海賊の子 | ナノ

専属SP


杉元左一は悩んでいた。今自分の目の前には普段入ることのない社長室がある。杉元がここに入る時といえば、社長からの呼び出し以外にほとんどなかった。しかしそれが決して、社長からのランチのお誘いでないことだけはわかる。何故ならば、今までの呼び出しの内容が“特殊業務命令”か“説教”のどちらかであったからだ。

しかしこれはどうだろう。普段このドアの向こうから感じられるはずの緊張感が、今の杉元には一切感じられないのだ。聞こえてくるのは明るい少女の声と、もう一人──いやに腹の立つキャピキャピと浮き足立った男の声である。杉元は目の前のドアを開けるのにしばらく躊躇していた。

「どうした杉元、早く入らないか」

後ろから聞こえたのは、ちょうど社長室の近くを通りかかった牛山の声。杉元にとって牛山はこの会社・業界においての先輩であるが、堅苦しい上下関係をあまり好まない牛山は杉元に対して先輩風を吹かせるような真似はしない。そこに杉元も好感と信頼を寄せている。しかし、いくらその牛山に促されたとしてもそうすんなりと杉元の手が動くわけでもない。

これは何かあったか? と疑問に思いつつも何かを察した牛山は、良かれと思って彼のために社長室のドアを──牛山は屈強な巨漢のため──大きな拳でノックしてやった。

「ちょっ、何やってんだ牛山……ッ」
「なんだ、入らんのか」

慌てる杉元にも牛山は大した反省の色も見せず、「なら適当に誤魔化しておいてくれ」と言い残すなりその場を立ち去って行った。気を利かせたつもりで勝手な真似をしてくれた“優しい先輩”に杉元はそれ以上何も言えず、既に叩かれてしまったドアと再び睨み合う羽目になった。
しかし今度は自らの手で開けなくてはならない。訪問者の存在をドアの向こうにいる存在に伝えてしまったからだ。

「入れ」

間も無く返ってきた声に生唾を飲み、杉元は意を決して目の前のドアを開けた。この時杉元は半ばやけくそになっていた。

「俺に用件って何だよ、爺さ……」
「あっ、杉元」
「えっ?」

ドアを開けることによって明瞭になった少女の明るい声を聞いて、杉元は一瞬思考停止しかけた。しかし視線の先にいる見覚えのある面子を見るなり、彼は自分の目を見開き会社中に響き渡るような悲鳴を出すと、その場に腰を抜かしかけた。

「なっ、な、何でアシリパさんがここにいるの……!?」
「お前のお客さんを連れて来たんだ」

杉元の問いに対してニカッと笑って見せたのは、杉元のよく知る少女──小蝶辺明日子、又の名をアシリパだ。彼女は杉元が住むアパート《コタン》の大家の孫である存在だ。杉元とは顔馴染みで、これまでも何度か近所付き合いがあった。

「お客さん、って……」

お客というワードに反応し杉元が視線を滑らせると、社長室の中央にある立派なソファーの上に二人の人間が座っていた。

「よっ、来てやったぜ」
「お前……」

無性に腹の立つ笑顔で片手を挙げて見せた男には見覚えがあった。過去にコンビニで自分の傘を盗もうとした不届き者である。確かに今日の昼過ぎにこの男とはここで会う約束はしていた。しかし、もう一方の──男の隣に隠れるようにして座る小さな来訪者には、杉元も見覚えがなく思わず首をかしげる。

「いつまでそこで突っ立っているつもりだ、杉元」
「あっ……」

そこに入り込んできた聞き馴染みのある男の声に、杉元は条件反射で背筋を伸ばした。その声の持ち主である男は社長室の机の向こうにいた。
男の名は、土方歳三──兼定警備保障会社取締役社長で、この会社にとっての重鎮とも言える存在だ。

「お前がそのドアの向こうであれこれと気を揉んでいるのはわかっていた。お前は私からの呼びつけにどうも慣れないようだからな……。しかし今回入るのを躊躇った要因は、それだけではなかろう?」

穏やかな物言いだったが、奇妙な威圧感が空気を震わせた。この男は相変わらず油断ならない──杉元がこの男に対し気を許せず緊張感を抱くのは、そのオーラにあった。闇の世界に生きる者たちが持つ、独特のオーラを放っている。

「何を緊張している、杉元。話は全てこのお客人から聞いている。どうやらまた、勤務先でトラブルを起こしたそうだな?」
「っ、それは……」
「そぉ〜なんっすよ〜!こいつぅ、俺のこと傘泥棒呼ばわりしてぇ〜」
「あっ、お前……ッ」
「買い物帰りの俺に変な言いがかりつけて絡んできたんですよぉ〜?」

ここぞとばかりに告げ口し指を差してくる男──白石に、杉元は反論しようと思わず口を開いた。

「傘泥棒……? ……ああ!なんだ、お前はあの時の男だったのか」
「えっ……あ、キミ、もしかしてあの時のお嬢ちゃん……? わっ、偶然ってすごいね〜!これで俺の味方がまた一人増えたな〜……杉元?」
「ぐっ……」

得意顔でこちらの顔色を伺ってくる白石に対し、杉元は今すぐその首を絞め付けてやりたい衝動に駆られたが、そこは理性を保ってなんとか堪えることに成功した。

「……っ、確かに、そいつは俺が呼びつけた男だ……。だが今回のは俺が個人的に対応する予定で、爺さん達との関わりは……」
「お前は私の部下だ。持ち込んできた仕事は何をもっても私に報告・連絡・相談すべきなのが基本であろう?」
「そりゃそうだが……」
「……僕知ってるよ。それ、ほうれん草って言うんだよね……?」
「おっ、翔太はよく知ってるな〜」
「えへへ……」
「……?」

白石に小声で話し掛け、頭を撫でられながら褒められている子供の存在に杉元は改めて意識を向けた。帽子にマスクで容姿の全貌は把握できないが、見た目から察するに園児か小学校低学年だと思われる。しかし平日のこの時間にここにいることを考えると、どうにも合致がいかない。

「お前、子持ちだったのか……?」
「あ? あー……いや、こいつは俺の子じゃないんだが……」
「翔太……聞き覚えのある名だな」
「……!」

土方の言葉に白石は背筋を凍らせた。鋭い眼光が白石の背を通して、少年の方に向けられているのがわかる。

「風貌からして、お前があの白石松栄の弟の白石由竹であることはわかっていた。ともすれば、その子は白石貿易の社長御令息……白石翔太……で、間違いないな?」
「……っく」
「……お爺ちゃん、僕のお父さんのこと知ってるの?」

ズレた帽子の下から覗く、翔太の大きな瞳が土方の顔に向けられた。土方はさっきまで見せていた重圧的な貫禄感を消し去ると、まるでご近所に住む気の優しい老人のような朗らかな笑顔を翔太に見せた。

「そうだよ。なにせ、キミのお父上とは過去に取り引きをしていたからね」
「えっ!?」
「マジか!?」

これに驚いたのは杉元と白石で、特に白石はこんなちっぽけな警備会社と自分の兄が取り引きをしていたという事実を、うまく受け止めきれていないようだった。

「お前の考えていることは大体わかるぞ、白石。確かにここは、お前の兄のような大富豪が訪れるような場所には見えんだろう」
「あ……いや、あはは……」
「そう、普通であればもっと大手の警備会社に業務を委託するはずだ。我々も引き受ける仕事の大半は一号業務や二号業務といった、いわゆる“よく見る普通の警備員”の仕事ばかりだ。しかし──……」

土方は社長室に飾られた日本刀を一瞥し、固唾を呑む白石へと視線を向けた。老人の不敵な笑みが、口角に皺を作る。

「時に我々は、四号業務……わかりやすく言えば身辺警護も引き受けるのだよ。……それも、ただの身辺警護ではない。特殊身辺警護だ」
「特殊身辺警護……?」

白石は首を傾げた。聞き馴染みのないその言葉には、白石の容量の少ない頭を混乱させるのには充分な力があった。

「メディアや世間に知られたくない事件、事故を未然に防ぎ要人警護に当たる。仮に何か問題が起きたとしても、クライアントの秘密は墓に入るまで守られる。費用は跳ね上がるが、度々依頼を受けるのはそれだけ需要があるということだ」
「けど……だとしたら余計にわかんねーぜ。何で兄貴はわざわざここを選んだんだ? 何か隠すようなことなんかあったか?」
「フッ……墓に入るまでが契約だったからな。話しても良かろう」

そう言うと土方は翔太の前まで回り込み、目線を合わせるようにその場に屈みこんだ。濁りのない純粋な瞳が、まるで丁寧に磨かれた水晶玉のように土方の顔を映していた。

「覚えてはおるまいが、翔太……君は過去に有名になりすぎて誘拐事件に巻き込まれたことがある」
「えっ……」
「何だそれ!そんな話聞いてねぇぞ!」
「それが売りでもあるからな。お前が事件の全容を知らんのは当然だ」

翔太は揃えさせていた膝頭を擦らせ、緊張に身を硬くした。それを察した土方が、翔太の緊張感を和らげるような優しい笑みを浮かべて見せた。

「君のお父上は、生まれたばかりの君をメディアに晒すのを嫌っていた。無論、人々から我が子の誕生を祝福されるのは父親として嬉しいものだろう。しかし、それだけにその行為は危険を伴う。身代金目当ての悪党どもが、キミに目星をつけた」
「…………」

翔太は息を飲んだ。まるで昔話を言い聞かせるような口ぶりで、目の前の老人が自分に語りかけてくる。瞳は不安げに揺れるがしかし、視線は土方を捉えて離さなかった。

「キミが生まれて間もなく、この会社のことを聞きつけたキミのお父上は私と契約を結んだ。豪華客船の旅中、私はキミと、キミのお母上のボディーガードを担った」
「僕の……お母さん?」
「そうだ。そしてキミは、お母上による授乳中に事件に巻き込まれた。母親が乳房を出す時なら辺りの警備も手薄になるだろうという、実に浅はかな計画の元の犯行だ。しかし実際、キミのお母上も警戒心を一切持っていなかったからな……まあ今は、それだけ信頼されていたと受け止めておくことにしよう」

土方は、過去に見た翔太の母親の穏やかな横顔を思い出し、懐かしげに微笑んだ。

「客船の明かりが一斉に消え、そのタイミングを見計らって部屋の中へ男達が一斉に突入してきたが……実に呆気なかった。明かりがつく頃には全て片付いていた」
「……お爺ちゃん、悪い人やっつけたの?」
「ああ、そうだよ」
「すごい……!」

翔太は不安げに揺らしていた瞳を大きく見開かせ、土方に憧憬の眼差しを向けた。小さな拳を作って興奮する甥っ子の姿を見て、白石は穏やかに笑う土方に対し嫉妬心を抱いた。

「ふんっ、どうも胡散くせぇな。俺にはただのホラ話にしか聞こえねーけど」

横槍を入れてきた白石に土方は視線を向ける。カタギにはとても見えないその鋭い眼差しに気圧され、軽口を叩いていた白石はすぐに口を噤んだ。

「お前が信じるか信じまいかは別にどうでもいいことだ。どのみち、過去の話だからな。それよりも、杉元に用があって来たとの事だが……」
「えっ、あー……いや、あいつに用があるって言うか……」

白石は言い淀んだ。つい先ほど挑発したばかりの相手に仕事の依頼をするのはかなり気が引けた。

「何だ、ハッキリしろよ。尾形の野郎がお前にわざわざここを紹介したってんなら、何か訳ありなんだろ」

杉元の言葉に促されるようにして、白石は小さく頷くと翔太の肩を抱いて語り出した。

「……俺は、今まで独身の一人暮らしだった。料理もできなきゃ家事も適当……独り身の一人暮らしだから許されていたことだ。けど、翔太と暮らすようになって……このままじゃいけないって気付いてよ……。せめて俺の留守の間に、翔太のことを守ってやれるようにしてぇんだ」
「なるほど。要人警護の依頼か」

土方は自身の長い白髭を撫で付け、口角に笑みを浮かべた。

「来るものは拒まんが……ウチは高いぞ? 白石。お前に払えるのか?」
「……遺産がある」
「遺産?」

杉元が顔を歪め、訝しげな様子で聞き返した。白石は頷き、自分の胸に手を当てた。

「俺は、亡くなった兄貴と姉さんの遺言書に法って翔太の未成年後見人として選ばれた。だから、兄貴達が遺した遺産金は俺も使うことができる」
「待て。それはあくまでも翔太のご両親が翔太のために遺した遺産金だろう。お前が好き勝手に使えるものじゃない」

間に入ったアシリパの言葉に白石は真面目な顔つきで頷いた。

「ああ、そうだ。だがそんなのは表向きの話で、実際の使い道なんて隠しちまえば誰にもわかんねぇ」
「白石っ、お前まさかもう……!?」
「いやっ、使ってないよ!? っていうかアシリパちゃん、何の棒それ!? まさか棍棒とかじゃないよね!?」
「安心しろ、ラクロスのクロスだ……。使う時は専ら練習の時と試合の時くらいだが、お前が翔太の金に勝手に手を付けたと言うなら話は違うぞ……」
「違うって!なんか変な誤解してる!この話で俺が言いたいのはッ……翔太を守るために遺産金を使うってこと!」

木製のローテーブルに両手をついた白石が必死な形相で叫んだ。その隣で、翔太がぽかんとした表情で白石の顔を見上げている。幼過ぎる翔太にはまだ話の内容が理解できていないようだった。今の翔太には、白石が一生懸命になって何かをみんなに伝えようとしていることしかわからない。

「だから、アンタらの力を借りたい!俺は翔太をッ……死んでいった兄貴達の代わりに守ってやりたいんだ!」
「由兄ちゃん……」
「それが俺の役目なんだ!頼む!俺一人じゃどうにもならない時は、翔太を……ッ」
「いいだろう」

土方は白石の言葉を全て聞き入れる前に立ち上がり、彼からの依頼をあっさりと引き受けた。そしてそのまま机の前にまで移動すると、置いてあった書類を手にして再び白石の前に戻ってくる。白石の前に、一枚の契約書が置かれた。

「ここに署名しろ、白石。お前が我々の手を借りてでも翔太を守りたいというのなら、ここにその意思を書き示せ」

ペンを握った白石に迷いはなかった。しかし白石は、契約書に名前を書こうとする寸前で何故かその手を止めた。皆が見守るなかで、白石は隣に座る翔太の顔を見やり、どこか切なげな様子で微笑んだ。

「ごめんな、翔太……こんな、カッコ悪い兄ちゃんでよ」

翔太は首を左右に振った。ペンを持つ腕をそっと掴み、翔太は笑った。

「由兄ちゃんは、世界で一番カッコいい僕のお兄ちゃんだよ」

この言葉に白石は一瞬で顔を皺くちゃに歪め、まるで濡れ雑巾のように涙で顔を濡らした。ペンを投げ捨て、翔太を強く抱き締める。翔太は苦しそうな顔で白石の後頭部をペシペシと叩いた。

「翔太〜ッ!!」
「くるしぃ……」
「ヒンッ!泣くな白石!釣られるだろう!」
「あ〜もぉ〜!アシリパさんまで泣いちゃってぇ〜!俺もウルっときちまったじゃんか〜!」
「いいから早く署名せんか」

土方に促され、涙を拭った白石はようやく契約書にサインした。契約書は白石の手に付着した涙で濡れて若干湿ってしまったが、土方は署名された契約書を持ち上げるとそれを満足そうに眺めた。

「よし、これで契約は成立だ。……杉元」
「ひっぐ……え? 何?」
「この件の担当はお前に任せた」

未だに浮かんでいた杉元の涙が、土方のこの一言で一気に引っ込んだ。涙で膜の張られた瞳を見開き、呆然としている。

「今日からお前は、白石翔太の専属SPだ」

失礼のないようにしっかりとエスコートするんだぞ──土方の台詞に、杉元の叫び声が会社中に響き渡った。


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