じぃんじぃん、蝉の唸るような囂しい声が鳴りやまずに響く。頬を伝う汗を拭いながら思わず舌打ちをしたら心なしか更に鳴き声が大きくなった。太陽の日差しは容赦というものを知らずに降り注ぐ。全く、なんて拷問なんだ。別に夏は嫌いというわけではない、だがしかし、ものには限度というものがあるはずなんだ。これは、限界を超えている。
つい一時間ほど前まで真白くふわふわだったタオルは水分を含んでみっともなくよれていた。その時には、タオルからはフローラルの柔軟剤の香りが彼女の包みこむような甘い匂いを思い出させるようにあったのに。もはやそれは微塵の欠片も断片もなかった。
忌ま忌ましい。苛々とした気持ちを助長させる蝉の音も、肌を焦がす太陽も、彼女と会うきっかけを奪ってしまう夏休みも、なにもかも。


彼女とは別に、同じクラスでもなければ同じ委員会などでもなく、ましてや学年だってひとつ違った。氷帝学園中等部、彼女は3年で俺は2年だ。たかだか1つ差だなんてとは思う。社会人になったら年代での違いはあるこそ、3つくらいの年の差でも同年代として扱われるものだ。
だがたかだか14年しか生きていない学生と区分される俺たちにとってはその1年が大きな差として扱われる。まあ、そりゃそうだ。14分の1か、30分の1かの違いだ。俺にとっては、その1年の差が、果てしなく重い。たかだか1年の差だけで、俺と彼女はこんなにもすれ違ってしまうのだから。



「若、どうした、顔色悪いぞ」


同じく、タオルで顔を拭いながらやってきたのは宍戸先輩だった。水でも浴びて来たのだろうか、髪や顔はびしょびしょに濡れていた。そんな水分だって太陽は無遠慮に照らしつけた。反射してキラキラと光っていた。
確かに、先程から熱さにか、くらくらするような感覚を覚えていた。普段はこんな程度にへばったなんて言わないが、最近はなんだか眠れない夜が増えたので、それが堪えている。…毎晩毎晩、彼女を思い出してしまうと眠れないんだ。
それなら、いっそのこと夢に出てきてくれればいいものを、そこのところは気まぐれで一回だって現れてはくれない。気まぐれな彼女らしいといえばらしいが、夢でまで、なんて酷い話だ。



「大丈夫か」

「大丈夫です。今休憩中なんで、少し木陰で休めば」

「そか、無理するなよ」



ぽん、と肩に宍戸先輩の手が触れて、彼がそのままコートへ行くのを見送った。
ドリンクボトルを持って、校舎の影まで涼みに行くが、太陽が真上にあるこの時間、ろくな避暑地なんてありゃしなかった。情けない話だ。彼女のことで頭がいっぱいなんだ。もどかしかった。
言葉を交わしたりすれば、俺も彼女に憎まれ口を聞いてふざけ合ったりもする。直接的なつながりがない、なんの関わりもない彼女と話せるようになったこと自体、幸せなことだとは分かっている。初めはただずっと眺めているだけだったのだから、それと比べれば。

だが、人間は貪欲なもので、段々と、確実に足りなくなってくる。もっと話したい、話すだけじゃ足りない、触りたい。会いたい。声が聞きたい。
驚くべきことだ。学校が休みに入っただけで、こんなにも簡単に彼女が遠くなってしまうなんて。会いに行こう、と思えば、実は、会いに行けるんだ。何度か一緒に帰ったことがあるから、家は知っていた。
夏休み中、帰りがけにわざわざ遠回りして彼女の家の前を通ったことは何十回とあった。彼女の家の前を通るときは歩みのペースが自然と遅くなって、偶然でいいから出てこないかな、とか。彼女の部屋のあの窓から顔を出さないかな、と何十回と願った。もし、そんなことがあったら偶然だが、運命なんじゃないかとか、馬鹿げた話だが。

実際、一度もそんなことはなく、ただ虚しい気持ちが増すばかりだ。インターフォンを押せば済むことかも知れない。
だが、押せるだけの理由を俺は持ち得ないのだ。理由がなくちゃ、彼女に会えないなんて、もどかしい。もし、恋人同士にでもなれたら、そんなことはなくなるのだろうか。この、眠れぬ日々は終わるのだろうか。






「日吉くん」


先程まで俺を狙い続けていた乱暴な太陽の光が遮られた。目の前に大きな影が覆って、一瞬、入道雲が現れたのかと思ったけど、違った。俺を隠したのは、先輩だった。ずっと会いたいと思っていた、彼女だった。
これは夏の暑さが見せる幻だろうか。だってあんなに願ったのに現れなかったくせに、都合が良すぎる。学校だって休みだっていうのに制服姿でいる彼女には、ここにいる理由なんてなにもないのだろうから。

けれども、湿気を含んだようなじれったい風が吹いたときに、先程までふわふわだったタオルからしたような、優しくて柔らかい匂いがしたので、彼女が幻覚でも蜃気楼でもないことを知った。



「…先、輩?」

「ん、どうしたの、日吉くん」


じりじりと肌を焦がす、太陽から俺を隠した。鼓膜を震わす振動の周期から脳で感じる響きだって寸分違わず先輩のものだった。どうして、こうも、あんなに現れなかったくせに、急に。

「先輩、は、部活入ってませんよね。何してんですか」

「ああうん、図書館でレポート仕上げてたの。市民図書館よりもここの方が充実してるじゃない」

「ああ、」


全く予想通りの答えでなんら詰まらない。太陽の光も湿った風も、簡単に彼女の肌に触れることが出来て、なんと忌ま忌ましいことか。得に、白い肌を夏色に変えていってしまうのが、俺の知っている彼女を遠くに連れて行ってしまいそうで。

白いワイシャツから覗く腕は俺が知らない間にうっすらと焦げて、境目の白い肌との違いがいちいち目につく。
ごくり、先程水分を補給したばかりだというのに喉が渇いていた。汗ばんだ彼女からは下着が透けてる。ああもう、なんだってこんなとこに視線が行ってしまうのだろう。
自分が情けないながらも、色のチェックをしてしまうのは男の性か。忍足さんみたいでなんか嫌だ。それでも白色から透ける赤みの強いストロベリーピンクは脳裏に焼き付く。


「日吉くん、暑い中毎日大変だね」

「そうでもないですよ」

「でも、あんまり顔色良くないよ。憎まれ口も飛び出ないし」


あんたの所為だよ、なんていえたらどんなに楽か。人の心を掻き乱すだけ掻き乱しやがって。安眠を返せ。
一方的過ぎる悪態が浮かび上がるけど口に出ることはない。それはあまりにも理不尽だということが分かっていたし、なにより口にすることで俺の気持ちを露呈させるだけにしか過ぎないからだ。本当に、なんたって情けないんだ。まさか自分が、こんなになるなんて、自分が一番思いもしなかったさ。



他愛もない話が続く。それはどんなことを話したって、俺には堂々巡りにしかすぎない。進まない、同じ場所で足踏みだけしてる。触りたい、のに、触れない。どうしてこうも、欲深い
彼女の声にノイズをかける蝉は疎ましい。だが、僅か一週間の命を燃やすために鳴きつづけるやつらは俺よりも遥かに賢い、きっと。俺は好きだの一言すら呟けないのだから。


「じゃあ、私、そろそろいくね。休憩ももう終わりでしょ」

「あ、はい」

「頑張ってね、日吉くん」


彼女がくるりと背を向けて、俺を覆っていた影がなくなって、太陽の眩しさに目がくらんだ。
きっと、このままこうして別れたら、あと半月以上ある夏休みをまたもどかしい気持ちですごさねばならないんだ。何故ならば、俺達の間には明確な関係なんてなければ、理由がなくては会うことすらままならない。…そんなのは、嫌だ。


「…、先輩!」


気がついたら、呼び止めてた。それだけじゃなくて、夏色に染まった手首を掴んでいた。ああ、細い。根本的な骨の細さが違う。細いのに、しっとりと柔らかい。今まで触りたいと思っていても意識して、他のやつらみたく軽いスキンシップとしてすら触れられなかった。時々、先輩が俺を呼び止めるときに肩を叩いてくる程度にしか触れ合ったことがなかったのに。
なんて大胆なことを、なにをしてるんだ、俺は。

肩を叩かれるだけじゃ分からなかった柔らかさが伝わって、夏の暑さだけじゃなく汗が吹き出た。手の平にだってかいてるから先輩はもしかしたら気持ち悪いと思っているかもしれない。でも、離せない。
蝉だって毎日毎日喧しいくらいに好きだ好きだと鳴いてるんじゃないか。俺だってお前らが一週間の命の間鳴いてるよりもずっと、彼女が好きなんだ。もう、会えないなんて堪えられない。彼女の手首を握ったままの俺を不思議そうに見つめるその目が好きだ。俺だけを映してほしい。だって俺はアンタだけしか映らないのに、理不尽だ。


「俺は、理由がなくちゃあんたに会えないのは、嫌だ」

「…、日吉くん?」

「理由がなくても、アンタに会える理由が、欲しい」



「好きだ」、出た言葉は何十匹の蝉の大合唱に比べたら随分とささやかなものだった。なんて情けない話だ。
でも、先輩の顔熱で溶けたアイスクリームみたいにふにゃりとしたので聞こえてはいたと思う。とろけそうな笑顔、の意味は俺には計り知れない。


「ねえ、日吉くん」

「…なんです」

「どうして、私が今日、ここに来たと思う」

「レポートでしょ」

「…それも、理由が欲しかったの」

「じゃあ、」

「私だって、好き、日吉くん」

みるみるうちに上気して赤く染まる頬。今日のブラジャーと同じですね、なんて咄嗟に浮かばないくらい、俺は喜びに溢れてる。先輩が、俺を好きと言った。俺を見て。夢じゃないよな、これは。夢なもんか、だって、彼女は俺の夢には出て来たことなどないのだから。

ジリジリと焼け付く太陽、でもそれ以上に熱いのは、俺と先輩が触れ合っている手だ。



「好きだ、先輩」

「うん、私も、好き」

「好きだ、好きだ、好き、好きなんだ」

「…分かったよ、日吉くん」

「蝉になんか、負けるもんか」


これからは、理由もなく電話したり、会ったりしてもいいんですよね。出来ればこんな暑い夏だけれど、ぎゅうぎゅうに抱きしめたりもしたいんだ。
まあそれは、手を繋いだだけの今だって緊張し過ぎて死にそうだから、もっと先の話になりそうだが。その時まで。


バナナアンドストロベリー
(少年少女の恋)



20100804

31/love様に提出させていただきました。
バナナとストロベリーって甘酸っぱい青春の男の子と女の子の恋みたいです。
素敵な企画に参加させていただきましてありがとうございます!
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