名前さんの姿が見えないだけで、ひどく不安に思ってしまう自分がいることに、気がついた。


俺の後ろをペタペタと小さな手足を動かしてついてくる名前さんの眉が不安そうに寄せられているのだって気がついていたし、名前さんが図書館で時間を忘れてしまうことなんてしばしばあったから。我ながら大人げないって思うけれど、それはもう、自分の感情のコントロールの範囲外にあるものなんだから仕方のないことだった。

彼女は年上のはずなんだが、そんな風には一切思えない。
まあ、年上と言ってもたかが1年先に生まれただけという話だ。本来ならその1年分の経験の差なんかがあってもいいはずだとは思うが、彼女はそんなことを微塵も感じさせないくらい、なんというか…どうしようもないくらい目が離せない人だった。

別に天然だとか抜けているとか、そういうわけじゃない。まあ、おっちょこちょいでは、ある。
この前だって、先生に頼まれたとかなんとかで大量のノートの山を抱えて階段を降りていたときだ。
偶然それを見つけた俺は名前さんのことだから絶対なにかやらかすと思って、ノートを代わりに運んでやろうとした。でも彼女は変に意地っ張りなところがあるもんだから、それを頑なに拒んだんだ。ノートの所為で足元が見えない状態で、絶対に転ぶだろうって長年彼女といる俺にはそんな映像が簡単にうかんだ。


「平気だもん」

「いや、平気じゃないでしょう」

「ひよは心配しすぎだよ」

「転びますから」

「そんな私、転んでないでしょう普段」

「そんなこといって、アンタ絶対転びますから」


絶対に。そう断言されたことが不満だったらしく、名前さんはむぅと俺を睨みつけた。ちなみに彼女のほうが圧倒的に背が低いので、必然的に上目遣いの形になる。だから俺は睨むような名前さんの不満そうな顔が堪らなく好き…って、なにを言っているんだ俺は。

とにかく、荷物を持った名前さんなんて、お笑い芸人の前にバナナが置かれてるのが如く、転ぶに決まってる、そうに決まってる。

確信に満ちていた俺は、ちょっとヘソを曲げた彼女について階段を一緒に降りた。
俺に断言されたことがよっぽど悔しかったのか、名前さんは慎重に階段を下っていた。足元に注意を払って。別に俺がそばにいるときなら俺が仕方なく支えてやるから、いつだって転んだっていいのに。
俺は、人目があるところで彼女触れることには抵抗がある。だって、周りのやつらに見られるなんて嫌に決まってる。人前で平気でベタベタできる忍足さんの気がしれない。
でも、でも自分から人前でベタベタ触れるのはみっともないからあんまり好きじゃないが。名前さんから触ってくるなら、仕様がないし、別に、いいって思う。いや、むしろ触ってくれればいいとか、思う。…名前さんも人前では全然甘えてこないからそんなことにはならないけど。

だから、転びそうになった彼女を不可抗力で支える、っていうのなら、本当に仕方のないことだ、それなら人前でスキンシップをとれるんじゃないか、なんて。わざと見せ付ける気はないが、名前さんが俺のなんだって、他のヤツらに見せてやりたいって気も、なくはない。


そんな彼女には申し訳ないような思考が芽生える中で、彼女は足元に気を配るあまりに前方、およびノートの乗った手元への注意を怠った。すれ違った生徒に軽く接触しノートを全部ぶちまけた。見事に大量のノートは全て床の上だ、、
…まあ、彼女が怪我をしないことが1番だが。どこか期待を裏切られた気分だ。おっちょこちょいすぎる。


でも、ノートを必死に拾い集めて、手伝う俺に顔と耳を真っ赤にしながら謝る名前さんが見れたんで、結果オーライとした。その後ノートは結局俺と半分ずつ持って運んだ。(その後照れたようにはにかんでお礼を言う名前さんを見て、やっぱり転ばなくてよかったって思った)
でも、どうしてこうもおっちょこちょいなんだろうか。みてるこっちがハラハラする。いや、まあ、そんな名前さんが可愛いから別に…って、話が随分と逸れたな。



とにかく、本当に、年上だなんて思えない。頭はそれなりだから、1年間多く勉強している分、俺の手伝いをしてくれたりもするが、それがなかったら彼女を年上だと理解できる要素がない。なんで3年の教室にいるんだと引っ張ってやりたくなる。2年生って言ったって、別段問題はないだろう。…あわよくば同じクラスの隣の席でもいいと思う。まあ、それはそれとして、だ。


見た目だって、年上だっていうのがまるで表れてない。だって名前さんは俺よりもさっきも言ったように背が低いし。手首とか折れてしまいそうなくらい細い。スカートから伸びる足だって頼りないくらいにすらっとしてる。敵が現れたら絶対にそんな足じゃ闘えないだろう。
肌は白いし頬はうっすらとピンク色だし、恥ずかしがると耳まで一気に赤く染まるし。手は小さいし、目は世の中の悪いことなんか見たことがないんじゃないかって言うくらい透き通っているし、笑うときはへにゃりと蕩けそうに笑う。
…おまけに、泣き顔なんて…、泣き虫なわけじゃないけど、俺とその、そういうことをしているときだけ、彼女はよく泣いて…いや、この話は止めておこう。いろいろと問題が発生するから思い出すことはよくない。


彼女のその身体からは俺よりも弱くて柔らかくてそんなふわふわなもので溢れていて。そりゃもう年上だなんて思えやしない。



そうだ、名前さんなんて、どうにかしようと思えば簡単にどうにかできてしまうような存在だ。だから不安なんだ。



俺と名前さんの関係は、中等部から始まり、大抵のやつらが幼稚舎からのエスカレーター進学で構成されるこの氷帝学園では、俺達のことをしらないやつらなんてほぼいないと思う。高等部からの外部進学のやつらの中に、そのことを知らず知らず名前さんにふてぶてしくも声をかけるようなやつらがいれば、知らせてやった。

それでも心配で、彼女にはいつも図書室にいて貰った。正直、部活を毎日待っていてくれるのは嬉しい。
年上に決して思えないけれども名前さんは現実は年上だから、当然学年も違うので、学校内で会える時間は極端に少ない。そして今なんかは更に、跡部部長が率いる最後の、本当に最後の全国制覇に向けての部活の気迫はもの凄く。
俺も、俺は2年だから来年にもチャンスはあるわけだけれど、でもいけ好かないところも少々あったが、このメンバーで全国制覇したいと強く、思う。勿論来年も俺が部長で全国制覇するが。全国2連覇に向けて序章といったところか。
とにかく、今が1番、今までも全身全霊をかけてきたが、でもそれよりももっと、熱く、テニスがしたいと思う。まあ、誰にも言わないけどな。


そのためか、去年よりももっと名前さんと学校で時間を共にすることがなくなった。だから、有り難いんだ名前さんが部活を待っていてくれるのは。でも、部活中は他に目がまわらないので、名前さんがどうしているかわからないと不安になる。
潰しても潰しても、どういうわけか名前さんの名前をくちにする男がいるんだ。あんなに弱い名前さんなんだ。しかもその上おっちょこちょいだ。更に情に脆いし押しに弱い。
そんなことはないとは分かっているが、万が一億が一、どこかの野郎が俺に知られることもなく名前さんに近づいたとなったら!そんなことを思ってしまった日のテニスの調子の悪いことといったら、酷いもんだ。


だから、図書室にいてもらっていた。彼女は幸い、本を読むことが好きだし。氷帝は部活に熱心なため、放課後の図書室利用者は極端に少ない。そしてなによりも司書の先生がいる。図書室の怪奇本を制覇した俺は司書の先生とは顔馴染みであり、俺と名前さんのことも知っているので心強い理解者だ。
あそこにいれば名前さんは護られる。安心だ。俺はテニスに集中ができる。


だから、部活が終わって待ち合わせ場所に彼女がいないときの俺の心情の揺らぎは半端ない。いつもなら笑顔とともに、「ひよ、おつかれさま」と降り注ぐ柔らかい声がないと俺は非常に焦るんだ。
そういう時は必ず、時間を忘れて図書室にいると分かっていても、やっぱり、不安だ。




そんな俺の心中なんて、名前さんは一切知りはしない。何故だ。別に彼女は鈍感な人間じゃない。むしろ、人の心情の機微などは捉えられる人だ。だからこそ、俺の傍で彼女はあんなにも柔らかく笑っていられるのだ。(まあそれで、俺が照れたりしてるのを目敏く気づいてニヤニヤしながら絡んでくることもあるが)(それも別に…嫌いじゃないし)
なのに、こういうことに関してだけは、さっぱり。注意力に乏しいんだ警戒心が薄いんだ、無防備なんだ。

他の男がどんな目でアンタを見ているか考えろ。


「ねぇ、ひよ」

「なんですか」

「我が儘だった?」

「結構ね」

「迷惑ですか」

「結構」

「!」


彼女が教室で待つことを了承したけど、それでリスクはかなり大きくなる。校舎となれば活動する文化部もいる。人が多い。なにより、護ってくれる人がいない。なんでそんなとこにこんな、不安で頼りなくて先輩らしかぬ名前さんを一人にしなくちゃいけないんだ。不安すぎるだろう。

俺を見たい、って言う、名前さんの言葉はうれしかった。本当に。表さなかったが飛び上がりたかったくらいだ。うれしくでどうしようもなくて、公共の場だが思わず彼女に触れてしまった。我慢出来なかった。邪魔が入ったのには本気で苛立った。

一度は認めてしまったから却下なんてできないって分かってるし。不安は多いけれど、そのことについては怒ってない。ただ少し心配なだけだ。それで自分ではコントロールできないもやもやに支配されて、歩調はいつもより速まる。後ろにいる名前さんが困ったようにしてる。

ちくしよう、そんな顔しやがって、そういう顔に俺が弱いの知ってるんじゃないだろうな…!ああもう、抱きしめたい抱きしめたい抱きしめたい!学校だがみんな周りにいるが関係なしに抱きしめたい!…しないけど。

俺は今から部活なわけで、彼女をこれからひとりにするわけで、拭えない不安。彼女に疑いがあるわけじゃない。彼女があまりにも無防備だから男はなんだってできるって話だ。それならいっそのこと部活待って貰わなくていいんじゃないか?いやだがしかし、そうしたら名前さんと俺が一緒に帰れない。教室からでも俺を見たいっていう名前さんの意思も尊重したい。ああちくしょうどうすれば「ひよ」



後ろにいたはずの名前さんが急に腕を引っ張った。弱い名前さんに引っ張られたところで身体は傾きもしないけど歩みは自然に止まる。どうしたのかと振り返ったら、ぎゅうって腕に抱き着かれた、え、あ?


「ひよ、」


上目遣いで見つめられて名前を呼ばれたら身体の力がすっかり抜けて、弱いはずの名前さんの力でもう一度腕を引っ張っられたら身体が傾いた。びっくりする俺をよそに、傾いた俺に名前さんは目一杯背伸びをしてそこから。ちゅ。
唇…とは言い難い頬に限りなく近い唇の端っこに当たる柔らかい感覚。


嘘、だろ。周りに沢山人いる。あ、アイツは確か、名前さんを可愛いっていってたどっかのクラスのなんとかってやつ(ああ名前なんて出てくるか)。俺と名前さんをみて、唖然としてる。


「ひよ」

「、ええ、あぁ」

「部活、頑張ってね、応援してる」


ああもうだから、ちくしょう、そんな笑顔!反則だ、そんなん出されたらこっちにはなんの対抗手段ないって知ってるのか!くそ、可愛すぎる、なんでそんなはにかんで笑うんだ!ちくしょう…。


「…頑張りますよ、言われなくても」


そんなに嬉しそうに笑うな。他のやつに見られるだろうが。第一こんな人前で、全く。それでも、満更でもない自分がいて。ああ、まったく。


勝てやしない


俺のいないとこでそんな蕩けそうな表情で笑わないでくださいね。

20100308
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