日吉若とはすなわち、甘えたがりで心配性で私をドロドロに甘やかして溶かしてしまうどうしようもない男であった。

普通ドロドロというと愛憎劇とか昼ドラのような印象を受ける言葉だけれども、私たちの場合だとそれはあて嵌まらない。けれども、ドロドロという擬音で表される関係なのだ。私と日吉くんをみた人は皆納得して『あんたたちはドロドロだ』という。あの忍足くんですら「自分らホンマドロドロやなぁ少し人前では自重せなあかんで」と苦笑されつしまうくらい。心外だ。忍足くんには言われたくなかった。でも、それが事実なのでなんの反論もできなくて、日吉くんなんかはむしろ「これでも外では自重してるんです余計なお世話ですよ。家じゃこんなもんじゃないです」と自信満々に的外れな返答をした。確かに忍足くんは余計なお世話だし、むしろ忍足くんの彼女の溺愛っぷりのほうが自重したほうがいいものがあるのだけれども、家での私たちの話をする必要はないのに。日吉くんはそんなこと言うときは満足そうな表情をしている。つまりは、自他共に認めるドロドロ。

でも、日吉くんのドロドロっぷりっていうのは世間でいうバカップルのそれとは違う。そもそもドロドロって一体なんだっていう話だし。人前で過剰なスキンシップはないし、むしろ嫌がるくらいだし。それだと二人を表す効果音はベタベタだし。日吉くんは、なんというかただ過剰なほどの心配性というか、ヤキモチ焼きというか。そのくせしてツンツンで意地悪でなおかつ、優しい、という合わせ技を持ち合わせているために私たちはドロドロなんて言われてしまうのだ。


「ほら、名前さん。なに一人でぶつぶつ言ってるんですか」

「あ、ごめんね、ひよ」

「もう下校時間ですよ」


日吉くんのことを考えていたらもうこんなに時間が経っていたのか。日吉くんの部活が終わるのを待つために図書室にいたのだった。全然手元にあった本なんて読んでなかった。それは日吉くんにはバレバレみたいで溜息混じりに苦笑された。
行きますよ、そう言って日吉くんは先に図書室から出ていくのを私はあわてて追い掛けた。私が出たことによりやっと閉館できる司書の先生に見送られた。

前を歩く日吉くんは少し不機嫌みたいで、ブレザーを着た真っ直ぐな背中はいつもよりもツンツンしてる。だって歩みのペースがちょっと速い。

「ひよ、ひよしくん」

「…なんですか」

「怒ってる?」

「なんでですか」

「ちょっと?」

「誰かさんが待ち合わせの場所にいないからじゃないですかね」

「ご、ごめんね」


確かに私はいつも日吉くんの部活が終わるころに下駄箱の前で待ち合わせているのに今日はうっかり忘れてしまっていた。でも仕方がないんじゃないかって少し思う。だって、校舎の外れた(静かな環境を作るために校庭から離れた)場所にある図書室にいるんだもん。時間を忘れてしまうのだ。
本当は、私だって日吉くんのテニスをしている姿をみたいって思うし、できることならコートの近くのベンチで読書したい。最近は春めいたぽかぽか陽気だったし、桜の花は満開を少し過ぎてしまったけど、そのかわりに沢山の花びらを降らせていたし。そんな中、本を読みながら日吉くんを見てるのって凄い贅沢で幸せだと思うんだ。私は本当はそうしたい、のに。

日吉くんと私の間の約束事の中に、日吉くんの部活を待つ間は図書室で待ってること、なんてのがあるものだから。それを律儀に守る私にはテニスコートにひびく声とか、ボールの音とか、…日吉くんの姿とか、は、無縁なものになってしまっていた。もうかれこれ、4年目、になるのかしら。


「ねぇ、ひよしくん」

「なんですか」

「私、やっぱり外で待ってた「ダメですね」、…ケチ」

「俺の部活を待ちたいならそれが条件って言ったでしょう。もう何年前の決まり事ですか?」

「うう、でも」

「なにか?」

「冬とか、は、わかるよ。寒いし。でも、今みたいな気持ちのいい日には外で待ったって問題ないんじゃないかな」

「あります」

「なにが」

「なにって、アンタはいつも」


言って、日吉くんは淀んだ。こっちを振り返って溜息ついて、やっぱり不機嫌そうに眉間にシワが寄った。日吉くんは出会ったころよりもずいぶんと背が伸びたし、顔つきも身体つきも男の人になっていた。当たり前か。もう高校2年だもの。私だって気がついたら今年が高校最後の年だし。
跡部くん率いるテニス部も、悲願の全国制覇にむけて新たな、そして最後の一年を始めた時だ。跡部くんたちが挑戦できる最後の全国大会、丁度3年前の、中学のころのベストメンバーが集う時。力が入るのは当然。レギュラーに抜擢されている日吉くんもこのメンバーでの優勝を果たすべく最近の情熱の注ぎ方は全てを捧げるかのようだ。
ほんの一瞬の時間のあいだも日吉くんはどんどん大人になっていく。私は心臓がぎゅうっと縮こまる思いだ。日吉くん日吉くん。一心に日吉くんのことを見ていたらフッと困ったように笑った。日吉くんのことを私は困らせてばかりだけれど、でも、日吉くんのことを一瞬でも多く見ていたいと思うからなのよ。


「アンタはいつも危なっかしいから」

「ちゃんとしてる」

「本当は目の届かないとこに置きたくない」

「じゃあ」

「でも、人の多いとこに晒すのもいやだ」

「ひよ」

「わかってください」


日吉くんは周りをちらと一瞥して、人気がないことを確認すると、私との距離を縮めた。下校時間をすこし過ぎた下駄箱には誰もいなくて、日吉くんは私にむかって手を伸ばしてそのまま抱き締めた。
几帳面な日吉くんのパリッとしたワイシャツの洗剤の匂いと日吉くんの匂いのふたつが私を包む。日吉くんは周りに人目がないとなると、そのタイミングを逃さずにこうして私に触れてくる。やっぱり、昨日よりもずっとずっと日吉くんは大きく感じた。右手が私の頭を優しく撫でる。


「ひよ」

「…突然」

「うん?」

「突然ボールが飛んできたりしたらどうするんですか」

「え、いや、フェンスの外だし」

「コートを囲む女子の大群に呑まれるかも」

「だからすこし離れたベンチにいるって」

「…他の男に声かけられたらどうするんですか」


そんな人いないのに。私はどちらかというと日吉くんのほうがモテるから心配なのに。第一、私と日吉くんが付き合ってることなんて中等部のことから、知らない人なんていないんじゃないってくらい有名なのに。だから、今更声なんてかけられないし。そんなことはお構いなしに日吉くんの腕の力はぎゅっと強まった。


「ねぇ」

「…なんです」

「今年が、最後なの」

「…知ってます」

「大学でもテニスは出来るけど、こうして部活のみんなで大会に挑むのは、最後だよね」

「はい」

「…ひよの、頑張ってる姿、私見たいな」

「…分かってて言ってるんですか?」


だとしたら相当ずるい人だ。日吉くんはそう言った。だって、本当のことなんだもん。日吉くんと同じ高校生として、日吉くんのテニスしている姿を見れるのってもう今年が最後なんだ。日吉くんのことを、ちゃんと見ていたい。日吉くんの(過剰な)心配もわかるけど、今年くらいは許して欲しいんだ。


「お願い」

「…(上目遣いとか反則だ!)」

「ねえ、ひよ」

「…教室から、なら」

「教室から眺めるなら、いいの」

「はい」

「本当?」

「はい」

「ありがとうひよっ!」


今まで一方的に抱きしめられていただけの日吉くんに、私からも抱き着いた。背中に手をまわしてぎゅうって。
そうしたら日吉くんもさっき以上の力でぎゅうって抱きしめた。ぴったりくっついてる。
名前さん、日吉くんがぽつりと呼んで、私のうなじのあたりに手をまわして髪の毛をゆっくりと撫でた。これは日吉くんがキスしたいときの合図だ。それに応えてすこし身体を話して上を向いた。日吉くんは優しく笑ってた。


ちゅ、と触れるだけ。一回唇を離して、見つめ合って、そしてもう一度くちづけた。


唇が離れた後、閉じていた目を開けたら、日吉くんと視線が絡まる。ギラギラした情熱的な目。もっと深くキスしたい、なんて言ってるみたいで、私ももっととろけるキスがしたいなぁって思って。


「名前」


日吉くんが再び屈んで唇が合わさる、時。







「お熱いとこ悪いんやけど」


聞こえた関西弁。そちらを振り向くと忍足くんが立っていた。日吉くんがはっとすると慌てて私の身体を引き離した。


「お、忍足さん、なんで」

「いや、ここ俺の下駄箱の前やっちゅうねん」

「…(…名前さんと同じクラスだったな)」

「しばらく待ったろかと思ったんやけど、長なりそうやったからなぁ、」


堪忍な、と忍足くんは爽やかな笑顔。み、見られてたのか…!恥ずかしいっ!段々熱が顔に集中して、赤くなってることなんて鏡をみなくても分かった。日吉くんをちらりと見遣ると、日吉くんもバツの悪そうな顔。


「あ、ちなみに」

「…なんです」

「あっちにはレギュラーたちもおんねんで」


下駄箱外のガラス張りの扉の向こうには、本当だ、天下の氷帝テニス部レギュラー陣の皆様…(滝くんが爽やかな笑顔で手を振ってきている、嗚呼)。


「やっぱり自分らドロドロは自重せなあかんよ」


にっこり笑った忍足くんはひらひらと手を振り、「ほなな」と下駄箱から靴を取り出し去って行った。

残されたのは、日吉くんと私。


「ひ、ひよ」

「なんですか」

「(…ふ、不機嫌だ…!)」


醸し出すオーラは明らかに不機嫌だ。それはそうか。いい雰囲気を中断された挙げ句に、レギュラー陣の皆様に見られたのだから。きっと明日から、ネタにされるんだろうな。かく言う私も忍足くんに明日はずっとニヤニヤされるんだろうな。そう考えたら気分は少し重い。
でも、ふて腐れてる日吉くんはなんだか可愛くて、少し笑ったらますます不機嫌な目をされた。やばい、ますます可愛い。


「ひーよ」

「なゎですか」

「ひよしくん」

「なに」

「若」

「!」

「帰ろう」


日吉くんの手を握った。テニスプレイヤーのごつごつした、だけど綺麗な日吉くんの手。引っ張って歩きだすと、日吉くんは溜息をついて仕方ないなぁと漏らす。ぎゅっと握り返された手。


「アンタは危なっかしいんだから、」

「ふふ、なにが」

「そんな引っ張ったら転びますよ」

「転びません」

「そして鞄の中身をぶちまけるんだ」

「ぶちまけません、そんな漫画みたいなこと今までしたことないでしょ」

「しますよ、だから、ほら、鞄」


私の手の中の鞄は引ったくられて日吉くんの手のなか。返してと言う前に、つべこべ言わないで早く帰りましょう、と今度は引っ張られた。そしたら本当に転びそうになって笑われた。



お外でドロドロ


通りかかったテニスコート付近でまだぐだぐだたむろっているテニス部レギュラー達がいて、私達を見て苦笑する。「自分らほんまにドロドロやんなぁ」


日吉くんは過剰な心配性でそしてツンツンでデレデレでとても優しい素敵な男の子だ。これは私と日吉くんの今と過去と未来のお話。

20100304
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