第40話:Love(&Lives).33





 コンコン、

 ノックの音に、ぼんやりと薔薇を眺めていた夕月は、顔を上げた。

 「入れ。」

 ハスキーヴォイスが促すと、

 ガチャ――――――…

 扉を開けて入ってきたのは、

 「あぁ、こいつの主だったか、」



 静かな佇まいの、薔であった。








 「この度は、ほんとうに、ありがとうございます。」
 謹んであたまを下げた薔に、
 「んなかしこまんな。俺とおまえの仲だろうが。」
 笑って、夕月は言いました。


 「まぁ、座れよ。」

 そしてこの言葉により、薔と夕月はソファに向かい合って座ったのです。




 「久しぶりだなぁ、おまえとこうして話をするのは。」
 夕月は、嬉しそうに笑っている。

 そして、

 「なんで、助けてくれたんだ?」

 真っ直ぐ見つめる薔のこの問いかけに、


 「俺にとって、おまえは息子だ。ちからになりたいと思うのは、当たり前だろ。」

 力強く笑う夕月は、答えました。




 「それにな、」
 夕月は、続ける。


 「俺んとこに、おまえの教師だっつうヤツが、おまえのちからになってやってくれと、訪ねてきたぞ?」

 と。




 「んな事しそうなヤツは、ひとりもいねーな。」
 「そうか?眼鏡の、なかなかいい男だったが、」


 この説明に、薔は笑って言った。


 「なんだ、アイツか、」




 「ちゃんといるじゃねーか。」
 「そうだったな、」

 ふたりは暫し笑っていたが、


 「夕月さん、」


 真剣な表情になって、薔は尋ねたのでした。



 「あなたの妻は、美咲、と、いうのか?」





 「そうだ。偶然にか、おまえの女の名字も、みさき、と言ったな?」
 「あぁ。」

 薔が答えた瞬間、夕月はとても切なげに、笑った。


 「俺の美咲はな、一年前、癌で亡くなったんだ。」










 「俺は、あなたに妻がいたことすら、知らなかった。」
 「そりゃそうだ。ひっそりと結婚して、式も挙げず、だれにも知らせなかったからな。」
 夕月は穏やかな表情になって、言う。


 「まぁ、嫌でも世間に取りざたされたが、おまえは、この世界のない世界で、生きていると思ってた。だから、知らねーだろうし、知らせることもねぇと、思い続けてたんだ。」










 「薔、」

 「はい、」

 穏やかなまま、夕月は続ける。


 「俺は、嬉しいんだよ。おまえがこの世界を再び見れるほどに、護りたい女と出逢えたことが。」





 薔は、黙っている。

 「どこかしら、あの子は、美咲と同じ雰囲気を持っている。」
 夕月は、ひどく懐かしそうに、言葉を口にする。


 「美咲はな、出会ったときから病弱だったが、それを見せまいとする姿が、健気でいじらくて、護ってやりたいとこころから想える女だった。」
 そして、俯いた、夕月。


 「結婚したのは、五年前だ。あいつはまだ若くて、24歳ん時だ。俺との結婚生活は、四年間だけだが、とても長くも、感じられる。…でな、美咲は、子供を産めねー体だったから、俺の撮ったおまえの写真を見て、息子みたいだと、よく言ったんだ。俺にとてもよく、似ていると。」







 大きな窓の外には、ゆったりとした雲が流れている。

 「だからな、おまえの家族はちゃんといるから、おまえもいるんだが、俺たちも確かに、息子のように思えてるんだ、おまえを。」

 俯いていた夕月は、顔を上げた。



 「立派になったなぁ、薔。」





 「…………っ、」
 今度は、薔が俯く。

 「俺はここから逃げるため、消えた。みっともねぇだけだ。」
 「逃げてなんか、いねーよ。辞書引くか?」


 薔がゆっくり顔を上げると、夕月はにやりとした。


 「おまえは逃げたんじゃねえ、ひとりでも、生きようと歩き出したんだろ?」


 言葉は、つよく紡ぎ出される。


 「だが、今おまえは、ひとりじゃなかったよな。」










 いつの間にか窓の外には、伸びてゆく飛行機雲、ひとつ。
 あれはどこに、向かっているのだろう?


 「よく言う言葉だが、やらなかった後悔が、一番の後悔だ。」
 はっきりと、夕月は告げて、


 「だからもう、俺は、おまえの親父面して、生きてやるよ。」

 笑った。



 「夕月さん。」
 どこかしら切なげに、薔も笑う。


 「つぎ、日本に帰ったときは、おまえとナナちゃんと、飯でも行くか。」
 楽しそうに笑っていた夕月は、

 「なぁ、薔、」

 ふっと、瞳を細めて言ったのでした。



 「一度でもいい。“父さん”と、呼んでくれ。」








 「父さん、」
 「なんだ?」

 しっかりと呼んだ後、

 「悪くねーな。」
 薔は、笑いました。



 「だろ?」
 同じく笑っていた夕月は、

 「おまえに、渡すモンがあるんだよ。」

 立ち上がった。



 彼はデスクの引き出しから、一枚のCDを取り出してきて、告げたのでした。


 「これはな、シンガーソングライターの美咲が、この世にたった二枚だけ、遺したCDだ。」




 そうっと、まだ真新しいCDは、薔の手に渡される。

 「どうせなら、ナナちゃんと聴いてくれ。」


 夕月は、さり気なくやさしく、薔のあたまを撫でてから、微笑みかけたのでした。

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