海賊の子 | ナノ

我慢比べ


カラオケ屋さんから出た後、僕達はみんなで由兄ちゃんのお家まで戻った。その途中で何でも屋さんに寄って、由兄ちゃんはお菓子や飲み物をたくさん買った。今目の前のテーブルには、由兄ちゃんが買ってきたもので溢れかえっている。

「歓迎会のやり直し、な?」

そう言って笑った由兄ちゃんに、僕は笑顔で頷き返した。


◆◆◆


「そう言えば翔太は学校に行っているのか?」
「え?」

ちょっとウトウトしてきた頃に、アシリパお姉ちゃんは急にそんなことを訊いてきた。眠たい目をこすって周りを見てみたら、由兄ちゃんが少し赤い顔で缶ジュースを飲んでいるのが見えた。あれで一体何本目だろう。

「あ〜……翔太は〜、明後日に学校の見学させに行くぞ〜」
「なんだ、じゃあまだ通っていなかったのか」
「夏休み近いしなぁ〜。学校に入るのも二学期からだろ〜」

由兄ちゃん、なんだかちょっと様子が変だ。いつもみたいにきちんとお喋りができていないような気がする。僕はもう一度目をこすって、なんとか眠らないようにしながら由兄ちゃんとアシリパお姉ちゃんの会話を聞き続ける。

「この近所の学校なのか?」
「えーっと……神威小学校、とかいうところ」
「おお、私の母校じゃないか」
「へぇ〜。じゃあアシリパちゃんは中学生? 何年生なの?」
「私は知多々布中学の一年だ。翔太は何年生になるんだ?」
「あ〜じゃあ同じ同じ。翔太も一年生だからな〜」

ほにゃりと笑った由兄ちゃんが、首を傾げて僕の顔を覗き込んできた。なんだか由兄ちゃんの息が臭い。僕はそっと顔を逸らした。

「あ〜翔太が顔逸らした〜!由兄ちゃん今のですごく傷ついた〜!」
「……だって……」
「お前酒くせーんだよ、白石。あんまり顔近づけてやるなよ、嫌われるぞ」
「ンだよ杉元ぉ〜。お前も飲めよ〜」
「俺はこれでも仕事中だから飲めないんだよ」
「うはぁ〜。真面目だねぇ、この男は……」

プシュッ、って音が鳴った。由兄ちゃんがまた缶ジュースを空けたんだ。今まで由兄ちゃんがこんなにたくさんの缶ジュースを飲んでいるのを、僕は見たことがない。そんなにその缶ジュースは美味しいのかな。僕も飲んでみたいな。

「あっ!ダメだよ翔太くん!」

僕が由兄ちゃんが飲み残していた缶ジュースに手を伸ばしたら、杉元お兄ちゃんが慌ててそれを取り上げてしまった。どうして飲んじゃダメなんだろう。僕はムッとした顔で杉元お兄ちゃんの顔を見上げた。

「そんな顔してもダメだよ。これは翔太くんみたいな子供が飲むものじゃないんだから」
「……由兄ちゃんだけ、ずるい……」
「うんうん。その気持ちはわかるぞ、翔太」
「アシリパさんもダメだよ。っていうか、もう暗くなってきたからアシリパさんはそろそろ帰らないと……」
「なっ!? おい、ずるいぞ杉元!私だけ除け者扱いするのか!?」
「違う違う。アシリパさんの帰りが遅くなったら大家さん心配するでしょ? だから早く帰らなきゃ……」
「祖母のことは気にしなくていい!連絡済みだ!」
「だから〜……」

帰りたくないって暴れるアシリパお姉ちゃんに、杉元お兄ちゃんは凄く困った顔でオロオロしている。由兄ちゃんはいつの間か眠っていて、ぐーぐーとイビキをかいていた。

「あーもう……じゃあ一緒に帰ろう、アシリパさん」
「よし!じゃあ翔太も連れて行くぞ、杉元!」
「いや、よし!じゃないよアシリパさん。何言ってるの。ダメに決まってるでしょ」
「何故だ……こんなに可愛い翔太を置いて行くのか……? お前はそんなに冷たい男だったのか、杉元……」
「ねぇアシリパさん、まさか飲んでないよね? なんかいつもよりテンションおかしいけど、まさか飲んでないよね?」

杉元お兄ちゃんとアシリパお姉ちゃんがまだ何か言い合っている間に、僕は眠っちゃった由兄ちゃんの為にお布団を敷いてあげることにした。眠たい目をこすって、隣の部屋まで向かう。

「あれっ、翔太くんどうしたの?」
「ん……おふとん……」
「あ、じゃあもう出ようか。翔太くんももう眠そうだし……ほら、アシリパさん行くよ」
「降ろせ杉元!私は翔太をコタンへ連れて帰るんだーっ!」
「はいはい、大きい声出さないで。ご近所迷惑になっちゃうから」

隣の部屋に入ると、杉元お兄ちゃんの声とアシリパお姉ちゃんの声が遠くなった。たぶん、お家を出て行くんだ。

「あ、翔太くん!一応合鍵使って鍵閉めて行くけど、俺達が出た後鍵は二重に掛けといてね!じゃあまた明日!」
「……?」

杉元お兄ちゃんが何か言っていたような気がする。ドアが閉まる音が聞こえたから、たぶんもう出て行っちゃったんだと思う。僕は明かりのない真っ暗なお部屋から、畳まれて置いてあったお布団を引っ張り出した。それを引きずって、リビングまでなんとか運んだ。

「……あ」

リビングに出たら、杉元お兄ちゃんの帽子が床に落ちているのが見えた。たぶん、忘れて行っちゃったんだ。僕は杉元お兄ちゃんの帽子を拾って玄関まで向かった。

すぐにドアの鍵を開けて廊下に出たけど、二人共もうどこにもいなかった。階段にまだいるかもしれないと思って、僕は眠たい目をこすりながら廊下を走った。

「あっ!」

前をよく見ずに廊下を走っていたら前から転んでしまった。膝が痛い。座り込んで膝を見てみたら、少し血が出ていた。擦りむいちゃったんだ。

「……いたぃ……」

血がじわじわと出てくるのが怖くて、痛くて、涙が出てきた。
もうお家に帰ろう。お家に帰って、血が出たところにシールを貼ろう。シールを貼ったらいつの間にか治っちゃうから。だからこんな傷だって、大したことないんだ。

「ぐすっ……ぐすっ……」
「翔太……?」
「……?」

低い声が聞こえた。顔を上げたら、廊下の明かりの向こうに誰か立っているのが見えた。誰だろうと思って見つめていたら、明かりの向こうから人が歩いてきて──

「……尾形お兄ちゃん……?」

僕の目の前で、立ち止まった。

「……お前、こんなところで何してる」

ズボンのポケットに手を入れていた尾形お兄ちゃんは僕を見下ろしてそう訊いてきた。僕は杉元お兄ちゃんの帽子を握りしめて、血が出ている自分の膝を見下ろした。なんて言えばいいのかわからなくて、僕は返事がうまくできなかった。

「…………」
「……転んだのか」
「……っ」

屈み込んだ尾形お兄ちゃんが「見せてみろ」って言って僕の足を掴んだ。しばらく黙り込んだ尾形お兄ちゃんは小さくため息をつくと、今度は僕の手を掴んで立ち上がった。一緒に立たされた僕はちょっと無理矢理に引っ張られて、由兄ちゃんのお部屋まで連れて行かれた。

鍵が開けっ放しにされていたドアを開けて、尾形お兄ちゃんは玄関の中に入った。でも、中に入ってリビングでイビキをかいて寝ている由兄ちゃんを見ると、尾形お兄ちゃんはそれ以上中に入ろうとしなくなった。

「……翔太」
「……?」
「救急箱、どこにある」
「きゅうきゅう……ばこ?」
「包帯とか、薬とか、絆創膏が入った箱だ」
「……わかんない」
「チッ……」

舌打ちした尾形お兄ちゃんに、僕は肩を震わせた。今の尾形お兄ちゃんは、なんだかちょっと怖い。怒っているのかな。

「来い」
「あっ……」

さっきお家に入ったばっかりなのに、今度は廊下に引っ張り出された。そのまま引っ張られて、僕は隣のお部屋──尾形お兄ちゃんのお家まで連れて行かれた。

「靴は自分で脱げ」
「ぅ、うん……」

僕は慌てて靴を脱いだ。膝から垂れてきた血が、履いていた白い靴下を汚していた。
尾形お兄ちゃんは靴を脱いだ僕の手を引っ張ってリビングまで連れて行く。リビングに着いたら手を離されて「座ってろ」って言われた。僕は大人しく床に座り込んだ。

尾形お兄ちゃんはネクタイを外しながら洗面所向かった。ここは由兄ちゃんのお家と同じお部屋の形をしていたから、どこが洗面所でどこが台所なのかも全部わかる。

尾形お兄ちゃんは何をしようとしているんだろう。僕がじっと待っていたら、洗面所から尾形お兄ちゃんが出てくるのが見えた。手に何か持っている。あれは何だろう。何かの小さな箱に見える。

「……何でそこに座ってんだ」
「だって……座れって……」
「ソファーがあるだろうが」

尾形お兄ちゃんは少し機嫌の悪そうな顔をして前髪を撫で上げた。怖くて思わず膝を抱えて小さくなる。尾形お兄ちゃんはため息をついて、僕の前に胡座をかいて座り込んだ。

「足」
「えっ」
「出せ」

怒ってるみたいな低い声で言うから、僕は足を出すのを少し迷った。そうしたら、僕が自分から足を出す前に尾形お兄ちゃんが僕の足を掴んで自分の方に引っ張った。何をされるのかビクビクしながら見ていたら、尾形お兄ちゃんは持ってきた箱を開けて中身をごちゃごちゃとかき混ぜた。何かを探しているみたいだ。

「痛くても喚くなよ」
「えっ……」

何でそんなこと言うんだろう。もしかして、今から痛いことをされるのかな。注射されちゃうのかな。

「ゃ……」
「嫌だとか、やめてとか一言でも泣き言を言ったら、もう金輪際お前の面倒は見らん。俺は今虫の居所が悪いんだ」
「…………」

怖くて足を引こうとしたら、眉間にシワを寄せた尾形お兄ちゃんが突然そんなことを言い出した。僕は思わず口を閉じた。
尾形お兄ちゃんは箱の中から何かを取り出すと、キャップを外して白い布にその中身を染み込ませた。震える僕の脚の膝の上に、尾形お兄ちゃんは白い布を近付けた。僕は怖くて思わずぎゅっと目を瞑った。

「んぅ……ッ」

ジュッ、とすごい痛みが傷口に沁みた。痛くて痛くて、僕は思わず「やめて」と言いそうになった。でも、もしそれを尾形お兄ちゃんに言ったら、尾形お兄ちゃんはもう二度と僕と会ってくれなくなっちゃうと思って、僕は唇を噛んで痛いのを我慢した。

「……噛むな」
「……ッ」

怒った声でそう言われても、噛まないと声が出ちゃいそうだった。だから僕は歯を「いーっ」とさせて、杉元お兄ちゃんの帽子を強く握りしめた。知らないうちに涙がポロポロ出ていた。

「……ほら、もう終わりだ」
「ぅ……」

力を込めて我慢していたら、いつの間にか終わっていたらしい。ゆっくり目を開けたら、僕の膝にはシールが貼られていた。

「泣き喚かなかったのは褒めてやる」
「……!」
「よく頑張ったな」

ポン、と頭に手を置かれて、くしゃくしゃと髪の毛を混ぜるように撫でられた。顔を上げたら、尾形お兄ちゃんが笑っていた。その時僕は、尾形お兄ちゃんの笑った顔を初めて見たような気分になった。どこか温かくて、優しさがある笑顔だった。
でもその笑顔も長続きはしなくて、尾形お兄ちゃんはすぐに笑顔を無表情に戻すと、近くに置いていた箱を片付けてその場から立ち上がった。

「それ、杉元のだろ」
「……!」

洗面所に向かいながら、尾形お兄ちゃんはそう僕に話しかけてきた。僕はさっきまで握りしめていた帽子を見下ろした。

「プレゼントか?」

そう言って笑いながら洗面所から出てきた尾形お兄ちゃんだったけど、その笑顔はさっきと違って優しさがない。少し冷たい感じがした。
僕は黙ったまま首を左右に振った。小さな声で「忘れもの」って言うと、尾形お兄ちゃんはまた無表情に戻って、突然僕の手から帽子を取り上げた。

「あっ……」
「届けておいてやるよ」

そうだ。尾形お兄ちゃんはお巡りさんだから、落し物とか忘れ物をちゃんと届けてくれるはずだ。どうしようかと一瞬思ったけど、僕は尾形お兄ちゃんに任せるように頷いた。

「用は済んだから、もう帰れ」
「ん……」

僕は立ち上がった。玄関まで行って、靴を履く。
ふと振り返ったら、尾形お兄ちゃんがすぐ後ろに立っていた。僕は尾形お兄ちゃんの顔を一度見上げて、ぺこりと頭を下げた。

「ありがとう……」
「……あぁ」
「……バイバイ」

僕は最後に手を振って、尾形お兄ちゃんのお部屋から出て行った。


◆◆◆


「…………」

翔太が部屋を出て行った後、尾形はすぐにドアスコープを確認した。撫でられて髪が乱れたままの、背の低い翔太の頭が隣に行くのが見えた。尾形はドアスコープから顔を離し、玄関の鍵を二重に掛けリビングに戻る。

その途中、置いてあるゴミ箱に尾形は持っていた帽子を放り込んだ。着ていたワイシャツの第一、第二ボタンを外しながら、そのままソファーの上に腰を下ろす。息を吐き、背もたれに腕をかけ天井を仰いだ。

「…………」

瞼を閉じて、鼻から息を吸うと静かに口から吐き出した。いつもと少し違う匂いがする。自分のものではない匂い。嫌いではないが、別に好きでもない──そんな匂いだ。

尾形がしばらくそのままでいると、ローテーブルの上に置いてあった携帯が突然バイブ音を鳴らして小刻みに震え出した。うっすらと目を開けて、背もたれに預けていた頭を持ち上げる。視線を携帯に向けると、電源が入った携帯の画面に『花沢 勇作』の文字が見えた。尾形の眉根がクッと寄せられた。

尾形がしばらくそのままで放置していると、やがて携帯の震えは止まり、画面の明かりも静かに消えた。その直後に、パッと明かりが灯った携帯の画面に『不在着信』の文字がずらりと並んで映し出された。尾形は再び瞼を閉じると、背もたれに後頭部を預けて腕で目を覆った。

「……薩摩のクソガキが……余計な真似しやがって……」

呟いた直後、尾形の携帯がまたもバイブ音を鳴らした。
尾形はその体勢のままローテーブルを力強く蹴り飛ばした。ローテーブルの上から滑り落ちた携帯のバイブ音は、しばらく鳴り止まなかった。


[ back to top ]

×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -