海賊の子 | ナノ

引き取り願い


鯉登音之進は生まれた時から裕福な家庭育ちで、警察組織でもキャリア組に当たるエリートである。警察学校を卒業してからもその名に恥じぬような、まさに滝登りの鯉の如くスピード出世を果たし、現在は異例の若さで警部補という地位を得ていた。

そんな彼をよく思わない非キャリア組の上司と部下は警察署内にも多く存在する。今の鯉登にとって、本当に信頼できる上司と部下は片手で数える程度とかなり限られていた。そしてその部下の内の一人であるのが、月島基巡査部長であった。

鯉登は独身でありながら持ち家を持っていた。転勤してからはそこで暮らしている。通常持ち家や家庭を持たない独身の警察官は、警察署に徒歩で通勤できる位置にある独身寮にて生活をしている。

しかし彼は自分の生活を親しくもない他者と共有するのを嫌った。だから持ち家を持った。一人きりの生活は他者による余計な干渉もなく楽である。しかし不便な点もあった。

「月島ァ!仕事が終わったら私の家まで来い!」
「消灯時間に間に合わなくなりますのでお断りいたします」

仕事の愚痴や自慢を聞いてもらえる相手と、なかなか話せる時間が作れないという点だ。独身寮には規則があるため、家を持ち自由に生活できる鯉登と違って、独身寮に住む月島にはその規則がつきまとう。流石に部下相手に「持ち家を持て」「家庭を持て」と強引に言えるわけもなく、鯉登は悶々とした日々を送っていた。


◆◆◆


「いつになったら私と話せる時間を作れるのだ、お前は」

ついに業を煮やした鯉登が、月島の休日を狙って独身寮にまで押しかけてきた。昼食後の空き時間に突然部屋に現れた上司を、月島は無の表情で見つめた。

「……常に予定が入っておりますので」
「休日は何をしている」
「ランニングと剣道の練習ですが」
「それは毎日やっていることだろう」

鯉登に親しい同期がほとんどいないのと同様に、月島もまた休日を共に楽しめる同期はほとんどいなかった。月島は休日を楽しむと言うよりもむしろ、己を磨き上げるために時間を費やすか、単純に日々の疲れを癒すために体を休ませる程度にしか使っていない。
かと言って上司のために貴重な休日を使うのには流石の月島も抵抗を感じた。

「なぁ、月島……翔太はいつになったら私のことを思い出してくれるだろうか」
「思い出すも何もまず、翔太くんは鯉登警部補といつ出会われたのですか?」
「そうだな……あれはまだ私が警察学校入ったばかりの頃で……18くらいの頃か。父の友人が開いた食事会に何故か私も連れられ、その時初めて白石松栄殿にお会いしたのだ」

鯉登は頭の中の記憶を辿るようにして、視線を上に向かせながら顎を撫でた。そして何か良いことでも思い出したのか、彼は突然目を輝かせ月島の方へと視線を戻した。

「今も充分可愛いが、当時の翔太もそりゃあ可愛かったぞ!これくらい小さくてな、私のことを『にぃに』と呼んで雛鳥のように……」
「当時の翔太くんのご年齢は?」
「1、2歳くらいだな!」
「覚えていないのも無理ないでしょうな」
「何故だ!!」
「人間というのは大体、3歳以前の記憶をほとんど有しておりませんので」
「キエェェェェェェ!!」

突然叫び出した鯉登に月島は冷静な声で「お静かに」と一言制した。月島はこうなることを薄々予想していたため、鯉登が今どんなに泣こうが喚こうがもう動揺することはない。代わりに、音もなく心労ばかりが増えていく。この男といると今日が自分の休日であることを忘れてしまいそうだった。

「そんなにご執着されずとも……。以前の警部補殿は鶴見警部殿一心であったではありませんか」
「鶴見警部殿は鶴見警部殿だ!翔太は……っ私の、弟なんだ……!」
「警部補殿、お気を確かに。翔太くんは警部補殿の弟君ではありません」
「じゃっどんおいんこっを『にぃに』て呼んでたんじゃーっ!」
「お気を確かに。警部補殿」

面倒くさい──月島は今まで吊り上げたまま崩さないように努めていた眉尻をうっかり下げそうになった。


コン、コン、コン──

その時、月島の部屋のドアをノックする音が聞こえた。月島はこんな時に誰だと思いつつも、訪問者に対し「どうぞ」とだけ返した。

「失礼」

挨拶と共に入室してきた男の顔を見て、月島はそこで初めて表情を驚愕に変えた。

「は、花沢警部補殿……!」
「おお、勇作!」

月島の部屋に訪れたのは、第七警察署に勤務する花沢勇作警部補であった。彼は花沢幸次郎元警視正の息子であり、眉目秀麗・成績優秀・品行方正でも有名で、署内でも一目置かれた存在である。

そんな男が当然このような独身寮で暮らしているはずもなく、月島は何故彼がここに、それも自分の部屋に訪れたのかと思考巡らせ困惑していた。対して鯉登は目を輝かせ、花沢の訪問を心から喜んでいた。花沢勇作は鯉登の同期であり、数少ない友人でもあった。

しかし何故独身寮に住んでいるわけでもない花沢がここに訪れたのか、それについては鯉登にも分からなかった。そんな二人の考えを表情から察したのか、勇作は少し困ったような表情で微笑みを浮かべた。

「実は鶴見警部殿から、独身寮にいる音之進を引き取って欲しいと連絡があったんだ」
「なにっ、鶴見警部殿が!?」

予想だにしなかった人物の名を聞いて鯉登は驚愕に目を見開いた。勇作は小さく頷いた。

「独身寮が騒がしいから早くなんとかしてくれと、署に匿名でクレームがあったらしい」
「そ、それは……」
「もう出よう、音之進」
「……わかった」

鯉登は一瞬渋ったが、他でもない鶴見からの命令であればそこは大人しく引き下がる他ない。仕方ないとため息をついて、鯉登は月島の部屋から出るために勇作が待つドアまで向かった。

「ところで、月島巡査部長」
「は、はい」

鯉登と共に部屋を出ようとした勇作が、突如月島の方を振り向いた。月島は背筋を伸ばし、返事を返す。

「兄様は……尾形巡査長は、いつもと変わりないか?」
「……はい。真面目に職務を遂行しております」
「そうか……」

勇作の俯きがちな横顔を見て、月島はそれ以上この話に触れないように口を閉ざした。閉ざしたのだが、そこに再び勇作が口を開く。

「食事はきちんと摂れているか? 勤務中、眠たそうにしていないか? 何か悩みや不満を抱えている様子はないか?」
「花沢警部補殿。どうぞご心配なく。尾形巡査長はいつもと何ら変わりありませんので」
「そ、そうか。……すまない。先日音之進に連絡先を教えてもらったのだが、なかなか連絡がつかなくてな……。てっきり忙しさのあまり休む暇もないのかと思って、私は……」
「ああ……そうですね。忙しいのには変わりないかと思われます」
「では、やはり兄様は体調を崩して……!?」
「いえ、そうではなく……」
「月島。そういえばお前に訊いておきたかったのだが……」

面倒な上司が二人に増えた──月島の顔が再び無に戻った。

「歓迎会の時の話だが、翔太は何故尾形のことを知っていたんだ? 二人はいつどこで知り合った?」

虚無の境地に達した月島の心情も知らず、鯉登は今まで自分の中で引っかかっていた疑問を彼に尋ねた。またこの人は面倒な点に気付いたなと、月島は密かに眉根を寄せた。

「……そういうことは、本人に直接尋ねられた方がよろしいかと……」
「まさか、翔太はお前の管轄する交番の近くに住んでいるのか? それとも翔太は、あの由竹とかいう男や尾形と共に同棲しているのではないのか!?」

何故こんな時だけ狙ったかのように鋭くなるのだ──間近で問い詰めてくる鯉登から月島は思わず顔を逸らした。

「兄様と同棲……? 一体何のことだ、月島巡査部長……」
「いえ、それは私にも……」
「尾形は私から兄の座を奪って、翔太を自分の弟として育てるつもりか!?」

鯉登の脳内では、翔太を腕に抱き勝ち誇った笑みを浮かべる悪魔のような尾形の姿が描かれていた。

「えっ!? あっ、兄様が、お、おおお弟を!? まさか父上にまた新たな隠し子が……!?」
「いえ、それは違……」
「どうなんじゃ月島ァ!ハッキリせぇ!尾形は翔太と同棲しちょるんか!? にぃにち呼ばせておいんこっを影で馬鹿にしちょるんか!?」
「ですから……」
「兄様の弟……!私だけではなかったのか……!ああっ、父上……ッ!貴方はなんという方だ……!!」
「花沢警部補殿、それは誤か……」
「キエェェェ!!尾形の奴めェェェ!死刑じゃああああッ!!」
「あの……」
「私に気を遣わせないように敢えて隠されていたのですね、兄様……!ですがご安心くださいませ兄様!私は……ッ勇作は、たとえもう一人の異母兄弟がいようとも、兄様同様に愛してみせますとも!!」
「尾形ぁぁぁぁぁっ!!」
「兄様ぁぁぁぁぁっ!!」

感極まった二人の男が、ほぼ同時に叫び出しながら月島の部屋から飛び出して行った。そこそこガタイのいい成人男性二人に、ほぼ同じタイミングで突っ込まれた月島の部屋のドアは派手な音を立てて吹き飛んだ。月島の部屋の前から、奇声がどんどん遠ざかって行く。

やがて静まり返った月島の部屋の中を、非番中の警察官達が何事かと覗き込んできた。
そこには、いつもと変わらぬ険しい表情の月島が、ピクリとも動かず正座していた。

今は声を掛けるな──警察官達の心に、そんな月島の声が聞こえた。


◆◆◆


一方で、尾形は自分が勤務する交番──第七団地公園前交番にて頭を抱えていた。

今、尾形の目の前には涙を流している翔太がいる。そしてその後ろには、警戒心を壁のように張り巡らせた杉元が立っていた。尾形は頭を抱えながら自身の机の上を数回指で叩くと、椅子に座って涙を流す翔太を一瞥した。尾形の重い口が開く。

「……保健所に連絡はしたのか?」
「ぐすっ……わかん、ない……」
「猫はいつから居なくなった」
「朝……ぐすっ、起きたら……いなかった……」
「はぁ……」

尾形は現在、遺失物の届出の手続きをしていた。翔太が前日拾ったという猫が突然いなくなったためだ。
尾形はボールペンを弄ばせ、この面倒な手続きを早く放り投げたい気持ちで翔太に向き合った。

「色は?」
「黒色……」
「名前と年齢、大きさや特徴は?」
「百ちゃん……」
「なに?」
「百ちゃん」

翔太から発せられた猫の名前を聞いて、尾形は書き進めていたペンを思わず止めた。下を向いていた尾形の、怪訝な顔が上がって目の前の翔太に向く。

「何だその名前は……」
「100万回生きたねこの、百ちゃん……」
「不死身か。……ああ、気に障ったか? 杉元」
「黙ってろ」

小馬鹿にしたような笑みを浮かべる尾形を杉元は睨んだ。今すぐこの男の胸倉を掴んで殴ってやりたい気持ちに駆られたが、杉元は翔太の手前もあってそこは理性でなんとか堪えた。尾形はその様子を見て鼻で笑うと、自身の前髪を撫で上げペンを再び動かした。

「拾ってきたばかりだというのなら確かな年齢もわからんだろう。成猫だとは思うが……」
「ぐすっ……」
「泣くな。野良猫なんざそんなものだ。惜しけりゃ新しいのを飼え」
「うぅ〜……っ!」
「尾形テメェッ!」
「口の利き方に気をつけろよ。手を出したら速攻現逮だ」

頬杖をついてボールペンの先を向ける尾形の澄まし顔に、杉元は出し掛けた手を寸前で食い止めた。歯を食いしばり、怒りに拳を震わせる。

「うっ……うっ……」
「……お前ももう諦めろ。たかが野良猫のために毎日目を腫らすつもりか?」
「ぐすっ……ひゃ、百ちゃんは……ぐすっ……ぼ、僕の……家族だもん……!」
「……その百ちゃんとやらが、お前を家族だと思っていなくてもそう言えるのか? 案外お前のことを疎んじているかもしれんのだぞ?」
「尾形巡査長、子供相手にそんなことまで言わなくても……」
「いい。答えを聞いてみたい」
「尾形さん……」

見兼ねた谷垣が後ろから声を掛けるが、尾形は谷垣の方へ見向きもせず、涙を懸命に拭う翔太の様子を黙って眺めた。

「ぐすっ……僕、よく、わかんない、けど……ひっく……百ちゃんの、こと、見つけたい……」
「…………」
「そしたらっ、ひっく……百ちゃんに、僕のっ、ぐすっ……僕のこと、きらいか、きく……」
「……懸命だな」

尾形は呟き、ボールペンを走らせた。一通り届出を書き終えると、尾形は席を立ってそれを二階堂浩平の机の上へと放り投げた。

「おい!」
「つべこべ言わず出しとけ」

別件で書類整理をしていた浩平は、突然自分の机の上に舞い込んできた書類に抗議の声を出した。しかし月島巡査部長が非番でいない今は、巡査長である尾形が現場責任者にあたるので彼の指示には従わなくてはならない。浩平は悔しさに歯を軋ませた。

「それらしいのが見つかったら連絡してやる。それまでは保健所に行くなり愛護センターに行くなり、自分で何とかしろ」
「ぐすっ……うん……」
「おい尾形。お前さっきから……言い方ってもんがあるだろ」

届出の手続きはこれにて無事完了したのだが、尾形の対応に不満を抱いていた杉元はここにすかさず一言物申した。奥の部屋へと姿を消そうとした尾形が振り返り、睨め上げる杉元を嘲笑った。

「何だ。もう警察官でもない(・・・・・・・・・)お前が、俺の聴取にケチをつけるのか」
「…………」
「……用は済んだだろ。もう帰れ」

そう言って踵を返そうとした尾形だったが──

「尾形ぁぁぁぁぁっ!!」
「兄様ぁぁぁぁぁっ!!」
「!?」

異なる二つの凄まじい奇声の塊が、まるで鉄砲のような勢いで交番に飛び込んできた。風圧によって交番の中にある書類は舞い上がり、張り詰めていた緊張の糸はマラソンのゴールテープのように清々しく切られた。

大きく跳ね上がった尾形の肩は硬直したままで、一向に交番の出入り口へと振り返らない。何故ならその先にあるものを尾形は知っていて、体全体でその“突然の来訪者達”を拒んでいたからだ。

「ようもおいん翔太を手篭めにしよったな!貴様の考えちょっことは大体わかっちょる!おいん翔太を弟扱いして兄になったつもりでいっじゃろうがそうはいかんぞ尾形ァ!翔太んにぃには後にも先にもこんおいだけなんじゃぁッ!」
「聞きましたよ兄様!新しい弟と同棲しているそうではありませんか!どうかこの勇作にも紹介してください!兄様が私に黙って同棲するほど大事に思っていらっしゃる弟とは一体誰なのですか!? ご心配なさらずとも、私も兄様同様新しい弟を愛したいと思っております!どうか、どうかご紹介くださいませ兄様ァ!」
「…………」

突然現れた二人の警察官に、交番にいる尾形以外の全員が唖然としていた。一方で尾形は今にも死にそうな顔をしていた。
さっきまで泣いていた翔太も、驚きのあまりに涙も引っ込んでしまったらしく、今はぽかんと口を開けたまま固まっている。

「……杉元」
「えっ」
「お前、そいつ連れて見つからないように帰れ」
「えっ、あ、うん……」

感情を殺したような無機質な声が尾形から発せられ、それに何かを察した杉元が苦笑いを浮かべ翔太をそっと後ろから抱き上げた。杉元は二人に気取られぬよう、そのまま静かに交番から出て行った。

受付所では相変わらず二人の男が尾形に詰め寄っている。そのあまりの気迫に、二階堂も谷垣も交番の端っこにまで逃げていた。
地獄絵図だった。

「ないとか言え!尾形!!」
「何とか仰ってください!兄様!!」

更に距離を詰めてくる二人に対し、尾形は一度大きく息を吸うと──

「お引き取り願います」


現場は更に荒れたという。


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