※※第355話:Make Love(&Gratification).215








 鋭い気配を感じて足を止めた竜紀は、だんだんと遠ざかってゆく薔の後ろ姿を眺めた。


 「こんな所で何をしている?」
 すぐ後ろで、何度か聞いたことのある声がした。
 声はナイフのように、自分へと突き付けられた。

 「ご覧の通り……薔の安全の確保です、」
 笑った竜紀は夕月の質問に答える。
 全く正直な答えになっていなかったが、竜紀にとってはこれが正直な答えなのだった。



 「こそこそと贈り物をした上にねちねちとストーカーまでしている奴が、誰の安全を確保できる?お前が確保できる安全は、お前自身だけに限られた独り善がりで自己中心的なものだろ?」
 男の答えを嘲笑で一蹴した夕月は、確かに、風向きが変わったようであることを感じた。
 竜紀が足を止めたのは、単純に薔に近づけなくなったからだと思った、でなければ今すぐにでも襲いかかれそうなくらい、ここにはひとけがなかった。

 「そうでしょうね……俺は、俺だけの殻に閉じ籠ってほとんど外には出ようとしなかったから、」
 特に異議を唱えることもなく、竜紀は穏やかに言った。
 夕月には背を向けたままで、やけに眩しい日の光が窓から射し込んでいるせいで、男が本当に穏やかな表情をしているのかは見て取れなかった。

 「初めて触れた優しさが薔で、初めて触れた幸せも薔だった。だから、どうしても彼にまた触れたいと思ってしまう。抱き締めて死ぬまで離さずにいたいとすら思う。傷つけると解っているのに――この手は俺の意に反して彼を殺しにかかると解っているのに、彼が欲しくて、薔だけが欲しいのにこの願いはいっこうに叶わなくて、俺はどうかしてるんです。」
 光でぼやけている両手を見ながら、竜紀は言った。
 久しぶりに夕月と会話を交わしているからか、男はやけに饒舌になっていた。

 「だから薔の家族を殺したのか?自分の願いを叶えたいばかりに――」
 止め処ない怒りが込み上げてきた夕月は、声が震えないよう慎重に言葉を選んだ。
 男の過去に同情すべき点が多々あったとしても、自分の願いを叶えるためという身勝手以外の何物でもない理由で他人の家族を殺していいわけがない。
 過去に同情すべき点が多々ある人間の誰しもが、過ちに手を染めるわけではない。
 同情と過ちを、同じ土壌に置いて考えてはならないのだ。




 「そうですよ。ついでに言っておくと、俺には共犯者がいました、」
 あっさりと事実を認めた竜紀は、薔に近づくことを諦めたようで、姿を消した。

 「もともと、薔が意識不明の重体にならなければあの事故は起こらなかった……薔が公園で溺れるように仕向けてくれたのは、三咲ナナです。」

 信じられない言葉が夕月の耳に残って、反芻されていった。

 「彼女はいつか真実を全て取り戻す、その時、なに食わぬ顔をして薔のそばにいられると思いますか?」




 「見物ですよ……それまで高く積み上げてきたものたちが、一瞬でばらばらに砕け散る。愛情もみんなばらばらになって、もとには戻らない……俺はその時を心待ちにしているんです……」

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