目の前で起きていることが、まるで液晶画面を通しているようだった。忍足くんの後ろでみっともなく床に座りこんでしまっている私の前で、日吉くんが苦しそうにしてる。私は何か言いたいのに、言うことができない。喉が弛緩してしまったみたいだ。いや、きっと、声がちゃんと出ても、なんて言ったらいいのか、全くわからないのだけれど。言語処理能力が著しく低下してしまったのか、日吉くんと忍足くんの会話は、イマイチ頭に入ってこなかった。それでも、日吉くんのあの言葉だけは、嫌でも私の中に響いた。


「じゃあ、アンタらが付き合えばいいだろ!」


日吉くんに、見放された?日吉くんは、私と一緒にいたくないの?私が、テニスを、邪魔するから。さっきの、女の子の言葉が蘇る。私のせいで、日吉くんのテニスの調子は悪くなる。私は、日吉くんに対してなにもしてあげられない。そうだ、私は昔から、日吉くんの傍にいてあげることしか、出来ない。だから、日吉くんは愛想を尽かしちゃったの?


日吉くんが、教室から走り去ってしまった。追いかけようと思ったけれど、足に力が入らなくて、立てなかった。日吉くんは人一倍自分に厳しい人だから、今絶対に自分を責めて、苦しんでる。人に吐き出せる人じゃないから、抱えこんで自分を責めてしまう。私が、止めなくちゃ。日吉くんの傍にいて(傍にいることしか、出来ないけど)、日吉くんは悪くないよって、私が言ってあげなくちゃ、日吉くんは自分を許せずに傷ついてしまう。追いかけなくちゃ。なのに、足が動かない。
もし、追いかけて、日吉くんに拒絶されてしまうかもしれないとしたら、私は動けなかった。いつも、無言で傍においてくれた日吉くんに、「アンタなんか、必要ない」と言われてしまうと思ったら、私は深い根に絡め取られたかのように、動けないのだ。日吉くんに掴まれた、左腕は赤く痣になってジンジンと、熱く痛む。


「…大丈夫か、苗字」


見上げたら、忍足くんが私を見ていた。言葉が、出てこない。レンズ越しの忍足くんの目は感情を悟らせない。


「…そういうこと、なんやけど」

「…」

「苗字は、どう、なん?」

「…どうって」

「俺を選んで、くれへん」



忍足くんは、私を好きだと言った。信じられなかった。だって、彼はそんな素振りは一度たりとも、見せたことがない。


「日吉と、このままおって、苗字は幸せなん」

「…」

「苗字は、日吉には何も言えへんやん。悲しいことも、辛いんのも。素のままでも、いられへんのやろ」

「…うん」

「俺とやったら、大人である必要なんか、ない。全部、受け止めたる」



忍足くんは夕日を背中に浴びていて、表情は伺えない。
忍足くんとは、妙な縁で何回も同じクラスになったし、日吉くんとの仲を取り持ってくれたのもあるし、波長が合うのか、話し易くて。同い年に思えないほど、落ち着いていて、私の相談事にも的確なアドバイスをくれて、信頼している。
とてもいい、友人だと、思っている。きっと、忍足くんと付き合う女の子は幸せなんだろうな、と思っている。だけれども、私がそうなるとは、想像も出来なかった。それは、忍足くんどうのという話ではない。他の誰とも、想像が出来ないんだ。日吉くん、以外は。そう、私は日吉くんが好きなの。嫌われるのが怖くて、なにも言えなくなってしまうほど。確かに、日吉くんには、ちゃんと、本当の私を見せられてないかもしれない、けど。


「…ごめんね、忍足くん」

「何が」

「私は、それでも、日吉くんがいい。ひよじゃなきゃ、ダメなの…」


日吉くんじゃなきゃ、ダメなんだ。きっと、こんな風に思うのも、よく見られたいって思うのも、日吉くんだからこそ。日吉くんにだから、私は。
忍足くんは私の拙い話を聞くと、ニヤリと口許を歪ませた。え、なに。私は真剣に話しているのに…!


「な、なによ忍足くん…!」

「いや、ちゃんと、言えるやん」

「なにが!」

「今の言葉、ちゃんと日吉に言ってやり」

「…!」


待って、冷静に考えよう。私の前でニヤニヤしているこの男の台詞を。日吉くんに言ってやれ、とは。つまり、私の日吉くんじゃなきゃだめ、ということを、言えってことだろう。それをしろという忍足くんは、私の気持ちを聞いてなんだか満足そうな表情。もしかして、はめられた?


「忍足くん、あなた…」

「おん?俺が苗字の好きっちゅうのは勿論嘘やで。当たり前やん」

「…やっぱり!」

「やって、もし仮に俺が苗字のこと好きやったら、日吉とくっつけるなんてそんな殊勝なことせんわ。好きな人が幸せやったらいいとかそんな綺麗言わんもん」

「確かに…!」

「第一俺、自分らが付きおうてる間も彼女いたし」

「…確かに…!!」


まんまと、はめられた!この氷帝テニス部のくせ者に。きっと、私を素直にさせるために。
なんだかひっかき回された感も否めないが。目の前のこの男に文句でも言ってやろうと思ったが、急に彼は真剣な顔つきになったので、私は思わず言葉を呑んだ。


「ちゃんと、日吉に言って、はよ仲直りしとき」

「…で、でも」

「大丈夫、さっき俺にはいうたやん」

「…重いよ。日吉くんの前では、大人で、いなきゃ」

「はあ?なに阿呆なこと言うとんのや。たかだかひとつしか違わんくせに」

「だって、日吉くんの支えにならなきゃ、彼女じゃないでしょ」


私の言葉に、忍足くんはオーバーアクションなため息をついて首を横に振った。な、なんなんだ、一体。


「苗字、あんなぁ、日吉は自分のこと年上なんて思ってへんで」

「う、うそ!」

「それに、苗字を受け止められんほど、ちっさい男やあらへん」

せやろ?そう言った忍足くんの笑顔があまりにも優しいから、胸に熱いものがぐっと込み上げた。そうだ、日吉くんはいつだって、私のことを心配して、ちゃんと考えていてくれていた。日吉くんは、昔よりも大きくなった。勿論、身体だけじゃない。私は、もっと、素直になって、いいの?


「ほら、なにボサッとしとんねん」

「…忍足くん」

「立てる、やろ?」

「…立てる」


私は、立てる。立ち上がって私は日吉くんを思い浮かべた。私の大好きな、男の子。私は、今こんなとこで座ってる場合じゃない。忍足くんは、満足そうに目を細めた。


「行けるな?」

「行ける、」

「場所もわかるん?」

「分かる、大丈夫」

「ほなら、行ってき」

「…うん、ありがとう、忍足くん」



忍足くんに背中を押され、私は教室を後にした。私は、日吉くんに言わなくちゃいけない。全部、全部。


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