日吉若くんはドロドロで有名だ。優しい、凄く優しい。自分で言うのも何だが、その、私に対して、とても優しいと思う。普段から優しいのだけれど、特別雰囲気がふにゃりと柔らかくなるというか。忍足くんと向日くんは、私といるときの日吉くんを初めてみたときに、あんな若初めてみた…!と、凄く驚かれたものだ。曰く、とろけそうな笑顔らしい。それをからかわれてから、日吉くんは人前では私といるときもそういう表情にならないように、無理してるらしい、それも忍足くんたち曰くの話だけれども。
でも、私からしてみれば、日吉くんは私といるときも結構笑ってると思うけど。勿論、爆笑してる姿ってあんまりないが、目がふっと細められて空気がふわりと優しくなる感じ。そういう空気の日吉くんの傍にいると、私まで一緒にふわふわな気分になって幸せになれるし、いつもは鋭い目が三日月のように弧を描くその表情が大好きなんだ。

普段の凛とした空気も好きだけど、周りの人がいうように、私の前でだけ見せてくれる溶けてしまうような空気も好きだ。日吉くんが凄い優しいのも、たくさん日吉くんと時間を過ごすと気づけることがあった。表情豊かじゃないし、発言が生意気だっていうこともあってか、日吉くんが冷たいって勘違いしてる人も多いけど、全然そうじゃない。礼儀正しいし、口には出さないけど、先輩たちへの敬意とかも絶対に忘れないし。本当は熱い人だからテニスとか、譲れないこととなると挑発的な勘違いされやすい発言も多くなってしまうけど。日吉くんは、素敵な人だ。なんか、日吉くんのこととなるといくらでも語れてしまう。でも、そうなんだから、仕方ない。日吉くんが素敵すぎるからいけないんだ、くそう。

そんな素敵な日吉くんだが、私はどうしても好きになれない日吉くんもいる。日吉くんの中にいて、時々現れる、あの日吉くんが、私はどうも苦手だ。


「ほら、名前さんいつまでうだうだ言ってるんですか」

「い、いや、やだ!やっぱやめる!」

「本当に我が儘な人ですね、いい加減諦めてください」


そう、時々降臨する、このいじわるな日吉くんだ。私を虐めるのが楽しくって仕方がないというような表情で、唇の端っこが意地悪に吊り上がる。
今は久しぶりに日吉くんと丸一日一緒にいられる休日で。日吉くんはどこか行きますかって提案してくれたんだけど、最近テニス部は忙しくて疲れてたのを私は知っていたし、ふたりでまったりしたいなぁって思ったので、日吉くんのお家にお邪魔させてもらっていている。日吉くんのお母さんとは既に顔見知りではあるけど(物凄い美人なお母さんなんだ)、未だに緊張する。日吉くんのお家は伝統的な由緒正しき日本家屋で、道場も敷地内にありとても広くて、その威圧感の所為っていうのも、私を緊張させる理由のひとつだ。初めて招かれたときはこんな威厳のある家に入れない…!何この木の大きな門…!なにこの立派な表札…!と思ったが、日吉くんはしれっと普通に入っていくので(そりゃ、自宅なので当たり前だけれど)、結構びくびくしながら後に続いたっけ。その時に日吉くんのお母さんとも初めて会って、日吉くんが私のことを「お付き合いしてる名前さんです」って紹介してくれたときは、本当に、嬉しかったなぁ。そんな場面じゃないのに、嬉しくて泣きそうになった。彼女ってポジションで、ご家族の方に紹介してもらうのって、
特別って感じがして、くすぐったい。日吉くんのお母さんも私にこっそり「難しいところも多いけど、若さんをよろしくね」って言ってもらったりもしたし。

そんな日はもう遠くのことのように感じるし、昨日のようにも感じる。日吉くんのお家には何度も来ているけど、やっぱりお家は凄いなと思うし、日吉くんの部屋は、ドキドキする。
実は和室じゃない日吉くんの部屋、几帳面な日吉くんらしく、きちんと整理整頓されている。畳に布団っていうイメージだったけど、案外フローリングにベッドで、無駄に物のないシンプルな作り。ここで日吉くんが普段生活してるんだって思うだけでドキドキする。大好きな日吉くんの匂いがする。日吉くんの腕の中に包まれてるみたいで、私はこの空間にいるだけでどうしようもなく幸せになれる。なれる、はずなのに。

目の日吉くんの意地悪な笑顔、ソファの私の隣に座って手にはDVDプレイヤーのリモコン。私は、そのリモコンを握る手を抑えてる。はぁ、日吉くんがため息をついた。


「名前さん、アンタが見たいって言ったんですよ」

「言ってない!面白そうかも、とは、言ったけど」

「そうでしたっけ」

「そうです!」

「でも、なんにせよ、もう借りてきちゃったんだし、見ますよ」


日吉くんの力にかかれば私の手なんて簡単に振りほどけてしまうわけで、無情にも日吉くんの指は再生ボタンを押した。今まで黒しか映し出さなかった画面が青白く光る。


「は、はじまっちゃうよ、ひよ!」

「まだ何も怖いとこなんてないでしょう」

「いや、でも、タイトルからして…」


意地悪な日吉くんは、嫌がる私にホラー映画を見せてくる。これももう何度目かになるんだが、毎回騙され騙され、見るにまで至ってしまうんだ!逃げようにも、日吉くんに片手をぎゅっと絡めるように握られてしまっているから逃げられない。隣で笑う日吉くんは、凄く楽しそうで腹立たしい…!…本当は、本気で嫌がれば日吉くんはやめてくれるだろうし、この手だって振り払えばいつだって逃げられるんだろうけど。それをしない自分は、ホラー映画をちょっと見たいっていうのもあるし、日吉くんの好きなものを共有したいって思いもあるんだろうけど。
こうして、日吉くんの強引な鑑賞会は始まるのであった。








名前さんと丸一日一緒にいられる久しぶりの休日だった。俺は普段どこかに連れて行ってやることがあまりないので、こういう機会に彼女と遠出もしたかったのだが、断られてしまった。彼女のことだから、俺に気を使っての発言だと思う。確かに、連日の練習や他校との交流試合が続いて疲れてはいたが。俺としては、名前さんが楽しんでくれるのが一番だし、彼女の笑顔を見れば、疲れなんてふっとぶし。もし、俺と付き合うことにより、彼女に何かしら無理をさせたり我慢をさせているのだとしたら、それが一番辛いことだ。
まあ、今回は、恥ずかしそうに頬を染めながら、「久しぶりに、ひよのお家に行きたいな」なんて言うもんだから、出掛けるって言う案は、速攻で廃案だ。

俺と名前さんはお互いの家族公認だった。付き合ってしばらくしてから、お互いの家に行ってきちんと紹介しあった。名前さんの家族はみんな優しい、温かい雰囲気の人たちで、この中で彼女が育ったと思うと納得できた。きっと彼女は幸せに育ったんだろう、彼女の笑顔の根底を見た気がした。
俺の家族は、なんというか、みんな、恐ろしいくらい名前さんが好きだ。両親や祖父母の名前さんの可愛がり方は異常なものがあるし。次はいつ来るんだとか尋ねられるし、昔着た着物が名前さんに似合うから用意するだの、このかんざしは名前さんにピッタリだとか、その為に名前さんを呼べって要求してきたりもする。特に、母さんなんかは子供ふたりが男な為か、名前さんを娘が出来たって凄い喜んでた。まあ、確かに、名前さんは近々俺の家に来ることになるんだが、それにしても気が早過ぎだ。兄については、あの人は論外だ。名前さんを見て「可愛い人だな」って言ったのを俺は聞き逃さなかった。彼女の情報を聞き出そうとしたりもしたので、もう兄さんと名前さんを合わせないことを決めた。
…名前さんも名前さんで、兄さんと初めて会った時に顔を赤らめてたのが許し難い。まあ、そのことについて問い詰めたら「なんか、数年後のひよってあんな感じになるんだなぁって思ったら、素敵だなぁって」って真っ赤になって言うもんだから、大目には見たが。俺と兄さんは似てるし、な。だけど、やはり名前さんと兄さんは絶対顔を合わせないようにはする。兄さんの中に俺をみたとしても、名前さんが俺以外を見たって事情は許せないからな。



俺は、基本的には名前さんに、優しい、と思う。いや、優しくしたいという願望か。素直に言葉や態度で表せないことが多いが、名前さんには笑っていて欲しいって思うし、だから、出来る限りを彼女にしてあげたい、と思っている、が。
うずうずする。彼女が嫌がる姿に、どうしようもなく喜びを感じてしまう自分も、いなくもない。


「や、やだ、ひよ、本気」

「借りて来てるんだから本当に見るに決まってるでしょう」


そうやって怯える彼女は物凄く、可愛い。なんだ、普段から変に意地っ張りで、弱いとこをなかなか見せようとしない彼女が唯一あからさまに怖がるものだ。前に俺が雑誌かなんかに乗ってたマイナーだが怖いと評判のホラー映画。彼女に面白そうだと言ったら「そうだね、ひよが好きそうな面白そうな感じだね」と言ったので、一緒に見てみることにした。前までは、

「面白いものがあるんで、見てみますか?」

「面白いの?見たいな!」

って感じの会話で簡単に見させることが出来たんだが、流石の美咲さんも今回はすぐにホラー系だと察して抵抗してきた。学習してるな。そんな名前さんを宥めすかしながらDVDプレイヤーを再生させた。青白く光る画面。


「は、はじまっちゃうよ、ひよ!」

「まだ何も怖いとこなんかないでしょう」

「いや、でも、タイトルからして…」


握っていた手が、ぎゅうって怯えたように強く握り返された。今まで少し空いてた二人の間が、名前さんが俺の腕にすがるように距離を縮めた。ああ、くそ、可愛い、わざとじゃないだろうなこれ。いや、わざとじゃない、名前さんはこれが自然となんだから困るんだ。まだ全然なにも展開してない画面を、怖がりながらも目が離せないらしくじっと眺めてる。

いくらなんでも、名前さんが本気で嫌がったら俺も無理矢理にホラー映画なんて見せやしない。名前さんも実は、見たがってることはなんとなく分かってた。怖いものみたさってやつだ。 見たいけど自分から見る勇気はないし、一人では怖くて見られない。だから本気では嫌がらないし、最後までいつも見るし、見たあとはあそこが怖かったー、なんてちょっと半泣きの笑顔で語ったりもする。全く、面倒な人だ。なんだ、手のかかる子ほど可愛いとか、そんなことはわざわざ言いはしないが。


「ひよ、な、なんか出てきた」

「そうですね」

「や、やだ、ネチョッとしてるよ、やだ、う、う、うしろー」

「…名前さん、静かにみれないんですか」

「!、ご、ごめん」


正直、名前さんと一緒に見ると落ち着いて見れた試しがない。それは、名前さんがこうして展開にいちいち反応する姿とかコロコロ変わる表情が気になってしまって内容に集中できない…!喋らないように抑えた口から時々漏れる息の音とか、ひっていう声が気になって仕方ない…!


「ひよ…」


俺の腕をすっかり目隠し代わりにするように身を寄せる名前さんにドキドキして仕方ない。やばい、内容なんか見てる場合じゃないだろう、これ。彼女が触れてる半身にだけ血液が集中してる。ぎゅうって握られたシャツの二の腕部分が熱い。無自覚なんだよな、あー、本当に。無自覚って、無自覚なわけだからもし俺以外にも意識せずにやってたら、どうするんだよ。こんな怯えるようにして縋る彼女を、他の男の目になんか曝したくない。
握る手に自然と力が篭ったら、不思議そうに名前さんが俺を見上げた。ちくしょう、だから、俺がその顔に弱いって知ってんのか、全く。可愛い、涙が滲んだ目。唇、半開きですよ、気づいてますか?…キスしたいなぁ、してもいいかなぁ。今回は邪魔なんて入りっこないし。こうしてふたりきりになれなければ、俺達はお互いに触れ合うこともしなくて。名前さんの身体には、いつも触れたいって思ってる。別に不純だともなんとも思わない、だって、俺は名前さん以外の女には一切興味はないし、だからこの気持ちは、彼女だから沸き上がるものであって。むしろ、純粋な、一番純粋な思いだって、思う。彼女に触りたい、彼女を抱きしめたい、好きだ。
屈んで彼女の頬にキスをしようとした、丁度その時。

ドンッといえ大きな衝撃音が画面から響いた。もうずいぶんとみることを諦めてたテレビをみたら、盛り上がり時のような緊迫した雰囲気。名前さん曰くのドロッとしてネチョッとしたやつが主人公の後ろに現れたシーン。
…名前さんは、音に驚いて両手で顔を覆ってた。…タイミング、間違えたな。


「ひ、ひよ、まだドロッネチョッとしたやつ、いる」

「…いますよ」

「あー見たくない、で、でも気になる…」


指の隙間から、こっそりと画面の様子を伺う名前さん。なんだ、それ。結局はやはり怖いもの見たさだ。自分から彼女に見せたものだが、なんとなく。なんとく、ホラー映画に名前の視線を奪われているのに腹が立った。ちょっと昔まではそんなこと感じたことなんかないのに、末期だ。名前さんの視線を独り占めされるなんて、テレビ画面でも、許せない。


「…え、ひよ?」


名前さんが自分の顔を覆う手の上から、彼女を目隠しした。ひよ、見えないよ?って不安がる名前さんを引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。ソファに座る俺の足の間で、背後から名前さんを抱きしめた。ああ、くそ、心臓がばくばく、鳴ってる。いつまでたっても慣れやしない。おんなじ人間のはずで、そして彼女は年上のはずなのに、腕の中におさまってしまうほど、こんなにも彼女は小さい。きっと俺の名前さんへの思いを全てぶちまけたら、彼女の華奢な身体なんて簡単に壊れてしまうと思う。たまに怖くなる、一昨日よりも、昨日よりも、ずっとずっと名前さんが好きで、明日にはもっと名前さんを好きになってる。溺れてしまってる。彼女がいなくなってしまったら、俺はどうなるんだろう。これだけの思いを、どうすれば彼女に伝わってくれるだろう。抱きしめて、耳元で名前さんの名前を呼んだら、腕の中で彼女は小さく震えた。


「…ひよ、見ないの?」

「いいです、第一名前さんは嫌がってたでしょう」


俺のこの理不尽な言葉に、名前さんはクスクスと笑った。腕の中で、くるりと振り返って向かい合った。真っ赤な頬をして、ふわりと笑う。


「こんな俺は嫌いですか」

「…好き、どんな若も、好きよ」


俺の頭を抱え込む。何度かゆっくりと頭を撫でられた。腰を強く抱いて、なんでこんなにも細いのに、折れてしまわないんだろうって思う。片手でテレビのスイッチを切った。ドロッとしてネチョッとしたやつなんかこんなにも簡単にいなくなってしまう。彼女の身体を引き離して、膝の上に座らせて視線を揃える。はにかんだように笑う名前さんの唇に、ちいさく口づけた。ちゅっちゅっ、音をわざとたてて何度もキスをすると彼女は笑った。


「…なんです」

「ううん、ひよ、可愛いなぁと思って」

「それはこっちの台詞ですよ」

「好き、わか、」

「…俺も」


好きです。
たまに意地悪してしまうけど。それはあなたが悪いってことにしておいて下さい。
そのままぎゅうぎゅうに抱きしめて、ソファにふたりして倒れこんだ。


お家でドロドロ

20100319
また、長くなった…!なんだかんだで、女の子の方が日吉くんを優しく甘やかしてるといい。
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