ダンボールの荷解きを終え、家の中は随分と落ち着いて来た。
ちょうど日吉くんのお兄さんが大学院のための一人暮らしを終えて日吉家に戻ってきたので、大まかな家電はそれを頂いたり出来た。ナイスタイミングだった。大型家具店でベッドや箪笥とかのものは買ってあったし、跡部くんたち引っ越し手伝い組が組み立ててくれたりしたのでもう日常生活は問題なく送れそうだろう。
それでも、あれだけ足りないものはないのかと確認したはずなのだが、キッチン用品だとか片付けていると色々と不足に気がついた。まだギリギリお店は開いてる時間帯だったけれど、私たちふたりはヘトヘトだったため、明日にまた買い物に行こうという結論に至った。明日は大学があるけれども、ふたりで一緒に住んでいるんだ、帰りに寄り道だって沢山できる。
ベタなことに跡部くんがおそばをくれた。出前とかじゃなくて茹でるタイプの乾燥麺。鍋があっても笊がなくて、下の階の忍足くんに貸していただいて夜ご飯も食べた。今日はもうなにもしたくないってくらい疲れた。お腹も満たされたし、気持ちも満たされてる。

フローリングの床にごろりと並んで寝転んだ。見知らぬ天井はやけに真っ白だった。日吉くんも 私の隣で寝転んでいて、食後すぐにだらけることを彼もするんだ、となんだか新鮮な気持ちがした。


「ねぇ、どうでしたか日吉くん、私の手料理」

「手料理って…アンタ、蕎麦じゃないですか。しかも名前さんは葱切ってただけです。茹でたのとつゆを作ったのは俺です」

「あら、じゃあ初めての共同作業だね」

「はは、馬鹿ですかアンタ」



日吉くんが目を細めて笑った。じっとして背中に意識を集中すると、日吉くんが笑った時の振動が微かに伝わって気持ちいい。
自然と瞼が重たくなって上下の区別がつかなくなってくる。そういえば今週はずっと忙しかったんだ。大学に荷造りに、バイトの引き継ぎ。その合間を縫って家具店や雑貨屋に日吉くんと出向いたのだ。
今日だって休日なのに早起きをして、日吉くんたちほどではないけど力仕事もしたし。もとから体力に自信があるタイプではなかったし、高校を卒業してからは運動する時間も大分減ってしまったし。日吉くんに「アンタ確実に運動不足ですよ、体力つけてください」なんて怒られることもしばしば。日吉くんの体力と比べられても困る…、というのはまあ、高校生の時からの悩みの種ではあるけれど。最近は確かに疲れ易いのだ。

自然と閉じてしまっていた瞼を無理矢理こじ開けたら、そこには先程までの天井は見えなくなっていて。その変わりと言わんばかりに怪訝な顔をした日吉くんの顔があった。色素の薄い切り揃えられた髪の毛がサラサラと揺れてる。


「ちょっと、名前さん」

「ん、」

「ここで寝ないでくださいよ」

「うーん、眠い」

「相変わらず体力ないな…」


呆れたと言わんばかりのため息と共に、日吉くんの頭が落ちてきて首に埋まった。再び視界には見知らぬ天井が戻ってきた。


「ちょ、ひよ、」

「アンタ寝たら起きないんだから、ささっとお風呂入りますよ」

「入りますよって、まさか」

「一緒にですけど」

「む、無理よ、先ひよ入ってよ!」


そんなの断固として断る。私と日吉くんの付き合いは長いにしても一緒にお風呂に入ったことなどなかった。私の必死の拒否っぷりに「まあ今回は諦めますよ、チャンスは沢山ありますしね」と不吉な言葉と共にお風呂場へと消えた日吉くん。そうだ、一緒に暮らすということはこういうことなのだ。
今まで意識しないようにしていたけれども、急にふたりきりだという事実にドキドキしてきた。それに考えないようにしてきた大きな問題が、私には、ある。


日吉くんがいない部屋、フローリングに座りこみ一人ぐるりと部屋を眺めた。あらかた片付けたとはいえまだ残る荷物と潰してまとめた段ボール。日吉くんのお兄さんから譲ってもらった家電とか、自宅や日吉くん家から持ってきた見慣れた家具。まだ馴染みの薄い買ったばかりの収納ボックスなどが目に映った。
その中でも、極めて強い存在感を示すのが部屋窓際角に置かれたベッドだと思う。それも、数はひとつだけだ。これは一緒に住むにあたって、日吉くんと一番揉めた事柄と言っても過言ではないだろう。

さすがに広い高級マンションといえどもベッド2つは置けない。だから、ベッドひとつと布団一組あればいいと言ったのは私で。それに対して日吉くんはベッドひとつで一緒に寝ればいいじゃないかと平然と言ってのけた。
ちょっとまて、いくら恋人同士であっても、一緒に寝るのは恥ずかしい。何度も言っているかもしれないけれど、私たちは付き合って長いけれど、お互いに実家住まいだったり忙しかったりで、お泊りなんて殆どしたけとないのだ。したことある数回だって緊張してまともに寝れたもんじゃなかったのに…それが毎日なんて、気が気じゃない。
日吉くんは気にしないって言ってくれたけど、やっぱり寝てる間になにか失態を犯すんじゃないかって不安もまだあるし。それにやはり、恋人同士ってことはそれなりのこともあるんだろうと思う。日吉くんも、そんな空気だった。
…別に嫌ってわけじゃない。むしろ、日吉くんとくっついたりできることは好きだ。だけど、やっぱり未だに緊張するし。ドキドキに押し潰されそうになる。慣れないんだ。心臓がぎゅうっと苦しくなるし、自分が自分じゃなくなるみたいな気持ちがする。


思い出しただけで、いっぱいいっぱいで苦しくなる。ベッドの淵に背をもたれさせた。日吉くんは、年下のくせに(まあひとつだけだし、彼は私を年上だと思ってないけれど)、いつも余裕の笑みを浮かべていて少し腹が立つ。私をからかって楽しんでるような。
それはそうか。日吉くんは平気でひとつのベッドを選択できてしまうくらいなんだ。私だけ緊張していて、馬鹿みたい。こんなにも長くいるのに、触られるだけで泣きそうになるのも、私だけでなんだか悔しい。主導権はいつも握られっぱなしだ。


「名前さん、寝てるんですか?」


ポタポタと、水滴を垂らしながらラフな部屋着で現れた日吉くん。タオルを首からかけていて、シャンプーの匂いが部屋に漂った。
お風呂上がりの日吉くんはなんとも色っぽくて。顔を合わせるのが恥ずかしくて思わず目を閉じて寝たふりをしてしまった。寝たふりをする意味なんて一切ないのだけれども、してしまったからには後には引けない。
ベッドに背をもたれかけたまま、狸寝入りを決め込む。日吉くんの表情は確認出来ないけれど、真っ暗な視界の中でため息がひとつ聞こえた。




* * *




風呂から上がってきてみたら、名前さんは先程までとは位置を変えて、フローリングに座りながらベッドに背中だけをもたれかけていた。
目は閉じられている、完全に狸寝入りだ。別にどこがおかしいってわけではないが、俺の直感がそう告げた。絶対この人寝てない、寝たふりだ。しかも慌てて寝たふりをしたもんだから首のポジションが若干辛そうにしている。きっと、俺が戻ってきたから咄嗟に目をつむってしまい後には引けなくなったんだろう。分かり易い人だ。

名前さんの、気持ちは分かる。今までは先輩たちや樺地とかがいたから実感はイマイチ沸かなかったが、ふたりきりということだ。一緒に住むということは。そんな当たり前の前提ですら、実際に体験しないと分からない。一緒にいるだけとは違う。例えば、これがいつものように俺の家、若しくは名前さんの家にいるのだとしたら夜が更けるにつれて必ず別れがやってくるものだが、それがない。おまけに言えば、ここは俺の家でなければ名前さんの家でもなくて、ふたりの家だ。
彼女の部屋を訪れたらある、名前さんの匂いとか空気でそわそわするような、だけど落ち着くような空間ではない。まだ、真っさらだ。それが、どんどんふたりの色になっていくんだろう。なにせ、ふたりだけの空間なんだ。

ドキドキせずにはいられない、意識せずにはいられない。名前さんもずっと緊張しているみたいだったから、俺まであからさまに緊張したらぎこちなく気まずくなりそうだが、努めて平然な振りをしているが正直もう無理だ。
先程、一緒に風呂に入るか、なんて冗談っぽく(いや、半分本気だったけれど)言ったのに対して、名前さんがあんなにも真っ赤になって恥ずかしがる姿が可愛すぎて、限界を超えそうなんだよ。

今だって、バレバレな寝たふりをしているところとか。あまりに無防備で。確かに長い付き合いだというのに余りにも警戒されてしまっては凹むけれど、ここまで用心がないのも考えものだ、全く。



屈んで、頭の高さを合わせて名前さんのおでこにキスをした。驚いたのか、瞼がピクリと動いた。それでも寝たふりを続けている。
相変わらずの意地っ張りだ、学生の頃から変わらない。情に脆くて押しに弱いくせに、一度決めたら曲げないんだ。本当に厄介な性格だ。だから俺も意地になってしまう。
続けて瞼や頬に何度も唇を落とす。しかし、今度は何の反応も示さなかった。畜生、この人は。


「仕方のない人ですね」


可愛いげがあるんだかないんだか分からない。分からないんだが可愛くて仕方がないんだ。
ベッドにもたれかかる名前さんの腰と首の後ろに腕を回して抱え上げたら身体がピクリと強張った。それでも寝たふりですかいい度胸してますよね。
ちょっとした悪戯心で、「…重いな」と呟いたら彼女の眉間にシワが寄って眉がハの字になった。泣きそうだ、面白い。
勿論、重いなんてことは一切ないんだが、反応がみたくてつい。むしろ軽いくらいだし、ふにふにしてる感触が俺は好きだ。なのに二の腕とか気にして痩せよう痩せようとすぐに思い悩む彼女には少々意地悪すぎる冗談かもしれないけれど。
こんな風に寝たふりで避けられた分俺だって多少は傷ついた、から、お相子ということで。


買ったばかりのベッド、ふたりで選んだグレーのシンプルなシーツの上に彼女を下ろした。上から覆い被さったら髪からポタポタと水滴が垂れて名前さんに降り懸かる。
もうずっと、我慢していたが、もう耐え切れない。抱きしめたくて抱きしめたくて仕様がない。確かに疲れているし、名前さんもへばっていて可哀相な気持ちもしなくもないけれど、そんな気持ちもすぐになくなってしまう。

顔中にキスをしたら、流石の名前さんも参ったようで目をパッチリと開けた。



「や、ちょ、ひよ、なにして!」

「あれ、寝たふりはもういいんですか」

「しかもバレて!」

「バレバレですよ、下手ですね本当」



自分でも捻くれた笑みが口許に浮かんだのが分かった。
グレーのモノトーン調に名前さんの赤い頬がよくはえて綺麗だ。悔しいのか一文字に結ばれた唇に何度がキスしてやったら、堪えられなくなったのかすぐに綻んで笑った。ああもう可愛いって何度言えばいいのか分からない。俺の語彙が乏しいのかもしれないし、それしか彼女を形容する言葉がないのかもしれない。

キスしながら首筋へずれたら、名前さんの手が俺の髪にかかり柔らかくそれを制した。


「…なんです」

「…だめ、ひよ」

「なんでですか」


頬の赤みが強くなって視線を逸らされた。そんな顔されて駄目とか言われても困るんだが。この態勢でいるだけで俺はもう、非常にノリノリなのである。待ってとか駄目とか言われても止まるに止まれるわけがないのだ。

名前さんが一向に口を開こうとしないので、痺れを切らして再びキスしようとしたら、やっぱり「だめ」と言われてしまった。


「…名前さん、言わなきゃ分からないですよ」

「…分かってよ」

「素直になるって約束したじゃないですか」

「…ひよは、いつもずるい」

「は」


拗ねたような口調。彼女は時々脈絡ないので解読は難解だ。何がですか、って尋ねてももごもごしてる、難しい。


「何がずるいんですか、ねえ」

「…ひよはさ、」

「はい、」

「いつも余裕でさ、」

「はい?」

「そうやっていつもからかって…」

「ちょ、名前さん…」


そうだ、おまけに思い込みが激しいという特徴もあった。大きな勘違いだ。更に言えばこれはちょっと俺を舐めてかかっている発言ともとれる。
俺がいつ余裕だと言った。からかっている事に関してはまあ否定はしない。名前さんをからかうのは俺の履歴書の趣味・特技の欄に特筆すべきことだと自負している。まあ書かないけどな。趣味というくらいだから頻繁に行っている、認めよう。

だが余裕については反論する。俺がいつ余裕だったんだ。いつだって余裕なんかない。中学から、身体ばかりは成長したが、これだけは変わらない。今だってギリギリだって言うのに、どこに目をつけてるんだこの人は。あんたの前ではいつも必死だよ。


「名前さん」

「…なに」


今まで名前さんの顔の横に手をついて体重を支えていたけど、それをやめて隙間なくくっついた。重いだろうけど多少我慢して頂く。というか、これくらいしてやらなきゃ彼女には伝わらないだろう。
「ひ、ひよ…?」俺の突然の行動に彼女は固まって、様子を伺っている。


「名前さん、分かるか」

「え、」

「分かるまで黙ってて」


言われた通りにして、口を噤んだ。ふたり黙って、新しい時計だけがカチカチと世話しない独り言を続けている。ぴったりとくっついていると、ふいに「、あ」と彼女が零した。
そうだ、これで気づかないほうがどうかしてる。


「ひよ、凄い、ドキドキいってる」

「…知ってる」

「わ、」

「言っとくけど、アンタのもドキドキ煩い」

「ふふ、知ってる」


これが、ふたりきりになったときからずっとなんだぜ、驚いただろ。なんて威張れるはずも当然なくて。でも緊張してるのはお互い様なんですから、別にいいですよね。首にぎゅうと、名前さんの腕が伸びて抱きしめられた。
心臓が自分の左側と名前さんの右側がもっとくっついて両方でドキドキ鳴っているから忙しないカップルでお似合いでいいですよね、もう。


「そういえば、名前さん」

「ん」

「ちっとも重くなかったですから、気に病まないでくださいね」

「…!、あれは態とか!」

「ええ、」


だって趣味ですから。
そうやって言ったら、名前さんは納得いかないようだった。悔しさから反撃と言わんばかりに唇にちゅ、と音をたてた可愛いらしいキスをされて、ああもう。


だから余裕ないって言ってるだろ。





おやすみしましょう

(そもそも余裕なんて、あってないようなものでしょう?)

20100815
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