海賊の子 | ナノ

一緒の時間


──どうして由兄ちゃんは僕と一緒に暮らせないの?
──翔太にはお父さんとお母さんがいるから寂しくないだろ?
──でも、由兄ちゃんは僕の家族でしょ?
──ああ。由兄ちゃんはお前の家族さ。
──じゃあ、一緒に暮らそうよ!一緒に仮面サーファー見ようよ!今日の晩ご飯、ステーキにするんだって!僕のグリーンピース、由兄ちゃんにあげる!
──ははっ。翔太それ、お前がグリーンピース食べたくないだけだろ。
──違うもん!由兄ちゃんが大好きだからあげるの!だから、お母さんにはヒミツにしてね? 絶対ナイショだよ?
──……ああ。二人だけのナイショな?


──コラ!翔太!またグリーンピースを由兄ちゃんにあげたでしょ!
──ダメだろ翔太。ちゃんと食べなきゃ大きくなれないぞ。
──由兄ちゃんのウソつきぃ〜!ナイショって約束したのにぃ〜!
──だはは〜!バレちまった〜!ごめんなぁ、翔太〜!
──由くんもよ!翔太と変な約束したりしないで!前の仮面サーファーごっこの時だって……
──まあいいじゃないか。なあ由竹、明日海釣りに行かないか? ボートは用意してあるから。
──えっ、あのクルージングボートで?
──えぇ〜!僕も行く〜!
──翔太は危ないからお母さんと海辺で遊びましょうね。
──じゃあ、由兄ちゃんも一緒に遊んで!ここで約束して!
──……ああ、うん。明日何もなかったら、な?


──俺がッ……俺がお前を、護ってやるからな……!


◆◆◆


「……由兄ちゃんの、ウソつき……」

リビングから聞こえてきた翔太の呟きに、野菜を切っていた尾形は包丁を動かす手を止め、翔太の方へと顔を向けた。バラエティー番組が付けっ放しのテレビ画面の前で、翔太はソファーの上に膝を抱えて座っている。

丸まった小さな背中を見て、尾形はため息をつくと水道水で手を洗った。掛けてあったタオルで手を拭きながらリビングへ向かい、俯いている翔太の隣へどっかりと腰を下ろした。翔太は突然隣に現れた尾形に見向きもせず、何も言わない。尾形も特に何かしようとは思っていなかった。

しばらく無言の時間が流れて、尾形は不意にローテーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを取った。適当にチャンネルを変えるが、どれもゴールデンタイムに放送されているとは思えないほどつまらない番組ばかりだ。尾形はその内テレビの電源を切った。それが余計にこの部屋の静けさを際立たせた。

「……翔太」

尾形は映ってもいないテレビ画面を見据えながら翔太の名を呼んだ。真っ黒な画面越しに、ソファーに座り込む翔太と自分の姿がうっすらと映っている。尾形は翔太の反応をそこから得ていた。

「あいつは別にお前を捨てたんじゃない。一人になる時間が欲しいってだけだ」
「……由兄ちゃん、お家にいなかった……」

尾形の家に預けられたすぐ後に、翔太は白石の部屋へと向かった。しかし持っていた合鍵で中に入ってみても、そこに白石の姿はどこにもなかった。翔太は、自分は大好きな由兄ちゃんに捨てられてしまったのだと思い込んだ。

「そりゃお前がいつでも突撃できる場所にいたら一人きりにはなれねぇだろ」
「……由兄ちゃんどこにいるの……?」
「ははっ。口止め料をもらってるからそれは言えんな」
「……っ」

翔太は目にたっぷりの涙を浮かべ、隣に座る尾形を叩こうとした。しかし尾形はその小さな手を片手で捉え、もう片方の手で翔太の鎖骨付近を軽く押した。軽い力で押されたにも関わらず、翔太の体は実にあっさりとソファーの上に倒れた。目を白黒させる翔太の混乱した表情を上から見下ろし、尾形は薄く笑った。

「もうすぐ飯にするから大人しくしてろ」

翔太が起き上がる前に尾形はソファーから腰を上げ、台所へと戻って行った。しばらくぽかんとしていた翔太だったが、数秒もすると顔を真っ赤にさせて、涙をボロボロと零し出した。

「ぅ……ぅあぁぁぁーっ!!」
「…………」
「うああぁぁんっ!!よしに゙ぃぢゃあ゙ぁぁっ!!」
「…………」
「よしにぃぢゃんのゔそつきぃぃぃ!!」
「…………」
「わあ゙あぁぁぁぁッ!!」

翔太は癇癪を起こした。手足をばたつかせ、ソファーの肘掛けを何度も蹴り上げる。その頃の尾形はちょうど野菜を切り終えた頃だった。冷蔵庫を開け、卵を三つだけ取り出すと肘で冷蔵庫の戸を閉じる。相変わらず翔太の号泣は止まらない。

その間にも尾形は卵を三つボウルに割る。黄身はもとより、白身を原型がなくなるまで細かく溶いてから、塩や醤油の代わりに粉末出汁を入れる。さらに大匙一杯のグレープシード油を入れ、またよく溶いて熱して多めに油をひいたフライパンにさっと流し込む。火は弱火。
シュワワワワアと油が弾け、どんどん固まる卵を菜箸で細かく細かく混ぜた。フライパンの火を消し、余熱で完全にスクランブルエッグになる前、ちょうど半熟状態の時に端からパタパタと卵を畳んでいく。

「よしに゙ぃぢゃぁぁぁ……ひっく……よし、にぃちゃぁ……」
「…………」

皿に出来上がったオムレツを乗せ、刻んだ野菜を盛り付けた。尾形は台所から出てリビングに向かうと、ローテーブルに二人分の取り皿と箸を並べ、オムレツの皿を乗せた。ソファーでは泣き疲れ始めた翔太が拳を目に充てがって嗚咽を漏らし始めている。

尾形は未だにソファーの上で寝転んでいる翔太を端に寄せると、無理矢理隣に腰を下ろした。何も言わずに食べ始めた尾形だったが、完全に泣き止んだ翔太を一瞥するなり彼はオムレツを箸で切り分けて取り皿に移してやった。適当に野菜も(むしろ若干多めに)移して、自分の隣にそっと置いてやる。翔太は時折鼻をすすりながら、膝を抱えてソファーの背もたれに顔を埋めた。

「……食わないなら全部食うぞ」
「ぐすっ……」

ようやく口を開いた尾形に、翔太は何も答えなかった。尾形は箸を咥えたまま眉間にシワを寄せ、身動ぎもしない翔太の脇の下へ突然手を突っ込んだ。

「いやぁーあーっ!」
「ちゃんと座れ」

尾形は抵抗する翔太を持ち上げソファーの上に正しく座らせると、拳のままの状態の翔太の手に箸を無理やり握らせようとした。翔太は暴れ、とことん尾形の手を焼いた。

「おがたお兄ちゃんなんかっ、お兄ちゃんなんかだいきらいぃーっ!」
「ああ、安心しろ。俺もお前が嫌いだ」

尾形は翔太への対応を諦め、ソファーから腰を上げた。去って行った尾形から顔を背けた翔太は再び涙を流した。膝を抱えるまではしなかったが、一度俯いた翔太の顔は一向に上がらなかった。

「ひっく……ひっく……よし、にぃ、ちゃ……」

擦りすぎて赤くなった目の痛みを、翔太は手首で冷やそうとした。乾いた手首に翔太の涙が擦り付けられ、線状の跡を残した。

その時、ギシリ──とソファーが音を鳴らした。隣に重みがかかり、翔太が思わず顔を向けると、いなくなったと思っていた尾形がすぐ横にいた。尾形はソファーの上に片膝を乗せた状態で、何故か手にはスプーンが一本握りしめられている。尾形はそれを、唖然としている翔太の前に突き出した。

「箸が嫌ならこっち使え」
「…………」
「どうなんだ」
「…………ん」

翔太はようやく観念した。
尾形からスプーンを受け取り、それを両手で握りしめてモジモジとしている。さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、翔太は気まずそうな表情で半分だけのオムレツを見下ろしている。

尾形は無表情で翔太の隣に座った。いつまでも皿を取ろうとしない翔太に、業を煮やした尾形が皿を取ってスプーンと同様にそれを突き出した。翔太はモジモジとしながらそれを受け取って、しばらくお皿を膝の上に置いたまま黙り込んでいた。

「……変なもんは入ってねぇよ」
「…………」

前髪を撫で上げながらそう言う尾形であったが、翔太はいつまで経ってもオムレツを食べようとしない。それに大きくため息をついた尾形が、翔太の手からスプーンを取り上げた。

「貸せ」
「ぁ……」

カツカツと皿に当たるスプーンの音が部屋に響く。翔太の隣から、尾形がオムレツを切り分けていた。これでどうだと言わんばかりに、尾形は一口サイズに切り分けたオムレツを皿に残してスプーンを翔太に突き出した。翔太は恐る恐るスプーンを受け取った。

「…………」
「……まだ何か不満があるのか」

スプーンを受け取っても一向に食べようとしない翔太に、尾形はついに眉を潜ませた。子供というのは、大人にもわからない理不尽な理由で突然泣き出すということを予め知っていた尾形は、これ以上何をしてやればいいんだと苛立ちを募らせた。

「…………ぼく、食べてもいいの……?」

無理やり口に押し込んでやろうかと尾形が不穏なことを考え出した頃に、翔太はぽつぽつと突然そんな言葉を口にした。これには尾形も驚いて、咄嗟に返事を返せなかった。

今まで散々食べろとこちらから意思表示していたにも関わらず、この子供にはそれが伝わらなかったのか?──否、単なる遠慮だろう。
尾形は自分の額に手を当て、ため息をつきながら「いいから食え」とだけ伝えた。

翔太はまだオロオロとしていたが、やがてスプーンを握り直すと尾形が切り分けてたオムレツを一口だけ口に運んだ。その様子を横から眺めていた尾形は、ようやく肩の荷が下りたような気持ちになった。

「……おい、しい……」
「……そうか」

その言葉を聞いて、尾形はソファーから腰を上げた。そのまま洗面所に向かう尾形を見やって、翔太は二口目のオムレツを食べた。


黙々と食べ続け、ついに完食した翔太が汚れた食器を持って台所に向かった。洗面所の方からはシャワーの流れる音が聞こえる。翔太は台所の流しに食器を入れて、端っこに置いてあるスポンジに手を伸ばした。ギリギリ届いたスポンジを手に、今度は水道のレバーへと手を伸ばす。

「ぁっ」

その時うっかり手が当たり、レバーが大きく上を向いた。勢いよく噴き出してきた水道水は流しの底に跳ね、翔太までも濡らした。

「ぁっ、ぁっ」

慌てて止めようとした翔太よりも早く、上がったままのレバーが突然下された。見上げると、じとりとした目でこちらを見下ろす尾形が立っていた。水浸しになった流し周りを見た尾形は、黙って腕を組んで仁王立ちする。翔太はスポンジを両手で握りしめて俯いた。

「……ごめんなさい……」
「…………」

尾形は何も言わず、流し周り同様びしょ濡れになった翔太の腕を掴んで洗面所まで連れて行った。中に入れられると、開いた浴室のドアから半分ほど沸いたお風呂が見えた。

「さっさと入ってこい」

尾形はそう言い残して洗面所から出て行った。翔太がしばらくぽかんとしていると、再び戻ってきた尾形が翔太の手から握りしめられてあったスポンジを奪い取った。またも洗面所から姿を消した尾形の後ろ姿を、翔太は少しおかしい気持ちで見送った。


◆◆◆


翔太が風呂から上がると、何故か着替えが既に用意してあった。それは、翔太が白石の家で使っていた着替えだった。翔太は着替えを抱きしめると、今にも泣き出しそうな顔で白石の笑顔を思い浮かべた。

「……由兄ちゃん……」

早く迎えにきて──翔太は胸の内で呟いて、白石のことを思い出しながらゆっくりと着替えた。


翔太が着替え終わって洗面所から出てくるのを見かけた尾形は、ローテーブルの上に広げていた書類を素早くまとめた。傍に置いていた鞄に書類の束を突っ込み、リビングまでやってきた翔太に振り返る。

「俺も入るから、お前は先に寝てろ。ベッドはそっちだ」

そう言って尾形が指差した先は寝室だった。翔太がコクリと頷くのを確認した尾形は、ソファーから立ち上がって洗面所まで向かった。

急にシンと静まり返った部屋の中で、翔太はちらりと寝室の方を見た。明かりのついていない寝室の向こうに、ベッドが一つだけ置いてあるのがうっすらと見える。いつも由竹と一緒に寝ていた翔太は、その暗闇が少しだけ怖かった。尾形が出てくるのを待とうと思い、ソファーに腰掛ける。

待っている間にテレビを見ようとして、翔太はリモコンでテレビの電源を入れた。映ったのは『夏のホラー特集』だった。番組の内容がよくわかっていない翔太は、そのまま視聴を続けた。

『……はい!夏のホラー特集ということでぇ……前編はいかがでしたでしょうか!』
『いやぁ〜怖かったです!特にあの、何ですか? 女子高生のブランコ!めちゃくちゃヤバくないですかアレ!ウチ公園が近くなんで夜絶対通れないです!』
『あ〜アレヤバかったですよね!』
『あやるん、めっちゃ泣いてた!』
『だってぇ〜!』
『えっ、あやるん怖いのダメなの!?』
『ダメですぅ〜!あっ、でも家族とかはホラー全然平気で〜!私がいるのにフツーに見るんですよ〜!』
『えー!じゃあ特に何が苦手なの?』
『いや、全部無理なんですけどぉ、ゾンビ系は特に無理なんです!』
『では、お次はそんなゾンビ系映画のヒット作をご紹介していきましょう!』
『ちょっとぉ〜!』

スタジオから湧き上がる笑い声の後に、映像が切り替わる。血だらけの女が鉈を片手に暗い廃墟を歩くシーンが流れた。翔太はぼんやりとその様子を眺めていたが、女が廃墟の廊下を出たところで、板で打ち付けられた窓から突然腕が伸びてきたシーンを見るなりカッと目を見開いた。

『いやあああ!』
『アニー!!』
『ジョン!助けてぇ!いやあっ!ジョーン!!』

雪崩れ込んでくるゾンビに食い殺されていく女の姿に、翔太はプルプルと震えが上がった。後頭部をかじられるシーンが一瞬だけ映ったが、場面はすぐに切り替わり映画の紹介を始めるナレーターの声が入る。しかし翔太の目には、あの後頭部をゾンビに齧られるシーンがしっかりと焼き付けられてしまった。

「ぁ……ぁ……」
「おい」
「きゃあっ!」

後ろから突然掛けられた低い声に翔太はソファーから飛び上がった。振り返ると、風呂から出たばかりの尾形が不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしていた。

「何でまだ起きてんだ」
「ぁっ……こ、怖いの……」
「あ?」

尾形はついたままのテレビを一瞥して、ジロリと翔太を見下ろした。

「あんなもの見るからだろうが。さっさと寝ろ」
「いぃ〜やぁ〜!」

尾形は嫌がる翔太を無理やり肩に担いだ。寝室まで運ぶとベッドの上に放り捨て、クローゼットからシャツを取る。翔太はてっきり、そのまま尾形も同じ寝床に入ってくるものだとばかり思っていたが、尾形は翔太が座り込むベッドには振り向かず、そのまま明かりが灯ったリビングまで向かって行った。翔太は慌ててベッドから降りて尾形の脚にしがみついた。

「……おい」

尾形の不機嫌そうな声が降りてくる。

「一緒に寝て!」
「わかったから先に寝てろ」
「いや!今一緒に寝て!」
「子供と大人の寝る時間を一緒にするな」
「由兄ちゃんは一緒に寝てくれたもん!」
「…………」

意地になって離れない翔太に、尾形は呆れたようなため息を吐いて翔太を脚に引きずる形でベッドまで戻った。

ボスンッ──と再びベッドに放り投げられた翔太は、また尾形がリビングに行ってしまうと思って慌てて起き上がろうとした。しかし尾形は、体を起こそうとする翔太をマットの上に転がして、自分もすぐに体を隣に滑り込ませた。掛け布団が被さり、二人はあっという間に寝る体制に入った。

「いいか。目を閉じて何も考えずに寝ろ」
「……うん」

尾形は翔太に背中を向けて、片腕を枕にした状態で横たわるとそれきり黙り込んでしまった。翔太は首元まで掛かった掛け布団を握りしめ、チラチラと隣で眠る尾形に視線を向けた。

「…………尾形お兄ちゃん」
「トイレは一人で行け」
「……ゾンビって知ってる?」
「あ゙ー?」

かなり不機嫌な声が返ってきた。いい加減にしろとでも言いたげな顔が翔太に向いた。

「頭をね、ガジガジかじっちゃうんだよ」
「そりゃ良かったな。寝ろ」

尾形は再び翔太から反対を向いて口を閉ざした。翔太はソワソワした様子で尾形の背中を見つめた。

「ゾンビ来たりしないよね?」
「…………」
「ぼ、僕のこと食べないよね?」
「…………」
「……尾形お兄ちゃん……」
「……ゾンビは大人しか食わん」
「ほんと……!?」
「あぁ」

背中を向けたままそう答えた尾形に、翔太は心底ホッとしたような声で「良かったぁ」と言って笑った。安心したのか、翔太はようやく目と口を閉ざして大人しく寝入った。

「…………」

やっと寝た──尾形は閉じていた目をパチリと開けて、そっとベッドから抜け出そうとした。

「……に、ちゃ……」
「……!」

不意に、後ろからシャツを掴まれた。尾形はゆっくりと後ろを振り返り、寝息を立てる翔太の寝顔を見下ろした。

──どこまで甘える気だ。

煩わしさを感じたのは事実だが、尾形はその手を振り払うような真似はしなかった。


午後9時49分──

尾形はいつもより二時間早く眠りについた。


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