ざぶん。


水の音はさっきから止まない。目は赤く腫れ上がって不細工だ。涙の塩気はひりひりして、余計にまた腫れ上がるだろう。漫画やドラマの女の子のように綺麗に泣けない私は鼻水が止まらないで、鼻すら真っ赤でなんて間抜けな顔なんだ。

ミストグリーンのタイルに跳ねかえった水が雨みたいだった。今日は満天の星空なのに。小さな浴槽の海の中に潜ってみても世界はなにも変わらなかった。ちっぽけな胸も日に焼けてないお腹も、水浸しになった視界もなにもかも。裸で一人でこうしていることも。そして私は、やっぱり、上手に泣けやしなかった。



「お前は、本当に馬鹿だな」



現れた跡部は、女の子のお風呂ばにずけずけと入ってきたくせに、全く悪びれる様子がなかった。そもそも、家に勝手に入ってる時点で不法侵入だ。
跡部のジーンズの裾はみるみる内に濡れて濃い色に変わった。私の濡れた視界は世界を大きく歪ませる。上手く泣けやしないくせに、また涙が溢れた。ばかじゃないもん。その言葉は喉が詰まって、おまけに浴室に響いてなにがなんだか分からない震えた声にしかならなかった。

浴槽のそとの世界から身を乗りだして、跡部は私の前髪を目からよけた。大きな骨ばった両の手は私の頬を押さえ込んだ。



「なにこんなとこで一人で泣いてんだよ」

「う、うる、さいっ」

「あーあ、みっともねえ顔だな」

「もとからっ、ですよ、どうせ、ブスだもん、」

「なんだ、ここでなくのが趣味なのか、お前は?」

「なくなった水分を、肌から、吸収できるから、効率がいいんだよっ、うう」

「泣くのに効率なんか考えんじゃねぇよ、ばか」



お前、本当にばかだよ。言いながら跡部は、私のことを浴槽越しに抱き締めた。大きく水が揺れて溢れた。跡部の顔は私の肩に埋まって見えなかったけど、彼の声も震えてて、もしかしたら泣きそうなんじゃないかって考えた。



「一人で、泣くのばっか慣れて、どうすんだよお前」

「あとべ、」

「いい加減、忘れて、自由になれ」

「あ、あとべ、いたい、」

「お前みたいな、泣き虫なブスでもいいってやつだって、案外傍にいるかも、しんねーって、」



跡部の手は臆病に私の背中に触った。まるで私が溶け出して水の中に消えてしまうんじゃないかってくらいに。私の耳は、いつも水の中にいるみたいにぼんやりと靄がか
かってうまく聞こえないくせに、跡部の言葉だけは上手くききとれた。
私は、溺れていた。

水の音が止まなくて、煩くて、跡部の背中に手を回したら、彼はびくりと背中を震わせた。大きな背中が私の手で濡れた。紺色の彼のシャツは私に触れた部分から深く色付いた。
私は泣いてるんだか泣いてないんだか分からない。だってふたりしてびしょびしょに濡れてしまっていたから。



ざぶん。
私は沈んで溺れていた。ざぶん。息の仕方を教えて欲しいの。




拐う夜

(そして、ちっぽけな胸の下の肺は、呼吸をはじめる)
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