※※第370話(最終話):Epilogue
吐く息はまだ白い季節でもないのに、ナナは凍えていた、心の底から全身が凍えていた。
竜紀の家にいるのはあまりにも薔が気の毒で、ナナは彼の亡骸を抱きかかえてマンションまでの道のりを静かに歩いていた。
溢れ出た美しい花びらのような血液も全部薔のものなのに、竜紀の家に残してくることしかできなかったのが気がかりで仕方がなかった。
薔が目を覚ましたら、一緒に集めに行きたいとナナは考えていた。
血だらけの死体を抱えて公道を歩くなど、即座に通報案件だった。
しかもナナは自分では気づいていないものの、血の涙で頬が赤く染まっていた。
赤い海に浸した膝も、血塗れだった。
どこをどう見ても異様としか言いようのない光景なのに、誰にも邪魔されることなく家路を歩いていた。
ナナは無意識のうちに、香牙で周りの人間を操っていた。
ヴァンパイアの能力を相殺させるF・B・Dの力が効かなくなっていることも、薔は死んだのだという残酷な現実をナナに突き付けていた。
「寒いですよね……もうすぐ、お家に着きますからね……」
現実を受け入れられないナナは小さな声で、薔に語りかけていた。
睫毛の長い綺麗な瞳を閉じたまま、彼は先ほどから一言も返事をしなかった。
「花子ちゃんも……待ってますから……」
ナナは辛抱強く薔に話しかけた。
眠っているのだから起こしたら不機嫌になるかもしれないと思いながらも、それならそれで謝りたかった。
マンションに辿り着くとエレベーターで部屋へと向かった。
玄関では静かに伏せをしながら、花子が待っていた。
「花子ちゃん、ご主人様は寝ているだけだから……大丈夫だよ……大丈夫……」
ナナは震えそうになる声を抑えて花子にも自分にも言い聞かせると、リビングへと歩いていった。
花子は大人しくあとをついてきた。
リビングはエアコンが効いていたものの、薔の冷たさを暖めるには不十分だった。
その冷え切った体をソファへそっと寝かせると傍らにあったブランケットを掛けて、ナナはリモコンを手に取った。
リモコンもところどころが赤くなり、それが薔の血なのかナナの涙なのかはもうわからない。
「寒い……ですよね……? 温度、上げますからね……」
ナナは確認をして設定温度を上げてみたものの、薔が目を覚ますことはなく、やはり一言も話すことはなかった。
なぜ彼はいつまで経っても目を覚まさないのだろう?
なぜ、息をしていないのだろう?
そんなことをぼんやりと考えたナナは、力なく腕を落とした。
謝りたかった。
とにかく、謝りたかった。
彼のためをと想って、純粋に自分ではない誰かと幸せになってほしいと願ったことは、ただのエゴイズムだったのだろうか。
もしくは、彼のためを想うのなら、本当はそばにいたいという自分の本心に正直になれば良かったのだろうか。
そばにいたいと願うことと、幸せになってほしいと思う気持ちを、切り離してしまった自分が愚かだったのか。
こんな難しいことをナナにわかりやすく教えてくれるのは、この世でただ一人、薔だけだった。
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