※※第173話:Stray(&Masturbation).1
走りながらナナは、“S”のネックレスを握りしめていた。
空は翳り始めている。
しかし、空は空だ、誰の気持ちも行く先も、浮かべてなどいないのである。
(皆さんに謝って、明日からちゃんと演劇部にも時間通りに行かなくっちゃ!)
明日という存在に思いを馳せると、また少し、元気になれた。
(わたしの人生は、あなたさえいてくだされば絶対に駄目にはなりませんよ!?)
……いてくださらなければ確実に、駄目になりますけどね!
帰るべき家までの道を、駆け抜けてゆくナナの後を。
こっそりとついてくる人物がいることには、彼女はまったく気づいておりませんでした。
――――――――…
「ワン!」
愛の巣に、ご主人さまより早く帰ったその彼女を、花子がきちんとお出迎えしてくれた。
「花子ちゃーん!」
ナナは花子を抱きしめる。
“ナナちゃん、やっぱり初日に帰ってきたわね?”
花子は想った。
ご主人さまの想いを汲めば、ここで彼女を帰らせたほうが良かったのかもしれないが。
怪しい気配をナナが連れて帰ってきたため、今はそうもいかなかった。
花子は大喜びではいるけれど、複雑な心境も抱えながらナナと共にリビングへと向かう。
心地よい匂いに、噎せ返りそうだ。
「劇の練習って、けっこう時間がかかるんだよね…」
呟いたナナは、ソファへと横になり顔をうずめる。
「んんん、いい匂いだよ…」
“ご主人さま、ごめんなさい…”
仮に怪しい気配を連れてこなかったとしてもこれではとてもではないが帰らせることなどできなかったと、悟った花子はナナの目の前へと凛とお座りしていた。
「はやく会いたいなぁ…、薔……」
ナナはそっと伸ばした手で、花子のあたまを撫でる。
花子はゆったりと、尻尾を振り始める。
いくら胸がさわごうと、それは甘くて、ここが一番心安らいだ。
そばにいたいからそばにいる、そんな簡単なことが、時としてできなくなる。
けれどできなくなったまま、流されてはいけない。
時計の秒針の音が、ふたつ寄り添う呼吸と共に静かなリビングへと響いていた。
すべてにリズムがあった、居るべき世界に居る、当たり前で片付けることも今はできないようなそんな日常に於いては。
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