※大学生設定
朝の空気は好きだ。幸せだ。一晩中、体温であったまったベッドはまるで天国で、起きようとする私を繋ぎとめて離さない。ベッド愛してる。大きく息を吸い込む。
太陽の匂いと、あと、私の匂いと蓮二の匂いが混ざった匂いがした。最初はまっさらだったシーツもふたりで一緒に過ごした日々が重なって、ふたりの色に染まってく。枕からは一緒のシャンプーの匂い。うっすらとまぶたを開けると、隣にいたはずの蓮二はすでにいない。まあ、もう朝から昼に移りかわりゆく時間だから、きっちりしている蓮二は起きているのが当たり前なんだけど。
分かっていても少し寂しいなぁ、なんて。もうちょっと、起きたら蓮二の顔のアップがあって、ぎゅうぎゅうに抱きしめられてて、「寝顔が可愛いから目が離せなかったよ」、なんて言われてね。朝からドキドキ、キャ、みたいな展開があってもいいものだが。それは起きたことは一度もなかった。蓮二と一緒に住み始めてもう3ヶ月が経過しようとしているのにだ。蓮二も朝ゆっくりすればいいのに、休みの日くらい。いや、私がはやく起きればいい話なのだけれどね。
私と蓮二がこの部屋で過ごした日々と同じ数だけの夜を共にしたこのベッドの誘惑は強いのだ。私はテコでも地震でもこのベッドからは出ない、そんな気持ちでいつも眠るのだ。またうとうとと瞼が落ちそうになってきた。
そんな私を現実に引き戻すのは、かすかに感じる香ばしい匂い。ぐぅ、とお腹が小さな訴えをよこした。目をぼんやりと開けて天井を眺めた。今日のご飯はなんだろうか。お腹はすいたけど、ベッドにはいたい、うう、ジレンマだ。
「なんだ、起きているのか。珍しいな」
柔らかい声が聞こえた。ああ、テコでも地震でも、おまけに真田の一喝でも起きない私だが、唯一ベッドとの甘い関係を引き離すことができるものはこの世でただひとつ。
「ほら、もう朝食の準備できたぞ」
私の恋人、柳蓮二だけだ。ベッドよりも、ずっとずっと、愛しい存在。
「ふふー、蓮二、おはよ」
「ああ、おはよう」
ベッドよりもとびきり甘い、笑顔。「はやく起きろ、冷めてしまうぞ」朝の空気は蓮二によく似合う。私なんか朝は顔がむくれたり瞼が腫れたり寝起きは悪かったりと、色々と申し訳ないことが多い人間なのだが、蓮二は朝からずっと綺麗だ。サラサラの髪だって、しなやかな指先だって変わらずに。
「れんじー、起きれない」
「またか」
「起こして?」
ベッドサイドに佇む蓮二に向かっていっぱいに手を伸ばす。彼はやれやれ、と言ったように溜息をひとつ。これはいつものご挨拶のようなもので、蓮二は私のこのお願いを聞いてくれたことはないのだけれど、まあ日課というやつなので言うだけ言ってみ「全くお前は本当に仕方のないやつだな」…って、あれ?私の目の前まできて、私の伸ばした腕の下、脇に手を回して抱き上げる体勢に。
「え、いいの」
「言い出したのはお前だろう」
ほら、はやくしろ、なんて。今まで一回だってしてくれなかったのになんで急に。実際してくれるとなるとなんだか恥ずかしいではないか。
だってさっきも言ったが、私は寝起きの酷い顔だし。おまけに蓮二はすでにシャツとズボンというきちんとした服装にも関わらず、私は裸に大きなTシャツ一枚という格好。パンツすらはいていない。このTシャツだって蓮二のものだし、しかも着た覚えがないから、蓮二が昨晩終わった後に着せてくれたんだろうなぁって考えたら、私本当にダメ人間すぎないか…!
「お前は、自分から望んだくせに、与えられるといつもそうだな」
半ば強引に、蓮二の腕に抱き上げられた。驚いた私は、反射的に蓮二の首にしがみつき落ちないようにぎゅうっと力を込めた。ふふ、耳元で蓮二の笑い声が聞こえたら、膝裏と背中をしっかり支えてそのままリビングへと連れていかれた。
「…なんで、私を甘やかさない方針じゃなかったの」
「ああ、本来ならな」
「今日は特例?」
「流石に昨晩はお前に無理をさせ過ぎた。どうせ一人じゃ起き上がれなかっただろう」
なにもかもバレバレでしたか。確かに、腰はすごく痛いし、全体的に倦怠感がある。だが、そんなことをわざわざ言われると、夜のその時のことを必然的に思い出してしまうので、どうも顔に熱が集中してしまう。「どうした、耳まで赤いぞ」なんて笑う蓮二は、全てが確信犯だ。
「ねえ、蓮二」
「なんだ」
「あの、パンツを、穿きたいです」
「穿かせて欲しいのか、」
「いや!自分で穿きます!穿けます!」
「遠慮することないだろう」
「パンツ片手にそんな真剣な表情を!」
なんとかパンツだけを穿かせてもらって、やっと朝食の席へ。ご飯は当番制なんだが、朝は私が弱いってこともあって、およそ蓮二が作ってくれた。いつもきちんとしたご飯だけど、今日は休日なので、おみそ汁までついてる。最高だ、幸せだ。
「うまいか」
「うん、やっぱり日本人にはおみそ汁だね」
「そうか、よかった」
とろけそうな笑顔。テーブル越しに向かいあってとる朝食は毎日の日課だ。なんだか、蓮二にすごい甘やかされてるなぁって。彼は私を甘やかさないとは言っているが、絶対に甘やかされていると思う。そもそも、蓮二の甘やかさないっていうのは、決められた当番をしっかり守らせる、とか。大学の講義には遅刻させない、とか。そういったものばかりで、内面とか精神的なものには、すごく甘いって、思う。はたして蓮二に自覚があるのかどうかは不明だが。
ご飯を食べ終えて、食器の片付けは私の仕事。カチャカチャ食器の音を聞きながら鼻歌を歌った。今日は蓮二となにをしようか。先週の休みは一緒に買い物に出掛けた。その前は美術館だった。今日は桜も見頃だろうから、一緒にお散歩でもいいかもしれない。マンションの窓の外には綺麗な桜並木が見える。その下を蓮二と手を繋いで歩くなんて、ロマンチックじゃないか。考えただけで口許が緩む。
「随分と楽しそうだな」
「ん、そう?」
いつの間にか背後にいた蓮二が、お腹の前で手をぎゅっと交差させる形で抱きしめた。肩口に顎を乗せて、話す度に小さな振動が背中に伝わる。
「今日はね、なにしようかなぁって考えて」
「そうだな、なにがしたい」
「桜が綺麗だから、お散歩したいね」
「ああ、それはいいな、だが」
「んー」
「お前その腰で外を歩けるのか」
「う!」
「無理だな、今日は大人しくしてろ」
「でも、お花見…!」
「ここからでも十分に見えるさ」
Tシャツ一枚だった私のお腹をするりと撫でる大きな手。う、くすぐったい。その手を制したいのだけれども、如何せん自分の手が泡だらけなのでそれも憚る。
蓮二との付き合いも長いので、彼のようにデータとか計算に基づいたものではないけど、空気でなんとなくは彼のしたいことはわかるつもりだ。さらに彼は、私を甘やかして、操縦するのが上手くて。私にコントローラーがあるとしたらそれは蓮二にがっしり握られてるんだろう。耳の後ろをペロリと舐められて、肌がぞわっと粟だった。
「う、れ、れんじ?」
「きっと、ベッドから一番綺麗に見えるだろう、桜」
「…腰」
「ふ、適度な運動が一番だ」
「適度で済むのかな」
「そうなるといいな」
水を流したらシンクの泡が溶けて消えた。私は今どんな顔をしているだろうか、きちんと原形をとどめているかな。彼の腕の中だと溶けて蕩けてしまいそうになるので自分の身体が消えてしまっているんじゃないかって少し心配してしまう。でも、蓮二の腕の感覚がして、彼の掌がきちんと私に触れるので私はまだちゃんっ彼の腕の中にいるんだろうな。存在すら、蓮二にかかればあやふやなものになってしまうし、それを確認する術だって全部蓮二なんだ。
「…もう、敵わないなぁ」
「どうした」
「なんか、私、蓮二に甘やかされてる」
「ふふ」
「きっと、蓮二がいないと、なんにもできなくなっちゃうよ」
腕の中で振り返って見つめ合う。蓮二はふっと笑った。
「そうなったのなら、計算通りだ」
そう、全ては彼の手の内に。
桜色ワールドアパート
私のコントローラーのスイッチは入れられて、蓮二しか見えなくなれば腰の痛みだって忘れてそして、甘い甘いキスを享受する。
20100401
参謀と同棲うはうは!
だがしかし、蓮二と名前で呼ばせるのに凄い恥ずかしさを覚えた私はなに。ややや柳さーん!