海賊の子 | ナノ

雨の日の魔法


その日は、すごい雨が降っていた。
ざあざあと音を立てて、滝みたいな雨が朝からずっと続いていた。僕はベランダの窓から外をじっと眺めて、暗くなった街を見下ろしていた。

しばらく眺めていたら、後ろの方から「今日はずっとこの調子だな」って由兄ちゃんの声が聞こえた。振り返ったら、由兄ちゃんが台所に行くのが見えた。時計を見たら、そろそろお昼ご飯の時間だった。

「あっ、マジかよ……!」
「……?」

台所から由兄ちゃんの声が聞こえた。どうしたんだろう。僕は窓から離れて台所まで走った。
台所に行くと、由兄ちゃんが冷蔵庫を開けたまま困った顔をしているのが見えた。何かあったのかな──そう思って僕も冷蔵庫の中を覗いたら、なんと冷蔵庫の中は空っぽだった。大体いつも空っぽだったから、僕はあまり驚かなかった。首を傾げたら、由兄ちゃんは困った顔を僕に向けた。

「翔太〜……今日備蓄してた食料何もねぇんだよ〜……」
「び、ちく?」
「カップ麺とか、冷凍食品とか、缶詰のこと。買わなきゃ今日の昼飯どころか、晩飯も食えねぇんだよ」
「……どうしよう」
「いや〜……うん。……行かねぇとだよなぁ」

由兄ちゃんはそう言って、ベランダの窓の方に顔を向けた。外では相変わらず雨がざあざあと降っている。由兄ちゃんは大きくため息をつくと「仕方ねぇ」と呟いて、隣のお部屋まで行った。僕が待っていたら、由兄ちゃんは外行きのお洋服に着替えてカバンを持ってお部屋から出てきた。それに、片手に何か握られてある。黄色い布のようなものだ。あれはなんだろう。

「翔太、ほら。これ着ろ」
「……なぁに?」
「カッパだよ、雨合羽」
「カッパ……?」
「あぁ。いつか必要になるかもしれないから買っておいたんだ」

よくわからないまま、僕は由兄ちゃんに渡されたカッパを着てみた。袖を通してみたら、僕にはほんのちょっと大きかった。でも、由兄ちゃんからお洋服をもらえたのが嬉しくて、僕はその場でくるくるしながら由兄ちゃんにカッパをお披露目してあげた。

「おー似合ってる似合ってる。ちっとデケェけど……まあ、すぐ成長するだろうし、問題ないだろ」
「由兄ちゃん、ありがとう」
「おう!そんじゃあ傘持って早速出発するぞ〜!」
「おー」

僕が拳を突き上げたら、由兄ちゃんはその拳ごと僕の手を取って玄関まで向かった。由兄ちゃんは僕みたいなカッパを着ていなかったけど、大きな大人の傘を取って、僕には子供の傘を渡して玄関から出た。

「どこに行くの?」
「スーパーだよ」
「何でも屋さん?」
「そうそう、何でも屋さん」
「何買うの?」
「そうだなー……カップ麺と、缶詰と、飲み物と、あとはー……まあ、着いたら決めるか」

由兄ちゃんは僕の手を引きながら笑った。ズレたフードの下から見える由兄ちゃんの笑顔はカラッとしていて、夏の晴れ空みたいに眩しい。僕はその時、由兄ちゃんとならこのままどこにでも行けそうな気がした。

「あ……向こうから車来てるからこっち来いよ、翔太」
「うん」

そう言われて手を軽く引っ張れた。由兄ちゃんと一緒に脇道に寄ったら、突然脇道の陰から何かが飛び出してきた。そしてそれは、すごいスピードで道路に走って行った。

「あっ」

ドンッ──

雨音に混じって、何かがぶつかる音がした。何だろうと思って道路を見ようとしたら、突然さっと目を手で隠された。由兄ちゃんの手だった。

「由兄ちゃん……?」
「翔太、見るなよ」

どうしたんだろう。何があったんだろう。目の前が真っ暗で何も見えない。車の走り出す音が聞こえる。ざわざわと人の声も聞こえた。

「うそやだ……」
「かわいそう……」
「死んじゃった……?」
「何あの車、サイテー……」

何かあったのかな。見たくても、由兄ちゃんは僕の前から手をどけてくれないから何も見えない。

「由兄ちゃん、見えない……」
「……いい。見えなくていい」
「えー、見せてぇ」
「ダメだって」
「なんで?」
「……お前は見なくていいものだから」

見るなって言われたら、余計に見たくなる。ゆっくり歩き出した由兄ちゃんの、少しズレた指の隙間から僕は道路を見ようとした。だけどやっぱりよく見えない。

「あっ翔太……っ!」

だから僕は思い切って、強引に由兄ちゃんの手を目から外した。

「あ……」

雨に濡れた道路。その真ん中で、何かが落ちているのが見えた。真っ黒なそれからは、真っ赤なものが出てきていた。

「翔太!見るなって!」
「猫さんだ」
「翔太……っ!」

僕は由兄ちゃんの手を離して道路まで走った。道路の真ん中で寝ている猫さんの元まで駆けつけて、僕はその場に屈みこんだ。猫さんはピクリとも動かなかった。

「翔太!」

後ろから肩を掴まれた。そのままぐいっと引っ張られて、尻餅と手をついた。ビシャッと濡れた手を見てみたら、赤く濁った色の水が手についていた。僕は、その手を眠っている猫さんに当ててみた。温かい。まだ死んでない。

「そんなの触るなよ翔太!ほらっ、行くぞ!」
「……由兄ちゃん、この猫さん生きてる」
「死んでるって!脚とか変な方向に曲がってるし……っ頭凹んでるっぽいし!」
「生きてるよ」
「あのなぁ!」
「生きてるもん。病院連れて行かないとダメだよ」
「お前、病院って……」

僕は猫さんを抱き上げた。雨で濡れてちょっと重たい。由兄ちゃんは「うおっ!?」って驚いて、僕の肩から手を離した。

「病院連れてって!お願い!」
「いや、だってその猫もう……」
「生きてるぅ〜!」
「わかったわかった!愚図るなよ……ったくもう!」

周りにいた人達がヒソヒソし始めたのを見て、由兄ちゃんは僕の背中を押しながらいつもと違う道に入って行った。雨宿りできる場所を見つけて、その下で由兄ちゃんは携帯を取り出した。何か調べているのかな。

「もうすぐ病院行けるよ」
「…………」
「頑張って」

僕は目を開けない猫さんに声を掛けた。でも猫さんはまだ目を開けてくれない。生きているのに何で目を開けてくれないんだろう。僕の声が聞こえないくらいぐっすり眠っているのかな。

「あー……動物の……近い場所ここか。翔太、とりあえずその猫お前のカッパで隠しとけ」
「うん」

僕はカッパを脱いで、そのままそれを猫さんに被せた。僕の腕から、猫さんの赤い血がポタポタ垂れている。でも、まだ温かい。

由兄ちゃんは傘を差して「兄ちゃんについてこい」って言うと僕の前を走り出した。僕も慌てて後を追う。猫さんがちょっと重くて走るのも大変だったけど、僕は由兄ちゃんに置いていかれないように一生懸命ついて行った。


◆◆◆


由兄ちゃんの後を追いかけて走り続けていると、小さな建物が見えてきた。「ちょっと待ってろ」って言って、由兄ちゃんが先に建物の中に入った。じっと待っていたら、由兄ちゃんがガラス窓の向こうからおいでおいでってしてきて、僕は猫さんを抱き直して建物の中に入った。

「翔太、その猫貸せ」
「えっ、でも……」
「先生が診るって言うから、大人しく貸しとけ。な?」
「……うん」

僕は由兄ちゃんに猫さんを貸してあげた。由兄ちゃんは猫さんを抱いたまま、僕を残して奥の部屋に行ってしまった。僕が後を追いかけようとしたら、受付のお姉さんが「ごめんね。ボクはここで待っててね」と言って僕を引き止めた。僕は、大人しく待っていることしか出来なかった。


◆◆◆


しばらく待っていたら、奥の部屋から由兄ちゃんが出てきた。僕は急いで由兄ちゃんの元まで駆けつけた。

「由兄ちゃん、猫さんは?」
「…………」
「……由兄ちゃん?」

由兄ちゃんは俯いたまま何も言わなかった。僕の目を見ようともしなかった。じっと床だけを見つめて、何も話そうとしなかった。

「由兄ちゃん……」
「……あ、すみません。お会計……」
「あ……今回の件は……大丈夫です。先生からは、お代は要らないと言われておりますので……」
「そうですか……。すみませんでした、急に……」
「いえ。……ありがとうございます。坊やも、ありがとうね」
「え……?」

僕は、受付のお姉さんと由兄ちゃんの顔を見比べた。受付のお姉さんは悲しそうに笑っていたけど、由兄ちゃんは笑っていなかった。何でそんな顔をしているのか、僕には分からなかった。

「……行こうか、翔太」
「えっ、でも、由兄ちゃん、猫さん……」
「いいからちょっと来い、翔太」

由兄ちゃんは僕の手を無理やり引っ張って、建物の外に連れ出した。外は雨がざあざあ降っていて、少し寒いくらいだ。
由兄ちゃんは外に出ると傘を差して、僕を濡らさないようにしながらその場に屈みこんだ。さっきからずっと、由兄ちゃんは俯いたままだ。

「……由兄ちゃん……?」
「……あのな、翔太」
「うん」
「あの猫さんな……もう……」
「うん」
「…………めちゃくちゃ重症でな? 治るまですご〜……っく、時間かかるんだよ」
「……そうなの?」
「ああ。だから、助かるけど……翔太とは二度と会えないんだ」
「そう、なの……?」
「ああ。……でも、先生がちゃんと飼い主見つけてくれるって言ってたから……な? ほら、ああもう……泣くなよ」

僕は、いつの間にか泣いていた。由兄ちゃんは困ったように苦笑いして、僕を抱きしめて背中をポンポンした。温かい。生きてる温度だ。あの猫さんと同じだ。僕は由兄ちゃんをぎゅっと抱きしめ返した。

「寂しいか?」
「うん……」
「よしよし、今日は由兄ちゃんが特別にご馳走作ってやるよ。杉元もアシリパちゃんも呼んで、一緒にみんなで鍋パーティーしようぜ」
「うん……」

由兄ちゃんは傘を首に引っ掛けると、僕を抱っこして歩き出した。どんどん遠くなっていく建物をじっと見つめていたら、また涙がポロポロと出てきた。

もし治ったら、お友達になりたかったのにな──もう二度と会えないって言葉が、僕の頭の中から離れなかった。


◆◆◆


「……あ、杉元か? オレだよ、オレオレ。……ちげーよ、白石だっつの!」

何でも屋さんからの帰り道で、由兄ちゃんは杉元お兄ちゃんに電話を掛けていた。由兄ちゃんの手にはお野菜とかお肉とかが入った袋が握りしめられてあって、僕はその隣で水溜りを踏みしめながら歩いている。ピチャピチャ跳ねる水が面白い。

「今日ウチで鍋パーティーするから、アシリパちゃん誘ってウチに来ないか? ……あ? お前のところも鍋? へー、因みに何鍋? ……マジ? そっか〜……あ、俺のところはすき焼き!……は? 肉? 牛肉だろ、そりゃ。……豚じゃねーよ!失礼だなお前!」

由兄ちゃんは杉元お兄ちゃんと何の話をしているんだろう。なんだかちょっと楽しそうだ。僕は水溜りをぴょんぴょんしながら、先を歩く由兄ちゃんの後を追った。

「…………」
「……?」

その時どこからか、何かが聞こえた気がした。顔を向けたら、見覚えのある脇道を見つけた。今日、猫さんが飛び出してきた脇道だった。僕は、先を歩く由兄ちゃんから離れて脇道に入って行った。

「あ……」

脇道を真っ直ぐ進んでいたら、すぐに行き止まりになった。だけどその行き止まりの端っこに、一本の大人の傘が開いて置いてあるのが見えた。近づいて見たら、傘の下には濡れた段ボール箱が置いてあった。僕はそっと傘をどけて見た。

「あっ」

猫さんがいた。今日見た猫さんと同じ、真っ黒な猫さんだ。
僕は、いつかテレビで見たマジックショーを見ている気分になった。いなくなったと思ったら、ジャジャーンってまた現れるマジック。

「猫さん!」
「…………」

僕が抱き上げて声をかけても、猫さんは鳴かない。でも、目はちゃんと開いていた。きれいな金色のお目目だった。

「翔太ーッ!!」
「あっ……由兄ちゃん」

後ろから由兄ちゃんの叫び声が聞こえた。振り返ったら、目を真っ赤に腫らした由兄ちゃんがゼェゼェ言いながら立っていた。

「由兄ちゃん、見てみて!猫さん!」

僕は猫さんを由兄ちゃんに見せてあげた。猫さんはびっくりしたのか、目をまん丸にして体と尻尾をピンと伸ばした。

「バカ!お前勝手にいなくなるな!スゲェ探したんだぞ!」
「……ごめんなさい」
「でぇ、なに!? その猫さんどうしたの!? どっから拾ってきた!?」
「ここからだよ。ねぇ由兄ちゃん、この猫さんお家に連れて帰ろう?」
「戻しなさい!」
「いやだぁ〜!」
「ダメです!」
「お願い〜!」
「ダメったらダメ!」
「でもっ……でもっ……こんなに可愛いよ……?」
「可愛いのは翔太で間に合ってます!」

僕は猫さんをぎゅっとして離さなかった。由兄ちゃんはなんとか僕の手から猫さんを取り上げようとしたけど、僕が猫さんを守るように抱いたまま屈みこんだら、由兄ちゃんはしばらくオロオロして、最後に大きなため息を零した。

「……ったく、本当にしょうがないなお前……。動物好きなところと意地張るところは姉さん譲りだな、こりゃ……」
「……連れて帰っていい?」
「……わかった」
「……!やったぁ!」

由兄ちゃんは苦笑いしながら許してくれた。僕は猫さんを持ち上げてもう一度抱きしめた。黒い毛は雨で少しだけ濡れていたけど、猫さんの体温はすごく温かかった。

僕と由兄ちゃんと猫さんは、そのまま一緒にお家まで歩いて帰った。


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