ふ、と真っ暗闇の中からつむじを引っ張りあげられたかのように眠りから覚めた。目を開けたら夢か現実かわからないほどにまだ静かな世界だった。夜目は利いても状況をきちんと把握する頭はまだ働いていなかった。

いつもと違う家具のシルエット、部屋の空気、匂い、目の前にいる、日吉くん。あれ、日吉くん?ぼんやりと霞み掛かった頭が揺り動かされた。何で日吉くんがいるんだろう、夢だろうか。そういえばベッドの感触も匂いも私が慣れ親しんだ自分の部屋のものとは違った。真新しい匂いがする。

大きく息を吸って空気を鼻から身体の隅にまで染み入らせた。なんどかゆるい瞬きをしてもう一度しっかりと前をみた。日吉くんだ。堅く目を閉じて薄く唇が開いてゆっくりと深い寝息を立てているあまり見たことのない顔をした日吉くんだった。同じベッドに眠っている、ほんの十数センチメートルの距離を空けて向かい合って寝転んでいた。私の匂いはしないけど、日吉くんの匂いは感じられる、なんとも不思議な気持ちがどんどん胸に広がった。日吉くんの端整な顔を見ているのが気恥ずかしくなり、ごろんと寝返りを打った。そして天井を眺めて気がついた。ああ、そうだ、引っ越したんだ。日吉くんと一緒に住んでるんだ。
夕べに日吉くん越しにこの見慣れない白い天井を見たことを思い出して、余計にいたたまれないくらい顔が熱くなった。だんだんと頭が冴えてくる、隣で寝息を立てる日吉くんは私の夢でも寝ぼけた幻想でもなくて、本物の日吉くんだ。いつもよりも温い布団も自分以外の匂いもなにもかも現実なんだ。胸の奥にゆらりと火が灯ったみたいだ、朝から心臓がドキドキと煩くしている。

日吉くんとこうして朝を迎えたことはほとんど数える程度しかないとはもう何度も言っていることなのでもう詳しくは言及はしないが、心情だけは察していただきたい。日吉くんと新しい部屋で迎える初めての朝だ、こう、なんとも言えず甘酸っぱい、例えるなら恋したての姿を見るだけで苦しくなるようなあの独特の気持ちが私の胸を締め付けるのだ。じりじりと焦げていく。
折角なのだから日吉くんの寝顔なんかを眺めちゃって幸せな気持ちに浸りたい気もするけれど、どうしても恥ずかしくて見れない。日吉くんをみたらもしたしたら目から熱く焼けて溶けてしまうんじゃないかって本気で思えてしまうから、見ることが出来ない。なんならふたりで同じベッドで眠っているこの状況ですら堪えられないかもしれない。昨日は引っ越作業で疲れたなんていいながらも日吉くんにこのベッドでぎゅうぎゅうに抱きしめられて、深夜になってシャワーを浴びて(ここでも日吉くんは一緒にお風呂に入ろうとしてきた)(なんとかやり過ごした)、疲れた勢いで半ば日吉くんに抱えこまれるようにしてベッドに入り、すぐに眠ってしまったので特に気になりはしなかったけれど。今この状態はなかなかに堪え難い。
なんとなく、なんとなくだけれども、こういう同棲して初めての朝、とかふたりで迎える朝、というのは日吉くんの方が先に起きる方が世の常な気がする。それはそれで私の寝顔とか見られてしまって良いこととは言い難いけれども、私のこのどうしたらいいのか分からない心境に比べてしまえばなんてことのないことかもしれない。ああ、今すぐにベッドから飛び出してしまいたい。緊張して胸が苦しい。むしろ、ベッドから出て朝ご飯でも作るべきかもしれない。そうだそうしよう。
この場から逃れる為の筋の通った理由を考えていざ行動に移さんとしたとき、隣にいる日吉くをがうーんと小さく唸ったかと思えばごろりと寝返りをうち、なんと上半身だけが私に上にのしかかるように覆いかぶさってきた。それだけでは飽き足らずに寝起き特有の掠れた声で「…名前さん」なんて言ってぎゅうと腕に力を込めて私を腕の中に閉じ込めた。私の血液は簡単に沸点に達して全身を駆け巡り心臓までも熱くした、それはもう朝から身体に悪いことこの上ない。
日吉くんが意地悪してくるもんだと思って身構えていたら、しばらく待ってもその気配なし、日吉くんの体重が上半身だけとはいえ私を押し潰しているので苦しいと抗議しようと思ったけれど、私の肩に埋まった日吉くん頭が意志があるとは思えないようにぐったりともたれかかっている。どきどきと騒ぎたてる私の心音より耳を澄ましてみると、規則正しく呼吸音も聞こえた。


「…ひ、よ、寝て、る?」


返事がない、ただ眠っているようだ。
日吉くんのさらさらな髪の毛が私の首筋に流れて撫でる。すうすうと気持ち良さそうな寝息が聞こえている。日吉くん、ぐっすりだ。なんとも拍子抜けというか、もっと、朝から日吉くんがちゅうとかぎゅうとかそういう感じになっちゃうんじゃないかっていう女の子がしちゃったらはしたないような予想をしてしまっていた自分が恥ずかしくなった。少しの期待があったとか、口が裂けてでも言えない。やっぱり、女の子でも、そうなるな、とかそうなっちゃうのかな、という思いを持ってしまうものだ。だって日吉くんと、キス、とかするの、好きだもん。日吉くんには言えないけど(言わなくてもきっと、ばれてしまっていると、思うけど)。


どうやら深い眠りの中にいる日吉くんをどうするかを次は考える。まだ時間としては全然大丈夫だ。私がたまたま目を覚ましてしまっただけだから、あと1時間以上は余裕で眠れる。日吉くんの体温と重みと鼓動のリズムが心地好くて私も2度寝を出来そうな雰囲気ではあるけれど、しばらくしても瞼が下りる気配は感じられなかった。どうやら心地好さよりもどきどきの方が勝っているらしい。耳元では日吉くんの呼吸が聞こえる、起こしちゃ可哀相かなとは思いつつも日吉くんの頭を揺するように撫でたら嫌だったのか、不機嫌な母音と共に首を左右に振った。ちょ、非常にくすぐったいです…!


「ひよ、ねぇ、ひよ」


呼びかけとともに肩をさすってみたら段々と覚醒に近くなってきたみたいだが、それがまた中途半端な覚醒故か、むにゃむにゃしながら「ん、名前さん…」と私を呼び、更には猫のようにすりすりと私に擦り寄ってきたのだ!これは捨て置けぬ、くすぐったい以前の問題だ、同棲して一日目早々心臓発作で死んでしまうなんて友人たちや忍足くんに笑われて呆れられることこの上ない。私だって、せっかく、日吉くんと一緒に暮らすことが出来て、幸せなのに、それが初日にして終わってしまうなんて悲しすぎると思う。早くこの状況から脱せねばと思い、可哀相といいながらも強く日吉くんを起こした。「ひよ、起きてってば」「ん…、ん?」「ひーよ!」「…名前、さん?」「うん」もともと日吉くんは寝起きは悪くない方らしいこともあり、私の呼びかけに目を開けて頭を上げた。しばらくとろんと焦点の合わない目でぱしぱしと瞬きをすると、私の存在を確認したのかハッと驚いたような顔をして口をつぐんだ。


「ひよ」

「…」

「…おはよう」

「…おは、ようございます」


朝起きて1番の挨拶を交わすことはどうしてこんなにも気恥ずかしいんだろう。おはようなんていつも朝言っているのに。いやきっと、この体勢が引き起こした気持ちだけでないはずだ。日吉くんも言葉を発しづらそうにして、いつもの照れてるときと同じように耳が赤く染まっている。なにか話したい言葉があるはずなんだけど、それながなにか見つけられなくて私は黙った。日吉くんもちょっと言葉を探るような間の後に口を開いた。「…俺が寝てる間になにしてるんですか名前さん」


「え、なん、そうなっちゃうの?」

「寝てる時になんて油断も隙もない」

「ひよが寝ぼけてぎゅうってしてきたんじゃない!」

「言わなくていいです」

「私の名前呼んだり、上に乗ったり、しかもすりすり猫みたいに、」

「…煩いです!」


現実のままを伝えてあげたら、日吉くんはムキになってしまった。どうやら無意識の自覚があるみたいだ。まあ、この状態、日吉くんが私の上に半身だけ覆いかぶさるようになっているから、みなまで言うなってことなんだろうか。やっぱり照れ屋さんだなぁ、と思うとにやりと笑ってしまう。そうすると日吉くんがますます拗ねてしまうことは知っているんだけれど。


想像の通り、私の緩んだ表情がお気に召さなかった日吉くんはむすっとした顔になった。それが可愛くてますます頬の筋肉が緩むという負の連鎖へ陥りそうになったときに、日吉くんが急に腕で私ととっていた距離を縮め、顔を近づけてきた。あ、と思う前にちゅ、と音がなるキスをされた。こうなると、形勢逆転だ。


再び顔をあげた日吉くんがにやりと『勝った』みたいな表情しながら笑ったので私は黙るしかない。日吉くんが私のおでこにかかった髪の毛を優しくはらって、そこにもキスをした。そこから瞼、鼻先、頬、口元とひとつひとつに挨拶するみたいに軽く口づけていく。なんだか私の存在を確認しているみたいだ。私自身も、日吉くんにこうされてやっと、私という存在を意識しているような気すらしてきた。


「名前さん」

「ひよ」

「…名前さん」


日吉くんが自分の体重を支えていた腕の力をゆるめて、再び私にべったりと身体を預けた。重いけど、日吉くんの身体が感じられてこの体勢は好きだ。きっと日吉くんも好きなんだろうな、よくやるんだもの。呼吸困難みたいた、苦しい感覚は溺れたみたいな錯覚をさせる。
「、名前さんだ」ぎゅうと抱きしめられる。改めて私のことを日吉くんは確認している。私はここにいるよ、隣にいるよってことを伝えたくなって私からも抱きしめた。夢でもなんでもなくて、ふたりの生活は始まっている。それをもっとちゃんと知りたい。ああ、どうにも私は、幸せでいっぱいみたいだ。夢でもなんでもない、日吉くんの匂いがする、体温がある、呼吸が聞こえる、薄ら明るくなった部屋に日吉くんの髪が光を反射している様子が見える、キスをしたら味がする、五感全部で日吉くんがちゃんと分かるのだ。きっと日吉くんも。
幸せで溺れてるから、幸せは液体だな、部屋沢山に満ちている。私たちは泳ぐ魚だ、ここはきっと、水槽だ。

「ひよ、おはよう」

再び口がそう言ってしまったのは無意識のことだ。でも、やっと意味がわかった気がする。朝起きて、日吉くんが隣にいる。そして、1番におはようということ、1番最初に触れること、とても大切なことだ。すこし照れ臭くて、贅沢で、でも1番最初に好きな人のことを考えて、その姿を見れることそれってとてつもなく、素晴らしいことだ。朝から泣きたくなるはど、どうしようもないほど、胸に感情が溢れている。私をこんな感情にさせてくれる人は日吉くん以外にはいないだろう。だってほら、気持ちが通じているんじゃないかって勘違いしてしまうほど、タイミングを違えずに日吉くんは言うんだ。


「名前さん、おはよう」




幸せを感じましょう
(ふたりは幸せの水槽の中)

20110616
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