海賊の子 | ナノ

泥棒猫


翔太が尾形と共同生活を始めた日の午後──
白石は、一人で兼定警備保障会社まで来ていた。


「はあっ!? 白石お前っ……それで翔太くんを尾形の家に置いてきたのか!?」

杉元は、突然会社に訪ねて来た白石に対し怒りを露わにさせて怒鳴り上げていた。


◆◆◆


本来であれば今日も、杉元はいつものように翔太の護衛をするはずだった。それなのに、突然会社に現れて『自分の気持ちの問題で翔太を尾形の家に預けて来たから今日は家に来ないでくれ』と言われれば、担当していた杉元が不満を言うのも無理はない。
怒り狂う杉元に対し白石は土下座した状態のままで、一向に頭を上げようとしない。

「そりゃっ……目を離した隙に翔太くんが攫われそうになったから自己嫌悪になったっていうのはまだわかるけどよ……!その罪悪感から逃げようとするのはちょっと違うんじゃないのか?」
「わかってんだ……。俺はいつも逃げてばっかりで……でも、下手に立ち向かおうとするのが怖いんだよ」
「怖いってお前……そういうの全部覚悟して翔太くんを預かってたんじゃないのかよ」

白石は床につけていた手を拳にさせ、ようやく頭を上げた。握られた拳を見下ろしながら、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「……俺がまだ学生の頃、体操部で活躍していた時……両家からも認められるくらいの全盛期だったってのに、俺は……他校の生徒から因縁をつけられて、カッとなって殴っちまったことがあんだよ」

声を震わせてポツポツと語り始めた白石を、杉元は複雑な表情で見下ろしている。苦しそうなその姿は、まるで人の情けを欲した乞食のようだった。

「おかげで俺は出場予定の大会から外されて、部活も追いやられて……両家の面汚しだって罵られた。ははは……ヤケになっちまったんだな、きっと……。そっから馬鹿繰り返して、少年院送りで、逃げては捕まって……。そうなんだよ……俺は逃げるだけしか取り柄のない人間だったんだ。覚悟も責任能力もねぇ男だ」

ここまで辿ってきた苦々しい過去の中に、浮かんできた一筋の光。白石の脳裏に、温かく優しい光が現れた。

「けどよ、俺の兄貴と……姉さんがよ、しつこく俺に会いに来るんだよ。誰も俺なんかに面会しに来ねぇってのに、二人はいつも俺の所に来て……『ここを出たら家を買ってやる』とか『美味いもの食わせてやる』とか……笑顔で俺を説得するんだよ。どうせ俺なんてっていつも思ってたんだけどよ、姉さんが……会いに来るたびにお腹大きくさせてるの見て……『ああ、これはもう真っ当にならなきゃダメだな』ってようやく思い直したんだ」

白石は産まれたばかりの翔太の顔を思い出し一瞬微笑みを浮かべたが、その顔もすぐに暗く沈んでしまった。

「でも、やっぱりダメだな……。どんなに真っ当に生きようとしたって、仕出かしちまったことはずっと俺についてくるんだ。翔太が今より大きくなって、もし……俺が前科者だって知ったら……翔太は俺のことどう思うだろうな」
「…………」

杉元は黙って白石を見下ろしていた。やがて、杉元が何かを言おうと口を開いたその時、下がったままだった白石の頭が突然上げられた。その表情に杉元はギョッとして肩を跳ね上げさせた。

「な゙ぁっ!すぎも゙とぉっ!俺をっ……ひっぐ!俺をお前の会社で雇ってくれぇっ!」
「なっ……急になんだよ!うわっ!寄るな!」

白石は濡れ雑巾のように酷い泣き顔を晒して杉元に縋り付いた。白石の鼻から垂れてきた鼻水が服に付着しそうになって、杉元は慌てて白石の頭に手を当てて彼を押し離そうとした。

「前科者の俺なんか誰も雇ってくれねぇよォ!俺は翔太を、自分の稼いだ金だけで育ててやりてぇんだぁっ!誰にも文句言わせねぇように、後ろ指さされねぇように……!兄貴達が遺していった金は、翔太の将来のためだけに残したいんだよぉ!」
「きっ、気持ちはわかんなくもねぇけどよっ……!俺、ここの会社の社長じゃねぇし、そういうのは爺さんに相談しろよ!つか離れろ!鼻水!鼻水つくから!」
「お前から口添えしてくれよぉ!なぁ頼むよ杉元ぉ!」
「だぁからっ……」

「良かろう。雇ってやる」

阿鼻叫喚の部屋の中で、凛とした渋い声が際立って聞こえた。二人が同時に声の方へ顔を向けると、口の端に笑みを浮かべた土方歳三が立っていた。土方は呆然とする二人の元まで歩み寄って、未だに酷いツラを晒している白石に顔を向けるとやや嘲笑めいてから口を開いた。

「二号業務に人手が欲しかったところだ。募集をかける手間が省けて丁度いい」
「い、いいのか……? あ、でも……俺、これでも前科者で……警備員とか、その辺平気なのか?」
「なんだ。調べた上で雇ってもらいに来たのではないのか? お前程度の前科者は堅気になって五年も経てばウチでも雇えるぞ」
「ほ、本当か!?」

白石は鼻水を垂らしたまま花の咲くような笑顔を浮かべた。先程まで縋り付いていた杉元から離れると、白石は今度は土方に縋りつこうとする。しかし、土方は白石が擦り寄ってくるよりも早く持っていた杖で彼のツルツルなオデコの中心をど突いた。

「ッだあ゙ぁぁぁっ!!何すんだこのクソジジィィィッ!!」

額を抑え、痛みに悶えながら床の上を転がる白石を土方は冷めた目で見ている。

「一つ言っておくが、私の会社に就くからには生半可な覚悟は許さないぞ、白石。そうやって泣き喚くのは覚悟がなかった証拠だ」

未だに額を抑えて床にゴロゴロと転がっていた白石が、土方の言葉を聞いて急にピタリと止まった。

「貴様ももう、昔のように“面汚し”などと呼ばれたくはなかろう?」
「…………」

背後から投げ掛けられた言葉に返事を返さず、白石は額を抑えたままただ前を見据えていた。

「……白石、本気なのか」
「……ああ」

覚悟を決めた男の顔が、床から上がった。


◆◆◆


「つーわけで、今色々と入社の為の手続きしてるんだ。短い間だったけどあんたにはスゲェ世話になったよ。……で、一つ訊きたいんだが……」

白石は満面の笑みを浮かべて、自分の目の前を指差した。

「いつの間にそんなに仲良くなってんの!? ねぇっ!?」

白石の前では、翔太を自分の膝の上に乗せてパフェを食べさせている尾形がいた。ここは団地の近くにあるファミレスで、三人は“涼しい場所で食事もできる”という利点からここに集まって話をしていた。

翔太は久々に食べたパフェにご満悦の様子で、白石の話を聞いているのかいないのかよくわからなかった。一方で尾形も白石の話を真面目に聞いていたようには思えず、彼は翔太の口元についたホイップクリームを紙ナフキンで拭き取ってやっている。白石はテーブルを叩いて文句を垂れた。

「おかしくない!? ちょっと前まで普通のお隣さん同士の関係だったじゃないの!それを……なあっ!聞いてる!? 翔太も食べてばっかいないで何とか言って!」
「由兄ちゃん、あーん……」
「あぁ〜……って違うでしょ翔太!そうじゃないでしょ!」
「じゃあ尾形お兄ちゃん、あーん……」
「…………」
「くぉらッ尾形!なにお前普通に“あーん”してんだ!やめろ!」

ロングスプーンでパフェを分け与えようとする翔太に、尾形は無表情で口を開いた。阻止しようと白石が大声を出しながら手を振るが、二人には全く通用しなかった。

白石は今すぐ翔太を尾形から取り上げてしまいたかったが、相手は自分より遥かに強い猛獣である。普段は無害そうに見せかけてはいるが、その正体は鋭い爪を隠した泥棒猫だ。警察官であるのに泥棒とは、如何なるものなのか。

「由兄ちゃん、パフェ美味しいよ。一緒に食べよう?」
「うぅ〜ん。一緒に食べたいねぇ〜。できれば尾形ちゃんがいない、二人だけの時に〜」
「…………」

白石はチラチラと尾形に視線を配ったが、彼はふいっと視線を逸らして頼んでおいたブラックコーヒーを口に含めた。ピキッ、と白石の頭に青筋が浮かんだが、尾形は口に残っていたパフェの甘さをコーヒーの苦味にすり替えると、ようやく白石の目をまともに見つめた。

「……どうした」
「どうした、じゃねぇよ。アンタちゃんと翔太を返す気あんだろうな?」
「フッ……返すも返さないも、こいつの意思によるんじゃないのか」
「世話を任されたのは俺だぞ!」
「世話を任された奴から世話を任されたのは俺だが?」
「ぐっ……相変わらずあー言えばこー言う……」

これではまるで親権争いである。あまりにも奇妙な絵面に、ファミレスにいた客達は皆訝しげな表情で彼らを見つめた。それを尾形が一瞥すると、客達は慌てて目を逸らした。一方白石は気付かないままむすくれた顔で二人の方ばかりを見ている。翔太は相変わらず幸せそうに笑っていた。

「……世話になったってのは、まあ事実だし……翔太がアンタに懐いたのも翔太の意思だから嫌いになれなんて言わねーけどよ……。それにしたって、『返す気なんてありませんけど?』みたいなその態度は何なの? あっ、まさか尾形ちゃん、翔太のこと好きになったとか〜?」
「ああ」
「えっ?」

固まる白石の前で、尾形は再びコーヒーを飲んだ。まさか即答で肯定されるとは思ってもみなかった白石は呆気にとられ、次に言おうと考えていた台詞も全て頭から吹き飛んでしまった。

尾形は三分の一ほど中身を残したコーヒーカップをソーサーの上に置いて、余裕の表情で白石を見た。


「翔太が好きだ」


少しの羞恥も感じさせない優しい微笑みを浮かべて尾形がそう言うので、白石は益々何も言えなくなった。てっきり否定するものだとばかり思っていたのだ。

「……何でそんな少女漫画のお決まりみたいな台詞サラッと言っちまうんだよ……」
「問われたから答えただけだろう」
「あっ!言っとくが俺の方が翔太のこと好きだからな!翔太も俺の方が好きだし!なあっ、翔太!」
「由兄ちゃんも尾形お兄ちゃんも好き〜」
「あぁん!複雑な心境だけどかわいい!」

翔太は食べ終えたパフェをテーブルの端に寄せると、手を合わせて「ごちそうさまでした」と言った。尾形はそれに合わせて自分の腕時計を見やり「そろそろ出るか」と呟いた。一緒に席から立ち上がる二人を白石は困惑した表情で見比べた。

「えっ? えっ? もう出るの? っていうか何? えっ?二人で帰るつもり? 俺は?」
「由兄ちゃんもお家に帰ろ〜」
「翔太〜!」

満面の笑みで手を差し伸ばす翔太に、白石は安堵と幸福と歓喜に打ち震えた。立ち上がったことで尾形の膝から降りた翔太を抱き上げて、久々の抱き心地を堪能する。柔らかな翔太の頬に頬ずりをすると、翔太がきゃっきゃっと喜んだ。一方で尾形はそれを不機嫌そうに見ていた。

「……自分の朝飯代は払っとけよ」
「はんっ!当たり前だろ!翔太の朝ご飯とパフェ代も由兄ちゃんが払うからな〜? 由兄ちゃん、もうすぐ正社員になるから余裕あるんだぞ〜?」
「エアコンも買えてない奴がよく言う」
「出たッ揚げ足取り!見てろよ!最新式のヤツ買ってやるからな〜!」
「由兄ちゃん、何買うの?」
「羽なし扇風機だ!」
「頑なに扇風機で乗り切るつもりか。呆れたヤツだな」

尾形は後ろで騒いでいる白石に呆れつつ、財布からカードを出して先に会計を済ませた。そのまま店を出ようとするので、気付いた翔太はあわあわと手を伸ばした。

「尾形お兄ちゃん、先に帰っちゃうの……?」
「用事がある。話が終わったからにはこれ以上付き合う気はない」
「おー、面倒見てくれてあんがとな〜!今度また菓子折りか何か持って行くからよ〜!」
「いい。持って来るな」

尾形が店を出ると同時にドアが閉じて、翔太は尾形がいなくなってしまった寂しさにしょぼくれた。白石はその表情を見て少し複雑な気分に陥ったが、翔太をなんとか元気づけようといつもより大袈裟な笑みを浮かべて見せた。

「よし!じゃあ俺達も帰ろうぜ、翔太!尾形にはまた後で会えばいいじゃねぇか!お隣さんだろ? な?」
「……うん」
「…………」

よっぽど好きなんだな──白石は未だに寂しげにしている翔太を見て、ここまで懐くということはそれだけ優しくしてくれていたんだろうと、尾形の見えない優しさに胸の内で感謝した。

「あ、すみませ〜ん。お勘定……」
「はい。先ほどのお客様と別会計のお客様ですね?」
「はい、朝のハンバーグ定食とお子様モーニング……」
「えっ、あの……お客様がお支払いされるものは朝のハンバーグ定食のみですが……」
「えっ?」
「えっ?」

白石は、レジに置いてある伝票を盗み見た。伝票には、白石が注文した商品以外の全てに二重線が引かれている。

「……あのぉ、さっきの人……何払って行きました?」
「えっあの……ブラックコーヒーと、モーニングサンドと、お子様モーニングと、フルーツパフェです」
「だああああ!!」
「ひっ!」

白石は頭を抱えて叫んだ。

「あの野郎ちゃっかり翔太の分も払って行きやがった!それもスマートに!ギィィィッムカつく!めちゃくちゃ意識してんじゃねーか!ぜってぇワザとだろ!」
「あの、お客様……」
「ハッ……あ、すみませぇん……」

颯爽と支払いを済ませて退店した尾形とは別に、嫌な恥をかいて退店する羽目になった白石。しまいには翔太からも「また尾形お兄ちゃんと食べに来ようね」と言われてしまう始末。

──ああクソ。上等だよ、泥棒猫め。

今頃どこかでほくそ笑んでいるだろう尾形の顔を思い浮かべて、白石は怒りと嫉妬に一人燃え滾った。


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