邪魔な焦がれ人








「良かったよ、あいつがようやく家に帰ってくれて」
 月曜日に、珍しく仕事を休んだ彼は、穏やかに口にした。朝からコーヒーを煎れてとせがむのは、ご機嫌な証拠だ。
「そうなんだ、ほんと……良かったね」
 私は抱いてはいけない淋しさを抱きながら、彼に向かって微笑み返した。いなくなる、というのは家に帰るという意味だったのかと思い、少し、安堵もした。
 男の最後の言葉は、そんなふうに捉えられない絶望感を含んでいたから。


「なんか、言い方が他人事みたいだね」
 コーヒーカップをテーブルに置いた彼は、くすくすと笑う。
「そんなことないよ!あのひとには悪いけど、私もすごく嬉しい!」
 慌てて返した私は、自分が得体の知れない不安に怯えていることに気づく。
 癒やすこともしない怪我を負った男は、彼の言う通り、家に帰ったのだろうか?
 なぜ、今になって、急に?

「そうだよね、やっとふたりきりになれたね?」
 またコーヒーをひとくち飲んだ彼は、甘い視線で私を見た。さざめきが這い上がった私も苦いコーヒーを飲み、必死で頷く。
 彼の様子が少しだけ、誰かに似ている、誰なのかはわかっているけれど、考えないようにしている。

「あっ、ねえ、庭に花を植えてもいい?あの庭ちょっと殺風景だし」
 話題を変えてみようと、私は明るく切り出した。今は晴れた陽がやわらかく降り注ぐ庭を指差して。
「ああ、それは無理なんだ」
 すると残念そうに、彼は言った。

「隣に住んでるのが変わった人で、花は嫌いなんだって。俺も一度植えようとしたら、怒られちゃって」












「へ、へえ……そうなんだ、残念……」
 彼は隣人に会ったことがあったのかと、驚いた私はまたコーヒーを飲む。変わった人が住んでいたとしても、何らおかしくはない庭だから、それなら仕方がない。
「プランターに植えて玄関に飾ったら?」
 優しく提案してくる彼は、さりげなく話をすり替えている。私は花の話をしていたのではなく、庭の話をしていた。気づきながらも、そうだね、と小さな声で返事をした。

 庭のことが、無性に気になった。雨が降ったあと、固まっているはずのその場所の土は、やけにふんわりしているようにも見えた。
 まるで、昨夜誰かが掘り返したみたいに。

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