私は幸村くんが凄く苦手だ。それを友達に言うと信じられない頭おかしい女の子じゃない!ってそれはそれは酷い言葉でおとしめられるのだけれども。でも、苦手なんだから仕様がないのだ。
それでも彼は神の子だとか呼ばれて、全国制覇を何度も成し遂げているテニス部の部長で、勉強は恐ろしくできたし、顔だって作りもの見たいに綺麗だし、美術が得意とか芸術的センスにも恵まれて、なおかつ男らしい性格とはっきりした物言いで、まさに完璧な男の人で。神の子だから神さまでも自分の子にはえこ贔屓して、幸村くんにはニ物といわず沢山の才能を詰め込んだんだと思う。
さらにすごいところは、彼はその与えられた才能を無駄にはしないってところ。世の中恵まれながらも、いや、恵まれているからこその親や教師からのスポイルにより、開花せず終わる人って沢山いる。彼はそんなことはない。自分に見合った努力、それ以上の努力で彼は自分を作り上げた。だからこそ彼はあの柔らな物事と温和な態度の中に赤い花のような情熱と静かに研ぎ澄まされたカリスマ性を兼ね備えているのだ。
真田とか(真田とは中等部からやたらと縁がある)(やつは面白い)他のテニス部の人たちが彼を慕うのもわかるし、女の子たちが思いを寄せるのもわかる。
だから、私が彼を苦手だろうがなんだろうが、彼には些細なことだし関係なくて。それこそこの立海大付属高校で神の子として存在している彼は私には本当の神さまのように遠い存在で。きっと一生関わらないでいくんだろうと思ってた。
「やあ、苗字さん」
そう、関わらないと思っていたのに!彼はやってくるのだ、私の目の前に。そして私の日常を、ことごとく潰しにかかってくるのだ、眩しい笑顔で。
「…なんですか、幸村くん」
放課後の誰もいなくなった教室、窓際の自分の席。そこで読書に勤しむという私の日課を立海の女子のみんなが口を揃えて言う、天使のような笑みを讃えてやってくる。おい、部活はどうした。お前は部長だろうが。そんな私の言葉はもう口を出ることはない。随分と前にそう言ったら、ひどい目にあわされたので、私だって学習済みだ。
「やだなぁ、なんでそんな口調、他人行儀じゃない」
「だって他人ですもの」
「ふふ、今日は何を読んでるの」
「ちょっと、聞いてますか」
「太宰治かぁ、ちょっとベターだね」
「勝手にとらないで!」
私の手の内の本を奪うと、ペラペラとめくってはまた楽しそうな笑顔。立海の海沿いの潮風、そして教室に差し込む夕日。普段みなれた教室が真っ赤に染まる不思議な空間で、遠くに吹奏楽部や野球部などの活動する声、音を聞きながらする読書が、私な楽しみなのに。それをぶち壊しにするのが楽しくて仕方がないという様子。本当にいい性格をしている。確かに神さまは彼に沢山のものを与えたというのに、肝心の部分というか部品を与え忘れた気がする。きっとそうだ。返品処理をしたい。これはクレーム対象だ。
「君は本当に読書熱心だね」
「好きですから」
「本当に?」
「なんで嘘をつく必要があるんですか」
「君が本当に好きなのは、」
夕日に染まってオレンジ色になる立海テニス部のジャージがぐっと近づく。いつもは綺麗な群青色をした髪の毛だって(今一瞬神の毛って言おうとしてしまった)(どんだけー)黒色に陰る。夕日のせいで普段学校でみるよりもずっと陰影の濃い、ますます神懸かった美しさを放つ顔が、席座る私と同じ視線にまで下がった。髪と同じ群青色の綺麗な目が私をじっと見据える。ち、ちかいんですけど!
「ここ、」
幸村くんは私の顔から視線を逸らして、窓のそとに移した。
「ここ、少し遠いけど、よく見えるんだよね、穴場なんだ」
「な、なにが、ですか」
「テニスコート」
にっこり、笑って私を捉えた。手の平に汗が滲む。ほら、彼はいつもこうやってなにもかも見透かしたような表情をする、それが、心底苦手で、嫌いだ。
「ねぇ、苗字さん」
「…」
「ふふ、俺、随分我慢したよね」
「なにが」
「今日さ、俺の誕生日なんだけど」
「だから、」
「いい加減、くれないかな」
変わらない笑顔なんだけど、空気が変わって、私は本能的に危険を感じた。捕食者の目。がたんと大きな音を立てて椅子から立ち上がった。逃げようとしたんだけど、幸村くんはそんな私よりもずっと早く私の手首を掴んだ。に、にげられない。腕、痛い。こんなに見た目は華奢なのに、なんだこの力は。
「ちょ、いた」
「君はなんだって方法はあったはずだよね」
「な、なにが」
「俺が嫌なら、そもそも放課後残らなきゃいいんだ」
「…や、」
「どうしてきみはこうして馬鹿みたいに毎日教室にいるの」
凄く綺麗な、私の苦手な顔が目の前に迫って、思わず逸らしても現状は変わらない。目の前には幸村くん。そして後ろは教室のロッカー。幸村くんの言ってることの大半が理解できない。
どうして私は教室にいるんだろう。それは本を読むのが好きだからで。教室にいるのは教室が好きだからだ。放課後の教室、いつもと違う空気、風景。でも、別にそれは教室にこだわることでもなくて。じゃあなんで私は教室にいるをだろう。だめだ、目の前がぐるぐるしてきた。幸村くんがこんなにも近くにいるからだ。
テニスコートがよく見える場所?窓の外のテニスコート、ボールの音、私はいつも、本から目を離してはそれを眺めていた?立海レギュラーのジャージの色、深い群青色。どうして私は毎日教室にいるの、それは、ここにいれば、毎日誰かがくるから。まさか、そんな。
「きみは本が好きなんじゃないよ」
「きみが好きなのは、俺でしょ?」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だ。いや、鈍器なんて生易しいものじゃなくて、1tハンマーだ。それで頭を横から一気にガツンって、殴られたみたいに。私は動けなくなった。
確信に満ちた表情、聞いてるくせに、聞いてない。向こう側の空の太陽は海に吸い込まれて消えそうになっている。両手首はきつく掴まれたままで、幸村くんの顔はずっと笑顔で。
「ね、さっきも言ったけどさ、俺、誕生日なんだよね」
「え、」
「随分と我慢したんだ」
いい加減きみをくれないか。手首はいつの間にか解放されていたけど、私は以前動けなくて幸村くんの右の手が私の頬をなぞって、指先が唇を撫でた、のに。抵抗できない。見た目はしなやかで綺麗な手は思ったよりもゴツゴツしてて、指先はかたかった。幸村くんの顔が近づいてきて、深い海のような目が優しく細められて。私は思わずぎゅうっと目をつむって、するとちゅって小さな音と同時に、唇には柔らかい感触が一瞬。
え、な、なに。なにが起きたの。
「ふふ、そんなにかたくならないでよ」
柔らかな声が降ってきた。ずっと目を閉じて、身体が強張ったままだった私の頭を、優しくなでた。誰が?それは、幸村くんしかいなくて。恐る恐る目を開けたら、そこにはやっぱり幸村くんが変わらずに綺麗に笑っていた。
でも、さっきまでとは違う。さっきみたいな怖い感じはない。心臓が、ぎゅっとする。勝手にドキドキと暴れまわって、苦しくなる。どうして、なんで。
そもそも、私はどうして幸村くんを苦手だと感じたんだろう。みんなが言う通り、幸村くんはすごいし、尊敬できると思う。それは本当だ。あんなに努力できる人なんていないし。なのに、幸村くんと初めてちゃんと、こうして放課後の教室で話す前から私はずっと幸村くんが苦手だった。
どうしてだろう。それは、やっぱり幸村くんが遠い存在だからだろうか。本来なら、私なんか話せないような存在だから?それって、一体どういうことなの?
「だから、誕生日なんだってば、俺」
「…うん」
「なんか、言うことないの?」
クスクス、楽しそうに笑う。誕生日、今日、誕生日なことくらい、知ってた。だって、朝からあんなにも女の子が騒いでいたんだから。その言葉をきくたびになんだか悲しくなって、そして今日も、私は放課後、彼を待ってたんだ。どうして?
私はもう、すべての答えを知っている。だからこそ、こんなにも心臓がざわめいて、身体中が熱くなるんだ。
「ゆ、ゆきむら、くん」
「ん、なんだい?」
「…おめ、でとう」
「聞こえないなぁ、」
「いじわる」
「なんとでもいいなよ」
「誕生日、おめでとう」
うれしそうに幸村くんは笑った。さっきまでの綺麗な笑顔じゃなくて、神さまのような笑顔じゃなくて人間らしいくしゅっとした笑顔。少しほっぺたが、赤くなってて。ああ、なんだこれ、ドキドキする。幸村くんが近く感じる、物理的な距離ではなくて。視界がなんだかポーッとして、無意識に幸村くんをじっと眺めていた。もう、苦手だなんて、思いもしなかった。
「そんな顔、しないでよ」
私の身体に触れてた手の感触は、もうない。幸村くんはすっと離れて、もう何事もなかったみたくいつも通り、私をからかったあとみたいに教室の扉へと向かっていく。え、なに。なんなの。
「今日は、それだけ聞ければ満足なんだ」
「ゆ、ゆきむら、くん」
「苗字さん」
「う、ん」
「明日もここ、いるよね?」
私の返事を聞かないで、聞かなくてもわかっているという風に、幸村くんは手を振り、またね。と言って去って行った。
心臓は変わらずドキドキする。苦しい、死んでしまいそうだ。結局、私は幸村くんに掻き乱されて、やっぱり、苦手、なのかもしれない。でも。
でも、幸村くんがくれることドキドキは、嫌いじゃないし、心地好いだなんて。だから私は明日もこうして、幸村くんを待っているんだ。
境目の今日
私は再び席に座って本を開く。そしてコートを眺めて群青色無意識に見つめいる自分に、私は気がついてしまった。
20100306
幸村様おめでとう!