※※第171話:Make Love(&Pain).98








 彼は何も言わなかったのではなく、何も言えなかったのだということが痛いほどにナナにはよくわかった。

 大好きな匂いにも、震えが伝わることにも、泣きたくなるけれど、今は泣いている場合ではない。
 一番に泣きたいのは自分ではない。




 そっ…

 とナナは、薔を抱き返し、彼のあたまをとてもやさしく撫でていた。
 誰にも見せることのない悲しみを、彼女だけに見せてくれる姿は堪らなく愛おしい。
 愛おしすぎて、哀しいけれど。







 鼓動を寄せるように抱きあっていると時間はまるで止まったようでも、エレベーターは次第に15階へと昇り詰め、

 「……ごめん、」

 薔はゆっくりと、彼女から離れてゆく。


 そして、扉が開く手前、

 ちゅっ…

 短くやさしいキスをして、彼は囁いた。

 「愛してるよ……」
















 ――――――――…

 その後の薔が、あの物憂げな表情を見せることはなかった。

 花子と豆のお散歩にも、イチャつきながら行ったりして、

 「あっ!お手伝いします!」
 「ん、」
 夜になれば一緒に夕食の準備をしたりと、ラブラブ過ごしておりました。

 彼の様子がいつも通りとなると、余計に何も聞けなくなってしまったのだけど、

 (やっぱり、そうなんだ――――…)

 だからこそ余計に、ナナにはよくわかってしまった。




 …――――“あの男”、…竜紀が、影を伸ばし始めていると。









 春休みに、レジャーランドで見かけてからはいっさいその影すら感じてもいなかった。
 だが男はもしかすると、じわじわと闇の中から日常へと向かって根を張っていたのかもしれない、全て掴んで引きずり込んでしまおうと。
 前回はナナが屡薇に拉致されたこともあり、男は案外容易に薔の前へと姿を現した。


 思い出して屡薇にちょっとイラッとしてしまったナナだが、つよく心に描いたのだった。

 (わたしが何としてでも、このひとを守らないと――――…)










 …――――しかしこのとき、ナナの描いている想いと薔が抱いている想いには、

 相反するものがあったとしたら――――――…?

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