苛々する、どいつもこいつも。普段は自分は温厚な部類だと思う。だがしかし、最近は毎日苛々する、限界だ。会いたい、触りたい、名前さん!

舐めてた、甘く見てた。自分が大学に入りさえすれば、彼女との時間を取り戻せると思ってた。高校のときと違う、同じキャンパス内にいられるのだから。だが、しかし大学部は中等部、高等部よりもさらに外部生が多くなるため、氷帝の人数は膨れ上がっている。そのためキャンパスは馬鹿みたいに広い。そんな広い場所で彼女と出会うことなんてほぼなかった。

それでも、毎日電話したし、メールもした。本当に他愛もない話ばかりだが、名前さんの柔らかい声が鼓膜を刺激するのはとても心地好いんだ。だが、それだけで足りる訳がない。彼女の実体には敵わない。


俺の目の、届かない範囲にいるのが非常にもどかしい。同じ場所にいるはずなのに。あの人は今年で成人しようというのに、そんな風には一切思えないほど頼りなかった。出会ったころはまだ名前さんの方が背は幾分か高かった。彼女の背もそれなりに伸びたんだろうが、俺の方がずっと伸びた。
それから変わらない、彼女は俺よりも小さく細く、弱い存在だ。透き徹った肌も目も、赤色の唇だって変わらない。…まあ、ずっと綺麗になっているとは、思う(中等部の頃の印象は、可愛らしいだった)。

彼女は危なっかしいし、絶対おっちょこちょいをやらかしてるんじゃないかって思う。俺のいないとこでなにかやらかして、誰が助けてやれるんだ。
おまけに情に脆くて押しに弱いもんだから、どっかの誰かに、なにか言い寄られていないかと、心配もある。名前さんを疑っているんじゃなくて、名前さんを取り巻く野郎どもが信用ならないんだ。


でも、苛々の1番の原因は。講義前に俺の後ろの席をとっていた女生徒たちの、会話だ。

「ねぇねえ、医学部の忍足先輩、彼女いるみたいなんだよねえ」

「えぇ、ショック!それ、本当?」

「うん、あんまり特定の女の子と遊ばない先輩だけど、でもいつも一緒にいる人がいて」

「その人が彼女なの?」

「そう、苗字名前さんっていう人なんだって」


は?忍足さんの彼女が名前さんだって?有り得えないね、そんなん。内部生なら周知の事実だが、外部生の間で、どうやら勘違いしてるやつらがいるみたいだ。
分かってる、忍足さんはそんな人じゃないって分かってる。名前さんと忍足さんは中等部のころからマイペース同士気が合うのだろう。よくふたりでいるところを見ていた。忍足さんはなんだかんだで俺達の仲を取り持ってくれているし。そんなんじゃないとは分かっていても、胸の辺りに言葉にできないもやもやが芽生えた。

名前さんは俺の大切な人だ。

いくら忍足さんでも、名前さんとよくふたりでいるなんて。俺とは全然会ってないじゃないか。



名前さんに会いたい、触りたい、堪えられない、限界かもしれない。彼女には申し訳ない話だが、夜ごと名前さんを思い出して自分を慰めていた、でもそれも限界だ。所詮自分の記憶と想像で作り出した名前さんなんて、実物に敵うはずがないんだ。


今日の全ての講義を終えて、直ぐさま荷物をまとめた。名前さん、今日バイトって言ってた。訪ねようか。夜遅くになってしまうが、でも限界だ。だいたい、なんで名前さんはバイトなんかしだしたんだ。大学に入れば確かに付き合いだったりでお小遣だけでは足りない部分があるのだろう、なので律儀な先輩のことだからバイトを始めたのかもしれないけど。それで俺との時間が削られるなんて。名前さんは平気なのか。
頭はどんよりと重かった。こんなにも近くにいるのに名前さんに会えないなんて。


「こっちもこっちで、暗い顔しとるなぁ」

「…忍足さん」


逢いたくない人に出会ってしまった。忍足さんも講義が丁度終わったところなのだろう、重そうな専門書を抱えていた。


「なんですか」

「いやぁ、自分らホンマに仲えぇなぁって思ってな」


仲がいい?厭味か?俺は名前さんに全然会えてないというのに!仲がいいのは忍足さんのほうだろ。かつての部活の先輩、仲間だというのに。俺と名前さんの関係を助けてくれたというのに。忍足さんには今会いたくない。苛々の感情を全てぶつけてしまいそうだ。
忍足さんの、そんな俺の感情を見透かしたような笑みにも、腹が立つ。


「ちょお、そんな顔せんといて」


忍足さんと、名前さんが、付き合ってる?そんなくだらない噂、信じるほうが馬鹿げてる。名前さんは俺のだ。




「自分、苗字に会いたくてしゃあないって顔しとんで」

「分かってるならわざわざ言わないでください」

「相変わらず無愛想なやっちゃなぁ」

「生れつきの仕様です」

「そんな仕様も、苗字にやったらドロドロに溶かされまうんやろ?」

「放っておいてください」

「はは、苗字もそんな顔して死にそうやったなぁ」


名前さんも?
それを聞いて、気持ちは少し浮上する。名前さんも俺と同じ顔、ということは。彼女も同じ気持ちということで、いいのだろうか。彼女から、会いたいって言葉は聞くし、メールだって電話だってくるけど。やっぱり気持ちが一方的なんではないかと思ってしまう部分もあった。だって、俺はこんなにも名前さんが好きだ。きっと彼女の小さな身体なんて簡単に壊してしまえるほど。自分の気持ちが大きすぎることくらい分かっていたし、絶対に名前さんよりも、俺のほうが好きだっていう自覚もあった。一人よがりなんじゃないかって思うことも、しばしば。だから、少しでも名前さんが、同じことを思っていとくれてるのなら、それほど幸せなことはないんだ。


「まあ、それももうちょっとの辛抱やからなぁ」

「は、どういうことですか、それ」

「あと少しで目標まで貯まるって言うてたやん。苗字が一人暮らしできればイチャイチャし放題やろ?羨ましいわぁ」

「は、なんだそれ、知らない」

「え、苗字言うてへんの」



知らない知らない知らない!そんなこと、一言も聞いてない!


「あ、これ言うたらあかんかったみたいやなぁ」

「ちょ、どういうことですか忍足さん」

「ああ、堪忍な、ほなな」


忍足さんは手をひらひら振りながら行ってしまった。は、一人暮らし?名前さんが?あの頼りない名前さんが?そもそも、そんなことをしようとしてることすら、知らなかった。
なんで忍足さんが知ってて、俺が知らないんだ?だめだ、このことについて深く考えようとすると頭が痛くなる。名前さんがわからない。


丁度そのとき、ポケットに入っていた携帯が震えだした。取り出してディスプレイを見ると、そこには苗字名前の文字。なんてタイミングだ。俺の様子をどっかで見てるんじゃないか?…それはそれで悪い気はしないが。


「もしもし」

「あ、もしもし、日吉くん、今大丈夫?」

「大丈夫ですよ。てか、アンタ今日バイトじゃないんですか」

「いや、バイト先まで行ったら勘違いしてたみたいで…休みで…」

「はぁ、」

「(…ため息!)で、日吉くん今日はもう、終わってるころ、よね?」

「終わってますが」

「じゃ、じゃあ、会えないかな、会いたいなぁって」

「…俺も、会いたいです」


名前さんと、よく行くレストランの前で待ち合わせた。正直、どうしていいかわからない。ゆっくり会えるのは久しぶりだったし、忍足さんからの余計な情報もあったし。俺のほうが早くついてしまってそわそわしてる。ちくしょう、本当に、名前さんといるといつも余裕がなくなる。乱される。それを彼女は知ってるのだろうか(わざとだとしたら、相当たちが悪い)。


「ひ、ひよっ!」


そんなことを考えていても、いざ名前さんをみたとなると、そんなぐるぐる逡巡していた思いも、消えてなくなる。久しぶりにちゃんと会えた名前さんだ…!思わず、本当に思わず周りの目も気にせず抱きしめてしまった…。やってしまった。
名前さんのことだから、きっと顔を真っ赤にして恥ずかしいがってそして、人前は恥ずかしいよっていって押し返される、と、思っていたのに。名前さんの腕も俺の背中に回されて。ぎゅうと抱き着かれた。少し震えながら俺のシャツを掴む手が、彼女が俺を思っていることを伝える。「わ、私、会いたかった」し、幸せすぎる。あ、俺、あいされてるなぁ、なんて。単純すぎる。


「俺も、会いたかったです」

「わか」


いつもはふたりきりでベッドにいるときにしか呼んでくれない名前を呼ばれて、ああ、くそ。余裕ない、俺。名前さんの全てに動かされる。彼女の柔らかい感触に声に匂いに。
彼女のいない世界なんて、堪えられやしない。


「名前さん」

「…ん」

「一人暮らしするって本当ですか」


ぱっと俺から離れて驚いたような表情。その顔が本当だって肯定していた。


「忍足さんから聞きました」

「(忍足くんめ…!)」

「なんで、俺に内緒で」


彼女の全てを知りたいだなんておこがましい俺の身勝手だって分かってる。だけど、こうもあからさまな秘密は酷いだろう。

「だ、だってひよ、言ったら止めるでしょ」

「止めますよ、アンタが一人暮らしなんて、そんな」

「で、できるし!」


確かに、彼女の自宅は大学から離れていて、一限から講義が入っているときなど辛そうだったのは知っているが。それとこれとは、別問題で。


「やめてください、危なすぎる」

「やめない」

「本当に頑固な人ですね、やめてください」

「やだ、だって」


だってその方がひよと一緒にいられるじゃない。
そう言って、もう俺の反論は聞かないというように、俺の胸に顔を埋めた。…な、なんだこの可愛い生き物!
た、確かに、それでバイトをやめたとしても、高校の時よりふたりの時間がなくなるのはわかり切っていて。彼女の家が大学から近くなれば、会える時間は必然的に増えるし、あわよくば、お泊りも、なんて。
ああ、だがしかし、朝に弱くて押しに弱い名前さんの一人暮らしなんて、許せるもんじゃない。ジレンマだ、どうしたものか。

ふと、浮かんだ。
あるじゃないか、問題が一気に解決する、方法。


「名前さん」


彼女を引きはがし、お互いの顔をしっかり見れるようにした。俺になにか怒られるんじゃないかって不安げな表情は、まるで子供みたいだ。そんな名前さんを、どうして一人でいさせられようか。


「じゃあ、俺と一緒に暮らしましょう」


始めは理解できず、きょとんとした顔。一瞬遅れて飲み下せた言葉に、今度は彼女は真っ赤になって慌てた。その姿は結構おかしい。


「ひ、ひよ、何言って、」

「何って、人の名案を」

「ひよ、嘘でしょ?」

「俺は嘘でこんなこと、言いません」


「え、だって、ひよ」

「もしかして名前さん、俺が勢いでこんなこと言ってると思ってますか」

「…う、うん」


勢いで言うか、こんなこと。ずっと思ってた、名前さんと一緒にいれたらって。そんな将来の予定が少し早まるだけだ。そして実は、俺も大学生活が落ち着いたら一人暮らしをするつもりだった。そのことは親にも言ってあったし、賛成もされていた。今までの小遣いやお年玉の貯金だって、結構あるしな。

「だから、俺はアンタと一緒に暮らしたい」

「でも、ひよ、私、朝寝癖とか酷いし、寝相悪いし」

「見慣れてますよ、もう」

「だらしないとこもあるし、料理だってまだあんまりうまくないし」

「だから俺が傍にいてあげますって言ってるんだ」


平然としてるようだが、一緒に住もうなんて台詞、すごく緊張する。だから、早くはいって頷けよ、名前さん。ぎゅっと、抱きしめた。彼女の心臓はずっとドキドキいってる、俺のもか。

「若、」

「はい」

「大好きよ」

「知ってます」

「これから、よろしくね」


人前だけど、構うもんか。赤い頬ではにかむ名前さんの唇にキスをした。



一緒に暮らしましょう

20100311
日吉くんと同棲にやにや。
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