桃井視点

多分癒月ちゃんは覚えてない。きーちゃんは勿論知らない。私と癒月ちゃんの出逢いは今回が初めてじゃなかった。あれは私が小学六年生のとき。帝光中の入学試験を受けにこの学校に来たときだった。私は窓側から二列目の一番後ろの指定された席に座った。試験が始まるまでテキストを眺めながら時間を潰して。そして筆箱の中から鉛筆を準備しようとした。試験中は筆箱は出しちゃいけないことになっているから。鉛筆を三本出して机の上に置く。次に消しゴム。だけど幾ら探しても目的のものは見付からない。冷や汗が止まらない。呼吸が乱れる。私は確実に焦っていた。何処へやったのか、何処で落としたのか、家から持って来なかったのか。考えても考えても焦った脳では何も思い浮かばない。
『―――…どうかした?』
「あ、」
私の横にいた子が焦っている私を見かねたのか声を掛けて来てくれた。これが有栖川癒月ちゃんだった。
「…ううん、何でもないの」
そのときの私はまだ彼女を警戒していた。だっていきなり話し掛けられたんだもん。仕方ないことだと思う。
『でも顔色悪いよ?大丈夫?』
「う、ん。大丈夫」
『もしかして消しゴムないの…?』
必死に筆箱の中を探してるみたいだったから、と彼女は続けた。
「…あのね、ないの、消しゴム。何処にやったかわかんないの。ちゃんと入れたと思ったんだけど、筆箱の中入ってないの」
話していると涙が込み上げて来た。知らない子に泣き付くなんて、何て迷惑なんだろう。
『私二つ消しゴム持ってるから一つ貸してあげるよ』
ごめんね、知らない奴からいきなり声掛けられて迷惑だろうけど。その彼女の言葉に必死に首を横に振った。私の机の上に白い消しゴムが置かれる。
「―――…ありがとう」
『ううん。やっぱり可愛い女の子は笑ってるのが一番いいよ』
彼女の笑顔に心臓を鷲掴みにされたような感覚がした。

「癒月、」
『征十郎』
「どうだった?」
『うーん、出来たと思うよ。一応』
「癒月のことだから大丈夫だと思うけど」
教室に赤髪の男の子が入って来る。私に消しゴムを貸してくれた彼女の前で止まると彼女に話し掛けた。そのまま教室を出ようとしているのを私は引き止めた。だって借りた消しゴムを返さなくちゃいけない。
『どうかした?』
「あの、消しゴム「癒月、早く行こう」
隣にいた彼に見事に言葉を遮られてしまった。
『ちょっと待って』
「早く、」
彼は彼女の腕を掴んで強引に引っ張る。
『ご、ごめんね!消しゴムは貰っちゃっていいから!』
「あ!ちょっと…!」
そのまま引き摺って行く彼に文句を云いながら去って行く彼女を私は見ていることしか出来なかった。去り際に彼は此方を見た。その冷たい視線に私は鳥肌が立った。そして口パクで何かをゆっくりと告げる。ち、か、づ、く、な。―――…近付くな。

偽悪者と洒落こむとしよう
(これが私と癒月ちゃんと赤司くんとの出逢いだった。そしてあのときの消しゴムを未だに持ち歩いているのは私だけの秘密)


title//花畑心中

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