。波の音が止んだ。空も、雲も、あの広い大海原も、全てが再び闇に飲まれた。

「翔太!どこじゃァッ!」
「にぃに〜ッ!」
「!」

翔太の悲痛な声が聞こえた。声が聞こえた方へ振り返ると、翔太が泣きながら私に手を伸ばしていた。そしてその翔太を片腕に抱いた尾形が、まるで悪魔のような笑みを浮かべて私を見ていた。

「尾形ァッ!貴様ッ……よくもおいんむぜ翔太を……!!」
「安心してください、鯉登さん。俺が鯉登さんの代わりに翔太を毎日ヨシヨシペロペロしてあげますので」
「わぁ〜ん!助けてェ!にぃに〜!」
「やめろぉぉぉぉぉッ!!」






「ゔあ゙ぁッ!?」


──早朝、自分の酷い悲鳴で目を覚ました。

呼吸が荒く、寝汗がひどい。他人の力によって無理やり目覚めさせられた気分だった。

「…………夢……」

無意識に呟いた言葉を頭の中で反復する。
今見たものは、全て夢──否、結果としては悪夢に違いないのだが。

「……そうだ。あの時は……」

翔太と初めて出会ったあの場所は、確か豪華客船の甲板だった。時期はちょうど今と同じ夏の季節で、翔太は当時セーラー服を着ていた。

「……むぞかったなぁ、あん頃ん翔太は……」

頬に熱が集まるのを感じた。翔太への愛おしさが、心の奥底から湧き水のように湧いてくる。

「……もう、思い出してはくれないのか……」

それと同時に、私のことをすっかり忘れてしまっていた翔太を思い出して悲しみに暮れる。今ではあの尾形百之助に懐いている始末だ。どうすれば翔太は私のことを思い出してくれるだろうか。またあの時と同じように、私のことをにぃにと呼んでくれるのだろうか──

「……あの時と、同じ……」

──そうだ。

「海に行こう……!」

きっと翔太は、私のことを思い出してくれるに違いない──!


◆◆◆


第七団地公園前交番──


「月島ァ!海に行くぞ!」

二階堂浩平が朝の立番をしている最中、交番内では朝から鯉登音之進警部補がなにやら騒いでいる様子だった。鯉登は、ファイルとにらめっこを続ける月島基巡査部長の背後から、やたらと大きな声で話しかけている。この状況に全員慣れてきたのか、最近では鯉登が突然交番に現れても誰も反応しなくなってきていた。

「……お生憎ですが鯉登警部補殿、ウチの交番では海は管轄外です」
「何を言っている!サマーバケーションだ!」
「お生憎ですが鯉登警部補殿、警察官に夏休みはありません」
「鶴見警部殿の許可は得たぞ!」
「……そうですか……」

月島は虚空を見つめて鯉登の対応を諦めた。やりたいようにやらせる他ない。この男を含め署の人間は皆、誰が何を言ってもどうせ聞きはしないのだから。

「ちなみに、海に行くのは私と鶴見警部殿とお前と翔太の四人だけだ!」
「翔太くんも、ですか……?」

今まで鯉登のことなどまるで眼中にないように接していたはずの尾形だったが、翔太の名を耳にすると突然動かしていたペンを止めた。

「そうだ!何を隠そう、私が翔太と出会った場所は海だったからな!あの時と同じように翔太と海で過ごせば、きっと翔太は私のことを思い出してくれるに違いない!」
「まだ思い出してもらえると信じていらっしゃるのですか……?」
「私は一途だからな」
「……鶴見警部だけでなく、一人の子供相手に熱を上げている方が一途、ですか……」
「っ……何だ、尾形。私に何か言いたいことでもあるのか」
「いえ、別に……」

尾形からの、まるで嫌味のような発言に対し鯉登はすぐに反応を見せた。思い通りの反応の仕方に尾形は思わず失笑してしまい、それを見た鯉登の眉間に益々シワが寄る。尾形は口元に浮かんだ笑みを指で隠しながら、椅子を回して鯉登の方へと振り返った。

「ああ、すみません。あまりに滑稽だったもので、つい……」
「貴様ッ……」
「失礼だぞ、尾形巡査長。言葉を慎め」

鯉登に対しイヤに喧嘩を吹っかける尾形を不審に思いつつ月島は冷静に場を収めた。ここで鯉登に興奮されて猿叫までされては堪ったものではない。頼むからもう彼を刺激するなと、月島は尾形に厳しい視線を送った。尾形は鼻を鳴らし、それ以上関わることをやめて大人しく机に向いた。それに月島は安堵の溜息をつくと、改めて鯉登に向き直った。

「……警部補殿、せっかくのお誘いですが……部下を残したまま私だけ休みを満喫する訳にはまいりませんので、今回のお誘いはお見送りさせていただき……」
「お前の休日に合わせているから大丈夫だぞ」
「……そうですか……」

対応しようと思った自分が愚かだった──月島はどんな手を使ってでも連れて行く気満々のこの男を見つめて、改めてそう思い直した。

「さて、あとは翔太を誘い出すだけだな。月島、翔太はどこにいる」
「存じませんが」
「なにっ!? お前っ、翔太の所在地を知らないのか!?」
「はい。翔太くんは我々にとってあくまでも一般市民ですので、詳しい住所までは把握しておりません」
「では……連絡先も知らないのか……?」
「はい」
「キエェェェッ!!」

騒がしい──交番にいた鯉登以外の者が眉間に皺を寄せた。どうかこれで諦めてくれまいかと、月島は落ち込む鯉登に対し期待の眼差しを向けた。

「……あ、でもそう言えばー……」

しかしそこに、空気を読まない二階堂洋平の間延びした声が割り込んだ。

「尾形さん、確か翔太と同棲してませんでしたっけ?」
「ないじゃと!?」

ああ、この、馬鹿者が──月島の期待は二階堂の軽率な発言によって全て打ち消された。ブロンズ像のように固まった月島を見ようともせず、二階堂は尚も言葉を続けた。

「家が隣同士だって聞きましたけど……」
「尾形ァッ!!」
「何ですか」
「貴様ようもおいんこっを騙したな!前に問い詰めた時は同棲なんてしちょらんちゆっていたじゃろうが!大体何じゃ、家が隣同士とは!そげん話一言も聞いちょらんぞ!」
「わざわざ言う必要もないでしょう」
「キエェェェッ!!」
「鯉登警部補殿、お静かに願います。ここは交番ですよ」

月島に諭された鯉登ははっとすると、一つ咳払いをして月島に歩み寄った。鯉登が耳打ちをしようとする仕草を見せたので、察した月島が耳を傾ける。

「……月島、尾形に言っておけ。今回だけ特別にお前も誘ってやるから翔太を誘い出して来いと……」
「……そんな誘いにあいつが乗るとは思いませんが……」
「あいつがこれまで散々作ってきた黒に近いグレーな案件を今まで誰が白く塗り替えてきてやったと思っている……!どんな手を使ってでも誘え……!」
「貴方は本当に警察官でありますか?」

警察官にあるまじき台詞を聞いて、月島は段々とこの男の下に就いていても大丈夫なのか心配になってきた。しかし犯罪に関わるようなことをしようとしているわけでもないので、強く否定もできない。脅迫と言えばそれまでなのだが。

「はぁ……わかりました。訊くだけ訊いておきます。ところで、他に何かご用件はなかったのですか?」
「いや、ない」

だったら最初から電話を使え──鯉登以上の声量で叫び出したい欲求を、月島はなんとか無理矢理に抑え込んだ。


◆◆◆


「翔太くん、少し見ない間に身長ちょっと伸びたんじゃない?」
「本当?」
「うん。これからもっと伸びていくと思うよ」
「わあぁ……」


今日は由兄ちゃんがお出掛けしているから、杉元お兄ちゃんが久しぶりに遊びに来てくれている。杉元お兄ちゃんは力持ちだから僕を簡単に持ち上げちゃうけど、僕が大きくなったら杉元お兄ちゃんを持ち上げることはできるのかな。僕は抱っこをされたまま、杉元お兄ちゃんのニコニコ笑顔を見下ろした。

「翔太くんはいつ抱っこしても軽いから、ちゃんとご飯を食べてるか心配になるよ」
「最近由兄ちゃんね、ご飯作ってくれるよ」
「えー本当にぃ?」
「うん。今日の朝ごはんはね、ウィンナーと玉子焼き作ってくれたよ」
「そっかー。 白石もやっとフライパンを使うようになったんだね。良かった良かった」
「うん。焦げ焦げでも美味しかった」
「全然良くなかった!」

最近由兄ちゃんは僕によくご飯を作ってくれる。だから一緒にお買い物をする時間も増えて、すごく嬉しい。由兄ちゃんが作ってくれるご飯は、硬かったり、苦かったり、ちょっと変な味がすることもあったけど、どれもすごく美味しい。僕が美味しいって言って笑うと、由兄ちゃんも嬉しそうに笑う。由兄ちゃんの笑顔を見たら、僕は胸の中がいっぱい温かくなって幸せな気持ちになるんだ。

「んー……今度アシリパさん連れて白石に料理教えとこうかな」
「アシリパお姉ちゃん、元気?」
「元気だよー。でも最近部活の練習が忙しいみたいで、せっかくの夏休みなのに全然休めてないんだ」
「そうなの……?」
「うん。俺もさぁ、たまには大家さんと旅行とか行ってみたり遊んでみたりしたらって言ってるんだけどさぁ……。アシリパさんはほら、優しくて真面目だから……違う部活の子から試合の人数足りないから助けてって穴埋めを頼まれるとすぐ引き受けちゃうんだよ」
「穴を埋めるの?」
「えーっと、試合を手伝うってこと」
「そうなんだ……」

なんだかよくわからないけど、アシリパお姉ちゃんは忙しいみたいだ。最近会えてないから寂しいな。今日電話したら声くらいなら聞けるかな。

「ただいまぁ」
「あっ、由兄ちゃん!」
「お、帰ってきた」

杉元お兄ちゃんに抱っこされたままお話ししていたら、由兄ちゃんが帰ってきた。今日はいつもより帰ってくるのがずっと早い。まだ夕方になる前なのに、由兄ちゃんは何でも屋さんの袋まで持って帰って来ている。お買い物まで終わらせてきちゃったんだ。一緒にお買い物できなくてちょっとだけガッカリした。

「今日は早いな」
「あー、まあな。出掛けるって言っても買い物が中心だったから、いつもみたいに弁護士達と話すことはなかったぜ」
「次はいつの予定だ?」
「来週かなー。あいつら隙あらば郵便受けに封筒をポイポイ入れていくからよー。おかげでほら、こんなに」
「うわ、その量でよく郵便受けに入ったな……」

由兄ちゃんは買い物袋をテーブルに置いて、沢山の封筒の束を広げて見せてくれた。あれは何のお手紙だろう。

「由兄ちゃん、それなぁに?」
「ん〜? これなぁ、由兄ちゃんへのファンレター」
「すごぉい!」
「サラッと嘘ついてんじゃねーよ。……で、それどうすんだ? 捨てるのか?」
「捨てるわけねーだろ〜。捨てたら翔太が取り上げられちまう」

由兄ちゃんはもらったファンレターを一枚一枚熱心に見ている。由兄ちゃんってもしかして、仮面サーファーみたいにすごい人なのかもしれない。
ううん、きっとそうだ。だって由兄ちゃんはすごくカッコいいし、背が高いし、歯並びもいいし、体がぐにゃぐにゃするし、頭がツルツルだし──……

「……あれ?」
「どうした?」
「尾形ちゃんからだ……」
「はぁ? 尾形って、あの尾形?」
「ああ。……何だろうな、隣に住んでんだから手紙なんか寄越さないでも直接話せるのに……」

足も速いし、お歌も上手だし、ゲームも強いし、頭も良いし、料理もできるし──……

「……なあ、翔太」

指を折りながら由兄ちゃんの良いところを数えていたら、由兄ちゃんから名前を呼ばれた。いくつ数えていたのかわからなくなっちゃった。

「なぁに?」

僕が首をかしげると、由兄ちゃんは手紙から顔を上げて僕の方を見ると苦笑いを浮かべた。

「久しぶりに……海行ってみるか?」
「えっ……」

由兄ちゃんの言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中で大きな波の音が聞こえた。

僕はすぐに返事を返せなかった。


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