海賊の子 | ナノ

お近づき


僕は今、由兄ちゃんと一緒に近所の小学校に来ている。僕が通っていた前の小学校とは全然違う学校だった。すれ違う子はみんなお洋服を着ていて、誰も制服を着ていない。ここは本当に学校なのかな。


「本日は夏休み前ということもあり、交通安全教室を開催しております。どうぞ、そちらの方もご見学ください」

学校の先生がそう言って、僕と由兄ちゃんを外に連れ出した。由兄ちゃんは「小学校なんて久々だなぁ」なんて呟いていて楽しそうだったけど、僕はあまり楽しくなかった。すれ違う子のみんなが僕の方をじろじろと見ていて、すごく居心地が悪かったからだ。

「ねぇ、あの子だれかなぁ」
「たぶん、転校生だよ」
「男の子?」
「顔よく見えない」
「え〜どの子〜?」
「ほらそこぉ!勝手に立たない!」

外で座らされていた子達に、先生がラッパのようなものを使って大声で注意した。少し静かになって、ようやく校長先生が前に出てきた。

「えー、皆さん。明日からいよいよ夏休みですね。夏休みに入ると、お父さんやお母さん、友達と一緒に出かけることもあると思います。外は暑いです。日差しが強いです。水分補給を忘れずに、暑さ対策はしっかりと行いましょう」

先生の少し長いお話が続いた。みんなもうすごく暑そうだ。僕と由兄ちゃんは日陰の下にいるから、みんなと比べればそんなに暑くないのかもしれないけど、ここでも結構暑い。先生、早くお話終わってくれないかな。

「さて、今日は皆さんに夏休み前の交通安全についてお勉強してもらいたいと思います。指導してくださるのは、こちらの第七警察署からお越しいただいた交通課のお巡りさん達です。皆さん、拍手でお迎えください」

先生がそう言うと、パチパチとあちこちで拍手が鳴った。みんなもうぐったりしているような気がする。早く終わって欲しいって顔をしていた。

先生に紹介されて前に出てきたのは、何人かのお巡りさんと、かわいいクマさんだった。クマさんはお巡りさんの帽子を被っていて、みんなの前に出るとビシッとかっこよく敬礼して見せてくれた。

「あっ……」
「ん? どうした、翔太」
「尾形お兄ちゃん……!」
「えっ!?」

僕が指差した先には、後ろに手を組んで立つ尾形お兄ちゃんがいた。帽子を被っていたから今までずっと気付かなかった。尾形お兄ちゃんは僕達の方を見ていないから、たぶん僕達がここにいるってことには気付いていないと思う。

「神威小学校の皆さん、こんにちは〜!」
「こんにちは〜!」
「私達は、第七警察署の交通課の者です!そしてあちらにいるのが、第七団地公園前交番から来てくれた尾形巡査長と、第七駅前交番から来てくれた門倉巡査部長と宇佐美巡査長です!そしてなんと、今日はマスコットキャラクターのヒーポくんにも応援に来てもらっています!今日は神威小学校の皆さんと一緒に交通安全について一緒にお勉強していきましょうね、ヒーポくん!」

あのクマさん、ヒーポくんって言うんだ。ヒーポくんは相変わらずビシッと敬礼している。かわいいのにちょっとだけカッコいい。あとで握手してもらいたいな。

「こんなクソ暑いってのに、中の人は大変だねぇ〜……。あ、でも中身が婦警さんなら薄着って線も……」
「……?」

由兄ちゃんはそう言って、鼻の下を伸ばしながらヒーポくんを見つめている。中の人って、何だろう。

「はぁい、今からお巡りさんが交通安全について実演で教えますのでぇ、皆さんはこっちに向いてくださいねぇ〜!」

頬っぺたにホクロがある、ちょっとかわいい顔をしたお巡りさんが手を振った。みんながそっちに体を向けると、尾形お兄ちゃんが無表情で白線の前に立っているのが見えた。白線は横断歩道みたいに引かれていて、尾形お兄ちゃんの隣には信号機のようなものまで置いてある。

「横断歩道を渡るときは、信号が青になってから!車が来ていないか、ちゃんと止まっているかをまずは確認!そして右左もしっかりと確認しましょう!そして、渡るときは必ず手を挙げましょう〜!」

ホクロのお巡りさんはそう言うけど、尾形お兄ちゃんは右も左も確認せずに、そのまま普通に横断歩道を渡り始めた。

「あ〜!言うこと聞かない悪〜い人ですね〜!こんな悪い人は〜……」

その直後に、尾形お兄ちゃんの斜め後ろから自転車に乗ったおじさんが突然猛スピードで突っ込んできた。

「きゃーっ!」
「危ないっ!」

轢かれると一瞬思ったけど、尾形お兄ちゃんは自転車をひらりとかわして後ろに飛ぶと、元の位置にまで戻っていた。びっくりして手で顔を隠していた子達が、みんなホッとしたような顔を見せた。

「こんな風に轢き殺されちゃうかもしれないので〜、良い子は真似しちゃダメですよ〜?」
「チッ……仕留め損ねたか……」
「フッ……相変わらず詰めが甘いですな、門倉部長」

何か話している二人のところに、何故かヒーポくんが近づいて行った。遠くから眺めていたら、ヒーポくんは尾形お兄ちゃんの制服の襟を掴んで大きな頭をぐっと近づけた。何か話しているのかな。

「白石さん」
「ん?」

突然後ろから声を掛けられて、僕と由兄ちゃんは振り返った。そこには、さっき案内してくれていた先生と、もう一人別の人が立っていた。

「ご紹介します。こちら、翔太くんのクラス担任になります、江渡貝弥作先生です」
「はじめまして、江渡貝です」
「あ、あぁ……どうも。白石です」

少しタジタジな由兄ちゃんと握手したのは、若い男の先生だった。優しそうな人だけど、僕はまだ話すのが怖くて由兄ちゃんの後ろに隠れてしまった。それに気付いた先生が、僕の方を見てニコリと笑った。

「はじめまして、白石翔太くん。二学期からキミのクラスの担任になる江渡貝です。私立から公立の学校に変わって、色々わからないことだらけだろうけど、そういう困ったときはいつでも先生に声を掛けてくださいね」
「……はい……」

僕は小さな声で返事を返した。今はそれで精一杯だった。

「すみません、こいつ結構人見知りなところあって……」
「大丈夫ですよ。みんないい子達ばかりなので、友達もすぐにできると思います」

由兄ちゃんと江渡貝先生はまだ何かお話ししているけど、僕はそれよりも尾形お兄ちゃんの方が気になってつい後ろを振り返った。すると、何故かヒーポくんが生徒のみんなに囲まれていた。握手している子もいる。
いいな。僕もヒーポくんと握手したいな。

「では、二学期からよろしくお願いします」
「はい、お願いします。……ほら翔太、お前も挨拶……ん?」
「ぁっ」

由兄ちゃんに名前を呼ばれて慌てて前を向いた。よそ見をしていたことを怒られると思っていたら、由兄ちゃんは遠くにいるヒーポくんを見てから、僕を見下ろすと突然ニカッと笑った。

「翔太、お前あのクマ公が気になるのか?」
「……うん」
「ツーショット写真撮ってやろうか?」
「えっ……」

そんなことできるの? そう訊く前に、由兄ちゃんは僕の手を引くとヒーポくん達のところまで引っ張って行った。近付いてくる僕達に、ヒーポくんはまだ気付いていない。僕は胸がドキドキしてきた。

「あのぉ〜すみませ〜ん」
「? ……っ!」

由兄ちゃんの声にようやくヒーポくんが気が付いた。そして僕を見ると、ヒーポくんは何故かビクリと大きく肩を跳ねさせた。

「この子がツーショット撮りたいって言うんですけど〜、一枚いいっすか〜?」
「ぁっ……由兄ちゃん、僕そんなっ……言ってない……!」
「いいんだって、こう言っときゃ撮らせてくれるから……!」
「ツーショットですか〜? 一枚3万円です〜」
「えっ!?」
「コラ、宇佐美」

ヒーポくんの後ろから現れたホクロのお巡りさんが指を三本立てて、それを叱るように隣にいた別のお巡りさんが頭を叩いた。おじさんは僕の前まで来ると膝を屈めて「後で職員室においで」と言った。僕は何度も頷いて見せた。

「ここじゃダメなんすか?」
「いやぁ、まあ……ここだと他の生徒に見られますし……。ずるいだの不公平だのと騒がれて後々面倒…あぁいえ、大変なので……」
「あ、あぁ……そ、そうっすね。わかりました、じゃあ職員室で待ってます」

由兄ちゃんは頭をペコペコと下げながら、僕の手を引いて学校の中へと入って行った。


◆◆◆


月島基は当惑していた。

この真夏の茹だるような暑さの中で、着ぐるみの中に押し込まれマスコットキャラクターとして自分は働かされている。無論、中の人としておしゃべりは許されない。だと言うのに、調子に乗りはじめた部下をその都度隠れて叱咤しなければならない。

ただでさえ暑さで参っているというのに、部下の尾形は打ち合わせ通りに動かないし応援として呼びつけた同僚の門倉達もやる気を見せないしで、月島の心労は既にピークに達していた。

そしてやっとその地獄のような時間が終わったと思った頃に、今度は多くの子供達が波のように押し寄せてくる。子供達はあっという間に自分の周りを取り囲み、殴る蹴るの暴行を加えて「中身だれー?」だの「頭とってー!」だのと騒ぐのだ。体力と忍耐力、そして仏のような慈悲深さがなければこの仕事は務まらない。月島は交通安全教室が開かれる度に涙を飲んだ。


時刻は午後三時──耐えに耐えて、交通安全教室も無事に終わった。月島はようやくこれで解放されると思って、体育館裏にある日陰に座り込んだ。ここなら、下校する生徒にも見つからないだろう。

「お疲れ様であります、ヒーポ殿」
「……!」

明らかなからかいを含めた、形だけの労いの言葉が後ろから聞こえた。月島が振り返ると、体育館の壁に寄りかかった尾形がいた。流石に尾形もこの暑さで参っているのか、彼は取り払った制帽で自分の顔を扇いでいた。整えてあった前髪も、いくつかの束になって垂れてきている。

「……尾形」
「人気者は辛いですな、ヒーポ殿」
「言うな。好んでなりきっているわけじゃない。……あとその、ヒーポとか言うのもやめろ」
「すみませんね。このクソ暑い中でまさか自分に呼び出しが掛かるとは思わなかったもので……つい当たってしまいました」
「仕方ないだろう。春は既に谷垣が出て、秋冬は二階堂達が出るんだから文句を言うな。俺なんか春夏秋冬駆り出されているぞ」
「名誉ある皆勤賞ですな」
「黙れ」

馬鹿にするような口ぶりに月島は苛立ちを覚えた。一刻も早くこの忌々しい着ぐるみを脱ぎ去ってしまいたい。せめて頭だけでもと、月島が着ぐるみの頭に手を掛けたその時──

「お〜い、月島ァ」
「……?」

門倉の声が聞こえた。彼は月島と同じ巡査部長で、警察署内や独身寮でも度々顔合わせしては世間話程度には話す仲だった。その門倉が、自分の直属の部下を連れてこっちに向かって来ている。月島はこの時点で何か嫌な予感がしていた。

「……どうした」
「お前、まだその頭脱ぐんじゃねぇぞ」
「なに?」
「VIPが職員室でお待ちだ」

親指で校舎を指す門倉の意味深な笑みに、月島は着ぐるみの中で眉根を寄せ、怪訝な顔をして見せた。


──VIP? 一体何のことだ?

門倉に手を引かれて、未だヒーポくん姿で月島は職員室まで連れて行かれた。冷房の効いた校舎は外よりも幾分か涼しく、先ほどまで暑さと苛立ちで卒倒しそうだった月島は「助かった」とばかりに安堵の息を吐いた。

しばらく歩いた後、門倉はとある部屋の前で足を止めた。月島がその大きな着ぐるみの頭を上に傾けると、うっすらとした視界に『職員室』という文字が見えた。

「いいか、月島。5枚だ、5枚を目標にしろ」
「……? 門倉、お前さっきから何を言って──」
「お待たせしました〜」
「っおい!」

月島が引き止めるのも聞かず、門倉は目の前にある職員室のドアを開けた。

「っあ!」
「お、来た来た」

月島は職員室の中を見てギョッとした。
対面式で置かれた事務机の列の向こうに、月島のよく知った男と一人の少年がいたのだ。

やはり見間違いではなかった。あの子は白石翔太くんだ──月島は今日の交通安全教室で、グラウンドで見かけた一人の少年に翔太の面影を重ねた。
どうして彼らがここに──

「ほら、翔太」
「ぁっ……ぁっ……」
「…………」

翔太は当惑する月島──ヒーポくんの元に、おどおどした様子で近付いていった。胸の前には何かを握りしめている。よく見るとそれは、少年の手には少々余るサイズのスマートフォンだった。
翔太は月島の前にまでたどり着くと、仄かに赤らめていた顔を俯かせその大きな瞳を左右に泳がせた。もじもじとしながら、何か言いたげにしている。月島は何も言わず、そっと翔太の前に屈んでやった。

「……っぁ、あの、あの……ぼく、の、名前は……白石翔太、です……」
「…………」

翔太からの突然の自己紹介に、ヒーポくんはコクコクと頷いた。

「あの、僕……ヒーポくん、と……しゃ、写真……撮りたい、です……」
「……!」
「だ、ダメなら……あ、握手……したい、です……」

伝えたい言葉をひとつひとつ丁寧に、まるで絞り出すようにして話す翔太の健気な姿に、月島は着ぐるみの中で男泣きしてしまいそうになった。

猛暑日の中、子供達が喜ぶだろうと思ってあれだけ必死にヒーポくんを演じたというに、その子供達にひどい仕打ちを受けた月島にとって翔太の素直で淀みのない愛情は、あまりにも眩しく見えた。

「い、いいですか……?」
「……っ!……っ!」

上目遣いに尋ねる翔太に、ヒーポくんは頭が外れそうな勢いで首を大きく縦に振った。すると、翔太の不安に揺れていた瞳が突然大きく見開かれ輝きを放った。眩し過ぎて月島は自分の目が潰れてしまうかと一瞬思った。

「やったぁっ!」
「ッ!」

ドッ、と突っ込んで抱きついてきた翔太の小さな体を、ヒーポくんはぶるぶると震える手でそっと優しく抱きしめ返した。後ろで様子を見ていた尾形が思わず手で口を覆い隠し、顔を逸らして吹き出した。

「はぁ〜い!じゃあお写真撮りますね〜!」

そこにすかさず、門倉の部下である宇佐美巡査長がカメラを構えてやって来た。それは、警察署のホームページに載せるための写真を撮るために持って来られたものだった。月島は何の疑いもなく、宇佐美からの写真撮影に協力した。そして白石も、宇佐美の隣に立って翔太とヒーポくんの記念撮影に勤しんだ。


◆◆◆


「ヒーポくん、ありがとうございましたっ!」

大きな声でお礼を言った翔太が、ヒーポくんに向かってぺこりと頭を下げた。ヒーポくんは両手を振ってそれに応える。

「尾形お兄ちゃんも、バイバイ」
「あぁ」
「うし、帰るぞ翔太」
「うん!」

翔太はヒーポくんとのツーショットが出来たことに満足したのか、白石と手を繋ぎながら上機嫌で校舎から出ていった。

その後ろ姿が完全に見えなくなったところで、月島はようやく着ぐるみの頭を取り外した。白いタオルを頭に巻いた月島が、ヒーポくんとは似ても似つかぬ険しい顔で息を吐いた。

「はぁ……」
「いやぁ〜いい写真撮れましたね〜」
「おう、見せてみろ宇佐美。……ほほぅ、こりゃあ高く売れるぞ」
「……?」

自分の後ろで何やらおかしな会話をしている門倉と宇佐美に、月島は訝しげな顔を振り向かせた。二人はデジタルカメラの画面を覗き込みながら、意地の汚い笑みを浮かべている。

「一枚二、三万円でどうですか?」
「馬鹿、足元見過ぎだお前。せいぜい五千くらいだろ」
「えぇ〜売れますって絶対〜」
「……おい、門倉。何の話だ、それは」

見かねた月島が歩み寄って問い詰めると、門倉は少しばつが悪そうな表情を見せて視線を明後日の方向へ向けた。何か疚しいことを隠している顔だった。

「答えろ、門倉」
「あー……いやな? 月島お前、鯉登警部補知ってるだろ?」
「? あぁ、それがどうした」
「その鯉登警部補がよぉ、白石翔太くんのブロマイドを欲しがってて……」
「なっ……お前っ!まさかその写真売る気なのか!?」
「やぁ〜これは情報提供、情報提供」
「黙れ!ただの横流しだろうがそれは!貴様警察官のクセによくもそんな恥知らずな真似ができたものだな!」
「月島部長〜」
「……っ!」

月島の気迫に押されていた門倉を、宇佐美が間に入って助け舟を出した。宇佐美は月島に、デジカメの画面に映った翔太と月島のツーショットを見せて、媚びの造り笑いを浮かべた。

「これとか良いと思いませんかぁ? ほら、すごくヒーポくんのこと好きって顔してますよぉ、翔太くん」
「くっ……!」
「月島部長は頑張ってくださったのでぇ、一枚千円でどうですか?」

月島は歯を食いしばり、布製の手で拳を作った。尾形が遠目から静かに見守る中で、月島はしばらく葛藤した後、宇佐美から背を向け歩き出した。

「あれっ? 買わないんですか?」
「俺はっ……買わん!」
「……ああは言っとるがあいつ、後でホームページで抜き取るぞ、絶対」
「うわぁ……」
「黙れ門倉ァ!」


真っ赤な顔で叫ぶ月島の怒声は、校舎全体を揺るがすほどの凄まじさだったと、後に尾形は語った。


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