第十話:沈む細波







 恐る恐る、梨由はスマホの通話口を下方に向けた。
 近づけようとして、恥ずかしくなる、兄に見られているわけではなくてもきっと見透かされている。
 羞恥に駆られる姿さえも、見透かされているに決まっている。

 『下手くそ、何も聞こえねぇよ』
 呆れたような兄の声はきちんと耳まで届いた。
 低いから、高い音を全部凌駕してくる。
 「ご…っ、ごめんなさい…っ」
 梨由は慌ててスマホをもとの位置に戻し、謝った。
 ふるえるゆびに蜜がとろりと絡みつく。


 『それから、俺の指示が聞こえなくなるような持ち方はするなよ?』
 やや厳しい言い方で妹をたしなめた武瑠は、電話越しに扇情的な溜め息をついた。

 『……音を聞かせろっつってんだろ?早くやれ……』
 突き放すような声色で、引き寄せる。
 兄はいつでもそうだった、突き放すような手立てで妹を虜にしてきた。

 逃げるわけでもなく追うわけでもないのに、手中に嵌まってもう、おいかけっこは取り返しのつかないものになっている。
 お遊びだと割り切ろうとするほど、範疇を飛び越えて愛おしさが募る。

 募って募って、やがては崩れ落ちてばらばらになってしまえたら、いっそ楽になれるのかもしれない。
 けれどふたりは崩れ落ちるすべを知っていても、楽になるすべを知らない。
 知っていたら初めから、愛しあうこともなかった。


 「ん…っは、ん…っ」
 梨由は淫音が電話口まで届いてくれるよう、嬌声を潜めてゆびを動かした。
 グチュグチュと掻き立つ音を、兄の耳に届けるため必死になった。
 身をかがめて、聞こえやすい体勢を取ることにも努める。

 『さぞかしみっともねぇんだろうな……おまえは、俺のために汚れきってて罵倒してやりたいくらいだ』
 微かな音を聞きながら、武瑠はくすくすと笑っていた。
 やらせているのは兄なのに、どうしてそんなことを言われなければならないのか梨由にはわからない。
 罵倒なんてする気もないくせに悦んでしまう自分はみっともなくて全部兄のもので仕方がない。


 『梨由のことが好きすぎて、お兄ちゃんはおかしくなりそうだよ……』
 兄はあきらかに、妹へ向けるべきではない意味を込めて言葉を放った。
 「っうっ…っん」
 ゆびを入れて抜き差しする梨由はぶるりと躰をふるわせた、今すぐ兄に会いたい気持ちが愛液となって溢れだす。

 『ふやけてるか?指……』
 急に優しい声になり、武瑠は確かめてくる。
 「うん…っ、すごく…っ、ふやけてっ……ぬるぬるしてる…っ」
 ゆびを抜いてみた梨由は見たままのことを応えた、蕩けた蜜が煌めく膜をゆっくりと広げてゆく。

 盲愛と孤独はそこらじゅうに転がっていた、繋げる役割と引き裂く役割の両方を担いながら。

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