海賊の子 | ナノ

掴めた幸福


『花沢勇作 不在着信』

休憩中の尾形が自分のスマートフォンを見て最初に出てきた表示はその通知のみだった。苛立たしさに思わず舌打ちを漏らした尾形はすぐにその通知を消した。どうせまたくだらない事で掛けてきたんだろうと思ったのだ。

しかしそのすぐ後に、尾形のメールアドレス宛にメールが送られてきた。わざわざ送ってくる相手は勇作一人しかいなかったので、尾形はこれも消してしまおうと思った。しかし、電話と違って会話をする必要のないメールくらいなら問題ないかと思い直し、一応内容だけは確認する。尾形はメールを開くと無表情で画面をスクロールした。


◇◇◇

兄様へ

夜遅くまでの交番勤務、大変でありますのにお疲れ様です。

翔太くんがお腹を空かせておりましたので、勝手ながら冷蔵庫の中にありましたお料理を食べさせておきました。
『翔太 昼用』『翔太 夜用』とメモが貼られてありましたので、おそらく翔太くん用のご飯だと思ったのですが、もし間違っていたのなら申し訳ありません。

今はお風呂に入ってぐっすりお休みされています。寝顔もとても可愛らしいですよ。是非添い寝もして差し上げたかったのですが、あいにく私は明日が早いのでこれにて失礼させていただきます。

ちなみにお部屋の鍵は郵便受けの中に入れておきましたので、お帰りになりましたらご確認くださいませ。

勇作

◇◇◇


パキッ──

尾形の手に収まっていたスマートフォンにヒビが入った。胡座をかいていた尾形は速攻で立ち上がると自分のロッカーへ向かい、荷物をまとめ出す。通りかかった谷垣が尾形のその不審な動きを見て眉を潜ませた。

「尾形巡査長、どうかされたのですか?」
「帰る」
「えっ?」
「帰る」

聞き返したにもかかわらず全く同じ返事が返ってきたことに谷垣は益々困惑した。帰るというのはつまり、家に帰るということだろうか。谷垣は慌てて尾形の前に出た。

「退け、谷垣」
「ちょっと待ってください!まだ交替の時間じゃありませんよ!」
「三島を呼べ」
「三島は第七駅前交番勤務ですよ!」
「チッ……野間か岡田でいいだろ」
「ですから、どっちも第七駅前交番です!」
「何事だ、騒々しい」

騒ぎを聞きつけた月島が在所から現れた。そして尾形の姿を見るや否や、月島は訝しげな表情を浮かべた。

「これから署に行くのか? 一体何の用があって……」
「帰ります」
「なに?」
「体調が優れないので」
「おいっ尾形……ッ」

足早に通り過ぎようとした尾形の肩を月島はなんとか掴んだ。足を止めた尾形の背中はからは何かとてつもない不穏な雰囲気を感じる。月島は思わず手を離してしまいそうになったが、責任者としての意地がその怖気を振り払った。

「きちんとした事情があるのなら正確に話せ。ここは学校じゃないんだぞ」
「……どうも、ウチに泥棒が入ったみたいでして──」
「泥棒……?」
「ええ」

尾形はぬらりと振り返り、憎悪に満ちた表情を月島達に向けた。その顔は、昼時に見た翔太へ向けたあの微笑みとは似ても似つかぬおぞましい表情だった。月島達は息を呑み、冷や汗を流した。

「空き巣ならまだしも、子供が一人いるんですよ。心配なので、今すぐ帰りたいんです」

これでご満足いただけましたか?──続けて発せられた言葉を聞く限り、その理由はどう考えても都合よく作られた嘘に他ならないのだが、月島は尾形がそんなくだらない嘘をついてまで帰ろうとする理由にいくつか心当たりがあったので、大人しく肩から手を離してやった。

「……後で二階堂浩平に詫びを入れておくように」
「月島部長……!」
「署には俺から連絡を入れておく。いいか、署に着いたら具合が悪いふりをして見せるんだぞ。間違ってもその人を殺しかねん極悪面で帰ろうとするな」
「……善処しますよ」

尾形は一層低い声でそう返すと、交番から飛び出して行った。その時ちょうど巡回から戻ってきた二階堂洋平は、突然交番から飛び出してきた尾形に驚いた表情を見せた。しかし、きっと通報の対応をしに出たんだろうと思い直すと、彼はそれ以上深く追求しなかった。

──そしてその数時間後に、二階堂洋平は濃い隈を作った超不機嫌顔の二階堂浩平と出会う羽目になる。


◆◆◆


尾形がようやく自分の家に到着した時、時刻は午後11時を過ぎていた。郵便受けから取り出してきた鍵で玄関を開けると、玄関先から既に自分のものではないニオイがして、尾形は思わず眉を潜ませた。

尾形は靴を脱ぐと、ネクタイを外しながら足早に寝室へ向かう。その道中で視界に入った台所には、完璧に洗浄されて水切りカゴに入れられた食器があった。苛立ちが更に増して、床を踏みしめる足に力がこもる。

尾形は怒りに任せて寝室へと続く戸を開けようとしたが、直前になって翔太がこの向こう側で寝ていることを思い出して、彼は一度自分を落ち着かせるために深呼吸をした。そして極力静かに戸を開けると、暗闇の向こうですっかり寝入っている翔太の頭が見えた。尾形は音もなく寝室へと踏み込んだ。

尾形がベッドに腰を下ろすと、揺れたマットレスに合わせて翔太の寝顔が掛け布団から覗いた。尾形は掛け布団の下にある翔太の手をおもむろに掴み出すと、その手を自分の鼻先にそっと近付けた。嗅いでみると、風呂に入ったというだけあって翔太の手からは尾形が使うボディーソープの香りがした。何故だか尾形はそれに強い安心感を覚えた。

『少しの間、翔太を預かってくれ』

白石が失踪する直前、彼の無責任な発言に対し尾形は当時自分が失笑したことを思い出した。何故こんな馬鹿げた頼み事を引き受けてしまったのか──それは今でもわからないままだ。
大好きな由兄ちゃんに置いて行かれた翔太の反応を見たかったのか。それとも暇つぶしがてらに付き合ってやろうと思ったのか。あるいは──

誰かの幸福(しあわせ)を、奪い取りたかったのか。

今となってはもう、答えなどどうでも良かった。

「……このままここにいればいい」

尾形はまるで呪いの言葉でも吐くような声色で、翔太の指先に唇を当てたままそう囁いた。口角が歪むのを抑えられない。尾形は知らずうちに自嘲の笑みを浮かべていた。

これでは自分もあの“自称兄弟共”と何ら変わりない存在じゃないか。

見つけてしまった幸福を、誰かに奪われてしまうのが嫌で嫌で堪らない。元々それが自分のものではないと自覚しながらもだ。
きっとあの男は取り戻しにくる。白石由竹は自己嫌悪で翔太を捨てるような人間ではない。翔太は再び自分の元へと戻ってきた由竹に対して何を思うだろうか。この手を振り払ってでも、翔太は由竹を選んで行ってしまうのだろうか。

果たして自分は、翔太を惜しげもなく手放すことが出来るのだろうか。

尾形は翔太の手を握る自分の手に力を込めた。

「んん……」

痛かったのか、翔太がうっすらと瞼を開けたのを見て尾形はそっと手を離した。寝ぼけているのか、翔太は先程まで尾形に掴まれていた手を自分の顔の前にまで持ち上げると、グーパーと開いては閉じてを繰り返した。

「……起こしたか?」

尾形は撫でるような微笑みを浮かべながら翔太を見下ろした。翔太は目をこすりながら体を起こして首を振った。

「ゆーさく……ぉにぃちゃ、が……」

聞き取りにくい言葉であっても、尾形はその名を聞き逃さなかった。寝室の暗闇の中で、尾形の感情のない目が翔太をじっと見下ろしている。翔太はベッドに座ったまま辺りを見渡した。

「……あれぇ。……ゆーさく、お兄ちゃん……いない……」
「……そんなヤツはいない」
「でも……僕にごはん……」
「勇作なんてヤツはいない。お前が見たのは夢か幻か……幽霊か何かだろう」
「ゆーれい……?」
「ああ」

翔太は尾形の言葉を聞いてしばらくぼんやりとしていたが、ふと尾形の手を取るとその手を両手で握りしめた。形を確かめるように何度か揉むと、翔太は満足そうに笑ってベッドに転がった。
一体何の真似だ──尾形は未だに手を離さない翔太を目を細めて見下ろした。

「尾形お兄ちゃんは、温かいから生きてるねぇ」
「……俺が温かい?」
「うん」

そんなことを言われたのは初めてだった。職場の人間からは「冷たい男だ」とよく言われていたが──そういえば、こんな風に誰かの手を握りしめてやったことなど翔太以外にはなかった。女を抱く時ですら、掴んでいたのはベッドのシーツが大半だった。そして温かいも冷たいも何も感じないまま、独りきりの夜を過ごしていた。


嗚呼、でもこれが──幸福を掴んだ時に感じる温度なのか。


「……尾形お兄ちゃん、痛いの?」

翔太はベッドに転がったまま首を傾げた。不思議そうに尾形を見上げる翔太の頬に、ポタリポタリと雫が落ちる。ようやく掴めたものに縋り付くようにして、尾形は翔太の手を握りしめて自分の額に押し当てた。

「……痛いの、飛んでけ〜……」

翔太は笑って、垂れてしまった尾形の前髪をくしゃくしゃと撫でた。


◆◆◆


パチリと目が覚めた。蝉の鳴き声が聞こえる。
体をゴロンと横に向けたら、僕のすぐ横で尾形お兄ちゃんが寝ていた。昨日の朝はいなかったけど、今日はちゃんとここにいる。もしかしてお仕事がお休みなのかな。

僕はおしっこがしたくなってベッドから出ようとした。そしたら突然手をぎゅっと握られてすごくびっくりした。お布団の中を覗いてみたら、尾形お兄ちゃんの手が僕の手を握りしめていた。いつから手を握っていたんだろう。

「……尾形お兄ちゃん、おしっこ……」
「……それがおはようの前に言う台詞か」

尾形お兄ちゃんはゆっくりと瞼を開けて僕をじとっと睨んだ。なんだかまだちょっと眠そうな顔をしている。

「だって、おしっこしたいもん……」
「……早く行ってこい」

尾形お兄ちゃんが手を離して体を起こしたから、僕も体を起こしてベッドから降りるとトイレまで走った。

おしっこをした後に手を洗って、そのまま顔を洗っていると後ろから尾形お兄ちゃんがあくびをしながらやってきた。やっぱりまだちょっと眠いみたいだ。

「シャワー浴びた後に飯にするから着替えとけ」
「何で朝なのにシャワーするの?」
「昨日帰ってそのまま寝たからだよ」

そんなに眠かったのかな。そういえば尾形お兄ちゃんはいつ帰ってきたんだろう。昨日の夜のことを思い出そうとしたけど、なんだかどれも夢みたいでよく思い出せない。訊いてみようかと思ったけど、尾形お兄ちゃんはもう浴室の中に入ってしまったから、僕は諦めてパジャマから着替えることにした。


お洋服に着替え終わってリビングに行くと、リモコンが置いてあるのが見えて僕はテレビをつけた。大好きな仮面サーファーがもう始まっている。僕は急いでテレビの前に座った。

『見つけたぞ!タコダコ星人!』
『おのれぇ〜っ!また貴様かぁ!』
『夏の海には欠かせないみんなの海の家を、何故お前は破壊するんだ!』
『人間共は我々タコを捕まえてはたこ焼きにして食うのだろう!残虐な人間共を凝らしめて何が悪いというのだぁ〜!』
『お前の気持ちはよくわかった!だが、だからといって話し合いもなく暴力や破壊行為に走るのは良くないだろう!』
『黙れ!話し合いなど無駄だ!戦わなければ我々は滅びてしまうだけなのだ〜!』
『くっ……!なんて強くて邪悪なタコの怨念なんだ……!俺のサーファー魂で救ってやるしかない!』
「あっ、あっ……」

僕は仮面サーファーの台詞に急いで立ち上がってテレビから一歩離れた。

『サーファー……』
「サーファー……」
『変、身!』
「変、身!」

海原カイトが変身するシーンに合わせて、僕も仮面サーファーの変身ポーズをした。そうしたら、テレビの向こうで仮面サーファーが現れてタコダコ星人と戦い始めた。

「それ好きなのか」
「!!」

突然後ろから声が聞こえて、振り返ったら腰にタオルを巻いた尾形お兄ちゃんが裸で立っていた。何で裸で立っているんだろう。

「……何で裸なの?」
「着替えを忘れてきたからだ」

僕が首をかしげると尾形お兄ちゃんはそのまま隣のお部屋まで行った。すぐにシャツとパンツとズボンを持ってお部屋から出てきた尾形お兄ちゃんは、僕とテレビを何度か見比べて突然にやりと笑った。

「変身ポーズ、随分サマになってたな」
「本当? じゃあ尾形お兄ちゃんもやって!」
「裸でか? それで一瞬で着替えることが出来たとしてもお断りだな」
「えぇ〜」

尾形お兄ちゃんは結局変身してくれないまま洗面所まで行ってしまった。由兄ちゃんだったら絶対変身ポーズしてくれるのに。
僕がガッカリしていると、玄関の方から突然ピンポンが鳴った。誰だろう。

「出るな!」
「っ!」

僕が玄関まで行こうとしたら、洗面所から尾形お兄ちゃんの怒鳴り声が聞こえた。びっくりして固まっていたら、着替え終わった尾形お兄ちゃんがむすっとした顔で僕を通り過ぎて玄関まで向かった。そうして何か、穴のようなものを覗いた尾形お兄ちゃんは、ドアから顔を離して下を俯いた。

「……尾形お兄ちゃん?」

僕が後ろから近寄って声をかけると、尾形お兄ちゃんはしばらくしてから玄関の鍵を開けた。ゆっくりと開いていくドアの向こうにいたのは──


「遅くなってごめんな、翔太」
「……由兄ちゃん……」
「へへっ、やっと迎えに来たぜ」


照れ臭そうに笑った、由兄ちゃんだった。


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