※※第206話:Make Love(&Public sex).3








 初日には美術館でオープニングトークとサイン会があり、夕月はまだ日本に滞在していた。
 午前中には雑誌の取材を一件済ませたが、午後にもまだ何件か入っている。
 今日は朝早く美咲の墓参りにも行った夕月は、如月にとある調べ物をさせていた。

 …――――自分の亡き妻、美咲の過去についてだ。
 もともと病弱だった美咲は何度も、病院への入退院を繰り返していたらしい。
 美咲とナナと竜紀の三人が写ったあの写真が撮られた頃、美咲は何という病院に入院をしていたのか。
 ナナと竜紀とは、いつどこで知り合ったのか。

 日常を蝕み始めている闇の存在を確かに感じ、夕月は美咲の過去についてを調べずにはいられなくなっていた。
 返っては来ない許しを得るためにも、今朝は彼女の墓参りへと足を運んだのだ。
 とびきり美しくて鮮やかな、美咲が一番好きだった真っ赤な薔薇の花束を抱えて。








 午前中の取材はオフィスで受けたが、午後は美術館まで足を運ぶことになっている。
 主な取材内容は写真展についてだった。

 如月の送迎はないため、本日も気分転換に歩いて向かおうとした夕月は突然、足元から這い上がる得体の知れないどす黒い感覚に襲われた。
 その感覚の正体を掴もうと、夕月は歩きながら足元へ目をやる。


 そのとき、

 コツン――――…

 雑音のなかで、不意に現れたその足音だけはやけに大きく耳へと届いた。
 視界の隅を、なぜか色褪せることのないモスグリーンがかすめる。


 足音より何より、確かに響いた男の声は不気味なほど穏やかにこう言った。


 「ご無沙汰してます……“お父さん”。」












 夕月が振り返ると、そこにもう竜紀の姿はなかった。
 しかし、男が消えていった歩道には一輪の、真っ赤な薔薇の花が落とされていた。


 誰かに踏まれる前にと素早く拾い上げた夕月は、今朝、美咲の墓前に添えてきた花たちのことを思い出す。
 竜紀はこの薔薇を、どこから手に入れてきたのだろうか。

 夕月は取り乱しても焦ってもいなかった、あの男の言葉について、耳を傾ける必要はない。
 ゆびに触れる薔薇はまだ瑞々しかった、けれど男については何となく予期はしていた幻影に過ぎない。
 心へ言い聞かせる。


 こんなにも美しい薔薇がしおれてしまってもいけないと、夕月は足早に美術館へ向かって歩き始めた。

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