海賊の子 | ナノ

追跡者


百ちゃんがいなくなった次の日の朝──
戻ってきているかもって思って朝早くに外に出たら、目の前には知らないおじちゃんが立っていた。

おじちゃんはだぁれ?

僕が訊くと、おじちゃんはにっこりと笑って「翔太くんの家族だよ」と言った。そう言われてみれば、お父さんとお母さんとのお別れ会で、こんな顔のおじちゃんを見たことがあった気がする。でも僕はおじちゃんとお話ししたことがなかったから、おじちゃんのことを全然思い出せなかった。

「さあおいで、翔太くん。新しいお家に連れて行ってあげるよ」

伸びてくる大きな手が僕の腕を掴んだ。「いやだ」って言おうとしたら、口を塞がれた。逃げようとして振り返った先に、お布団で眠っている由兄ちゃんが見えた。僕が由兄ちゃんの名前を叫んでも、僕の声は全部おじちゃんの手の中に消えてしまった。

「大丈夫だよ」

僕を運びながら、おじちゃんはそう言って笑った。


◆◆◆


──起きろ

「……っ!!」

急な寒気を感じて、尾形は目覚めた。バネのように上半身を起こして飛び起きると、枕の下に忍ばせていたナイフを素早く手に取り鞘から抜き取った。起きた時に感じた下半身への重みと、異様に近くで聞こえた男の声に尾形は自分の目の前に誰かいると思ったのだ。

「ニャアォ」

しかし、尾形が刃先を向けた相手は予想していた“人物”ではなかった。尾形の下半身に乗っていたのは、人間ではなく猫だった。そして遮光カーテンの隙間から漏れる朝日に照らされて、その猫が黒猫であることも判明した。

尾形は眉根を寄せて猫を見つめると、向けていた刃先を静かに下ろした。どこかで見覚えのある猫だった。しかしそれを思い出すよりもまず、尾形は何故猫がこんな所にいるのかと、寝起きで上手く働かない頭で思考を巡らせた。窓も玄関も、家の施錠は全て完璧だった筈だ。

「ニャアォ」
「お前……どこから忍び込んだ」

夢でも見ているのかと尾形は一瞬思ったが、これが夢ではないことは尾形自身がよくわかっていた。夢と現実を見分けられないほど落ちぶれてはいないと、冷静になりつつある頭の中で尾形はつぶやく。

「……百ちゃん、とやらか」
「ニャアォ」

ふてぶてしく黒猫は鳴いた。尾形は前髪を撫で上げ、先ほどから自分の脚の上に座り込む猫へと手を伸ばした。尾形が器用に首根っこを掴むと、猫は意外にも大人しくされるがままだった。ベッドから出ると、尾形は猫を摘んだまま玄関まで向かう。

「ここで待ってろ」

尾形はそう言って猫を玄関先に放り投げるが、猫は器用に体を回転させると見事に着地して見せた。
おそらく翔太の拾ってきた猫だろう──尾形はそう考えて、すぐにこの猫を翔太のところへ連れて行こうと思った。

尾形がルームウェアからもう少しマシな格好に着替えようと部屋に戻ろうとすると、不意に玄関のドア越しに物音が聞こえた。それは、何度も聞いた覚えのある音だった。人が部屋を出入りする際に出す、ドアの開け閉めの音だ。その音が、翔太が暮らしている隣の部屋から聞こえた。

──こんな朝早くに何だ?

尾形は訝しげな表情で壁掛け時計を見上げ、踵を返した。猫が待つ玄関先に立ち、そっとドアスコープを覗いた。

「!!」

尾形が覗いたドアスコープ越しに、翔太を運ぶ見知らぬ男が走って横切って行くのが見えた。尾形は咄嗟に玄関先に置いていた警棒を手に取ると、二重鍵を外してドアを体で押し開けた。

ガンッ──

強い力で押し開けられたドアはその勢いのまま壁にぶつかり、硬い音が廊下に響いた。音に気付いた男が振り返ると、スウェット姿の男が無表情でこちらに向かって走って来ているのが見えた。

尾形百之助であった。

「なッ……」

男は一瞬パニックを起こしかけたが、止めかけた足に再び力を込めると男は前を見据えて走り出した。
クソクソクソッ──今更引き返せるか!
翔太の口を塞ぐ男の手に力がこもる。翔太は息苦しさと恐怖に呻き、男の手を外そうと躍起になっていた。

一方で尾形は男のすぐ後ろにまで迫っていた。片手に握らせていた伸縮式の警棒を振るい、50cmばかりの長さの武器を一瞬にて作り出す。殺傷力は低いが、使いようによっては相手を死傷させることも可能な武器だ。

「おい」
「ヒッ」

並走して突然声を掛けてきた尾形の無表情に、男は足を止めることも忘れ悲鳴を漏らした。

「止まらんとその足を折る」
「ヒイィッ」

脅しではないと言うように警棒を見せつけてきた尾形に、震え上がった男はついに足を止めた。腰を抜かして尻餅をついた男の手から翔太は自力で抜け出して、すぐに尾形の後ろにまで回った。ブルブルと震える小さな手で、尾形のスウェットをきつく握り締めている。尾形は翔太を一目見て目立った外傷がないことを確認すると、その視線を床に座り込む男の方へと向けた。

「両手を頭の後ろに回せ。そのまま床に伏せてじっとしていろ」
「まっ、待ってください!私は白石家の者です!翔太くんの親族なんです!」
「……おい、知ってるやつか?」

両手を挙げる男の弁明に、尾形は視線を逸らさずに翔太へと声を投げかけた。翔太は下を俯いたまま、青い顔で首を左右に振った。返事が声として返ってこなかったのを、尾形はNOと捉えた。男の顔からみるみる血の気が引いていく。

「さて、これから俺は出勤しなくちゃならんのだが……」

尾形は歪な笑みを浮かべ、警棒を手にやり首を傾けさせた。

「お前にもご同行願おうか」


◆◆◆


「翔太〜ッ!!」

尾形お兄ちゃんのお部屋で待っていたら、大声で泣き叫びながら由兄ちゃんが飛び込んできた。力強く抱きつかれて息がちょっと苦しい。でも、すごく安心できた。

「由兄ちゃん……」
「怖かっただろ〜!何かされてないか!? 痛いこととか……何か無理やり書かされたとか……ッ」
「ううん……」
「あぁ……良かったぁ……」

由兄ちゃんはへなへなと床に座り込んで、僕を抱きしめたままシクシクと泣いた。僕はもう泣き疲れてしまって、今は涙も出てこない。お部屋の外では尾形お兄ちゃんが別のお巡りさんとお話ししている。もう、あのおじちゃんはいなくなったのかな。

「……由兄ちゃん」
「ん……?」
「……僕のこと連れて行こうとしたおじちゃんは、僕の知ってる人なの?」
「…………」

由兄ちゃんは僕を抱きしめたまま何も言わない。答えがわからないままなのは嫌だから、僕はもう一度同じ質問をしようとした。

「……あいつはお前のお母さんの弟だよ」
「……え?」

由兄ちゃんが突然答えたから、僕はよく聞き取れなくてもう一度聞き返した。すると由兄ちゃんは僕から体を離して、僕の肩を掴むとじっと顔を見つめてきた。

「葬式の時、一応お前にも会ってる……と思う。けどあいつは白石家の人間じゃねぇ。苗字が違うってのはもちろんだが、こんなことしでかす奴は身内なんかじゃねぇよ」
「……僕、なんで……連れて行かれそうになったの?」
「…………」

また、由兄ちゃんは黙り込んだ。言いたくないことなのかな。僕は下を向いて、それ以上何も訊かないようにした。

「……帰るか、翔太」
「……うん」

僕は由兄ちゃんの手を取って、尾形お兄ちゃんのお部屋の玄関まで向かった。

「──あいつは遺産目当てのクズだ!」
「!」

その時、ドアの向こうからあのおじちゃんの声が聞こえた。ドアを開けようとした由兄ちゃんが突然固まった。

「静かにしろ。近所迷惑になる」
「何であんな奴が翔太の後見人なんだよ!納得がいくか!由竹は前科者だろうが!」
「静かにしなさい」
「あいつに更生なんか有り得ねぇッ!どうせ姉貴の金を使い込んでるに違いねぇよ!なあっ、あんたら警察ならわかるだろ!あいつは──」
「おい」
「犯罪者だぞ!犯罪者なんかに姉貴の息子を任せられるわけねーじゃねぇか!俺が心配して連れて帰ろうとするのもおかしな話じゃねぇだろ!!」
「谷垣、連れて行け」
「はい」
「おいっ!聞いてんのか由竹ッ!お前だよこのクズ野郎!!そこに居るのはわかってんだよ!!コソコソ隠れやがってよ!!出てこいこの卑怯者!!俺を悪者扱いして自分はのうのうと──……」

遠ざかっていく怒鳴り声。僕が上を見上げたら、真っ青な顔になった由兄ちゃんが、唇を震わせて下を俯いていた。

「……由兄ちゃん?」
「……ぁ……」

僕が声を掛けたら、由兄ちゃんはハッとしてドアノブから手を離した。手が震えている。その手のひらを、由兄ちゃんはじっと見つめていた。

「由兄ちゃん……どうしたの?」
「…………」
「由兄ちゃん……」

僕が下から顔を覗き込んだら、由兄ちゃんはぎゅっと手のひらを握りしめてその場に屈みこんでしまった。由兄ちゃんの顔はお膝の中に埋もれてしまって、今由兄ちゃんがどんな顔をしているのか僕にはわからない。

「……俺に、翔太を幸せにしてやれる資格なんかねぇよな……」

僕にはその言葉が、まるで最後のお別れの言葉のように聞こえた。だから僕は咄嗟に由兄ちゃんの服を掴んだ。絶対離さないように、強く、強く握りしめた。

「おい」

その時、目の前のドアが突然開けられた。顔を上げたら、尾形お兄ちゃんがお巡りさんの姿で立っていた。

「……迎えに行ってやれとは言ったが、ここで寛いでいろとは言ってないぞ」
「…………」
「……おい、聞いてるのか──」

尾形お兄ちゃんが不機嫌そうな声を出したその時、由兄ちゃんは突然立ち上がった。服を掴んでいた僕の手は由兄ちゃんに振り払われて、由兄ちゃんは尾形お兄ちゃんの制服を掴むと玄関の外まで引っ張り出した。

「あっ由兄ちゃ……」
「翔太は待ってろ」

泣いても笑っても怒ってもいない。由兄ちゃんの、感情のわからない声が聞こえた。
僕の目の前で、静かにドアが閉まっていった。


◆◆◆


──どのくらい待っていたんだろう。
尾形お兄ちゃんのお部屋の玄関で、僕は座ったままじっと由兄ちゃんの帰りを待っていた。
早く戻ってこないかな。心配になってきて立ち上がろうとしたら、突然ドアが開かれた。きっと由兄ちゃんだ。

「由兄ちゃ……ぁ」
「…………」

目の前には、尾形お兄ちゃんが立っていた。由兄ちゃんの姿はどこにもない。静かにドアが閉まって、玄関には僕と尾形お兄ちゃんの二人だけだ。何かあったのかなと思ったけど、尾形お兄ちゃんは無表情で僕を見下ろしていて何も言わない。それが少しだけ怖かった。

「……由兄ちゃんは?」
「……一人になりたいんだとよ」
「え……?」

尾形お兄ちゃんは帽子を取ると、頭の後ろを掻いてため息をついた。そうしてなんにも考えていなさそうな暗い目で、僕を上からじっと見下ろした。

「……翔太」
「……なぁに?」

なんだか怖い。由兄ちゃんはどうしたんだろう──僕が黙って見つめていると、尾形お兄ちゃんは重そうに口を開いた。


「……しばらく俺と暮らすか?」


尾形お兄ちゃんの言葉に、僕の頭の中は一瞬で真っ白になった。


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